435.【過去編】レンドルフの初陣
戦闘、流血表現あります。ご注意ください。
その日は、少し肌寒いがよく晴れた朝だった。
数日前に今期初めての雪がちらついたが、随分と早い時期だったので積もることはなく一日程度で消えていた。
「日陰は少しばかりぬかるんでいるところがあるかもしれん。十分に気を付けるんだぞ」
「はい、父上」
レンドルフはまだ新しい防具に身を包んで、少し緊張と興奮で頬を紅潮させながらしっかりと頷いた。その様子を見て、アトリーシャやジャンヌはかつてのダイスの初討伐を思い出して、立派な受け答えをするレンドルフの姿に涙ぐみそうになっていた。何せ当時のダイスは初討伐に浮かれて周囲の言葉が全く耳に入らず、出発までに何度ディルダートの雷と拳骨が落ちたか分からないほどだったのだ。最終的に騎獣用の魔獣を捕らえる為の強化した革紐で括り付けられて出陣した為、当時を知る者はどうしても感慨深くなってしまうのだった。
「皆の言うことを聞いて、無事に帰るのですよ」
「はい、母上。行って参ります」
ダイスが仕留めたアーマーボアの革で作って幾つもの防御の付与を掛けた防具に、ジャンヌが稽古を付けながらレンドルフの扱いやすい長さの剣を選び、真新しいシャツの襟元にはアトリーシャが刺繍したクロヴァス家の紋章と土地神の加護の紋様が飾られている。そのシャツのボタンは土属性の魔石を加工したものが使われていて、これは隣国からバルザックが間に合うように贈ってくれたものだ。他にもディーンが初討伐で使ったポーチや、ザルクが愛用している傷薬、タイラーの今日のおやつなど、全身家族の愛情に包まれた状態になっている。
レンドルフは、辺境所有の中では小柄な部類に入る栗毛の魔馬に跨がると、超大型のディルダート専用のスレイプニルの後に続いて出発した。そしてその後ろから選りすぐりの精鋭のベテラン騎士達が10人ほど連なる。その姿は、魔王と可憐な姫君とその従者達というお伽噺にでも出て来そうな様相ではあったが、敢えて誰もそのことは口にしなかった。
(ええと、今日は銀糸狐を狩ることが目的で、その前に餌となるネズミかウサギを捕まえること)
移動しながらレンドルフは、今日の討伐の内容を頭の中で繰り返す。討伐予定の銀糸狐は、大きさは大型犬くらいで肉食ではあるが、口が小さく小動物を主食とする危険性は低めの魔獣だ。ただ賢く人里近くに出没し、小屋を破って鶏などを襲うのである程度駆除しなくてはならない対象だ。子育て期以外は単独で生活をする習性なので、不慣れな初陣の子供が討伐するにはうってつけなのだ。それに毛皮が非常に防寒機能が高いので、初討伐の記念に防寒具を作ることも出来る。
辺境領はどうしても魔獣と生活が密接している環境だ。余程のことがない限り、辺境に生まれた子供は男女問わず乗馬と狩りと解体は教え込まれる。嫁いで来たアトリーシャでも、実戦には出ていないものの基礎的なことは習得済みだ。
その中でも実戦に出る子供の初陣は特に注意して行われる。もしそれで失敗したり、怪我などを負ってトラウマを植え付けてしまえば今後辺境領で生きること自体が難しくなるからだ。その為に大仰に思われようが、準備にはかなりの配慮が行われる。
「ここからは徒歩で行くぞ」
「はい」
森の中でもまだそれなりに街道があるので、そこまでは楽に馬が入れる。それよりも奥に行くと道なき道を行くので、まだ大人の馬には不慣れなレンドルフに合わせて全員が馬から下りた。レンドルフを除くベテランは、どんな悪路でも騎乗したまま進む方法を身に付けているが、今日はそこまで森の奥には入らないので徒歩で行っても日帰りな距離だ。
レンドルフは習った通りに魔獣避けを自分の乗って来た魔馬の周囲に配置し、教本通りに荷物を下ろして必要な物を身につける。思わずその手順に夢中になって周囲への注意を疎かになっていたが、それもよくあることなのでその為に同行している騎士達がいる。その中のベテランが敢えて他の騎士に周囲の状況を報告するように声を掛け、レンドルフがそれに気付いて慌てて見回す。その様子に、周囲は自分や身内の初討伐のことを思い出してほっこりするのだった。
勿論討伐に出る前に色々と教えられてはいるが、全てのことを細かく教えきれるものではない。こうして実戦でその都度学んで行く方が有効なのだ。
「若君、疲れたときはすぐに声を掛けてください。体力の半分くらい減ったと思ったらすぐに休憩することが大切です」
「うん」
レンドルフの側に着いている弓を持つ騎士は、準備しているときから色々と教えてくれていたベテランだ。かつて幾人もの新人を育て来た実績から選ばれていた。彼のこれまでの経験則から、新人には「半分」と言っておけば実際は七割くらいの消耗で申告が入る見立てだ。体力が限界値まで消耗してからの休憩では、いざという時に役に立たない。仮にきちんと自身の体力を把握して半分くらいで申告しても全く問題はない。とにかく初討伐に限らず、討伐は余程緊急な事態にならない限り無理をさせないことが肝心だ。この辺境では強さは正義だが、それよりも生きていることが正解という主義を優先している。そうでなければ、常に絶えることなく魔獣の襲撃があるところで生活し続けることは出来ないのだ。
