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431.【過去編】傾国のレンドルフ


「レンドルフ、今日の僕の魔法鍛錬が急に中止になったから、代わりに使っていいよ」

「えっ、いいの?」

「うん。せっかく丸一日使うつもりだったけど。もう回復薬とかお弁当も運び込んであるし、好きに使っていいから」

「ありがとう!」


レンドルフがすっかり習慣になった朝の剣の自主鍛錬を終えて戻りかけると、途中で会ったディーンに声を掛けられた。



領主城には、地下に強固な魔法で固められた訓練場がある。そこはクロヴァス家の前身だと言われているが領史には家名も残っていない初代領主が作り上げたもので、どんなに力任せに暴れても、強力な魔法を放ってもすぐに何もなかったように元に戻る部屋なのだ。どういった仕組みかは今も分かっていないが、どんな魔法でも壁や床、天井の全てが魔法を吸収してしまう。

それを活かして、クロヴァス家では強力な魔法を試したい時などにそこに篭るのだ。そこまで大きな空間ではないので入れるのは最大二人までで、特に魔法の鍛錬をする時は慣れない魔法で巻き込むといけないので基本的に一人で使用する。魔法の行使中に誰かが入り込むことも出来ないよう完全に隔絶された空間なので、使用者が自分で内側から開かなければ誰も立ち入ることが出来ない。ただ万一のことが起こった場合に備えて、使用者の危機に際して外部に知らせるバングルを身につけることが決められている。自力で回復薬などを使用出来ればいいが、もし動けなくなったりした場合は対になっているバングルを使用して城内にいる専属医師が転移して来るように設定されている。



レンドルフも魔法をカナリーから習うようになってから訓練場を使わせてもらう許可は出ていたが、やはりまだ幼いこともあって実戦に向けて鍛錬する者の方が優先される。その為、空いている隙間時間に一時間程度を数回使わせてもらっただけだった。

レンドルフより年上の甥ディーンは既に魔獣討伐の実戦にも出ていて、魔力量が飛び抜けて大きい為に優先的に使用許可が下りる。それを少し羨ましいと思いながら、レンドルフも地道に魔法鍛錬を重ねていた。

それが当日のディーンの予定変更で、幸運にもレンドルフに一日の使用枠が回って来たのだった。


それがあまりにも嬉しかったのかその後の家族揃っての朝食で気もそぞろで、苦手な辛瓜をうっかり口に入れてしまってレンドルフは涙目でミルクをおかわりしていたのだった。



「ちぇー、レンドルフはいいなあ。俺も鍛錬したかったな」

「予定が変更になってどうしようと思っていたところに、ちょうどレンドルフと会ったんだよ。タイラーも早起きしていればチャンスはあったんだよ」

「うう…いやだって、朝は…」


ウキウキと着替えなどを肩掛けカバンに詰め込んで地下の訓練場に向かって行くレンドルフを、ダイスの三男タイラーが羨ましげに見送った。タイラーはレンドルフより半年程先に生まれた甥になるが、レンドルフよりも頭一つ分背が高く同い年には見えない。彼も火魔法を昨年に発現していた。そろそろ魔獣討伐の実戦に出る話が出ているので、魔法鍛錬をしたくてウズウズしていたのだ。

そんなタイラーだが、とにかく朝が弱い。夜も早く寝ている筈で、途中起きることもなくグッスリ寝ているにもかかわらずとにかく寝起きが悪い。使用人三人掛かりで起こすのだが、それでも早くて一時間近く掛かるのだ。最近では「甘やかさなくてよろしい」と母ジャンヌに言い切られて、時間までに自力で起きて来なければおやつ抜きにされている。


「討伐の日が決まれば、優先的に訓練場を使わせてもらえるよ。それにタイラーは僕やザルク相手に鍛錬出来るだろう」

「そうだけどさー。あ、じゃあ兄上、今日は俺と」

「今日は予定があるって言ったろう。まだ今度な」

「はぁーい」


ディーンは自分と同じ色のタイラーの髪をクシャリと撫でると、弟の背中を軽く厩の方へと押し出した。兄弟の中で最も乗馬を得意としているタイラーは、馬だけでなく騎獣全般が好きらしく、少しでも時間があれば厩舎番のところで世話を手伝いに行くのだ。先日森から捕らえて来た生まれて間もないスレイプニルがいるので、特に最近は厩に入り浸っていた。

