428.【過去編】レンドルフの願い
「貴方…バルザック」
「あ、ああ…すまない。色々と考えることが多過ぎてな」
「今は、とにかくレンドルフくんを無事にクロヴァス辺境領に戻すことを考えましょう」
バルザックはしばらく立ったまま報告書を読み込んでいて、ミューズに問いかけられて我に返った。そしてそのまま近くのソファに崩れるように体を預けた。
「そうだな。レンドルフは異国から来ている客人だ。何かあれば互いの辺境領が責を負わされる。最悪、ここが戦乱の場になりかねない。……大丈夫だ。大丈夫。そんなことにはさせない」
言葉の最後はまるで自分に言い聞かせるかのように小さく、自信無さげに揺れていた。そのバルザックの様子に、ミューズは執務机から立ち上がってソファに移動すると。彼の側に寄って背中をそっとさすった。
「…何で、あいつばかり…」
悲痛なまでの本音が漏れてしまったバルザックに、ミューズはただ無言で寄り添っていたのだった。
襲撃して来た彼らの目的は、レンドルフを誘拐しようと目論んだものだった。
バルザックを始め、エウリュ辺境伯家の面々はレンドルフを領内のあちこちに連れ歩いていた。レンドルフは到着するなりその儚げで愛らしい容姿で人目を引いていた。その為に皆はレンドルフにバカンスを自由に楽しく過ごしてもらいたいと思っていたのと同時に、彼は辺境伯家の縁戚で大切な家族同然であると周囲に牽制する意味も含めて連れ歩いたのだ。
どんなにレンドルフに興味を持って近付きたいと考えても、重要な国境の防衛を務める辺境伯家に不躾な真似をする者はおらず、レンドルフは周囲に守られながらも楽しげに過ごしていたので、牽制の効果は充分にあった。
しかしその辺境伯よりも身分が上で厄介な者に、レンドルフは目を付けられた。それがガリヤネ王家だった。
レンドルフを連れて行った先に王家が来ているという話は一切なかったので、どこで見かけたのかは分からないが、目を付けられた時点で動向を探られていたらしい。他国の留学中の貴族令息の誘拐など、本来ならば国家間の大問題に発展する可能性もあるのに、何故実行したのかバルザックには理解出来なかった。が、バルザックに渡された報告書には、実行するに至った幾つかの理由が報告者の主観ではあるが付け加えられていた。それがどれも悼ましく、バルザックはその書類を手にしているだけで吐き気がしそうだった。
現在の国王は、好戦的で自分の欲に忠実である暴君ではあるが、戦に長けて兵法などもこの国随一と名高い。彼が王座にいるおかげで、国内や周辺国との諍いも起こらない抑止力としての評価は高かった。そして彼は、性別身分種族に関係なく若くて美しい者を好んだ。好みの者を見付けると、あらゆる手段で自分の元に召し抱えると噂されている。
しかしそれが噂の域に留まり大きな問題が起こっていないのは、それを見境なく行わないところだろう。いくら好みの令嬢を見付けたとしても、高位貴族のただ一人の後継だと分かればその時点であっさりと諦める。そういった面倒事のある相手は避けるだけの思慮と狡猾さがあるのだ。
レンドルフの誘拐が実行に移されたのは、他国の三男で既に後継は決まっている立場であったのと、誘拐したところで責任はエウリュ辺境伯家にあると押し付けることも簡単だと思われたからだ。スペアにもならない令息ならば、攫ったところでさして問題にならずに揉み消せると判断したのだろう。更に、もしそれでも問題が大きくなりそうならば、適当に楽しんでから殺害して捨て置けばそれ以上の追求はなくなるだろうと考えていると報告書には綴られていた。それはただの仮説ではなく、かつて同じことがあったという事実に基づいての予想だった。
「貴方」
ソファに座って報告書を読み込んでいるバルザックの隣に、寄り添うように座ったミューズがいつもより低い声で呼びかけた。バルザックはそれだけで妻の言いたいことが大体分かってしまい、その己の察しの良さに少々苦笑しながら彼女の細い肩を抱いた。
「分かってる。この領地と領民は大切なものだ。だからと言って、お前がレンドルフを蔑ろにしていると思わない」
