440.出立
無事に解毒薬を送ってから一週間後、ようやく医師からの許可が出たレンドルフは王都に戻ることになった。
死んだことにされていたディルダートの生還を祝う突然の領を上げてのお祭騒ぎや、各方面への訂正と詫びの後始末などにクロヴァス家の面々は忙しく立ち回っていたが、レンドルフは安静を言い渡されて何もせずに過ごしていた。何度か手伝いをしようと色々申し出たのだが悉く遠慮され、実力行使に出ようと部屋をこっそり出たところで必ず誰かに見つかって連れ戻される日々だった。
最終的には、レンドルフが子供の頃に色々と世話になっていた元乳母や元家庭教師などが呼び出されて交代で見張りに付けられてしまった。彼らは既に引退してかなりの高齢なのだが、却ってそれが強引に振り切ることが出来ずにレンドルフは大人しく療養する以外になかったのだった。特に元乳母の耳元での子守唄は、とうに成人しているレンドルフには精神的に堪えるものがあった。
そして彼らが帰った後は、他の者よりもやることが少ないバルザックが付き添っていたので、レンドルフは完全に動きを封じられていた。しかしそのおかげで回復も早く、長年クロヴァス家の主治医を務めていた老医師から「言うことを聞いて休むことが回復の早道です」とディルダートやダイスへも説教が飛び火していた。
「何かあればすぐに知らせるんだぞ」
「はい、お気遣い感謝します」
「私もすぐには駆け付けられないが、いつでもお前の味方だからな」
「ありがとうございます、バルザック兄上」
レンドルフは旅支度を終えて挨拶に向かうと、まるで双子のように似た兄二人に挟まれてギュウギュウに抱きしめられていた。父親そっくりで年子の兄達は並ぶと良く似ていた。今はバルザックは髭を手入れしているのですぐに違いは分かるが、単独で見ると家族以外ではなかなか見分けが付かないのだ。強いて言うならバルザックの方が少しだけ身長が低いくらいだ。
末っ子のレンドルフは父や兄達よりも身長も体格も少しだけ大きい。しかし全員規格外の巨漢なので、三兄弟が並ぶと迫力が圧倒的だ。
バルザックもいつでも帰国出来る準備は終わっているのだが、国境を越える許可が下りるまでに時間が掛かっていた。通常の状況ならば一番最初にクロヴァス領を去っていたのだが、あと数日は掛かりそうだった。おそらく領主家族に害を為そうとした何者かがディルダートを誘拐したという筋立ての影響で、国境を越える者の許可を出す審議をいつも以上に重ねているせいだろう。しかしバルザックはギリギリまでレンドルフと過ごせたことを殊の外喜んでいたので、あまり気にしていないようだった。勿論バルザックも隣国にいる家族を思っていない訳ではないが、優秀な女辺境伯の妻を全面的に信頼しているのもあった。
「くれぐれも気を付けるんだぞ」
「アレクサンダー様のことをしっかりお守りするのですよ」
「はい。勿論です」
両脇から兄に抱きつかれているので、ディルダートは空いているレンドルフの背中を軽く叩き、アトリーシャは柔らかく頬を撫でる。
誰もが明らかにレンドルフを王都に戻したくない気持ちが溢れていたが、レンドルフがそれを望んでいない。特に両親は「アレクサンダー」の正体を知っているので、レンドルフが誰の為に命懸けで解毒薬を守ろうとしたのかも分かっている。だからこそレンドルフの気持ちを最優先して、彼らは名残を惜しみながらも引き留めるようなことは口にしない。
「レンドルフ…叔父上?」
「ディーンにそう言われるとむず痒いな」
「僕も同じだ。じゃあ改めて、レンドルフ」
兄二人から解放されると、少し離れたところで見守っていたディーンが近付いて来た。確かに血縁としてはレンドルフはディーンの叔父に当たるが、実際はディーンの方が少し年上だ。ダイスの息子達の末っ子のように育って来たので、慣れない呼び名にレンドルフは思わず苦笑した。それこそ幼い時には「ディーン兄さま」と呼んでいたくらいだ。
「王都で失業するようなことがあれば僕の専属護衛として引き抜くから、その時はよろしく」
「ディーン」
