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438.母心と父心


「あの子は随分強くなりましたし、そう簡単に負けるようなことはないのですけれど…ただ、咄嗟の判断をする時には、自分の身をまるで物のように扱うところがあるのです」


アトリーシャは美しい眉を微かに顰めて、少し長い溜息を吐いた。


もともと護衛騎士を務める者は、護衛対象の為に自分の身を犠牲にすることも一つの策だと教わるが、あくまでもそれは最終手段だ。もし自分の身を犠牲にしてしまったら、その後の護衛対象を守る者がいなくなってしまう。護衛が複数いたとしても戦力が削られるのだからそれは得策ではない。自分も生き延びて仕える者を生かして逃がす。それが最上の護衛騎士のあるべき姿だ。

レンドルフもそのように教育を受けた筈なのだが、人並み以上に体格が良く頑丈な体と魔法を有しているので、多少自分が防壁になって傷付いても命に関わることはないと考えている節がある。決して奢っている訳ではないのだが、長年染み付いてしまった感覚はそう簡単には抜けてくれない。


「それに、視野を広げる前に近衛騎士に選ばれてしまったことも影響しているようですわ。近衛騎士になるには、王城や王家の秘密を守る為に命を賭すことも厭わない誓約を結びますから。元からこちらで護衛騎士の教育を受けていたおかげで選ばれたのでしょうけれど…より拍車を掛けてしまったというか…」

「王家は過ちを自覚しても未だに傲慢さが抜けませんね」

「まあ、手厳しい。わたくしもかつてはその末席に名を連ねていたので耳が痛いですわ」

「…大変失礼しました。夫人はすっかりクロヴァス家の一員となっておりましたので、失念していたようです」

「ありがとうございます。最上の褒め言葉です」


レンザは中央の政治に関わらないようにしてはいるが、辺境伯家に比べれば近い場所で常に情報は入って来るようにしている。それ故につい王家に対して厳しい言葉が出てしまったのだった。やんわりと困ったように微笑むアトリーシャに、レンザはすぐに頭を下げた。


アトリーシャはかつて先代国王の王弟の婚約者を務めていた。他国の王族との政略が持ち上がった為に白紙となったが、彼女は優秀さ故に王子妃の教育は全て修了していた。その為、それなりに王家の内情は把握している。もっと王家の闇に触れる王太子妃であれば王族以外に嫁ぐことは許されなかったが、臣籍降下予定の王弟の婚約者だったので、解消後は国内の高位貴族であれば縁付くことが可能だったのだ。



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このオベリス王国は、ほんの100年ほど前に滅びかけた。それまでは人も物も豊かな国で、それこそ大陸最大の強国キュプレウス王国に追いつくのではないかと目されるほどに力を持った国だったのだ。しかし流行病が猛威をふるい、多くの国の民が一気に命を落とした。やがてその流行病も落ち着いて来たが、何故かオベリス王国だけがいつまでも治まる気配がなかったのだ。

流行病が発生する直前のオベリス王国の王家や貴族は、民を自由に使い捨てられる物と同じような扱いをしていた。国境付近の小競り合いに兵士を出すも、大した装備は持たせずに追い立てるように突撃させ、人数が減ればその倍の人間を送り込んだ。それで命を落としても、その戦場に石碑を一つ建てるだけで済ませた。個人として把握していなかったので、名を刻むこともなかった。

貴族に仕える使用人も、気に入らなければ些細なことで処分をしても、幾らでも領内には替えの人間がいた。大した苦労はしなくても人が溢れていた為に労力を得るのは簡単なことだったのだ。


しかし流行病が蔓延して人口が激減して初めて、農業も工業も人手が足りないことに気が付いた。やがていくら人を集めようと金をばらまいても、そもそもの民がいなかった為、農地は荒れ流通は滞り税収も消失した。