エウリュ辺境伯家も、軍力に於いては王家に簡単に屈するようなものではない。しかし他国の縁戚の令息一人の為に全面衝突をする訳にはいかないのだ。負けはしなくても大きな痛手を被るのは目に見えている。正面切ってレンドルフを渡すように要求が来ればお門違いだと断ることも出来るが、領境に演習と称した軍隊を置いて「数時間見なかった振りをすればこのまま引き返す」と耳打ちされれば、どうなるかは分からない。
ミューズとて大切な夫の愛する家族を売るような真似はしたくはない。しかし、当主として苦い選択をせざるを得ない状況であれば、領民達と義弟一人のどちらを選ぶかは明白だった。その葛藤をバルザックは自分自身の痛みとして共有していた。
まだ今ならば、レンドルフを魔力の登録をさせる為に急いで帰国させたとしても、理由としては何ら問題はない。まだ体が回復していないが、一刻も早くこの国を脱出させなければならなかった。エウリュ領がガリヤネ国に属している以上、王家の行動を制限するのは難しい。しかしクロヴァス領にレンドルフが入ってさえいれば、何かあればオベリス王国が出て来る。まだ国交が正式に復活していないこの状況であれば、そう易々とレンドルフを引き渡すようなことはしない筈だ。
「俺は急いで準備を整える。…あまり思い詰めるな」
「ええ、分かっています。貴方も、お気を付けて」
バルザックはそれでも表情の晴れないミューズのこめかみに軽く唇を落とすと、一度強めに抱きしめてから執務室を後にした。
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レンドルフはベッドに横たわって、重く感じる自分の腕を持ち上げて手を目の前に翳した。
「…土、属性…」
殆ど音にならない声は、ひどく掠れて空気の音だけがヒュウヒュウと漏れた。大きく息を吸うと、胸の辺りにいつもよりも大きな空洞が出来ているような感覚がするのは、先程まで声を上げて泣いていたせいだろうかとレンドルフはそんなことをぼんやりと思った。
自分の内側が干涸びたようなかさついた感覚がするのは魔力枯渇寸前だからかもしれない。少しだけ魔力を動かしてみようとしたが、体内にその気配は全くなかった。
何も起こらない手をパタリとベッドの上に投げ出す。もう涙は出ていないが、擦ってしまった目の回りがヒリヒリと痛んだ。
エウリュ領に短期留学として来て約三ヶ月。本来ならば一年程過ごす筈だったのだが、自分の魔力のせいでもう終わることになってしまった。来た当初は気を遣われているのは分かっていたけれど、最近ではそんなことも思わずに周辺に馴染んで毎日が楽しかった。明日も同じような日が続くと思っていたのに、急にそれが途切れて放り出されたような気持ちになっていた。ポカリと心に開いた感覚がひどく虚しさを感じさせた。
心の中で「誰も悪くない」と繰り返すのだが、カラッポの体に反響して自分に返って来る。その聞こえないこだまが体中に繰り返されている感覚だった。
(やっぱり、違った)
まだ属性魔法が発現していない頃、もしかしたら父や母と同じ火属性や水属性ではないかと期待していた。潜在属性の中にも含まれていたし、両親の魔力と同じ属性を引き継ぐことも多いので、確率は高いと思っていたのだ。けれどレンドルフは心の片隅で、それでも自分は違うのではないか、とうっすらと思っている部分もあった。あまりにも皆と違い過ぎるので、どこか達観していた。そうやって期待しないことで心の平穏を保とうとしていたのかもしれない。
こうして現実に違うことを突き付けられた今、どこか納得している自分もいた。
(ああ、でも、みんなと一緒にいたいなあ…)
血の繋がりのある中で一人浮いていても、家族は皆レンドルフを愛していたし、レンドルフも彼らを大切に思っていた。だからこそいつまでも大きくならない細い体や、なかなか上達しない剣術や乗馬を見せてしまうことでガッカリさせたくなかった。それなのにまた今度は全く異なる属性魔法を発現したことで落胆させてしまう。それで家族がレンドルフを見限るとは思えないが、レンドルフ自身が家族の役に立てないことが悲しくて仕方がなかったのだ。