------------------------------------------------------------------------------------
「若君、私が矢で追い立てますので、仕留めるのはお任せします」
「分かった」
レンドルフには全く分からなかったが、先頭を行くディルダートが軽く手を挙げて無言で指示を出す。索敵魔法を操る彼には、どんなに小さな生物でも見逃されることはない。どうやらネズミがいるようで、ディルダートの指先は獲物のいる方向と距離を示している。
レンドルフと組んでいる弓士が短めの矢をつがえて、立て続けに三本放った。彼の矢は的確に下草の中に潜んでいる獲物を捉えたようで、カサカサと確実にレンドルフのいる方向に音が近付いて来る。レンドルフは自分の体に合わせて設えたスモールソードよりも少しだけ長い剣を構えた。通常の剣よりも刃を薄くして軽量化しているが、真っ直ぐな太刀筋のレンドルフならば扱えるということで剣術指南役のジャンヌからも太鼓判を押されている。
下草の揺れと同時に灰色の動くものが見えた瞬間、レンドルフは躊躇いなく剣を振り下ろした。決して大振りではないが鋭い一撃に、獲物は声もなく僅かな血を飛ばして地面に転がった。
「お見事です」
レンドルフの側にいた弓士が賞賛の声を掛ける。下草をかき分けると、灰茶色の小さな角のあるネズミ型魔獣が首の辺りから違う方向に曲がって絶命していた。どうやら上手く一撃で仕留められたようで、レンドルフの剣にも一筋だけ血が付いている。小さな獲物であったがそれでも緊張していたらしく、気が付くと必要以上に手を固く握り締めていた。
「落ち着いて良くやったな。折角だから剥製にでもするか?」
「先代様、これを餌にするのですよ」
「いやでも、レンドルフが初めて仕留めた…」
「それなら銀糸狐の方が見栄えも良いではありませんか」
「う…そ、そうか」
過保護なディルダートが浮かれてそんなことを言い出したが、周囲は苦笑しながら止める。かつてダイスとバルザックの初討伐に参加していたことのある騎士は、二人とも小さな獲物を粉砕したり消し炭にしたりと色々やらかしているのを見ているので、ディルダートの気持ちも分からなくもない。しかしレンドルフは必要以上に盛り上がっている父親が少々恥ずかしかったのか、耳がうっすらと赤くなっていた。色白のレンドルフは、表情よりも顔色にすぐ出てしまう。
それから他の騎士達も数匹の小型魔獣を仕留めて、木の枝に吊るしておく。こうして銀糸狐を上方に意識を取られたまま近付いて来たところを囲んで仕留めるのだ。周辺にそれらしき足跡も見付けたので、目立つ場所に罠を仕掛けておいて風下に移動する。
「おお、ちょうど岩尾鶏がそこにいたぞ」
「さすが先代様」
移動中に何故かディルダートがしゃがみ込んだと思ったら、両手に灰色の羽根の見た目が岩の鶏を一羽ずつ掴んでいた。ジッと蹲っていると岩にしか見えないので、なかなか見分けにくい個体だ。しかしディルダートの前には全くの無効になる。ロックカクテルは見た目よりもずっと柔らかい羽根を持っているので、枕や毛布などの加工品は人気がある。そして肉もあまり癖がなく食べやすい。
「これを捌いて昼に足そう」
携帯食は持って来ているが、基本的に現地調達してどうにかするのが辺境流だ。環境は厳しくても土地は豊かなのだ。少し探せば山菜やキノコ、野生の山芋なども採れるし、肉は魔獣が勝手に寄って来るので苦労はしない。一番の問題は、安全を確保しながら食事をする時間があまり取れないところくらいだろう。
「レンドルフ、手伝ってくれ」
「はい、父上」
レンドルフも解体の基本的なものは既に習っている。あまり大物だと力が足りずに苦労するが、多少時間を掛ければ自分と殆ど変わらない大きさのワイルドボアくらいまでならば捌ける。両手に抱えるくらいの鳥ならばそれほど時間は掛からない。
羽根を毟って血抜きをしていると、ディルダートが手を止めるように指示を出して来た。すぐに周囲はピリリとした緊張した空気に変わる。
「若君、こちらへ」
弓士が手早く処理途中だった岩尾鶏を袋の中に収納し、血の付いたレンドルフの手に即座に浄化魔法を掛ける。何から何まで世話をしてもらうのは申し訳ない気持ちになったが、モタモタして迷惑をかける方が避けるべきことだ。レンドルフは自分の出来る範囲で道具をしまい込むと、再び剣を抜いた。
------------------------------------------------------------------------------------
