437.【過去編】いつか騎士になる
今回でレンドルフの過去編はラストになります。次回から通常時間軸に戻ります。
薬湯を飲んでしばらく経つと、レンドルフの目が少し眠たそうにトロリとして来た。体もユラユラとしているので、背中にクッションを挟んで上半身だけ少し起き上がった楽な姿勢を取らせる。
「坊ちゃん、具合は如何ですか?」
「うん…大丈夫…」
「少しお話をしても?」
「うん…」
魔狼に襲われて重傷を負ってから、レンドルフの意識が戻るのに二週間ほど掛かっていた。その間も体力に考慮しながら少しずつ治療を重ね、一番火傷の酷かった両腕はまだ動かせないが、他の部分は薄く赤みが残っている程度まで回復していた。心配された視力も問題なく、スープなども自力で摂れるようになってから日に日に力を取り戻していた。
レンドルフから話を聞くには十分な配慮をした方がいいだろうと診断されて、話を聞く場が設けられたのはそれからひと月が過ぎて、本格的な根雪がクロヴァス領を覆い始めた頃だった。その頃にはディルダートも意識を取り戻し、特に怪我をしていなかったことから驚異的な回復力を見せていた。
ディルダートは意識が戻ってから通常の食事を食べようとしてアトリーシャに止められ、仕方なく消化の良い薄味のスープを鍋一杯食べようとして怒られていた。更にしばらく安静と言われたのにも関わらず、翌日から模造剣を持ち出して訓練場に向かうところを見咎められて、ロープでぐるぐる巻きにして寝室に戻されていた。
そんな療養生活だったので、むしろ側に付いていた執事の方が窶れたと真しやかに囁かれていた。
レンドルフの話に立ち合うのは、幼い頃から馴染みのある老医師とその妻の治癒士、そして精神的な負担が見られた際にすぐに対応出来るように闇魔法を使う魔法士が同席することになった。怪我を負ったときの話を聞き出すには辛いことを思い出させるかもしれないので、幼いレンドルフの負担を軽減させる為だ。これは大人でも酷い怪我を負ったり、近しい人を目の前で魔獣に襲われるところを目撃してショックを受けた者などの治療の一環としてよく行われる。軽めの自白剤と幻覚剤を使用して感覚を鈍らせて、当人には夢の中の出来事のように感じさせつつ過去の出来事を話してもらう。そして話を聞いた後に当人の希望を鑑みながら、場合によっては一時的に辺境から離れた場所で静養させたり、記憶を少し薄くしたりしてその後の人生を守るのだ。
レンドルフはまだ未成年なので、薬の処方と話の聞き取りには保護者の許可と立ち会いが必須になる。薬が効き始めて意識がぼんやりとしたのを見計らって、ディルダートとアトリーシャが静かに入室して部屋の隅の椅子に腰を降ろす。部屋の明かりを落としているので、レンドルフは彼らが入って来たことには全く気付いていない様子だ。
レンドルフが怪我をした状況が分からなかったので、部屋に見舞いに来て顔を合わせていたのはアトリーシャだけだった。ディルダートが意識を取り戻すまでは、レンドルフが父から攻撃魔法を受けた可能性が残っていた為に、その記憶を生々しく思い出させないようにディルダートは勿論、同じ顔をしたダイスや甥三人も顔合わせを禁じていた。
その後意識を取り戻したディルダートから聞いた話では、他の者達が見た火柱はディルダートの攻撃魔法ではないと判明した。とは言え、それを受けたレンドルフの記憶がどのようになっているかは分からなかったので、念の為顔を合わせないように徹底されていた。
「討伐のことはお話し出来ますか?」
「みんなで、ネズミとか捕まえた…それから銀糸狐がたくさん出て来て、僕が、怪我を負わせて、それを群れから引き離そうと…誰かが言ってた」
「その後のことは、答えられますか?」
「僕が、噛まれて、どこかに連れて行かれた。父上が、僕の名前を呼んでた…それから…」
フワフワとした口調で喋り出したレンドルフの様子は、討伐の話に忌避感を抱いているようには見えなかった。討伐自体の恐怖を感じているのならば、この辺境で生きて行くのは難しくなるので、その点は大丈夫そうだと聞き取りの老医師はそっと安堵する。
