429.【過去編】レンドルフの帰国
レンドルフの帰国は、辺境伯家だけでは困難だったろうが、密かに手を貸してくれた高位貴族のおかげでどうにか逃げ切れた。
「ご助力、感謝致します」
「いえ。当家も無関係とは言えませんので。ご令息が無事に国境を越えたようで安心致しました」
バルザックが頭を下げると、正面に座る初老の押し出しの良い紳士がにこやかに答えた。
ここは貴族などがお忍びで訪れる個室のある酒場だ。バルザックは個室の中から更に合い言葉と割符を揃えていないと入れない最奥部の小部屋で、レンドルフがオベリス王国に入ったとの報を受けた。
「大公閣下には改めてお礼をさせていただきます」
「お気遣いなく…と申し上げたいところですが、隣り合う領同士、今後とも末永いお付き合いを、と申しつかっております」
「光栄です」
彼は大公家の家令と名乗ってこの場に立ち合っているが、式典などに参加した時には当主の隣に家令にしては近しい距離感で寄り添っているのを必ず目にしている。当主は婚姻はしていない筈だが、事実上の伴侶なのだろうというのは暗黙の了解だった。そんな相手が直々に出て来たというのは、大公家からの誠意の現れなのだろう。
レンドルフが攫われかけた時に、一緒に巻き込まれた少女は隣の領のガリヤネ大公家の縁戚の令嬢だった。彼女は遠く離れた生国からとある理由でガリヤネ国に来ていたのだった。色々と政治的な理由があるらしかったが、まだ幼い彼女はただ親戚の家に遊びに来たような感覚であちこちに遊びに出ていたそうだ。ただ一応誘拐などの危険を考えて転移の魔道具を持たせて、何かあったら飛んで逃げるようにと言い聞かせていた。
あの日は、海水浴に来ていたが天気が悪かったので帰りかけていたところ「いい匂いのきれいなおねしゃまがいる!」と言ってレンドルフのところに転移したのだった。自分から誘拐現場に飛び込むというまさかの使用法だった。
当初はどちらを狙ったものか分からなかった為、大公家が調査を引き受けたのだった。結果的に今回はレンドルフが狙われたのだが、大公家の縁戚ともなればそちらを狙った可能性も高かったからだ。
そして僅か一日で実行犯死亡で途切れたように思えた痕跡を辿り、よりにもよって大公家とは繋がりの深い王家が目論んだことだと発覚したのだった。
今のガリヤネ大公家の女当主は前国王の姉に当たり、現国王の伯母という近しい血縁なのだ。さすがに甥が他国の令息を自分の欲望の為に連れ去ろうとするのは看過出来ないとして、レンドルフの帰国に手を貸してくれたのだった。その際に手を貸す条件として、レンドルフには攫われかけた前後の記憶は曖昧にする処置を施すことになった。万一そのことをレンドルフが覚えていた場合、国家間の要らぬ摩擦になりかねない。同時に巻き込まれてしまった令嬢も同じように処置している。バルザックとしてはレンドルフを心配するあまり本気で威圧を向けてしまって令嬢に大泣きされてしまっていたので、忘れてもらえるならばそれに越したことはないと安堵していた。
「こちらは閣下からの詫びの印でございます」
「これは…過分なお心遣いを」
彼が差し出した書類には、今後三年間、ガリヤネ大公領から取り引きする小麦の輸送量を一割程安くすると記されていた。穀類があまり育たないエウリュ領にしてみれば、一時的とは言えありがたい話だった。代わりにバルザックは、ミューズの認証印が押されている書類を差し出す。そちらには、来年からにはなるがエウリュ領特産の質の良い肉とミルクをこれまでの二割程度多く大公家に卸すと記載されている。
お互いそれなりに価値のある取り引きで、今回の件は手打ちとなったのだった。
