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42.【過去編】明日の楽しみ

子供が亡くなる話があります。ご注意ください。


ステノスが早朝馬を飛ばして駆け込んだ収容施設の入口では、全身を分厚いローブで覆い口元にも頭にも布を巻いて、辛うじて出ているのは目だけという状態の神官が待っていた。



「お待ちしておりました」

「早朝から申し訳ない」

「いえ…ご案内致しますので、入る前にこちらをご着用ください」


応対に出た神官は小柄な人物だったので女性だろうとは思っていたが、その声の若さにステノスは少し驚いていた。もしかしたらまだ子供なのかもしれないと思った。


ステノスは手渡された特殊加工を施してあるローブと、同じく加工された布を二重に口元に巻き付け、頭全体も覆う。そして指定された靴と手袋も着用して、ほぼ彼女と同じような姿になって施設の中に入った。



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施設の中は耳が痛くなる程静まり返っていて、移動する衣擦れの音しか聞こえなかった。


「こちらです」

「ありがとうございます」


白く長い廊下を何度か曲がり、ステノスは同じように白いドアの前に連れて来られた。周囲が静かなので、自然と互いの声も囁くようになっていた。



そっとドアが開かれると、そこは思っていた以上に小さな空間だった。高い位置にある窓からは日の光が差し込み、白い壁に反射して部屋全体はとても明るい。しかし、置かれているのは小さなベッドと小さなテーブルがあるだけで、他には何もなく少し冷たく感じられた。テーブルの上にはいつから置かれていたのか、スープの入ったカップと、皿の上には小さなパンが二つ、そしてカラカラに乾いていたが薄いハムと目玉焼きが半分乗っていた。目玉焼きは元から半分に切られていただけのようで、その食事に手を付けた様子はなかった。


そしてベッドの上には、痩せた少年が横たわっていた。その顔色は白く、唇にも血の気が一切なく乾き切っていた。少年の顔はまるで眠っているようで、苦悶の跡は全く見られなかった。知らなければ、普通に声を掛けていたかもしれない。しかし、少年は彼らが入って来ても目を開けることはなく、生命の兆しである呼吸すら既にしていなかった。



「…彼は、いつ?」

「おそらく、昨夜遅くから明朝にかけてかと。昨夜の最終巡回では呼吸は確認されておりますが、今朝の定時確認で部屋を訪れた時には、もう…」


しばらく無言でその少年を眺めていたステノスが静かに問うと、隣に立っていた神官が答えを返したが、後半は声が震えてそれ以上は紡げなかった。


「貴女が彼と最期の会話をしたと伺いましたが」

「…はい」

「内容を確認しても?」


神官は少しの間押し黙っていたが、大きく息を吸うと頷いた。


「場所を移動しても構いませんでしょうか。あまり長い時間ここにいることは許可されておりませんので」

「分かりました。あの、遺体を検分することは」

「申し訳ございません。そちらも許可は…」

「そうですか。仕方ありませんね」

「わたくしどもで分かることであればお知らせ致します。では、こちらへ」


原因の分かっていない流行病は、死者からも感染したという事例もあることから、直接遺体に触れることも、長時間同じ空間にいることも禁じられている。ステノスも分かっていて敢えて言ってみたのだが、やはり答えは予想通りだった。


ステノスは神官に促されて、その部屋を後にした。部屋を出る寸前に一度振り返って、彼は短い時間ではあったが深く黙祷を捧げてからドアを閉めた。



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「彼の名は何と?」

「本名かどうかは分かりませんが、子供達の間ではテイ、とかタイ、とか呼ばれていました。発音にクセがあると言いますか…少し喋りにくそうな感じでした」

「家族のことは何か話していましたか?」

「そこまでは…ただ、無理矢理連れて来られた、という主旨の話は、していました。誰にとは聞いてはおりません」



施設内から出る際に、上位の浄化魔法が発動する魔道具で全身を浄化して、着ていた特殊加工の衣類は全て焼却処分に回された。そして出入口に常駐している鑑定魔法を使える神官から異常なしの判定を貰って、やっと外に出られた。


施設内にある談話室の一つを借りて、ステノスは亡くなった孤児のことについての質問をしていた。布を外して初めて素顔を見た神官の女性は、ステノスの予想通り幼い顔立ちをしていた。14、5歳と言ったところだろうか。淡い水色の髪をきちんと束ねて、凛と伸びた姿勢は清廉とした印象を受けたが、今は少しそれが無理をしているように見受けられた。


「瞳の色は何色でしたか」

「黄土色と言うか…黄色…茶色…そんな感じの色でした」

「金色、に見えなくもない?」

「明るいところで見ればそうかもしれません」


彼女は少年のことを思い出しながら答えていたが、時折その瞳が揺れる。まだ少年のことを受け止め切れていないのに、色々と聞かねばならないことにステノスは少しばかり罪悪感を覚えたが、これは仕事でもあるし、彼自身も確認せねばならないことだ。