レンドルフは一旦言葉を切って、包帯で巻かれてまだ動かすことの出来ないままの両手に視線を落とし、何故かうっそりとした微笑みを浮かべた。
「僕も、火魔法が使えた…」
「…なっ!?」
「しっ!」
レンドルフの言葉に思わず声を上げてしまったディルダートに、咎めるように鋭くアトリーシャが黙るように口を塞いだ。
「坊ちゃんが火魔法を?」
「これで、僕もクロヴァス家の人間として、みんなの役に立てる…」
「火魔法を使えるようになったから、ですか?」
「うん。だって僕は、みんなをガッカリさせてしまったから。やっと、返せるんだ」
「坊ちゃん?」
「僕が返せるのは、それだけ、だから」
不意にレンドルフの呼吸が荒くなり、ブワリと魔力が膨らんだ。
「泥睡眠!」
老医師の背後に控えるように立っていた魔法士が魔石を嵌め込んだロッドを振るうと、そこから紫の光がレンドルフを包んで、そのままコテリと体が横倒しになった。
「いかん!すぐに治癒を!」
「はい!」
薄暗くしていた部屋の明かりを最大まで明るくすると、レンドルフの両手の包帯から血が滲んでいた。老医師は手早く包帯を外して、隣の妻に治癒を任せる。包帯の下の再生しかけていた皮膚が裂けて鮮血が滲んでいたが、幸い深い傷はなさそうだった。妻の治癒魔法で見る間に傷が塞がって、白い傷跡だけが薄く残る。
「本日はここまでにしましょう」
老医師はレンドルフの処置を終えて新しい包帯を巻き終えると、壁際で立ち上がってアトリーシャを庇うように支えているディルダートに向かって静かにそう告げたのだった。
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それから数日掛けて、レンドルフの話を少しずつ引き出して事情を聞いた。
レンドルフは、周囲はすっかり振り切れたと思っていた「女の子で生まれなかったこと」に、未だに囚われていた。おそらく当人ですら気付かないくらい心の深いところに摺り込まれてしまったのだろう、というのが専門家の見解だった。
家族からたっぷりの愛情を受けて、レンドルフ自身も家族のことを想っているのに、生まれ落ちた瞬間に大切な家族達を失望させてしまったと思い込んでいた。そしてマイナスから始まってしまった人生を、どうにか家族の為になることで取り返そうと無意識下で必死になっていたようだった。
そのことを聞いたクロヴァス家の大人達は、複雑な顔をして黙り込んだ。レンドルフの性別がどちらでも愛情を注いだあろうことは間違いないと言えるし、実際レンドルフは他の子供達と同じように大切に育てて来た。が、一度でもレンドルフの優美で愛らしい顔立ちを見て「女の子だったら」と思わなかったかと言うと、完全に否定出来なかったのだ。
そして彼らが思っているよりも、当事者のレンドルフは見た目も属性魔法も一人だけ異なっていることを引け目に感じていた。血の繋がりはなく嫁いで来るのとは違い、血縁であるのに孤立したような感覚に陥っていたらしい。皆は外見が違っていようともレンドルフのことを欠片も疑問に思うことなく家族だと思っていたし、それはレンドルフも十分に理解していた。だからこそその悩みは、誰とも共有出来なかったのだ。
属性魔法が発現した直後に護衛騎士を目指すと言ったのは、元護衛騎士だった義姉のジャンヌが属性魔法を使用出来なくても家族に迎え入れられて役に立っていると考え、彼女を目指せば自分も役立つことを示せるのではないかと思ったらしい。しかしそれでもレンドルフは、クロヴァス家の血筋に出やすい火属性の魔法を諦め切れなかった。
初回の話の途中で魔力を暴走させかけたので、念の為に鑑定魔法を使える神官に見てもらったところ、レンドルフは非常に珍しい後天的に火魔法と水魔法を発現していたことが分かった。しかも本来ならば禁止されている無茶な方法で強引に他人の魔力を取り入れたことを繰り返していた為、体内に溜め込まれた火属性の魔力が一気に爆発した状態になって重傷を負ったのだということも発覚した。