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レンドルフはオベリス王国のクロヴァス領に向けて、行きよりも足の速い馬を三頭立てにした馬車で一目散に駆け抜けていた。
「坊ちゃん、少しお飲みになりますか」
「うん…ありがとう…」
行きは十分な休憩を取りながらの行程だったが、帰りはとにかく人目に着かないように気を配りつつ急ぎで向かっている。大人でも大変な道のりに、レンドルフも大分馬車の中でぐったりとしていた。それでも文句一つ零さないところに武門の家系の生まれの片鱗を見せていると、帰りも同乗を買って出たルルーシオは感心していた。
蓋の付いたカップに入った果実水を差し出すと、真っ白な顔色のままで弱々しく答えて受け取った。文官として領内を緊急案件などで走り回っているルルーシオでさえ厳しい旅程なので、まだ幼く体の出来ていないレンドルフには想像もできない程の厳しさだろう。ゆっくりと少しずつ果実水を啜っている姿があまりにも気の毒で、少し休ませてやりたくなるが今はその余裕はない。揺れる中で食事も済ませるので、馬車酔いしてしまって普段の半分以下しか食べられていないようだ。
ルルーシオは何故こんなに急いで帰国させるのかの詳細は聞いていない。しかし自分の家が代々仕えている主家の当主夫妻が沈痛な面持ちでそう命じたのだ。留学という名目で迎え入れたレンドルフを、彼らは誰が見ても分かりやすい程に愛情を持って歓迎していた。それなのにまだ予定の期間を半分も過ぎていないのに急遽帰国させることになったのは余程の事情があったのだろうと、ルルーシオは何も聞かずに粛々と従ったのだった。
「僕も馬に乗れれば良かったな…」
「坊ちゃんにはまだお早いのでは?」
「クロヴァス領ではもう訓練はしているよ。まだ僕は小型の魔馬が精一杯だけど」
「何と!いやはや、クロヴァス領の教育はすごいのですね。坊ちゃんのお年で小型の魔馬でも乗れる者はエウリュ領ではあまりいないと思いますよ」
「オルフェは大人の馬に乗ってたけど」
「オルフェ坊ちゃんは…特殊ですから」
レンドルフより二歳年上のバルザックの長男オルフェは、見事にクロヴァス家の血筋が出ていて年齢よりもずっと体格が良く、小柄な大人と変わりないくらいだ。そして体を鍛えることが食事と同じくらい好きなので、暇さえあれば素振りに乗馬にとひたすら体を動かしている。ただ残念なことに、ダンスは彼の鍛える項目に入っていないらしく、相手を務める妹カリュがレッスン時にほぼ毎回キレていた。
「僕でも…馬に、小型の魔馬だけど、乗れるって、珍しいの?」
「はい、それはもう。今回の森を抜けるルートでなければ、ご用意しましたのに」
「そっか…その、それなら…僕も騎士になれるかな…」
「それはもう!」
ルルーシオは半ば確信を持って力強く頷いていた。辺境伯家長男オルフェは父のバルザックにそっくりなので、何となく成長した姿が想像が付く。まだ中性的でほっそりとしたレンドルフは今後の成長が不明だが、順調に成長すればさぞや麗しい騎士として名を馳せるだろうとルルーシオは想像していた。男性なのでもう少し逞しくなるだろうが、ガリヤネ国にもその美貌が届いている「社交界の白百合」と名高い母にそっくりなレンドルフならば、まるで物語に出て来るような騎士になるのではないだろうか。
「坊ちゃんはきっと白騎士様のような…いえ、クロヴァス辺境伯様のお色ですと『赤騎士』様ですね」
ルルーシオの言葉にレンドルフは少し気が紛れたのが、ほんの少しだけ頬を染めて照れくさそうにはにかんだ。
白騎士とは、世界中で親しまれている児童書の「黒騎士」シリーズに出て来る登場人物だ。その名の通り真っ白な鎧を纏った騎士で、主人公の黒騎士の好敵手として数本の話に登場する。時に敵対し、時に共闘して、黒騎士と相容れないものの気高く美しい騎士として主に少女読者の人気が高い。その正体は謎のままで最終巻よりも前に出番はなくなってしまうが、チラリと最終巻に「とある国の即位したばかりの白い髪の若き王」のことが噂として出て来るので、それが白騎士だったのではないかと解釈する者も多い。