息を潜めて茂みに身を隠すと、本当に微かではあるが下草や落ちた枯れ葉を踏む音が聞こえて来る。そして身体強化をしていなければ気付かないが、僅かに生臭い匂いも漂って来る。レンドルフは思わずゴクリと喉を鳴らした。
葉の陰からチラチラと灰白色の毛並みが見え隠れしている。全体は見えないが、個体としてはそこまで大きくなさそうだ。作戦としては、弓士が背後に矢を撃ち込んで混乱したところを別の騎士が追い立てる。そして横から攻撃を仕掛けるのをレンドルフともう一人の騎士が行い、他の者は周囲を確認しながらレンドルフのフォローに回る。基本的にレンドルフを含めて二人掛かりで倒せる筈だが、相手は魔獣であるので不測の事態への用心はし過ぎると言うことはない。
空気を切り裂くような音がして、弓士が矢を放つのを合図に一斉に動き出す。背の低いレンドルフは他の騎士の剣の軌道をくぐり抜けるようにして足元を駆け抜け、銀糸狐の間合いを一気に詰めて前脚を狙う。
「っ!気を付けろ!」
今まさにレンドルフの剣の切っ先が前脚の毛皮に到達する瞬間、ディルダートが鋭く叫んだ。他の騎士達は慣れていただけに即座に反応して構えられたが、レンドルフだけが一瞬だけ対応が遅れた。時間にしてみれば瞬きをするほどもなかっただろうが、それでもその一瞬の判断が明暗を分けた。
「若君!」
剣を振り抜こうとした瞬間に止まることが出来ず、そのままレンドルフの切っ先が空を切る。そしてその僅かにたたらを踏んだところを狙って、銀色の塊がレンドルフの肩を掠めた。防具に守られて体には届かなかったが、防御の付与を越えて深く肩当てが裂ける。
「二…いや、五頭!?」
目の前にいた銀糸狐の灰白色の姿がユラリと揺らめいたかと思った瞬間、それが幾つにも分かれた。銀糸狐は単独で生活をする習性の魔獣だ。それがこんな風に複数でいることも有り得ないが、何故そんな風に分裂したのかも分からない。しかしそんなことを考えるよりも、今は目の前の魔獣に対処することが先決だ。
「大丈夫ですか!?」
「うん、平気!」
側にいた騎士がすぐさまレンドルフの背を支えて、背後を守るようにフォローに入る。レンドルフも最初の攻撃は受けてしまったが、怪我をしている訳ではない。五頭に増えてしまった銀糸狐は、まるで良く訓練された猟犬のように陣形を組んでこちらを威嚇して来る。一定の距離を保っているので睨み合う形になって、互いに隙を窺っているような状態になった。大抵の銀糸狐は用心深いので、人間の数が上回っていれば逃げ出すことが多い。しかし今の彼らは全く引く様子はなく、どこから人間の陣形を崩すか見定めているかのようだった。
その中の一頭が、前脚に怪我を負っているのか少しだけ浮かせている。そして毛に覆われて分かりにくいが、足先から血が垂れているように見えた。どれも同じ大きさなので個体の区別はつかないが、怪我をしている個体はもしかしたら自分の一撃が掠めたのだろうか、とレンドルフは考える。そこまで大きな個体ではないので、これだけの人数がいればまずあの怪我をした個体から仕留めた方がいいのではないかと頭の中でこれまでの教えを反芻する。
『群れを分断して、一体ずつ追い込むぞ』
『まずは怪我をしている個体からだ』
誰が言ったのかは分からなかったが、それと同時に全員が動いた。その動きに反応したかのように、銀糸狐も左右に割れるように動きを変える。レンドルフは何度も繰り返した陣形の動きだと思い出して、考えるよりも早く体が動いて剣を少し引き気味に構えた。
「レンドルフ!!」
斜め後ろにいた筈の父ディルダートの声が違う場所から聞こえて来て、レンドルフは一瞬違和感を覚えたが、それよりも群れから引き離して孤立した怪我をした個体が目の前に迫っていたことに全てが吹き飛んだ。
(行ける!)
レンドルフは腕を伸ばして、力一杯銀糸狐の胸の辺りを目がけて剣を一閃した。
「…え?」
確かに切った筈の剣には全く手応えがなく、勢い余ってふらついた瞬間、肩の辺りに燃えるような熱を感じた。
骨に何かが突き刺さるような感覚は分かったが、痛みよりもただ熱さしか感じなかった。そして何が起こったか分からないままに、レンドルフの体は激しく左右に振られて、周囲の木々が視界の中で飛び跳ねるように回った。
何が起こったかレンドルフは理解出来ないまま、体中から熱い溶岩のようなものが外に向かって吹き出すのだけを、辛うじて頭の隅で把握していた。
お読みいただきありがとうございます!
別サイトに載せる訳でもSNSで宣伝することもなく、好きなものを淡々と壁打ちするスタイルで書き続けておりますが、それでも続けて行くことで来てくださる方が増えているのはありがたく嬉しいことです。自分の性格上、気にし過ぎて振り回されるのが目に見えるので感想欄は閉じておりますが、反応があるのは日々小躍りして喜んでいます。ありがとうございます。
今後もお付き合いいただけましたら幸いです。