427.【過去編】レンドルフの覚醒
(何が、起こったんだろう…)
レンドルフは、思ったよりも明るい中で座り込んでいた。
最初に黒い影のようなものに包まれた時は視界が利かなくなったが、気が付くと石のドームのようなものに覆われていて、それが微かに光っているのか少し暗いだけで自分の腕も抱きかかえている少女もハッキリと見えた。そして外では小さく断続的に何かがひび割れるような音が聞こえて来る。
足元の岩は、今まで座っていたもので変化はない。あの浜から移動している訳ではなさそうだ。それならばバルザックが外にいる筈なので、きっと助けにきてくれるだろうとレンドルフは確信している。
(誘拐?どっちが?)
レンドルフも貴族令息なので、色々な理由で誘拐の危険はそれなりに高いことを知っている。今のところ具体的に何かあった訳ではないが、護衛騎士などの様子から何らかの計画があったのだろうとうっすらと察する程度だった。それに特に美しい令嬢は狙われる危険性が高い。もしかしたら今抱きかかえている少女が狙われて、自分は巻き込まれたのではないかとレンドルフは思っていた。
「おねえしゃま…」
少女は必死に泣かないように堪えているのか、目に涙をいっぱい溜めつつもグッと顔に力を入れているのが分かる。レンドルフの羽織っているケープに、小さな手がしがみついて細かく震えている。
「大丈夫ですよ。わたくしのあにう…お兄様が助けに来てくれますから」
「おねえしゃまの、おにいしゃま?」
「はい、そうです。それに、わたくしも守って差し上げます」
「ほんとう…?」
「はい、必ず」
レンドルフも怖くない訳ではないが、もっと幼い少女にはみっともない姿は見せられないと気持ちを総動員させてにっこりと微笑む。少女もコクコクと頷いて、その弾みで目に溜まった涙がポロリと零れ落ちたが、それ以上は流れなかったので安堵した。
「ああ、そうでした」
レンドルフは足元に置いてあったバスケットの存在を思い出した。レンドルフを中心に石のドームに囲まれていたので、近くに置いてあったバスケットと日傘も一緒に取り残されていたのだ。その中に色々とおやつが入っていたので、少女の気を紛らわすにはちょうど良いかもしれないと思い当たった。
「いい匂いがしたのでいらしたのですよね?何か召し上がり…」
抱きかかえていた少女をそっと岩の上に下ろして、レンドルフはバスケットに手を伸ばそうとした瞬間、自分の腕の上に掛かっている白いケープにポツリと赤い点が出現した。
「あれ?」
何だろうと思う間もなくその赤い点はケープの上に幾つも斑点を作り、レンドルフの腕の上にも生暖かいものが滴り落ちた。
「おねえしゃま!?」
その赤いものが血だと思うよりも早く、レンドルフの足元がグラリと揺らぐ。乗っていた岩が揺れたのかと思ったが、気が付くとレンドルフは固い岩の上に崩れるように膝を付いていた。そしてそれが自分自身の鼻から流れ落ちている血だとようやく自覚した。
慌ててケープで鼻を押さえたが、手の中の布越しにジワリと温かい湿り気が広がるのを感じる。少しだけ立ち直っていた少女の顔色が再び蒼白になり、たちまち涙声になる。励ますつもりが不安を増長させてしまった、と思うものの、鼻を押さえているので上手く言葉が出て来ない。
「だいじょ…」
それでもどうにかレンドルフが声を絞り出すと同時に、ドームの内部がゴウンゴウンと地鳴りのような音と共に揺れ始めた。少女は咄嗟にレンドルフにしがみつく。鼻血は止まる様子はなく、ケープをどんどん染めているので出来れば離れていて欲しかったが、この異様な地鳴りと揺れの中で少女を突き放すのも出来ずにレンドルフは顔を上手く背けながら汚れていない肘の辺りで器用に挟み込んで守るような体勢になった。
そんなことをしている間に、音はどんどん大きくなってこちらに近付いているようだ。少女もそれが分かったのか、先程よりもきつくレンドルフに腕を回してしがみつく。
(どうしよう…今、武器になりそうなものは…!)
