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441.君を想う涙


「ユリが目を覚ましたそうです」


クロヴァス領を出て一週間ほど過ぎた頃、レンザ宛てに届いた伝書鳥の運んで来た書簡には待ちに待った報が書かれていた。


「まだ完治という訳ではありませんが、峠は越えたようです。今は少しずつ起きている時間を伸ばして様子を見ているということです」

「…良かった…!本当に良かった!おめでとうございます!」

「ありがとうございます。貴方のおかげです。心からの感謝を」

「いいえ、俺は運が良かっただけです。ユリさんと出会ってから、自分の運が良くなっているような気がしてますから、きっとユリさんが引き寄せた結果です」


レンザはユリといる時のレンドルフの様子は影に逐一報告させているが、むしろユリを発端とした厄介ごとに関わる機会が増えているような気がしていた。その分ユリの方がレンドルフが防壁になっているおかげで、妙な輩に絡まれることが激減していた。勿論ユリに対して不埒な行いを仕掛けようとした者にはユリ自身が身に付けている反撃の装身具でかなり痛い目に遭ってもらうだけではなく、後日大公家の影の手によって社会的にも痛い目を見てもらう。さすがに未遂に終わったものまではそこまでのことはしていないが、ユリ自身が気を張って回避に務めるのには変わりがない。それがレンドルフの隣にいるだけで周囲に無駄な警戒をすることがなくなり、ユリはすっかり安心し頼り切っている。それはそれで距離が近過ぎて周囲はハラハラさせられているのではあるが、今のところ問題は起こっていない。


しかし本気でユリのおかげで自分の運気がよくなったと信じている様子のレンドルフに、レンザは敢えて水を差すようなことはしなかった。


「…それから、目覚めたユリは私の名と、()()レン殿の名を呼んだということです」


報告書にはそのように書かれていたのでレンザは別に嘘を吐いた訳ではないのだが、そこはきちんと言っておかなければならないとばかりに強調した。


「そう、ですか…」

「レン殿!?」


レンザの言葉を聞いた瞬間、レンドルフの両目からホロホロと涙が零れた。それは全く前兆もなく、急に声を詰まらせたかと思ったら唐突だった。そのせいでレンドルフの胸元に幾つもの染みが点々と広がった。レンドルフも慌てたらしく、オロオロとしながら胸ポケットから腰のポーチから次々と忙しなく手がハンカチを探して彷徨っている。おそらくまさぐっているどこかに入っているのだろうが、慌てているせいかなかなか見つからない様子だ。

さすがにそのままにしておくのは気の毒になって、レンザは自分の胸ポケットから真新しいハンカチを差し出した。


()申し訳(ぼうじばげ)ございません(ごじゃいばぜん)…」

「お気になさらず」


ほぼ全部濁音状態になったレンドルフが、遠慮がちに両手でハンカチをレンザの手から受け取る。そしてガバリとレンザから隠すように広げて顔に押し当てた。しかし堪えているつもりでも全く隠せておらず、レンドルフの肩が大きく震えながら上下している。

レンザは少しだけ呆れながらも、自分の言葉が切っ掛けて泣かせてしまったのでバツが悪い。しばらくレンドルフが落ち着くまで見ないフリをして窓の外を眺めるようにしていた。もっとも馬車の中なので見ないフリも何もないのではあるが。


「…大変お見苦しいところをお見せしました」


どのくらいの時間が経ったのかは分からないが、それほど長くはない時間でレンドルフは落ち着いたらしく、小さく「王都で新しい物を購入してお返しします」と呟いてから恥ずかしげにポーチの中に湿ったハンカチを押し込んだ。


ようやく視線を窓からレンドルフに移したレンザは、目元と鼻先がすっかり赤みを帯びてしまっている彼の顔を正面から見てしまった。いくら母親似と言っても一応成人男性に見える整った顔立ちが、妙に庇護欲をそそる儚さと愛らしさを発揮していて、思わず目を擦ってしまいそうになった。


「……ユリの前では控えてくださいね」

「はい。勿論です」


ユリがこのレンドルフの顔を見たら間違いなく「どれだけレンドルフが可愛らしいか」を熱く語って止まらなくなるだろうと思うと、これは絶対に見せてはならないとレンザは警戒した。レンドルフからすると、やはり女性の前で泣き顔を晒すのは避けたいという矜持から何度も頷いていた。それぞれの思惑は違うが意見は一致した瞬間であった。



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クロヴァス領から南下して王都を目指してはいるが、やはり来た時よりも街道に雪が積もっている。街が近い場所は人通りも多く荷馬車も行き来しているのでそれなりに雪よけがしてあるが、そうではない場所は自力でどうにかするしかない。運が良ければ直前に走った馬車の轍があるので比較的楽だが、全てがそうだとは限らない。