背を押されて厩に駆けて行くタイラーを見送って、ディーンは周囲に誰もいないことを確認してからそっと溜息を吐いた。


(僕に出来る根回しはこのくらいかな)


すぐ下の弟のザルクは勘も要領も良いので、自分で厄介ごとは避けてくれるだろう。



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これから非公式で、ガリヤネ国から客人が来る。非公式と言っても、きちんとオベリス国王に打診をして、クロヴァス領のみの訪問で決して公にはしないことなど、細かい調整を済ませた上での来訪だ。それでもクロヴァス家としては、それなりに歓待をしなければならない。いくら国交を開いていない国とは言っても、外交官に対して粗相をして国家間の問題に発展しても困る。


ガリヤネ国から客人が来る理由は、再び国交の復活を含めた縁談の打診だった。


その縁談の相手はレンドルフで、婿入りしたバルザックの元で留学していたレンドルフを、ガリヤネ国の王女が見初めたというのだ。兄の王太子がいる為、彼女は爵位と領地を貰って臣籍降下が決まっている。年齢もレンドルフの一つ年下で釣り合いも取れているし、レンドルフ自身も爵位を持つ予定のない末弟なので良い条件だろうとの申し出だった。


確かに条件だけ見れば、レンドルフにとっては破格の縁談だ。しかし既にクロヴァス家は、レンドルフの兄バルザックが辺境伯家に婿入りしているのだ。国境の森を挟んで隣り合う辺境伯同士ということで、この辺境だけは非公式ながらも交流が復活している。今後、正式に国同士で国交を再び結ぶとしても、クロヴァス家が大きく貢献した手柄は揺らがない。これでレンドルフが王族に婿入りするとなると、クロヴァス家がガリヤネ国との国交に大きな力が偏り過ぎるとオベリス王国側が判断したのだ。


もともとクロヴァス家は武門の家で中立の立場だが、それでも国内の勢力のバランスなどを鑑みれば、一極集中になるのはよろしくない。それに弟が兄よりも高位の家に婿入りとなると、確執が生じる可能性も出て来る恐れもある。そのような理由からオベリス王国は、国交の復活を見据えているのなら、中央に近い別の派閥の令息を婿に推薦すると返答したのだった。


しかしガリヤネ国は納得せず、どうしても王女の気持ちを直接伝えたいとわざわざ強引にクロヴァス領を訪ねることになったのだった。


「胃が痛い…」

「後ろで控えているだけで構いませんから。直接話をするのはレンドルフ様のご両親の前当主ご夫妻です」

「どっちかって言うと、話すのはおばあ様だけだろ」

「まあ、そうですね」


思わず愚痴をこぼしてしまったディーンに、従者兼補佐官として色々と教えてくれる文官の一人が苦笑しながら答えた。次期当主候補のディーンには、早い内から当主教育を見越して若い文官を数名が従者として付けられている。彼らは少しだけ年上ではあるが、幼馴染みのような気安さもある。

本来は当主と話を付けるのだろうが、まだ交代して間もないということと、レンドルフの両親と直接話をするという態で前当主夫妻のディルダートとアトリーシャが別荘から領主城に来ることになっている。ディーンは異国からの使者と同席することはあまり辺境ではないので、良い経験だからと後方で控えることになっていた。口を出すことは許されないが、話を聞くだけでも得るものは大きいだろう。



「…本当に()()が来るのか?」

「はい。一応実在している外交官夫妻の名を借りて来るそうですので、大仰な対応はせずとも良い…とは通達して来たそうですが」

「どうだかな。それを真に受けて少しでも粗相があったら揚げ足を取るつもりじゃないのかな」

「そうならないように気を付けましょう」


本来なら有り得ないことだが、ガリヤネ国は外交官夫妻を名乗って国王夫妻が直々に来ると言うのだ。さすがにそれは対応し切れないとクロヴァス家も難色を示したのだが、日帰りを条件に強引に押し通して来た。本当に仕方なくではあるが、良い条件を引き出せるまで長期滞在をして粘られるよりは、とそれを呑むことにしたのだった。とは言えクロヴァス家が譲歩するのはそこまでで、縁談については受けるつもりはない。どんなに地位を振りかざされても、オベリス国王家の総意としてこれ以上クロヴァス辺境伯家に力を偏らせるつもりはないとキッパリと断っているのだ。一家臣としては何と言われようと、それに従うだけだ。もしそれでも不満があるのなら、オベリス国王と話し合うように丸投げする予定である。