そしてどこからともなく、オベリス王国の流行病が治まることがないのは、傲慢な王侯貴族達が神の怒りを買ったのだという噂が流れ出した。その為国の政務がほぼ壊滅した為に王家が近隣諸国に属国になるので引き受けてもらえないかと打診したが、どの国も手を挙げることがなかった。神の存在をあまり信じていない国でも、明らかにオベリス王国だけがいつまでも流行病が続く状況にさすがに脅威を感じたらしく、引き取れば民が流入して自国も危ういと判断された為だ。

仕方なく新たな王に選出された当時の国王が自ら周辺国に頭を下げて金策に回り、大規模な国の政策転換を行った。あらゆる方面に大鉈をふるい、とにかく残っている国民を宝として大切にして、王侯貴族は彼らの力を借りる立場であるという基本方針を固めた。それが辿々しくも軌道に乗った頃、流行病もようやく終息に向かった。それから100年余り、オベリス王国は少しずつ力を取り戻し、近隣諸国とも対等な関係を築き上げられるようになりつつあった。



今の国王は徹底した平和主義者で、有り体に言ってしまえば事なかれ主義でもある。王太子時代に色々とやらかして先代王と先代王妃にギュウギュウに絞められて以来、すっかり牙を抜かれた状態になった。先代王は頑健な保守派なので、ある意味オベリス王国の平和は二代続けて保たれている。

先代王はレンザやアトリーシャと同世代だが、その世代はまだ幼い頃に国が滅びかけた時代を生き抜いた歴史の体現者達が現役で残っていて、色々と直接語って聞かされたのだ。だからこそレンザ達の世代は過去に参考を求めずに、大転換後の法に則ろうという意識が強い。


その影響もあって、民は宝であるという考えに則って、レンザはアスクレティ大公家にしては珍しく王族と共同事業を立ち上げ、身分を問わず高度で専門的な学問を学ぶ場を創設した。異国から望むだけの環境を整えることを条件に、あらゆる分野の研究者や教師を招致した。そしてその彼らに師事したいとやって来る若者を留学生として迎え、学んだ成果をオベリス王国の為に還元してくれるなら授業料の免除と衣食住は破格の条件で保証したのだ。それが今や世界中から勉学を求める者の憧れの聖地、とまで言われるようになった学園都市にまで成長した。

更にこれまでは貴族向けの学園しかなかったが、平民向けの学校も設立し、一定の年齢以上の者はそこに通うことを義務化した。そこはなかなか人が集まらなかったが、色々と工夫を重ねて今では六割以上の国民が基礎的な学問を身につけることになり、それは国力の向上に直結した。半数近くに減ってしまった人口をいきなり戻すことは出来ないが、質を向上させることでそれを強みとしたのだ。


そんな中で、選民思想で王家のかつての絶対的な復権を至上の命題と掲げている者も根強く残っていた。まだそこまであからさまに語られてはいないが、当時を直接知る者がいなくなった昨今、かつての厄災は傲慢さが招いたと結果と伝えられる過去の遺物を、取り戻すべき輝かしい栄光と考える者も出始めているようだった。


だからこそ、レンザは王家の傲慢さの片鱗を見付ける度、苦々しい気持ちにさせられていた。



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「もしよろしければ、私がご子息に掛けられている近衛の誓約魔法を解除致しましょうか」

「…お気持ちだけ受け取っておきます。いえ、もしレンドルフが望むのならばお願いします。きっと…辞退するでしょうけれど」

「でしょうね。いや、我欲のない方への謝礼は難しい」

「閣下も同じではございませんか。夫が閣下への感謝をどう表せばいいか悩んでおりましたよ」


レンドルフが王城で誓約を結んだのは近衛騎士であったときのもので、一年ごとに更新される。近衛騎士を辞したときはその更新のタイミングで解除されることになっているが、時期的にレンドルフにはまだその制約は有効だろう。

