432.【過去編】属性魔法と召喚魔法
一瞬床全体が光ったが、それ以上は何も起こらなかった。
しかしレンドルフは真っ青な顔をして蹲るように倒れかけていた。まだあまり筋肉の付いていない腕で必死に体を支えてはいるが、額は完全に床に着いている。
「…っく…!」
明らかに震えている指先でシャツの胸ポケットから魔石を取り出した。一気に吹き出した冷や汗が床に落ちて、点々と染みを作った。レンドルフは取り出した魔石を手の中に握り込んだが、力が入らずに割れそうになかった。この魔石には魔力が充填してあるが、割らなければ中の魔力を取り込むことが出来ない。大して力が要らない小さな屑魔石を用意していたのだが、予想よりも体中が痺れたように動かずに割れなくなっていた。このままでは危機に際して外に警告を報せるバングルが作動してしまう。
レンドルフは手の中の魔石を口に入れて、ガリリと噛み砕いた。
「ぐっ!」
レンドルフは口の中を中心に魔力が駆け巡るのを感じて、思わず込み上げて来た吐き気に抗えずにその場に戻してしまった。ほぼ消化していたが、数度嘔吐いて胃の周辺の筋肉が収縮する痛みに目の端に涙が浮かぶ。
しばらくして吐き気が収まったレンドルフは、ゆるゆると体を起こした。床だけでなく自分の顔も体もベタベタになってしまっている。重たい体をどうにか引きずるようにして部屋の端に移動すると、クタリと壁に背を預けるようにして座り込んだ。そして肩で息をしながら別のポケットから浄化の魔石を取り出した。それを起動させると、すぐに体の汚れがスッキリする。
(後で床も掃除しておかないと…)
魔法を使用した跡は部屋自体に吸収されるが、それ以外のものはそのままなので自身の手で綺麗にしなくてはならない。けれどレンドルフは今はしばらく動けそうになかった。一気に持って行かれた魔力が、体に回す力まで一緒に奪ったような気がしていた。
「でも…あと少しだけ…」
レンドルフはポケットからまだ残っている魔石を取り出した。小さな魔石はレンドルフの手の平の上で、微かに赤い光を放っている。しばしその魔石を見つめ、レンドルフはグッと奥歯を噛み締めるようにして今度は手の中でそれを砕いたのだった。
「…う…っく」
体の中を細い針のような鋭い痛みが駆け巡るのを感じて、レンドルフは両手で体を抱え込むようにして体を小さくした。全身に力が入っているせいで握り締めた指先の爪が白くなり、靴の中で指まで丸めた爪先が細かく震える。固く閉じた目尻からは涙が溢れて、汗に混じってポタポタとシャツを濡らした。
時間にすればそれほど長い時間ではなかったが、ようやく痛みの波が引いたレンドルフが顔を上げると、短時間でげっそりと窶れたような風情になっていた。誰もいないのでそれを見る者はいなかったが、その顔は妙に退廃的で、汗で額に張り付いた髪も全てが見てはならないような凄絶な妖艶さを漂わせていた。が、レンドルフ自身がそれに気付く筈もない。
「…ファイアーボール」
レンドルフは呼吸を整えて、小さく呟いた。しかし彼の中の魔力は全く反応しなかった。
「まだ、駄目か…」
レンドルフは低い呻き声を出すと、その場に倒れ込むように横になった。そしてそのままの姿勢で手首のバングルを操作して、二時間後に音が鳴るように設定をした。そしてもう一度正しく設定されているかを半開きになっている目で確認すると、そのまま気を失うようにコテリと眠り込んだのだった。
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レンドルフが今行っていた鍛錬は、禁止されている方法だった。特に違法という訳ではないし、万一の時の緊急対処法として知られているので、レンドルフも魔法書を読んで行くうちに知った知識だった。
