434.【過去編】初討伐への準備
「レンドルフ、少し痩せたのではないか?」
「先代様、引き締まったというのでは?」
「そうかな…ちゃんと食っているか?鍛錬は厳しすぎてはいないか?」
レンドルフの初討伐が決まり、準備の為に別荘からディルダートが領主城にやって来ていた。一緒にアトリーシャも来ているが、挨拶回りの為に別行動をしているのでまず真っ先にレンドルフを訪ねたのはディルダートだった。ディルダートの隣には、討伐に動向予定のベテランの騎士も一緒だった。彼はディルダートの護衛騎士の一人だが、レンドルフの討伐に参加してくれることになっていた。ダイスと年齢が近いのでレンドルフのことも息子のように可愛がってくれていたが、ディルダートの引退に合わせて領都には残らず別荘のある保養地に生活拠点を移していた。
「その…最近はちょっと緊張してしまって…あまり」
「それは良くないな。ちゃんと調子を整えるのも大切だぞ」
「はい、気を付けます」
無意識なのか少し胃の辺りを押さえるようにして俯いたレンドルフの頭に、ディルダートは分厚く節くれ立った手を乗せた。そしてそのまま片手でも余りそうなほど小さなレンドルフの頭を少し手荒く撫で回した。以前にディルダートが頭を撫でようとした際にレンドルフに咄嗟に身を引かれてしまったことがあったが、今の様子は嫌がっている気配はない。隣国から帰ってレンドルフは随分変わったと聞いていたので、ディルダートは内心安堵していた。
「後で同行する騎士達と顔合わせがある。またその時にな」
「はい、よろしくお願いします」
少しはにかんだように微笑んだレンドルフの顔は、まだ母アトリーシャによく似ていた。成長すれば印象が変わるかもしれないと思っていたが、もう少年と言ってもおかしくない年齢に差し掛かっていてもまだレンドルフは少年とも少女とも付かない中性的な容貌をしていた。むしろ母親似なので少女寄りの顔立ちだろう。体型も肉の薄い華奢な姿なので、あまり鍛えている見た目ではない。けれどディルダートには、レンドルフが日々きちんと鍛錬を怠らず剣も魔法も真面目に取り組んでいると報告が上がっている。
それにいくら儚く見えても、周囲からもう魔獣討伐に出ても大丈夫だと判断されたからこその初陣だ。
「楽しみにしているよ」
ディルダートの言葉に、レンドルフは頬を赤らめて花が綻ぶように嬉しげに笑ったのだった。
レンドルフは初討伐の日程が決まってから、それに向けての鍛錬を繰り返していた。
クロヴァス領での戦闘スタイルは、少人数で組んで互いに隙を作らずに魔獣を仕留めることを徹底している。国境の森から出て来る魔獣は、群れで動く習性の魔獣が多い為、人側が単独で動けば隙を突かれてあっという間に命を奪われる。だからこそ新人には絶対に単独で動かないようにと徹底して教育されるのだ。それは新人だけでなくベテランも最重要事項として教えられる辺境の伝統だ。
地方によっては互いに連携をとって囮役やタンクなどを据えて、そこを攻撃魔法で叩く策を取るところも多いが、クロヴァス領は一角が崩されるとそこに魔獣の攻撃が集中するので、力の配分を考えながら一律に保てるように隊を組む。ある程度自身の判断で動けるように大掛かりな隊列は組まず、三人程度で一組になりそれが五組くらいで討伐に臨むのだ。
その為、討伐経験を重ねれば互いに上手く連携が取れるようになるが、新人はなかなか上手く行かないことも多い。貴重な戦力を無駄にしない為にも、新人は前もって十分な鍛錬を繰り返すのだ。
「若君は扱う武器が短いので、接近戦になることが予想されます。その際は急所を狙うより、足を狙った方が効果的です」
「うん、分かった」
「初陣ですから、魔法は身体強化だけにしておきましょう。まずは魔獣を肌で知ることが一番の目的です。倒すのは我々に任せて、若君は絶対に離れないことを意識してください」
「魔法は使っちゃ駄目なんだ…」
「絶対という訳ではありませんよ。何かあって自分の身を守る為には躊躇いなくお使いください。ですが、他の者と連携を取るにはまだお互いに不慣れですから、追々取り入れて行きましょう」
同行する騎士達は全員が討伐に慣れた一騎当千と言っても過言ではない者ばかりだが、その中でも弓を得意として後方で参謀のような立場の騎士がレンドルフに丁寧に動き方を教えていた。レンドルフは魔法が使えないと聞いて少し残念な様子を見せたが、彼の説明で納得したのかすぐに頷いた。
他はともかく、このクロヴァス領では騎士を目指す者の中にレンドルフのような土属性の者はいなかった。過去の資料で探せばゼロではないが、現役で残っている者はいない。土魔法を扱う者は、農業か土木関連の職に就く者が殆どなのだ。その為、レンドルフが扱える魔法を見ても、どのように討伐に活かしたらいいかを一から考えなくてはならなかった。土で作る防御壁は有効ではあるだろうが、タイミングを間違えば却って味方の視界を遮ることにもなるし、魔獣に対して咄嗟にどの程度の強度が出せるかは実戦で少しずつ試して行く必要があるのだ。