(どうしたら…何をすれば、役に立てるんだろう)
ぼんやりと天蓋を見つめながら、体がまだ思うように動かないレンドルフはひたすら考えを巡らせていたのだった。
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翌日、辺境伯家専属の医師が呼ばれ、十分に注意しながら体に負担が掛からないように魔力回復薬を処方された。本来ならば属性魔法を発現したてのレンドルフには自然回復を推奨するのだが、元の魔力量が膨大であったのでまともに動けるようになるにはそれなりに期間がかかると診断されてしまったのだ。今はとにかく一刻も早くレンドルフを国外に出さなければならない為、バルザックは仕方なく最低限馬車で移動が出来る程度にまで回復させて欲しいと頼み込んだ。
レンドルフのことをガリヤネ王家が狙っていると聞かせると不安を煽るだけなので、レンドルフには急ぎオベリス王国に届け出を提出しなくてはならない程の魔力量だと説明をした。実際、バルザックの見立てでは兄弟の中だけでなく、父親や甥達よりも上回っているのではないかと思われた。クロヴァス家の男達は比較的魔力量が多いので精査してみないと分からないが、少なくともバルザックは自分は確実に越えていると確信していた。あとは領地に帰ってから神官に鑑定してもらえば正確な数値が分かるだろう。
「どうだ?初の魔力回復薬は」
「マズい、です…」
「だろうな。回復薬は上の等級になればなるほどマズくなるが、魔力回復薬は全部マズいからな」
「これを、もう一本飲むのですよね…」
「頑張れよ」
レンドルフは二本目の瓶を握らされて、これ以上ない程に渋い顔をした。が、すぐに覚悟を決めたのか蓋を外すと一気に瓶が垂直になるほどに呷って一息に飲み干した。
「偉いぞ!兄上とは大違いだ!」
急いで追加の水を口に含んでいるレンドルフの顔は、完全に涙目になっていた。バルザックは頑張った弟を労う為に、隠し持っていた瓶に入ったミルクキャンディを手渡した。表面に美しい細工模様の入ったガラス瓶の中に、淡い色合いの可愛らしいキャンディが詰まっている。これはエウリュ領特産のミルクだけを砂糖で煮詰めて作ったキャンディで、色が違うのは季節のフルーツを混ぜ込んでいるものだ。このキャンディは評判が良く、貴族でもなかなか手に入らない。
レンドルフはバルザックに勧められるままに封を切って、中のキャンディを口に入れた。白いキャンディはミルクのみの味だが、砂糖だけでなくミルクの自然な甘さが口の中に広がってレンドルフの口元が思わず緩んだ。
「帰国の準備はこちらで全部揃えておくから、何か必要な物があったら誰でも言いつけてくれ」
「ありがとうございます、バルザック兄上」
バルザックはそっと背に手を当てて、レンドルフをベッドの上に横たえた。随分と伸びた薄紅色の髪が顔に貼り付いていたので、バルザックはそっと払ってやる。幼子にするような行動なのでレンドルフは少しだけ恥ずかしそうにしてはいたが、拒否する様子はない。バルザックは自分の子供達や甥達も可愛いと思っているが、年の離れた末弟の愛らしさは別格だった。何故そこまで、と問われると、バルザック自身もよく分からない。だが可愛いものは可愛いのだ。
「お前の魔力量なら大丈夫だと思うが、気分は悪くないな?」
「はい、問題ありません」
「ふふ…クロヴァス家から高名な魔法士が出るかもしれんな」
「いえ…僕は」
「?どうした?何か…」
「僕は、騎士になりたいです」
きっぱりと言い切ったレンドルフに、バルザックは目を丸くしてすぐに二の句を接げなかったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
気を付けてはおりましたが、遂にコロナに罹患しまして…今のところ症状は軽いですし、話のストックもあるので更新に影響はないと思いますが、今後更新が滞る可能性もあります。ご了承ください。
みなさまはどうぞご健康でありますように。