皆が引き留めない中で、ディーンだけがハッキリと口に出してしまった。それを母ジャンヌが嗜めるような低い声で呟く。しかし内心は息子に「良く言った」と言いたい気持ちもあったので、そこまで咎めるような口調ではなかった。
「それも悪くないな。その気になれば頼らせてもらうよ」
「ああ。実力と働きに見合った報酬と地位は約束してやろう」
「ははは、王都を追い出されたら考えるさ」
レンドルフが今はあまり王城の騎士団での扱いが良くないことは家族全員が知っている。騎士団内部の地位が上の者は認めているようだが、全体の空気としてはやはり近衛騎士の副団長にまでなったレンドルフが、慣習的に最下位と思われている第四騎士団の平騎士になったことは確実な転落だと思われている。それこそ破竹の勢いで出世したレンドルフを面白く思わない者も一定数存在していた。実際にレンドルフと任をこなしていた同僚の近衛騎士はレンドルフの人柄をよく知っていたので良き仲間と思ってはいたが、知らない人間からすると騎士団トップの団長二人に目を掛けられ、王太子の覚えもめでたい存在は妬みの対象だったのだ。
今のレンドルフがその立場を気楽だと思って、騎士以外の交友も広まっているので結果的には良かったかもしれないが、一歩間違えれば心が擦り潰されていてもおかしくなかった。
そのことはレンドルフ当人よりも周囲の方が不満に思っていた。ディーンもレンドルフが王都に戻ることを望んでいるのは分かっていたが、それでも敢えて空気を読まずにそう声を掛けのは、ディーンも次期当主として身内が軽んじられることに憤りを感じていたのだ。
だが、当のレンドルフはあくまでも軽くいなして、その場のリップサービス程度の認識に留めたようだった。
実際、レンドルフの状況はそのまま王都に戻っても王城の騎士を続けられるかは微妙なところだった。
騎士団では身内が亡くなったときは特別休暇が出て、親等ごとに日数が決まっている。そして領地の距離に関わらず、往復するだけの日数も特別休暇として加味される。レンドルフの場合は、王城に父の訃報の正式な書状が届いた為に往路と誤報が発表されるまでの六日間は特別休暇が認定されている。しかし、それ以降のレンドルフの怪我の療養と復路の日数は個人の休暇が適用されていた。
そしてレンドルフが現在最大で取得出来る個人の休暇はひと月半程度が限度であって、それを越えてしまうと職務続行不能と見なされて騎士団の解任勧告が出される。任務中に負った怪我の療養ならば個人の休暇に換算されないが、レンドルフの場合は休暇中の負傷と見なされる。王都から辺境領に向かった時から比べて、同じ道でも積雪の為に倍近い時間が掛かるだろうことは簡単に予測が付く。
レンドルフの療養期間と片道の王都へ戻る日数を考えると、個人休暇で賄えるかギリギリといったところなのだ。しかも今のところは、訃報が間違いではあったがわざとではないと見なされて特別に個人休暇ではないと特例を適用されているだけで、もし誰かが「やはりそれはおかしい」と過去に遡って個人休暇として扱うべきだという方向に傾けば、王都に戻る前にレンドルフの解任は確定したも同然だ。
一応休暇中の不慮の事故などは、上官がそれまでの勤務態度などを鑑みて色々と手を回して密かに休暇の日数に手心を加えてくれることも珍しくないのだが、レンドルフは近衛騎士を解任された際に過分の計らいをされていると周囲に認知されている。まだそれから一年も経っていないので、そこでまた特例扱いをしてしまうとさすがに風当たりも強くなるだろう。レンドルフは自分自身がそれなりに目立つ存在であることは認識していた。
(最初から辞する覚悟は決めていたし、これ以上皆に迷惑を掛けるのもな…)
ユリの解毒薬を入手する為ならば王城の騎士団に拘るつもりもなかったし、レンドルフはこれまで世話になって来た人々に負担をかけるのも申し訳ないと思っていた。
クロヴァス領に赴くまでに色々と手を尽くしてくれた統括騎士団長のレナードや、第四騎士団副団長ルードルフ、直属の上司に当たる部隊長オスカーをはじめとする仲間達にもこれ以上自分のせいで評判を落とすようなことがあってはならないとも考えていた。