「あの…でも穴を掘るのは魔法使っていいかな?」
「穴を?」
「うん。魔獣を埋めるのに穴を掘るんでしょ?僕、穴を開けたり埋めたりするのは出来るよ」
「それは素晴らしい!様子を見ながらですが、是非お願いしたい。ええと大きさとしては…先代様を埋められる程度は?」
「それなら簡単に出来るよ」
大きさの比喩が物騒だが、同行する中では一番ディルダートが体格が良いので分かりやすくそうなったのだろう。レンドルフもあまり気にせずに簡単に頷く。
討伐した魔獣は利用する素材や魔石を取り出した後、残った部位は地中深く埋めることが望ましい。そのままにしておくとそれを狙って別の魔獣を引き寄せることがあり、余計に厄介なことになるからだ。どうしてもその余裕がないときは大量の聖水を掛けて魔獣避けの処置をするのだが、聖水を持ち歩くこともそれなりに労力になる。
レンドルフは土の壁を作り出す魔法を逆転の発想で地中に向けて作ることを思い付き、魔獣を埋める為の穴を楽に作り出せるようになっていたのだ。素早く的確な深さで生成出来るようになれば魔獣を落とし穴に嵌めることにも使えると思ってやってみたのだが、今はまだ実戦に使えるほどには習熟していない。だが、討伐後の落ち着いた状況ならば十分役に立てる。
「僕でも役に立てるなら、嬉しいよ」
そう笑ったレンドルフの顔は心の底から嬉しそうで、一切の翳りは見えなかった。
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「…これ以上痩せたらマズいよな…」
レンドルフは胃の辺りを押さえながら深く溜息を吐いた。
初討伐が近いということで、レンドルフは地下の訓練場を優先的に使わせてもらっていた。しかしレンドルフは真面目なあまり根を詰め過ぎる傾向があるとして、長時間の使用は禁止された。前にディーンに譲ってもらった時に一日中使用出来るのに夢中になって、夜遅くまで出て来なかったことで心配を掛けてしまったのだ。それ以降は長くても半日までとされてしまった。
レンドルフの他属性魔法の発現への挑戦は、未だに密かに続けられていた。定められた時間の前半はきちんと土魔法の鍛錬に使い、後半は召喚魔法で枯渇寸前にまで魔力を消費して火の魔石から魔力を補充する禁止されている鍛錬を繰り返した。最初のうちは自分のものではない魔力を取り込むことの体への負担に幾度となく吐いたものだったが、最近では多少慣れて来たようだった。それでも取り込んだ魔力が元の火属性に転換することはなく、いくら試してもレンドルフの魔力は土属性のままだった。
しかし吐くことはなくなったものの、やはり体への負荷は大きくこの鍛錬の後は一切食欲がなくなってしまっていた。周りには心配されるのでなるべく食べやすそうなものを口にするのだが、どうしてもスープやフルーツくらいしか受け付けなかった。おかげでもともとあまり肉の付いていない体型だったレンドルフは見る間に痩せてしまった。それを誤摩化す為に厚手の生地のシャツを選んで、ベルトが外に出ないように丈の長い上着を着るようにしていたが、使用人の目は心配げな眼差しだったのでおそらくバレているのだろう。
レンドルフは何か言われたときは、初討伐が近いので緊張している、と誤摩化すようにしていた。それでもさすがに体力へ影響が出始めているのは自覚していたので、このままでは初討伐が延期になりかねない。
「今日を限りに、しばらくはこの鍛錬は止めておこう…」
レンドルフは体内で違和感を持って駆け巡っている違う魔力をどうにか制御しようと額に汗を滲ませながら、小さく口の中で呟いたのだった。
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「あれからガリヤネ国からは何か言って来たか?」
「一応体裁として礼状は届きました。それから、一年後を目処に再度婚約への変更確認の会談の場を設けたいと」
「しつこいな」
「さすがに次は王族は出て来ないと…思いたいですが」
領主城の応接室でディルダートとダイスが、先日のレンドルフの縁談の話をしていた。ちょうど昼食の時間に差し掛かっていたので、テーブルの上には所狭しと食事が並んでいる。一応形は軽食の体裁を取っているが、量が全く軽くない。切れ込みを入れたパンには、パンと同量の具材がみっちりと挟まっている。塩焼きにしたチキンに至っては収まり切れずに皿の上に零れ落ちていた。
「もし次があるなら、今度はお前達の方に話が行くのではないかとリーシャが言っていたぞ。おそらくリーシャは一筋縄ではいかんことを悟ったのだろう」