そしてその状況では全身火傷で即死していてもおかしくないほどの高火力だったのだが、本能的にそれを回避しようとしたのか、同時に水魔法も発現していたのだ。そちらはごく弱いものではあったが、薄く水の膜を体に纏わせて、辛うじて命に関わる重要な部位が燃え尽きることを防いだのだった。そうでなければディルダートが禁忌の回復薬の口移しをする暇もなかっただろう。
そんな話の断片を繋ぎ合わせると、誰一人悪くないことが判明しただけだった。勿論、レンドルフに悪意を持って髪色や目の色が違うことをあげつらって勝手な噂を囁くような者もいた。しかし大半は、家族全員も、レンドルフも互いを大切に思っている。それだけに誰もレンドルフの孤独を理解出来なかったし、レンドルフも愛されていることを疑っていないのに孤独感を振り払えないことに悩んでいた。
その口に出すほどでもない掛け違いが、レンドルフが家族の為に役に立つことに執着することになり、自身のことをどこか疎略に扱うような行動を取り始めるようになっていたのだった。
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「先生、今後レンドルフにはどのように接すれば良いのでしょう…距離を置かねばならないのでしょうか?」
全ての話を聞いて、ディルダートは頭から水を被った熊でもここまでにはならないであろう程にしょげ返っていた。それぞれの子供達や孫達も可愛がっていたディルダートだが、既に息子達も成人してしまった後に生まれた最愛の妻にそっくりの末息子レンドルフへの溺愛ぶりは誰の目から見ても明らかだった。しかしそれがレンドルフの重荷になって、その愛情を自分も同じだけ返さなければならないと思い込んでいるのなら、その負担を軽くしてやるのもレンドルフの為だと思ったのだ。
「私としましては、変える必要はないと思っております。しばらくは様子見、という条件は付けますが」
「だが…」
「こればかりは、誰が悪いという訳ではありませんからね。坊ちゃんも年を重ねて、交友も広がればもっと色々な考えに触れて変化もするでしょう。学園に通うようになれば、環境も大きく変わります。それまでは先代様達もそのままで」
愛情を受けて傲慢になる子もいれば、レンドルフのようにそれを同じように返せないことに罪悪感を感じてしまう子もいる。こればかりは当人の生まれ持っての性質だ。それにレンドルフの性格を鑑みると、気を遣って距離を置こうとすればそれを敏感に察してますます自己犠牲の精神に傾きかねない。当分は細やかに見守る必要はあるが、今後も変わらぬ愛情を注いで、いつでも甘えられる環境を維持することが重要だと老医師は伝えた。
「それから坊ちゃんの魔法についてですが、危険だから禁止されている方法を用いて発現させようとしていたことはしっかりとお説教をお願いします。ですが、複数属性を扱えることになったことは祝ってあげてくださいね」
「む…随分難しいことを言ってくれますな」
思わず子供だけでなく大人でも泣くのではないかというくらい険しい顔になったディルダートだが、そんな顔も慣れている老医師の前には通用しない。
念の為レンドルフには、魔狼の狡猾な罠に嵌まって騎士達から離れた為に大怪我をして、その弾みで火魔法と水魔法が発現したことだけは伝えることにした。そして魔狼五頭を仕留めたのは、ディルダートだと周知した。レンドルフの年齢ならば一頭でも倒したのならば大したものだと諸手を上げて歓迎することであるし、ましてや五頭を一人で倒したとなれば次の辺境最強のを冠するのは間違いなくレンドルフだと言われることだろう。しかし自身の身を半分以上焼くような無謀をした結果の成果なのだ。そんな自己犠牲のような策での成功体験は、今後も似たようなことを繰り返しかねない。
だからこそディルダートも胸を痛めつつ、レンドルフの手柄を自分のものとして周知したのだ。レンドルフには申し訳ないが、あれほどの犠牲を払っても一体も倒せなかったことを胸に刻んで、もっと自分を大切にして欲しいという願いも込めていた。
その後、辺境領に遅い春が訪れるまではレンドルフのやり直しの初討伐は延期となり、その間に新たに発現した魔法の使い方をみっちりと学んでいた。