その誓約は王族の一年間の行事や視察などの予定と、基本的な警護体勢の配置などだ。勿論その都度改めて確認して変更されることもあるが、そこまで大きく変わらない。それが漏洩した場合王族の暗殺などが簡単に実行されてしまう為、予定を知らされる近衛騎士や団長などは誓約魔法で口外しないように契約している。更に、万一誘拐されて強引に誓約魔法を解除されて口を割られた時に備えて、その場合は自死するようにという誓約も設けられているのだ。どちらも王城の魔法士が扱うことになっているが、レンザの場合彼ら以上の魔力量の持ち主なので、王城で結ばれる誓約魔法ならば上書きをして解除するのは容易い。先に自死する誓約魔法を解いてしまえば何ら問題はない。


レンザはそれでレンドルフに対する報賞になるかと提案したのだが、予想はしていたが必要はなかったようだ。今回のことでレンドルフに対する褒美はまだ決めていない。レンドルフ当人は、ユリが許可したら見舞いに行かせて欲しいというささやかすぎる望みを口にしていたが、天下の大公家が言葉通りに受け取るわけにはいかない。


「前辺境伯殿には、『いつか』と申し上げております。その時が来たら遠慮なくお願いしますよ」

「『いつか』…ですか。出来れば心残りのないよう、生きているうちにお願いしますわ」

「肝に銘じます」

「それからレンドルフの報賞ですが」


アトリーシャはそう言って少しだけ考え込むように言葉を途切れさせる。その表情は淑女の仮面ではないが、何とも困ったような曖昧な笑みの形を作っている。


「もしあの子が自分の力ではどうにもならない状況になりましたら、大公家の力で手助けをしてやってくださいますか?」

「…随分と幅の広い報賞ですね」

「わたくしが言うのも自賛のようではございますが、あの子はとても優秀ですから、大抵のことは乗り越えて行けると信じております。ですが、世の中には努力や才能だけではどうしても越えられない壁がございますでしょう?ですが大公閣下ならばその壁を越えることは可能かと存じますわ」


アトリーシャの言う「越えられない壁」とはおそらく身分のことを指しているのだろうとレンザは理解した。貴族の身分と言うのはそれだけで信頼が発生するのだ。身分の低い者が一から信頼を築いて同じだけの場所に到達するには長い時間が必要となってしまうこともある。

レンドルフも現在は辺境伯当主の末弟としてクロヴァス家に紐付いているが、彼自身が爵位を有している訳ではない。もしレンドルフに何かあって、それが身分で解決出来るものならば大公家はこれ以上ないほどの力を持っている。


「分かりました。可能な範囲で力を貸しましょう」

「ありがとうございます。もとより何事もなければ閣下のお手を煩わせるようなことはありませんが…幾つになっても転ばぬように先回りして守りたくなる母心とでも思ってくださいませ」

「…彼に何かあれば、私の孫も悲しみますから」

「まあ」


レンザの顔を見て、アトリーシャはクスクスと笑い出した。何か笑う要素でもあっただろうかとレンザは少しだけ片眉を上げて、怪訝な表情になった。


「ふふ…失礼しました。今の閣下のお顔が、わたくしが夫と婚約後にすぐに辺境に向かうと決めたときの父の顔と同じだったのもですから」

「お父君と、ですか」

「ええ。顔は笑っているのに、心の中で『業腹だ、業腹だ』と呟いているのが丸分かりで」

「……敵いませんな」


まさに心の中でそう思っていたのをピタリと当てられたので、レンザは完敗を認めて軽く両手を挙げて降参の意を示した。レンザは立場上あまり社交をしなくても文句を言われない地位にあるので、昔からそういった場に参加するのは最低限だ。婚姻後は一切王都には足を運んでいないアトリーシャではあるが、一時でも社交界の頂点の一員だった彼女に駆け引きで敵う筈もないのだ。


その後も夜更けまで、レンザとアトリーシャは様々な話題に花を咲かせたのだった。




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