レンドルフも何度も胸を弾ませながら読んだ物語の騎士に喩えられて、ただ合わせてくれただけかもしれないがそれでも素直に嬉しかった。
「僕は、義姉上のような騎士になれたらいいなって」
「ああ、クロヴァス辺境伯夫人様でございますね。お母君の護衛騎士を務めておられたと伺っております」
「うん。義姉上はすごくカッコいいんだ。戻ったら、もっと沢山教えてもらえるようにお願いするんだ!あ…でも領主夫人になったらお忙しいだろうし、ご迷惑かな…」
「それを調整するのは大人の役目ですよ。坊ちゃんはご自身のやりたいことをお願いすれば良いのです」
「そう、かな…?」
「はい、そうです」
レンドルフがエウリュ領に来た時に付き添っていたルルーシオは、遠慮がちで控え目だったレンドルフが年相応の無邪気さを見せるようになったことに少し安堵していた。レンドルフを呼び寄せることになったことが決まった時に、バルザックから「周囲が可愛がり過ぎて少し萎縮して育った」というようなことを聞いていた。その為に環境を変えて伸び伸びさせてやりたいのだと。そう言いながらもバルザックを始め当主一家はレンドルフをひたすら可愛がっていたが、違う環境のおかげで狙い通りレンドルフは伸びやかな成長を遂げたようだった。
ただ、どんな事情があったかは分からないが、それが短期間で終わってしまったのはとても残念なことだとルルーシオも思っていた。
「坊ちゃんが立派な騎士になれることを、私達も応援しておりますよ」
「ありがとう。頑張るよ!」
無事に国境に着いて既に門の向う側に迎えに来ていたクロヴァス家の使いの者に預ける際にルルーシオがそうレンドルフに声を掛けると、顔色は白いままだったが輝くような笑顔で手を振って答えた。
その愛らしい笑顔に、ルルーシオはつい目頭が熱くなってしまった。そこまで長く過ごした訳ではないが、すっかりレンドルフに心を掴まれていたのだった。
去って行く馬車を見送りながら「我ながら甘いな」とルルーシオは自省を込めて振り返ると、同行していた護衛騎士達もほぼ目を潤ませて見送っていた。その様子を見て、ルルーシオは「やはり末恐ろしい傾国の若君だな」と苦笑せずにはいられなかったのだった。
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レンドルフは、顔色を心配してかゆっくりと馬車を走らせてくれる久しい護衛の顔を見ながら、領主城に戻ったらすることを色々と考えていた。
(義姉上に教わるなら領主城にいた方がいいけど、父上達と別荘に住むことになってるし…どうしたらいいかなあ)
レンドルフの義姉にあたるジャンヌは、元は孤児院出身の平民だ。母アトリーシャの専属護衛を務められる数少ない女性騎士として、前騎士団長の養女となって貴族籍を得た人物だ。平民出身なので属性魔法は使えず、女性であるので腕力と体力は男性騎士に敵わないところはあるが、それを補うように抜きん出た制御力の身体強化魔法と技術力で対等に渡り合えるまでになった努力の人として有名だった。それを見込まれて、まだ体が出来上がっていないクロヴァス家の兄弟達に剣術の基礎を学ばせる指南役も務めていた。そこで長兄ダイスが彼女に一目惚れをして求婚したことは未だに語りぐさだ。
(力が強くなくても、攻撃魔法が使えなくても、義姉上のような騎士になれれば、みんなの役に立てるかもしれない…!)
レンドルフは小さな手を握り締めて、大好きな家族の為になれるような騎士を目指すことを心にしっかりと刻み込んだのだった。