丸一日は誰かが通った跡のなさそうな場所では、レンドルフが土魔法で積もった雪を脇に寄せたりしていたので、通常の行軍よりも進みは早いと思われた。それでも既に一週間は経過していて、王都までの道のりは半分も来ていない。王都に近付くに連れて雪は少なくなって移動距離は延びるだろうが、短く見積もっても王都到着までにはあとひと月は掛かるだろう。

雪道で急ぐことは得策ではないし、却って馬車やスレイプニルに何かあっては足留めになりかねない。レンドルフは雪深い土地で育っただけに、焦って先を急ぐようなことはしなかった。気が急いていないと言えば嘘になるが、レンドルフは王城騎士団を解任されることになるだろうことはもうとっくに腹を括っている。強いて言うならユリに一刻も早く会って話がしたいが、病み上がりのユリに無理はさせられないし、何よりも彼女の大切な家族を安全に王都に戻すことが最優先だ。



除雪はレンドルフ一人が魔法であらかたの雪を街道の外に出してしまうので、他の護衛達は周囲の警戒と休憩用の軽食の準備をしていた。雪の深そうな峠の街道の見える範疇の雪は、レンドルフが土を盛り上げ押し出して仕上げに地面を整える。魔力量も多く悪路を均すのには慣れているので大した手間ではないのだが、街道の脇に魔獣避けが設置されているのでそれを動かさないように気を遣う為、多少時間は掛かる。



「レンの旦那、一つどうです?」

「ありがとう、いただくよ」


レンドルフが全て無事に終えて息を吐くと、タイミングを見計らっていたのかサミーが湯気の立つカップと紙に包んだ小さな丸いパンを差し出して来た。パンは中にチーズを包んだもので、軽く表面を火で炙ってある。サミーの手から受け取ると、冷えた指先にじんわりと温かさが沁みるようだった。


パンの外側は外気ですぐに冷めてしまうが、じっくりと温めたチーズが一口齧るとトロリと舌の上に乗る。火傷するほどではないが熱いチーズの塩気と、ほんのりと甘く香ばしいパンが体の芯まで温めてくれるようだ。


「レンの旦那。ちょいと一服してもいいですか?」

「構わないよ」

「では前を失礼しますよ」


レンドルフがミルクをたっぷり入れた熱い紅茶を啜っていると、先に飲み終えたサミーが軽く指を二本差し出すような仕草をして、喫煙の許可を取る。サミーは同行する条件に報酬よりも喫煙の許可を優先するほどの愛煙者なのだ。レンドルフがすぐに首肯すると、サミーはススッと風下に移動する。通常ならもう少し離れたところに移動するのだが今は離れるのは推奨されていないし、距離を取り過ぎるようならレンドルフが止める。サミーは距離の取り方も慣れているのか、何かあってもすぐにフォローに入れる程度の距離だが、煙草の匂いが届かないギリギリの位置を陣取っていた。


「旦那は吸わないんですか?」

「ああ、周囲にもあまりいなかったせいか、縁はないな」


父のディルダートが独身の頃に吸っていたと話を聞いたことはあるが、母と婚約して望まれるままに髭を伸ばしていたら焦がしてしまったのですっぱりと止めてしまったそうだ。


「へえ。俺は養父が酒も煙草も浴びるように嗜む海の男だったんで、悪いことは一通り教えられましたね。そんでバランスを取れ、と養母が礼儀やらマナーやらをビッシビシと叩き込まれまして」

「養母殿は貴族だった?」

「分かりますか」

「うん。所作を見れば貴族向けなのは分かるよ」

「いやぁ、毎晩魘されるほど厳しい教育でしてね。その甲斐あって、荒くれモンも貴族様もどっちの仕事も請け負えるようになったんで、今は感謝してますけどね」


サミーは口に煙草を銜えながら喋るが、慣れているのか口調に淀みが一切ない。養父母達の話をする時は、瞳の色を誤摩化す為にいつも眇めていて睨むような目付きになっているサミーの目尻が優しげに下がる。レンドルフは詳細は分からなくても、サミーが養父母に大切にされていたのだろうということはすぐに想像が付いた。


「サミーさんは今いる商団は長いのかな」

「ううん…長いような、そうでもないような…最初の商団長が支店を出す時に着いて行って、そこから縁故で幾つか回ってますからね。元の商団名は変わってもやってることや仕事先の仲間の顔ぶれはあんまり変わってないんで、やっぱり長いんですかね」