焦って周囲を見回して、レンドルフはクリーム色の可愛らしい日傘に目を留める。フリルの着いた明らかに令嬢用のそれは、大分心もとないがないよりはマシかもしれない。レンドルフはそう思って片手を伸ばしかけた瞬間、全身がビリビリと痺れるような轟音と共に光が差し込んだ。
「レンドルフ!!」
「あ、兄上…?」
強い光に目を細めて見上げると、石のドームに穴が開いていてそこに立っている影が見えた。逆光で分かりにくかったが、うっすらと光に透けている赤い髪と声ですぐにバルザックが来たのだと理解して、レンドルフは体の力を抜いた。
「大丈夫です…わたくしの、おにいさ…」
「レンドルフゥゥゥゥッ!!!!」
「ぴぎゃあああぁぁぁぁっ!!!」
「お嬢様になにをぉぉぉぉっ」
レンドルフは腕の中の少女を安心させるように声を掛けたが、安心して気が緩んだのか体がクラリと傾いて、そのまま岩の上にコテリと倒れてしまった。その様子にバルザックが先程よりも大きな声を上げて、それに驚いた少女が奇妙な声を上げて泣き叫んだ。ちょうどそこに彼女のメイドが駆け込んで来た為に、その場は一瞬にして騒然となって混沌状態に陥ったのだった。
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レンドルフが目を覚ますと、見たことのある天蓋が目に入った。
「レンドルフ!無事か!?どこか痛いところはないか!」
それと同時にバルザックが覆い被さるようにして来たので、レンドルフの視界は珍しく無精髭が伸びて熊状態になった次兄の顔で一杯になってしまった。
「ええと…ここは…」
バルザックから目を逸らすように隙間から周囲を見渡すと、留学中に使うようにと言われて過ごしていた客室だった。確かバルザックと海水浴に行った筈なのだが、海で遊んでいた記憶はあるがその後は定かではない。疲れて寝てしまって知らないうちに帰って来たのだろうかとレンドルフは思ったが、それにしては午前中だけだった覚えしかない。しかもバルザックに勢い込んで聞いて来られるようなことをした覚えも全くなかった。
「あの?兄上?」
「あ、ああ…どこまで覚えている?」
訳が分からずキョトンとしているレンドルフに、バルザックはようやく体を離して肩の力を抜いた。レンドルフは起き上がろうとしたが、体に力が入らずますます分からないといった顔になった。
「お前は波に呑まれかけて、そこで属性魔法を発現した」
バルザックの説明は、休憩しようと浜に上がる直前に不意の大波にレンドルフが呑まれ、救出しようとした際にそれが引き金になったのかレンドルフが初めて属性魔法を発現したということだった。そこで危機感からか魔力を暴走させ、魔力枯渇寸前で意識を失ったそうだ。そのままエウリュ領都に引き返し、レンドルフは丸一日眠り続けていた。
「…土魔法、ですか」
「ああ、俺も近寄るのに苦労する程の見事なものだった。しかしな…」
自分の発現した属性を聞いて、レンドルフは表情が抜け落ちたような顔になった。その理由をバルザックは薄々察したが、それよりもこれから告げなければならないことを思うともっと胸が痛んだ。
「…レンドルフは、国に届けを提出しなければならない程の魔力量を有していると思われる。その為、帰国する必要がある」
「帰国…では、もう兄上のところには…」
「そう、だな。お前の体調が回復次第になるが。一度帰国してしまえば、そう簡単にこちらに来ることは…」
「分かりました。そのように致します」
「レンドルフ…」
「その…何だか眠くなりました。また後でお話を聞いてもよろしいでしょうか」
「ああ…ゆっくり休め」
「ありがとうございます」
バルザックは捲れ上がった毛布を直してから軽くレンドルフの頭を撫で、控えていた使用人も連れて静かに部屋を後にした。まだ意識を取り戻したばかりのレンドルフには誰か着いていた方が良いのは分かっていたが、この後のレンドルフのことを思うと一人にさせてやりたかったのだ。
「旦那様…」
「私は当主のところに報告に行く。お前達はレンドルフから望むか、何か異常がない限り何もせずに部屋の外で控えているように」
「畏まりました」
バルザックはおそらくたった一人で泣いているであろう可愛い末弟のことを思うとせめて部屋の前で自ら待機してやりたかったが、当主である妻に報告するためにまずは身支度を整えなくてはと自室に足早に戻って行った。
レンドルフの生まれたオベリス王国に限らず、どの国も基本的に貴族は魔力量が多く、強力な上位魔法を行使することが出来る。そんな力を持った者が国に反旗を翻さないように、大きな魔力を持つ者や簡単に暗殺などに転用可能な属性魔法を持つ者は生国に登録され、場合によっては国の監視下に置かれるか魔力を制御されて暮らすことが大半の国では義務付けられている。闇属性や毒属性などを発現した者は微弱であっても必ず国の監視下に置かれるが、レンドルフの場合は防御に特化した土属性であるので魔力量が多いことの届けだけでそこまでは厳しくはない筈だ。もしレンドルフが並みの貴族程度の魔力量であったら、短期留学を予定通りの期間を異国で過ごしても問題はなかった。しかし魔力量が登録が必要な域に達している為、クロヴァス領の当主が直々に立ち合って記録して王城に届け出をしなければならないのだ。