「赤い髪の孤児は他にいませんでしたか」

「赤い髪…言われれば赤い…と言えないこともない子供もおりますが、真っ赤な髪というのはあの子だけでした」

「そうですか…」


ステノスは深い嘆息と共に言葉を吐いた。



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かつて妻子であったミキタとミスキのことは、ステノスは人に頼んで定期的に様子を報告させていた。今は拾い子も含めて三人の息子がいることも知っていた。とは言え報告で聞くだけで、ミスキ以外の息子達は遠目でも見たことはない。何が目的、ということではなく、ただ彼らが困っていることがあればいつでも自分が影から支えてやろうという自己満足の一種だと分かっていた。自分で調べることも出来たが、勘の良いミキタのことなので、自分が隠れて側をうろついてたらきっとバレてしまうだろうという確信があった。ステノスは長らく彼らを放置したまま戻らなかった。事情があって戻れなかったのではあるが、それを選んだのは他でもない自分だ。

ミキタ達にとってはもう自分のいない時間の方がはるかに長く、既にきちんと生活をしている中に今更余計な存在が入ることは出来なかったし、自分でそれを許すことも出来なかったのだ。



ただ、不運にも今回の解体作戦で様々なことに追われていたステノスは、定期報告に目を通すのを後回しにしていたのだ。ミキタの店のある場所は作戦遂行の場所からは離れていたし、特にスラム街の住人とはこれまで関わり合いになっていなかったので問題はないと思っていた。しかし、先日息抜きがてらに定期報告に目を通した時、三男のタイキがスラム街住人と間違われて捕らえられたと知って血の気が引いた。


調べて行くと、どうやらタイキが捕まったのは作戦中最も激しい抵抗があった場所で、死者が出なかったことが奇跡的なほどスラム街住人と実行部隊との間に怪我人が出た。そこに潜んでいた手配中の犯罪者が、住人に手を貸していたからだ。幸いにも保護した子供達は軽傷で済んだと報告を見つけてステノスは胸を撫で下ろした。タイキはミキタとの血の繋がりのない拾い子ではあっても、実の家族のように暮らしているのは知っていた。もし彼に万一のことがあれば、それこそミキタに顔向けが出来ない。


ステノスはすぐにどうにかならないかと手を回そうとした。が、収容されている場所が騎士団の管轄だったことなどもあり、後手に回っているうちにタイキと特徴の一致する少年が流行病に罹患して隔離されたと判明した。このままでは間違いで捕らえられたことが証明出来ても、すぐに連れ戻すことは出来ない。それ以上に一刻も早く流行病をどうにかしなくてはならない。


ステノスは警邏隊の医務室長を半ば脅すような勢いで、在庫として保管してあった上級の回復薬を入手して即面会を申し出た。そしてジリジリとしながら返答を待ち、二日後にようやく面会出来る許可が下りた。



そしてステノスが回復薬を持って施設を訪れようと準備をしていた日の朝、施設から面会予定の孤児が息を引き取ったとの一報が入ったのだった。



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「お辛いでしょうが、彼との最期の会話を教えていただけますか」

「……はい」


彼女の瞳にはたちまち涙が浮かんで、あっという間に眼窩を越えてポロリと頬を伝った。


「彼の家族にお伝えします。ですので、どうか」


ステノスは深々と頭を下げた。彼女も話す覚悟を決めてはいたのだろうが、しばらく言葉にならずにただすすり泣く声だけが響いていたが、やがて震える声でゆっくりと口を開いた。


「夕食に、ハムが出ていました…あの子は、それが好きだったようで。でも、ここ数日はもう食べることも出来なくなって…」


あの部屋に置かれていた食事はその時の夕食だったのだろうと思い出す。とても病人用の食事とは思えなかったが、それでも多少は気を遣ってもらっていたのだろうかとステノスは思いを馳せた。


「あの子は『咳が出なくなって来たから、きっともうすぐ治る』と。本当は、もう咳をする体力もなくなっていたのですが…『ちょっと寝て起きたら、きっと食べられるから、そのままにしておいて』そう、言っていました」


人手が足りずに、そのまま放置されていたのかと思っていたのだが、彼の希望だったようだ。


「わたくしの聞いた最期の言葉は『目が覚めたら、楽しみだなあ』でした…」

「…そうですか」

「そのまま、眠ったのを確認して、わたくしは下がりました。それが、最期でした」

「ありがとうございます」

「いいえ…」


彼女はそこまで言って、嗚咽を堪えるように袖で口元を覆った。


患者と接する者は直接の接触も会話も禁じられていて、返事をすることも出来なかった、と途切れ途切れ彼女はようやくそこまで話すと、両手で顔を覆って泣き崩れたのだった。



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ステノスは彼女にかける言葉を見つけられないまま、ただ彼女が落ち着くまで黙って座っていた。