魔法を使って魔力が不足した時には魔力回復薬を使用することが一般的だが、それは一定の魔力量を回復させるもののため、魔力の総量によっては一本では足りない者もいれば半分で十分な者もいる。安定供給はされるが、汎用的なものなので個人別では使い辛い一面もあるのだ。
そういった場合は、平時に自分の属性魔法と同じ属性の魔石に自身の魔力を溜め込んでおいて、不足した際にそれを割って魔力を追加する方法がある。自身の魔力なので、回復効率も良く体への負担もないので使い勝手がいい。欠点があるとしたら、一度で魔石を割ってしまうのでそれなりに高価になるということだ。ただ、回復薬が複数必要な魔力量の持ち主は大抵貴族なので、資金的には魔石を用意することはそこまで大変ではない。むしろ回復薬の瓶をいくつも持ち歩く手間を考えれば、金銭で解決出来る魔石を使った方が楽なのだ。
その為貴族は魔力を充填させた魔石を、平民は魔力回復薬を使用することが多い。ただ、稀少な属性魔法の使い手は魔石自体が手に入りにくいので、そこは回復薬を使う。
しかしもし魔力枯渇寸前にまで陥って、手元に魔力回復薬も同じ属性の魔石もなかった場合、違う属性の魔石でも魔力を供給することが最後の手段として可能なのだ。ただやはり相性が悪かったり体質として受け付けない場合もあるので、却って逆効果になる場合もある。それに自分とは違う魔力は供給される効率は悪く、体に取り込む際に先程のレンドルフのように痛みを伴うことも多い。ただそのままにしておくと魔力枯渇寸で死亡してしまう為、最悪の事態を避ける緊急手段だ。そのような状況ではない限り、あまりにも体への影響が大きい為に通常は禁止されているのだ。
レンドルフが体に取り込もうとしていた魔石は、火属性のものだった。
魔獣の心臓部とも呼ばれる魔石は、クロヴァス領では毎日大量に獲れる。そして大きな火属性を操るクロヴァス家の一族は、領民の生活の為に大量に火の魔力を充填して領内の商家に卸している。そのおかげで領民であれば、数日分の煮炊きに使用出来るくらいの小さな魔石ならばどこよりも安価で簡単に手に入るのだ。レンドルフも自分のお小遣いで買い求めることは簡単なことだった。
だが土属性のレンドルフが火属性の魔力を取り込むことは、緊急事態でもない限り推奨されない。もしこのことがバレれば相当な叱責と、領内でレンドルフには絶対に魔石を売らないようにと禁止令が出される程のことだ。レンドルフはそれを知っていて、誰にも秘密で火属性の魔力を取り込む鍛錬を繰り返していた。
それを始めた切っ掛けは、ある魔法士の手記に書かれていた内容だった。
その魔法士は、光属性と闇属性という相反する属性を持ち、そのせいか日常生活を送っているだけで魔力切れを起こすような特異体質だった。しかしどちらも稀少な属性だけに魔石を手に入れることが困難で、所持している魔力回復薬も使い切ってしまうことも頻繁にあった。その為、簡単に手に入る他属性の魔石で魔力を補うような生活をしていたのだ。
ところが、その影響からか彼は潜在属性として有していた他の属性魔法を後天的に発現させたのだ。属性魔法は、最初に発現した時にほぼ確定する。複数属性を持つ者は、そこから自分の得意な属性を選んで一つを鍛えて行くことが多い。魔力の総量は生まれつきのものなので、複数に割り振ると却ってどの属性魔法も中途半端にしか扱えなくなることが大半なのだ。
しかしそのことに気付いた彼は、むしろ積極的に他属性の魔石から魔力を吸収し、半ば強制的に次々と属性魔法の発現を果たした。元から有していた魔力量が膨大だったということもあったからだろう。そして最終的に、全属性を行使する大魔法士として名を馳せたと伝えられている。
レンドルフはそれを読んで、自分も潜在属性を四属性有しているので、土属性以外の魔力を補充すれば他属性の魔法を発現するのではないかと思い付いたのだった。