どうやらレンドルフの水魔法はそこまで強いものではなく、コップ一杯程度の水を出すことと、魔力量の少ない下位魔法を幾つか使えるくらいだった。しかしそれに反して火魔法は火力の強いものを暴発させがちで、制御することに苦労していた。最初の時のような大怪我をすることはなかったが、軽い火傷を負うのはほぼ毎回だったので、レンドルフはそうならないように必死で鍛錬に励んでいた。
あまりにも必死な様子だったので、その理由を一緒に鍛錬していたタイラーが聞き出したところ、レンドルフは心底嫌そうな顔で眉根を寄せ、手で口元を覆うようにして「モジャモジャして、気持ち悪かったから…」と呟いたそうだ。聞いたタイラーは何のことはさっぱり分からなかったが、それを人伝に聞いたディルダートは実際に崩れ落ちるほど凹んでいた。
「それで怪我に気を付けるようになってくれれば、それでいいんだ…」
そうブツブツと壁に向かって呟くという奇行を繰り返していたディルダートを、妻のアトリーシャが笑いを堪えながらその頭を優しく撫でる姿が度々見られたと言われている。
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雪解けの春になり、レンドルフは群れから独立したばかりの若いアーマーボアを無事に仕留めて、やり直しの初討伐は成功を収めた。その後も順調に討伐の経験を重ね、学園に入学する頃にはクロヴァス領の優秀な戦力として前線に出ても立派に役割を果たせるようになって行った。
鍛錬も怠らずに続けてはいたものの、なかなか体は大きくならずに悩んでいたが、その分魔法の扱いが向上していた。防御専門と思われていた土魔法もレンドルフの創意と工夫によって十分な攻撃力に転化可能だと周囲に認められることになり、土属性の者も騎士を目指せるという選択肢を増やす切っ掛けにもなった。
学園に入る前に、その魔法の制御力を生かして魔法科に進まないかと学園長からの打診もあったが、レンドルフは幼い頃からの気持ちは変わることなく迷わず騎士科に入学した。
令嬢と見紛うばかりの細身で華奢なレンドルフに、騎士科にいた者達だけでなく他の生徒達も一時期騒然となったらしいが、中身はどの領地の令息よりも実戦の経験を積んだクロヴァス家の優秀な騎士の卵だ。天然の真面目さと実力で騎士科で誰よりも騎士に相応しいと認められる環境を作り、長期休暇には故郷で討伐の手伝いをするなどして、レンドルフは着実に騎士としての道を邁進して行った。
やがて誰も想像していなかったクロヴァス家の血が遅く開花し、最高学年になると同時にレンドルフは脅威のスピードで育ちまくった。顔立ちと毛深さは似ないままだったが、体格は間違いなくクロヴァス家の血統であると誰もが疑わない筋肉質の巨漢に仕上がった。
その変わり様にかなりの人間がガッカリしていたのだが、レンドルフ本人はどんどん育って行く筋肉を毎日楽しげに鍛えていたと伝わっている。そしてそのまま王城の騎士団に入団し、異例の出世街道を駆け上がって行くことになった。
その順調に思えた道も、異例の解任劇で大きくレンドルフの人生を変える切っ掛けになるのだが、その時はレンドルフも周囲も全く想像もしていなかったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
想定の倍くらい長くなりましたが(笑)レンドルフも家族も仲が良くて愛情はあるけれど、誰が悪いと言う訳ではなく気持ちの上で確執がある感じの話にしたかったのです。思ったよりも難産になりましたが、伝わっていれば幸いです。
一応レンドルフが華奢時代にモテまくるのは、母アトリーシャの血筋で時折魅了魔法を疑われるくらい周囲を惹き付ける体質の者が出ることがあって、レンドルフもその影響が少し出ているという設定はありましたが、話の中で出せなかったので補足として。大抵10歳から学園入学の年齢くらいで治まるので、該当者はその期間領地で生活させています。近しいところではアトリーシャの兄(現デュライ伯爵家当主)がそうでした。