「ううっ…確かに私とジャンヌでは母上のように躱すのは難しいです…」
「そこは家令を同席させておけ。いいか、絶対に何があってもあの王家との縁談は受けるなよ」
「はい、そのつもりですが…ただ、レンドルフの意見は聞かなくてもいいのでしょうか…」
縁談の話は、レンドルフの両親ということでディルダートとアトリーシャが話し合いに出て来た。そこでは互いの子供達が自身で判断が出来るようになるまで保留、という方向で終えていた。レンドルフが同席しないことを不満に思われていたようだが、相手方の王女も不在ということで強引に親のみの話し合いで押し通した。
その時はダイスは敢えて同席しなかったのだが、会談の議事録には目を通していた。文字だけではそこまで紛糾したところは見受けられなかったが、会談を終えたアトリーシャが随分ピリピリしていたとは同席した文官とディーンが零していた。
ただダイスとしては、レンドルフの立場は将来的に家を出て平民と変わらない身分になることが決まっているので、縁談の条件としては破格の条件なように思えた。異国に婿入りしてしまえば簡単に会うことも出来なくなるが、それでもレンドルフが幸せになれるのならば大したことではない。同じ家からガリヤネ国に婿入りが続くと政治的な問題があるのでオベリス王国側は良い顔をしないが、ダイスとしてはレンドルフが望むのならば躊躇わずに婿に出すつもりであった。
「…ここだけの話だが、リーシャにはもし迂闊に縁談の許可を出そうものなら、離縁してレンドルフを連れて実家に帰ると言われた」
「えっ!?まさか母上が?」
王都で二人をモデルにした「美女と魔獣」という歌劇が大人気になるくらい見目に差がある夫婦だが、仲の良さは有名だ。それは孫と変わらない年齢の息子がいることで証明されているようなものだ。まさかそのアトリーシャがそこまで言うとはまさに青天の霹靂だった。
「俺も、会うことが難しくなる以外は婿入りとしては悪くない条件だと思った。それにあちらにはバルザックもいるしな。だが、あちらさんと挨拶を交わしただけでリーシャが絶対にレンドルフの意見は聞くな、必ず断れ、と言って来てな」
「母上には何か断る理由が見えていたのですね」
「みたいだな。俺に教えるとややこしくなるから、とにかく反対だけしていろと。レンドルフに意見を聞けば、気を遣って縁談を受けると言い兼ねないから、絶対に口を挟ませるな、とも厳命された」
「レンドルフが気を遣うのは分かる気はしますが…」
「もしレンドルフが少しでも頷く姿勢を見せたら、強引に攫われるだろうと。そしてあちらの王宮に囲んでしまえば、どう扱われても分からないし、辺境を楯に取られれば自分を殺してでも口を噤む。そういう性格だとな」
「ああ…」
ディルダートの言葉に、ダイスは素直に納得した。レンドルフは幼い頃から周囲の感情や思惑を読み取って、その期待に応えようとする性格だ。一介の貴族が王族からの縁談の打診を断ることの難しさも、それが家にどんな不利を齎すかも肌感覚で悟ってしまうだろう。そうなると自分の感情よりも周囲を優先して、自らが希望したかのように縁談を受けてしまうかもしれない。そしてあちらに囲い込まれれば、どんな目に遭わされても自分さえ口を閉ざせば平穏だと思い込むのも容易に予想がついた。たとえ王女がレンドルフを望んで大切に扱ったとしても、周囲に一切の悪意がない筈がないのだ。
「分かりました。今後どのようなことがあっても、絶対にレンドルフはあの王家に婿には出しません。しかし、その話が完全に断たれた訳ではないので、レンドルフの縁談は当分は進められませんね」
「まだ早いし、それに何かを継ぐでもない三男だ。自由に相手を選んでもいいだろう」
「そうですね」
そう言いながらも、ディルダートも兄二人も貴族にしては珍しい恋愛結婚だ。基本的にクロヴァス家は血統をあまり気にしない家柄なので、レンドルフが誰を選んでも全く問題はないのだ。成人前にクロヴァス辺境伯の当主になったディルダートも、婚約者もいないまま辺境を治めるのに手一杯で伴侶を捜す余裕もなく、ごく薄い血縁しかないような中から一番強い者を養子に取ろうと考えていたくらいだった。
「今のところは、周囲には良い縁はないようですがね」
「…そうだったな。あいつを見ていて、モテるというのも大変なのだと初めて知ったよ」
「私もです、父上」
今のレンドルフは、外を歩くとあっという間に捕食者の目をしたきらびやかな令嬢に囲まれる。令嬢だけでなく令息、それどころか老若男女あらゆる年代が鼻息荒く迫って来るのだ。あからさまなのはそこまで多くないが、それでも下心満載に人間に取り囲まれるのは恐怖でしかないだろう。
ディルダートとダイスは、しみじみと「熊で良かった…」と思いながら、具材が山程挟まれたパンにかぶりついたのだった。