(ここは王城に戻ったらすぐに辞表を出して…寮を引き払ったら、しばらくはタウンハウスで世話になるしかないな…)
馬車に荷物を積み込みながら、レンドルフは今後の去就に付いて思いを馳せていた。
とにかく王都を出るつもりは今のところないので、やはり冒険者として本格的に活動するべきだろうか。それならばいっそエイスの街で部屋を借りて拠点にした方がいいかもしれない。などと色々と考えているうちにの荷物を積み終え、あとは出発するだけになった。
「レンドルフ、これを」
最後にディルダートが小振りのトランクを二つ、レンドルフに手渡して来た。手に取ると、何らかの付与が重ねがけされているのか微かに手の平に魔力を感じた。
「この中には魔力を充填した火の魔石と水の魔石を詰めてある。今回世話になった方々に渡してくれ」
「父上…!」
「俺とリーシャで魔力を込めて、研磨もしてあるから装身具や魔道具として加工もしやすい。誰に渡すかはお前に任せる」
「父上、母上、ありがとうございます…!」
魔石に充填した魔力は純粋にそれだけだが、加工をして付与などを追加すれば様々な用途に利用出来る。火の魔石は生活に必要な火種や熱源にも利用出来るし、身を守る為の攻撃魔法に転用する装身具など用途は幅広い。そして水の魔石も生活に必要なあらゆるものに転化しやすい為、いくらあっても困ることのないものだ。しかも辺境領で獲れる魔石は質が良くてどこに行っても人気の品だ。それを小さめとは言えトランクに入っているということは相当な量を詰め込んでいる筈だ。
レンドルフの両親はどちらも魔力量は多く充填作業は普段から行っているが、それは領民の為に使われるのでそうそう余分なものはない。そんな状況でも息子の手土産として用意してくれた気持ちに、レンドルフは胸が一杯になって少しだけ声が詰まってしまった。
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皆に見送られてクロヴァス領を発ったレンドルフは、往路と同じように大型の馬車にレンザと同乗していた。やはりユリに無事解毒薬を送り届けられたという安堵感が余裕となっているのか、馬車の中の空気は行きよりも随分と柔らかくなっている。
「ご家族の仲が良いのは羨ましいことですね」
クロヴァス領を出てしばらく経った頃、不意にレンザがしみじみとした様子で呟いた。
レンドルフは、ユリの両親は互いに婚約を解消してまで貫いた仲ではあったがあまり周囲に祝福された婚姻ではなく生活に苦労したようで、その後産まれたユリも育児放棄していたことは聞いている。その影響もあって親子仲はあまりよくなかったのだろうなとすぐに思い当たった。
「俺の目からは、アレクサンダーさんとユリさんも仲の良い家族に見えます」
「…そうですか。家族と、ユリも思ってくれているでしょうか」
「ユリさんからは何度も『自慢のおじい様だ』と聞いていますよ」
「ふふ…そうですか」
レンザはユリが自分のことを想ってくれているのは「魂の婚姻」の影響ではないかと考えてしまう。そして自分の気持ちも、きちんと「家族」としてユリに向いているのか時折ひどく疑わしくなる瞬間があるのだ。ついそんな不安が口をついてしまったことに、ほんの少しだけ苦笑混じりに笑った。心のどこかで、同じ目的を達成する為に手を組んだレンドルフのことを同士だと認識しているのかもしれない。だからこそ、思わず彼にユリとは家族であると断言して欲しかった気持ちがあったことを心の片隅で冷静に把握していた。
「レン殿、これからもユリが望む限り、隣で守ってやってくださいますか?」
「…!勿論です!」
レンザの言葉にレンドルフは頬を紅潮させて即答した。
それを眺めながら、レンザはもし万一のことがあって彼とも「家族」と成りうる日が来るかもしれないと想像をしてみた。そしてそれが思ったほど嫌悪感がなかった自分に「業腹だが」と内心呟いてから、アトリーシャにも言われたことを思い出した。
レンザは自分が思っている以上にレンドルフを気に入っているようだと自覚はしたが、それを当人に言う気は今のところ一切なかったのだった。