「そんなに娘に甘いのかな」

「レンドルフ様に一目惚れしたのでしょう?まあ是非にと望むのは分からなくはないですが…」

「僕は熊で良かったな…」

「ここ以外で言ったら負け惜しみに聞こえますから、お気を付け下さい」

「分かってるよ!」


レンドルフはエウリュ辺境領から戻って、本当ならば両親の暮らす別荘を生活拠点にする予定だった。しかしクロヴァス領では珍しい土属性が発現した為に、その属性の魔法士から教えを請う為に領主城に留まっているのだ。

もともとレンドルフがダイスの息子達と容姿も能力も比較されて萎縮してしまっていたので、一旦留学と称してバルザックのところで過ごさせて、その後はもっと伸び伸びと過ごせるように環境を変えるという目的があった。けれど帰国してからのレンドルフは、良い方向に心境の変化があったのか「騎士になりたい」と目標を掲げて自分なりに剣術も魔法も積極的に学んでいた。その為、現在のレンドルフはこれまで通り慣れた領主城で暮らすか、予定通り両親と共に暮らすかはまだ確定していない。ある程度土魔法をきちんと制御出来るようになるまでは教師が必要なので、それまではと保留された状態だった。


ただ別問題として、領都から教えを受ける為に移動が多くなったおかげで人々の目にレンドルフが触れる機会が格段に多くなった。ある程度弁えている者や、クロヴァス家に近しい者などは適切な距離で接しているが、そうではない者達がレンドルフを見かけるとグイグイと迫って来るのだ。いかにも偶然を装って接近して来るなら可愛い方で、明らかに気合いを入れて着飾った令嬢達が突進して来る。もう比喩表現でもなんでもなく、ワイルドボア並みの鼻息の荒さでやって来るのだ。そして時には令嬢同士の取っ組み合いも発生することも珍しくない。しかも令嬢だけではなく、令息や既婚の婦人も絡んで来る。

そうなるとまるでクロヴァス領民の治安が悪いように見えてしまうが、レンドルフに無礼な接触を図るのは大半が噂を聞きつけてやって来る他領の者達だ。


母親似で優美でたおやかな美しい外見に加えて、今のレンドルフは成長過程の男女ともつかない未分化で中性的な雰囲気が何とも言えない色気を纏っている。最初は人の目を惹くのは仕方がないと周囲は微笑ましく思っていたが、エスカレートの一途を辿っているので少々問題になって来ている。しかも最近では闇ギルドに誘拐の依頼まで出たいう噂まで聞こえて来て、全く油断ならない状況になってしまった。


そんなレンドルフは、周囲に迷惑を掛けないように囲まれる前に護衛とひたすら走って逃げている。おかげで随分俊足にはなったと当人は笑っていたらしいが、家族からは気の毒としか思えなかった。


「異国とは言えお姫様に見初められて、臣籍降下後は爵位と領地は保証されてる…って、条件は良さそうなんだけどな」

「三男以下の貴族令息にすれば一種のロマンですね。お姫様の容姿や性格にもよりますが、そこを目を瞑れるなら」

「言い方」

「話だけ伺えば、レンドルフ様にとって将来的には良い縁組みのように聞こえますが…お受けにはならないでしょうね」

「ああ、おばあ様がピリピリしてる。僕にはまだまだ分からないけど、きっとおばあ様は何かを掴んでるんだろうな」


ディーンの祖母のアトリーシャは年齢よりもずっと若く美しい外見で、身内贔屓を差し引いたとしても王族に望まれてもおかしくない完璧な淑女だ。普段はたおやかで優美な笑みを浮かべているが、実は怒らせたら一族の中で最も恐ろしい。実際ディーンは見たことはないが、そんな話を父ダイスからチラリと聞いたことがある。昔は父の笑えない冗談だとディーンは思っていたが、成長するに連れて何となく肌感覚ではあるがうっすらと理解していた。


そのアトリーシャが、非公式で王族が訪ねて来るのが決まった辺りから周囲に警戒を促していた。それは他国の王族を迎えるにあたって警備体勢を洗い直すかのように見えたが、どちらかと言うと防護を固めているかのようにも思えた。