サミーはユリがよく利用している貸し馬車を取り扱っている商団に属しているとレンドルフは聞いている。その商団では馬車だけでなく船舶で運送業を営んでいるので、海のことをよく知るサミーは主にそちらの仕事に就いていたそうだ。しかし海は季節によって状況が変わるので、空きができた時は短期の護衛などの仕事を回されるらしい。


「でも今回の護衛でありがたいことに大公家とご縁が出来ましてね。今後はこうした陸の護衛が増えそうなんで、レンの旦那とは顔を合わせる機会が増えるかもしれやせんね」

「その時はこうして同じ任に就けたら助かるな」

「それはこっちの台詞でさ。ま、なかなか王城の騎士様と同じ仕事をする機会はないでしょうが」

「…どうなんだろうな」


最後のレンドルフが小さく呟いたが、それは殆ど声になっていなかった。



ちょうどそこでサミーが一本吸い終えて、外套のポケットから小さな缶を取り出して吸い殻を押し潰すように放り込んだ。


「ちょいと降り出しそうですね。少し出発を早められないか確認して来ます」

「ああ、頼んだ」


空を見上げると、見渡す限り灰色の厚い雲が覆い尽くしている。大きく息を吸うと、空気も湿り気を帯びて重くなっているような感覚が鼻の奥に伝わって来る。折角雪を避けたのだから、少しでも距離は稼いでおきたい。



レンドルフは馬車に戻ろうと足を向けると、何やらサミーを中心に護衛が数名集まって話しているのが目に入ったが、どことなく様子がおかしい。何かあったのかと周囲に注意を向けてみたが、特に異常は見られない。


「レン殿」

「はい。あ!寒いですから俺が馬車に乗り込みます!」


馬車の近くで立ち止まっていると、窓が開いてレンザが顔を出した。レンドルフはすぐに窓を閉めてもらって素早く馬車に自分が乗り込む。


「たった今、王都から緊急の連絡が入りました」


レンザの手には、外で作業をしている間に到着したのか手紙が乗せられていた。


「ユリさんに何か!?」

「いいえ、そちらではありません」

「そうですか…それでは何の連絡でしょうか?」

「…緊急と言いますか、上手く考えたものと言いますか」


ユリに関する連絡ではないと聞いて、一瞬強張ったレンドルフの肩から力が抜けた。しかし緊急なことには変わりはないと、すぐに表情を引き締めた。


「もうすぐ王都から迎えがやって来ます。彼らと合流するまでこの街道で待つように、と」

「迎え、ですか?」

「ふふ…()()苦肉の策を捻り出している姿が目に浮かぶようです」


少しだけ楽しげに笑うレンザに、レンドルフはキョトンとした表情で何度か目を瞬かせる。取り敢えず誰かと合流するまではこの場に留まるようだ。


「そういえば、レン殿はユリと手紙のやり取りをしていましたね」

「は、はい。その…他愛もない内容ですが、読み返すと楽しかったことをすぐに思い出せるというか…」

「王都に戻ったら再開していただけませんか。返事を書くのは医師の許可次第ですが、手紙を読むくらいなら可能だそうです」

「はい!必ず書きます!…あ、あの…送ってはいないのですが、ほぼ毎日書き溜めていたものもあるのですが…それはさすがに迷惑、ですよね…」

「ほぼ毎日…」


意識のないユリに向けて、送らない手紙をレンドルフは書き続けていた。ユリとまた会うことが出来た時に送ろうと思っていたのだが、予想以上に増えてしまってどうしようかと思ってはいたのだ。最初は大きめの袋に入れていたのだが、いつの間にか一抱えもある箱一杯になっている。私物の中に紛れ込ませて持って来ているが、渡すのも引かれそうだし、かといって処分はし辛いものだった。


「では、私がユリに渡しましょうか?」

「え!?あ、い、いや、その…す、少し、考えさせてください…」

「ええ」


恥ずかしげにモジモジしているレンドルフに、レンザが申し出ると更に顔を赤くして俯いてしまった。体の大きな成人男性がそんな仕草をしていると気持ちが悪いだけに見えてしまうが、レンドルフの場合は何故か不思議と可愛らしくも見える。レンザはうっかりごく自然にそんなことを思ってしまい、慌ててその考えを頭から追い出したのだった。



お読みいただきありがとうございます!


読み返してみたら、主役二人が全く会っていないまま随分経ってしまいました。再会まではもう少し掛かりますので、ゆるりと見守っていただければ。


少しずつですが評価、ブクマ、いいねが積み重なって行くのは日々励みになっております。ありがとうございます!ゆっくりペースで話は進んで行きますが、お付き合いいただければ幸いです。

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