最初の頃は、試してみたが全く魔力を受け付けなかった。そして魔法士の手記の中で魔力枯渇を起こした際に他属性の魔石を砕いて補充していたということに気付き、レンドルフは何度も土魔法を使用して魔力を減らし、火属性の魔力を取り込もうとした。しかし元の魔力量が大き過ぎた為に、火属性の魔力を代用として体が吸収するほど枯渇しなかったのだった。
レンドルフはそれでも諦め切れず、今度は魔力量を多く消費するような魔法を探して召喚魔法に行き着いた。属性魔法の中でも最高位の魔法の一つである召喚魔法は、鍛錬をすればかなり強力な戦力になるが非常に成長の遅い魔法だ。専門の魔法士ですら手を出す者は少ないと言われている。実戦で使用可能になるまでに相当の時間と努力が必要であるし、そこに至るまでの攻撃力と消費魔力のバランスが悪くて敬遠されてしまうのだ。
しかしレンドルフの目的は自分の魔力を枯渇寸前にまで消費することであるし、実戦で役に立とうが立つまいが関係がなかった。
実際に召喚魔法を発動させるまでにも相当苦労したが、幾度も挑戦を繰り返してようやく発動に成功した。最初に召喚した精霊獣は糸ミミズのようなチョロリとした小指くらいの長さのもので、自分で召喚しておきながらもうっかり見落とすところだった。それが二度程体をくねらせた程度ですぐに消滅してしまったのだが、その後の魔力の減り具合は凄まじいものがあった。
魔法が発現して初の意識のある状態での枯渇寸前になって吐き気を堪えながら、レンドルフは身をもって召喚魔法を魔法士が選択しない理由を知ったのだった。
こうしてレンドルフは、誰にもバレないように召喚魔法で魔力をごっそり減らした後に火の魔石で魔力を補充するという無茶な鍛錬を繰り返していた。他者の魔力を補充することは想像以上の苦痛を伴ったが、それでもレンドルフは止めるつもりはなかった。
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火属性を発現しなかったと知った時、レンドルフは真っ先に家族を失望させることを恐れた。そんなことはないとすぐに否定したが、それでも心の内に貼り付いてしまった泥のような絶望は剥がれなかった。レンドルフは既に後継のいるところに生まれた末っ子なので、最初からいつか家を出ることは決まっている。
けれど、たとえ家を出ることになってもクロヴァス家に、辺境に必要な人間だと思ってもらえたら、ずっと家族と一緒にいられるのではないかと思っていた。辺境は強さが正義だ。家族と同じように強い火魔法を扱うことが出来たらきっと必要とされると考えていたのだ。
しかしレンドルフは発現したのは防御の能力に長けた土属性だった。
エウリュ領で寝込んでいた時に、レンドルフは必死に考えた。どうすれば自分が家族の為になれるかと、ずっと考え続けた。そして出した答えが、義姉ジャンヌのような護衛騎士になることだった。
ジャンヌは属性魔法は使えないが、真っ直ぐな努力と強さで護衛騎士まで上り詰めて、誰もが認める存在になったのだ。彼女を目標にすれば、守りに特化した属性魔法も必要とされるのではないだろうか。
その考えに到達したレンドルフは、自分の目標を騎士になることに定めたのだった。
(立派な騎士になれば…それに火魔法も使えるようになれば…。そうしたら…)
女の子を期待されていたのに、生まれたのは男である自分だった。それは決して自分の選択したことではないが、物心ついたときからレンドルフの心の底に根差している「失望させてしまった」「期待に応えられなかった」という当人も気付かないような感情が、「役に立ちたい」「必要とされたい」という欲求になって行った。
家族想いのレンドルフの気持ちは歪な方向へと向かいつつあったのだが、そのことには誰も、本人さえも気付いていなかったのだった。