しばらくして少し彼女が落ち着いた頃を見計らって、ステノスは懐からそっと瓶を取り出して彼女の手に握らせた。


「…これは…」

「回復薬です。彼の為に用意しましたが…まだ間に合う子供の為に、お使いください」

「…!ありがとうございます!」


手の中の瓶を見て、彼女も上級の回復薬と気付いたようだ。現在のところ、この上級の回復薬がこの病に唯一の効果が見られる薬だ。10人以上罹患者がいるのでほんの僅かな量しか行き渡らないだろうが、それでも助かる者はいる筈だ。そう思いたかった。


何度も頭を下げて感謝の言葉を口にする彼女に、ステノスは見送りも辞退してすぐに回復薬を配るように告げると、そのまま施設を後にしたのだった。



その帰り道、彼がささやかながらもほんの少しだけ楽しみなことを胸に抱いて眠るように旅立ったのなら救われたのではないか、そうであって欲しい、とステノスは祈りながら瞠目したのだった。



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「ステノスさん、どなたかご不幸でもあったんですか?」


警邏隊の本部に戻って、クローゼットの奥から弔事用の黒の制服を引っ張り出して皺を伸ばしていると、書類片手にカナメが入って来た。


「施設預かりになってた孤児が例の流行病で亡くなった」

「まあ…お気の毒でしたね」

「共同墓地に入れる前に身内が見つかってな。あっちで火葬が終わったら遺骨を届けに行って来る」

「ステノスさんがですか?今は他の者に任せては…」

「いや、ちょっとした昔馴染みでな。俺が行かねえとならないんだ」


いつもは軽口を返して来るステノスがさすがに沈痛な面持ちをしているのでカナメは一瞬だけ手元の書類をどうしようか躊躇ったが、時間にしてみればほぼ躊躇わないのと同然の動きでステノスの机の上に容赦なく書類を置いた。


「こちら、ステノスさんが気にしていた駐屯部隊の上層部の使途不明金の流れです。結構あからさまに上に集まってました」

「…そうか。遺骨の引き取りに向かうまで読んでおく」


言葉少なめに書類を手に取ったステノスに、カナメは軽く溜息を吐いてから口を開いた。



「あの…これは私の印象ですが」

「何だ」

「そこまで、エイスの街の治安、悪かったですかね?」

「……どういう意味だ?」

「犯罪奴隷達の移送先を調べていた時に、やけに長期の刻印を刻まれた者が多いな、と思いまして。我々がすぐに駆け付けられなかった分、駐屯部隊任せにしていた部分もあるので断定は出来ませんが、これほど重罪になるような犯罪者が多数スラム街に潜んでいた程、あの街は荒れていたんでしょうか」

「……荒れていたのは確かだが…」

「軽犯罪者よりも重犯罪者の方が、受け入れた場合一人当たりの国からの補助金は多いですよね」

「……ああ」

「ただの私の印象です」


ステノスの反応を待たず、カナメは一礼をすると部屋を出て行った。


ステノスは難しい顔になると、彼女の持って来た書類を手に取ると椅子に沈み込むようにそこに並んでいる数字を見つめる。


その中に、駐屯部隊部隊長のカツハの名前が頻繁に出て来て、ステノスの顔が一層険しくなった。


ステノスはふと思い当たったように猛然と見当をつけた書類の山の中から数枚を抜き出し、何度か目を走らせた後に眉間に深い皺を寄せた。そこには、既に移送が完了した犯罪奴隷達の情報が一覧になっている。詳細までは書かれていないが、氏名と年齢に罪状と服役内容、移送先などと共に、それを承認した数名の上層部の人間の名前が入っている。そして、その承認者の中でも重犯罪者の担当にカツハの名前が多数並んでいたのだった。


「重犯罪者の罪状はほぼ判で押したように同じだな…とても精査しているとは思えん…」


カツハだけでなく、他にも同じような承認者の名前が出て来るのは数枚書類を見ただけでもすぐに分かった。調査は必要になるのだろうが、彼らが適当に罪をでっち上げて重犯罪者を水増ししている可能性は高い。そしてそれを領主に引き取らせて補助金を多く受け取り、領主はその一部を彼らに回しているという構図が透けて見えて来た。


「後でたっぷり締め上げてやる…」


無意識的にギリッと噛み締めた歯が微かに鳴った。



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ふと時計を見ると、出掛ける時間の五分前になっていた。ステノスは深い溜息を吐くと、ハンガーに掛けていた上着を着込んできちんとボタンを全て留めた。久しぶりに襟元まできちんと留めたので息苦しく感じたが、その苦しさはそれだけではないのは自分でも分かっていた。


これから遺骨を受け取ってミキタのところに届けるのはかなり遅くなるだろう。しかし、こればかりは一刻も早く届けたかった。


おそらくどころか、確実に数発は渾身の拳を喰らうだろうと予測は出来たが、それで気が済むならいいと覚悟を決めてステノスは警邏隊の本部を出たのだった。



その数時間後、拳どころかもっと大変な危機に見舞われるのだが、ステノスはまだそんなことは全く予想もしていないのだった。


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