「やっぱり胃が痛い…」


ディーンはただ何事もなく終わってくれることを祈って、そっと腹に手を当てたのだった。



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「ええと…この魔力の流れを逆にすれば…アースウォール!」


レンドルフは魔動書を片手に、前方の床に向かって魔法を発動した。すると目の前には随分不格好な土の壁が出現した。それはまるで波のオブジェのようにうねり、一部は陥没している。


「んんん…上手く行かないな…」


レンドルフがカナリーに師事するようになって、基礎的な土魔法の一部を扱えるようになっていた。しかしまだ膨大な自分の魔力を扱うことは難しく、目の前の不格好な壁は魔力の乱れそのものを表しているようで、レンドルフはがっくりと肩を落とした。

カナリーが言うには、今後は成長と共に土属性の器に注がれる魔力が増えて行くということだった。今のうちに自在に扱えるようになっておけば今後が飛躍的に伸びるので、色々な魔法を使ってみるのもいいが、まず基本的な魔法を毎日鍛錬するようにと教えられている。その指導を受けてレンドルフは、真面目に基礎を繰り返していた。


魔力量が多いと魔力の小さな生活魔法が使用出来ないのと同じようなことで、元の魔力量が多いレンドルフは基礎的な下位魔法を使用するのは通常よりも難しい。カナリーはそれが分かっていても、レンドルフにはひたすら基礎を繰り返すように教えていた。それはレンドルフが騎士の中でも護衛騎士になりたいと望んだからだった。護衛騎士の一番の任務は、護衛対象を守ることだ。大きく強い上位魔法を駆使する必要は殆どない為だ。それは却って周囲を巻き込んで肝心の護衛対象を怪我をさせないとも限らない。


「アースウォール!」


不格好な壁が吸収されたのを見計らって、レンドルフは再び魔法を放つ。最初よりはマシだが、斜めになった立っているのが不安になるような壁が生成された。


レンドルフはそうやって次々と土の壁を作り出すのを繰り返していた。やがて場所は動いていないのにこめかみから汗が流れ落ちて、シャツの襟も色が変わり始めた。


「…このくらいでいいかな」


幾度壁を作ったか分からなくなる頃、レンドルフは無造作に袖で汗を拭うと、ポツリと呟いた。


レンドルフは片手にしていた魔動書を隅に設置されている荷物置き場の中にしまい込むと、あらためて部屋の中央に立った。そしてゆっくりと大きく息を吐いて目を閉じた。すると風もないのにレンドルフの柔らかな前髪がフワリと揺らめき、微かに袖の布もはためいた。


「地より出て呑み喰らえ『飽食の土竜(グラトニーモール)』!」


レンドルフはしゃがみ込んで、魔力を集中させた両手を床についた。


お読みいただきありがとうございます!


レンドルフの隣国の王女との縁談の話は「150.【過去編】ダイス・クロヴァス辺境伯の苦悩と愛情」にも語られています。

ガリヤネ国王が直接出向くという無謀をしたのは、そこに気を逸らせておいて、自国の精鋭部隊にレンドルフを攫わせる予定だった為です。何度も使えないけれど勝機の高い一発勝負だったのですが、既にオベリス王国内でも闇ギルドに誘拐を依頼される程の「傾国の」存在だったので、警護が薄くなるのを危惧して地下の訓練場に篭るように仕向けていました。その後はガリヤネ国王の目的を悟られて警戒レベルが引き上げられ、彼の思惑は未遂に終わりました。


クロヴァス家の地下にある頑丈な訓練場は、五英雄が一人で辺境領を治めた鳥人アケが作っておいた石室です。獣人は番を喪ったときに高確率で狂う為、周囲に迷惑を掛けないように魔力で固めた墓を生前に作ります。幸いアケは番よりも先に亡くなったので、その石室は形を変えて訓練場として残ったのでした。


9/14追記

王女の「臣籍降下」についてはご指摘をいただいておりますが、悩んだ末「降嫁」ではなく「降下」を使用しておりますので、そのままの表記でよろしくお願いします。ご報告ありがとうございました。

(臣下に嫁ぐのではなく女当主として爵位を得た後に婿を取る、という形なので。それが正しいのかは未だに悩んではいますが)

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