いくら血の繋がりがあるとは言え、他国で記録させるわけにはいかない。今もオベリス王国とガリヤネ国の国交は途絶えたままであるので、万一虚偽の報告をして国に不利益をもたらさないという確約はないのだ。どれだけ兄弟の信頼が厚いと言っても、国同士の信頼には直結しないからだ。それが元でクロヴァス家が王家に翻意ありと思われるのは最大の悪手だ。
だからこそ、レンドルフは速やかに帰国させなければならなかった。そして国に登録される程の魔力量を持つ貴族令息ならば、どんな属性であっても今後国からの命以外で国外に出ることは難しくなるだろう。
バルザックとしては、貴族の柵の薄い自分の手元でもっとレンドルフを伸び伸びと過ごさせてやりたかったと悔やんでいた。
しかしそれ以上に、レンドルフが土属性を発現したことに心を痛めていたのだ。
クロヴァス領では、強さが正義だという風潮がある。常に魔獣との戦いになる地域なのでそれは当然のことであり、属性魔法の中では攻撃力の高い火属性や風属性が尊ばれていた。そして怪我を負う機会も多い為、回復系魔法の使い手も歓迎されていた。
現在、クロヴァス家直系は攻撃に特化した強力な火魔法の使い手ばかりだった。そして前当主夫人のアトリーシャは代々水属性を多く輩出する家柄で、彼女自身も上位の回復系水魔法の使い手だ。子供が必ず親の属性を引き継ぐ訳ではないが、比較的発現しやすいと言われている。
レンドルフの潜在属性は風火水土の四属性が揃っていた。その為、両親の火か水を受け継ぐのではないかと周囲は何となく思っていたし、レンドルフもどこかそれをよすがにしているような気配もあった。しかし実際にレンドルフが発現したのは、辺境では貢献度があまり高くないと評されている土魔法であった。ただでさえ髪の色や瞳の色が親兄弟と異なるレンドルフは肩身の狭い思いをしていたのに、属性もどちらとも違うものだったのだ。
土魔法も、広大な小麦畑などを有している穀倉地帯や、水運業を営んでいる地域、水害などで橋が落ちやすい土地などでは諸手を上げて迎えられる。決して劣った属性ではないが、レンドルフの魔力量を考えるとその属性にやはり落胆する者はいるだろう。そして一番落胆しているのは間違いなくレンドルフ当人だと思うと、バルザックはますます頭を抱えたくなってしまうのであった。
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「レンドルフくんは?」
「さっき目を覚ました」
ミューズの執務室にバルザックがそっと入る。彼女の執務室には常に絶妙なバランスで書類や書籍がうずたかく積み上げられており、扉の開け閉めに注意しなければ大惨事になる為だ。
「いつ出せる?」
「ミューズ。魔力枯渇寸前だったんだ。少なくとも十日は…」
ミューズは分厚いレンズの眼鏡越しにバルザックを見つめ、書類山のやや上の方から紐で閉じられた書類束を引っ張り出した。一件乱雑に積み上げられているように見えるが、ミューズはどこに何があるか、紙一枚単位で記憶しているそうだ。
「三ページ目、ピラッとして」
その書類束の三枚目を読めということを理解して、バルザックは言われた通りに書類に目を走らせた。
「マジかよ…しかし…いや、確かに…」
「ありったけの馬車をゴッソリするわ。手配は任せて。貴方は帰国の準備をしてあげて」
「…ああ、悪いな」
バルザックは、過日の襲撃者をあの場ですぐに捕らえさせたが、自害防止用の魔道具で拘束する前に実行犯達は亡くなってしまった。一応調べさせたところ、契約者以外の者に触れられた時点で体内に埋め込まれていた毒薬の袋が破裂するように仕組まれていた。そこまで厳重且つ周到な準備をしていたので、亡くなった犯人達の身元の手掛かりになるようなものは当然のように一切発見されなかった。
しかし、レンドルフと共に巻き込まれた幼い令嬢の身内が辺境伯家よりも高位貴族であった為、その権力を存分に駆使してたった一日で推測ではあるがかなり真実に近いところまで到達していた。そして当主のミューズが色々と水面下で取り引きをして、その情報を共有することを確約させていたのだ。
バルザックに示した報告書のページには「ガリヤネ王家が誘拐に関わっている可能性が高い」と書かれていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
思ったよりも過去編が長くなっております(笑)ここまででざっくりと考えていた話の半分くらいです。もう少し削ってサクッと進めようかとちょっと悩みましたが、元からこの物語は書きたいものを全部詰め込んで行くスタイルなので、そのままにしておくことにしました。
ユリが随分寝っぱなしですが、もうしばらく寝ててもらいます。