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424.【過去編】エウリュ辺境伯当主


「レンドルフとずっとパートナーなら良かったのに!」

「そういう訳にはいかないよ」

「分かってる!でも兄さまのダンスはサイアクなのよ」

「ははは…」


朝からレンドルフは姪にあたる一つ年下のカリュに付き合わされて、ずっとダンスのレッスンを受けていた。レンドルフもクロヴァス家で少しだけ習っていたのだが、まだ年の近い相手とは踊ったことがなかった。その為最初の頃は目も当てられない状態だったが、相性が良かったのかしばらく経つとコツを掴んだのか二人とも思わず目で追ってしまうくらいに見事に息の合ったダンスが踊れるようになっていた。



レンドルフは、三日後に開かれるガリヤネ大公家のパーティーに招待されているエウリュ辺境伯家の縁戚として一緒に参加することになっていた。ガリヤネ大公家は王家の直系で、当主の女大公が治めている。その領地とエウリュ領は隣接しているので、それなりに交流があるのだ。


三日後のパーティーは、ガリヤネ国初代国王が今の大公領で神と盟約を交わして国を建てることを宣誓した日、いわば建国記念日の式典のようなものだ。勿論国王の暮らす王都でも盛大な祭が催されているが、始まりの土地とされる大公領でも祝いの場が設けられるのだ。

国境の森を守護する辺境伯が何日も不在にして王都まで出向くことは出来ないが、隣の領であれば家族で参加しても日帰りが可能だ。夜会に参加すると泊まりになってしまう為、エウリュ辺境伯家は昼間の式典とパーティーにのみ毎年参加しているので、未成年の子供達も一緒に連れて行っていた。


レンドルフは大人しく留守番していると言ったのだが、バルザックや当主のミューズに気楽なものだから、と連れて行かれることになってしまった。そこで折角だからとカリュと一曲踊るところが見たいと懇願されてしまったのだ。



「あー、冷たくて美味しい」

「うん、美味しいね」


ダンスレッスンで使用する離れは窓を全開にして風通しは良いが、やはり長く体を動かしていると暑く感じる。休憩に出された冷えた果実水を飲み干すと、汗が引いたように感じられた。


カリュはレンドルフの一歳下の姪で、一応赤い髪に赤い瞳と言われているが、クロヴァス家の系統とは色味が全く違っている。日に当たると金色が強く出る髪色で、どちらかと言えば赤銅色に近い。そして瞳の色も深みのある赤ワインのような色味なので、室内で見ると黒に見えることもある。父バルザックや兄オルフェと並ぶと明らかに違う。

顔立ちも両親どちらにも似ていない、切れ長の目で細面の理知的な印象を与える顔立ちだった。線が細く肉付きのあまりない体型も、その顔立ちも色合いも、若くして亡くなった祖母に瓜二つだと言うことだ。母のミューズ辺境伯当主は、小柄で丸顔の黒髪に茶色の目をしたどちらかと言うと可愛らしい系統の面差しだ。女辺境伯と聞くと、長兄の妻ジャンヌのような凛々しい女騎士を思い浮かべてしまうが、ミューズは根っからの研究者気質で、いつもは分厚いレンズの眼鏡を掛けて平民と変わらない服装で歩き回っている。


「レンドルフもああやって踊るとやっぱり男の子だね。骨がしっかりしてるから頼りがいあるわ」

「それなら良かったよ」

「でもドレスを着せて参加してもらいたくもある」

「それだとカリュがオルフェと組むことになるけど、いいの?」

「わわわ!それ撤回!ナシ!レンドルフはちゃんとした礼服で!」


よほど兄と踊るのが嫌なのか、カリュは慌てて首をブンブンと横に振った。そんな様子を微笑みながら見つめ、レンドルフはグラスに残った果実水を飲み干した。側に控えていたメイドがおかわりを勧めて来たので、ありがたく注いでもらう。夏向けにミントと塩が少し入っている果実水は、喉の奥がスッとして清涼感があり、甘みの強いリンゴと酸味のオレンジのバランスが程良い。クロヴァス領でよく飲まれている果実水は数種類の柑橘と少量の蜂蜜を使用するものが主流なので、レンドルフには新鮮な味わいだった。


「レンドルフってさー、怒んないよね」

「何か怒るようなこと言われたっけ?」

「ほらードレスを着せるとかなんとか。自分で言っておいてなんだけど」

「そんなことならよく言われてたから」

「着せられたり?」

「それはなかったよ。男は剣術とか乗馬習う時間が長いから、着てる暇はなかったし」

「そういう問題?」


まるで余裕があれば着ていたかのようなレンドルフの答えにカリュは怪訝な顔をしたが、レンドルフは何故そんな顔をされたのかいまいち分からなかった。


「まあ、おじい様…じゃなかった、伯父さまの領地はウチと違って群れの魔獣(ヤツ)が多いもんね」


クロヴァス領は水が豊かなので穀物や農作物の収穫量が多い。年々低温に強い品種などの改良も進み、オベリス王国内の食卓を潤すだけでなく他国にも輸出が出来るくらいになっている。しかしその豊かな農作物を狙って、国境の森から雑食の獣や魔獣などが出没する機会も多いのだ。そして雑食性の魔獣は群れをなす性質のものが大半なので、魔獣の出没数は大幅にクロヴァス領の方が上だった。逆にエウリュ領は家畜の肉を目当てに単独で行動する肉食系魔獣を中心に出没する。しかし単体でも巨大な個体が多いので、魔獣討伐の苦労はどちらの辺境領も変わりはない。


「さて、と。最後にもう一曲だけ付き合ってよ」

「うん、いいよ」


カリュは残っていた果実水を一気に呷ると、ヒョイと立ち上がってレンドルフの手を取った。本来ならば逆の仕草なので、レンドルフの視界の端でダンスの講師が渋い顔になっていたのが見えた。レンドルフは少しだけ眉を下げてそっとカリュの手を外して、上に向けた自分の手の上に乗せた。


「あ…そっか。いつも兄さまは逃げるからつい癖で掴んじゃった」


自分の失態に気付いてカリュはヒョイと肩を竦めて、講師に背を向けて見えない位置でペロリと舌を出した。彼女は辺境伯令嬢ではあるが、どこかちゃっかりしていて要領のいいところがある。


カリュの兄オルフェはレンドルフより二歳年上で、しっかりとクロヴァス家の血を引いているのか力が強く、鍛錬大好きな脳筋に育っていた。その分座学やマナーの講義、ダンスレッスンは大の苦手で、すぐに逃げてしまうそうだ。座学はともかく、ダンスはパートナーになるカリュにも迷惑を掛けて、しかも一向に上達しないらしくレッスンの度にカリュがキレていた。

その為、教えられた通り素直に踊るレンドルフとのダンスは、それこそ天と地ほどの差があった。


「ずっと、とは言わないけど、せめて私の婚約者が決まるまではウチにいて欲しい」

「いくら何でもそれは無理だよ」

「…分かってる…分かってるけど!」


レンドルフは短期留学という態でエウリュ領に来ているのだ。期間は一年程度と定められているので、いくら何でもカリュの願いは叶えられない。カリュの方も十分に承知していながらも、兄のダンスのひどさを思い出してついブツブツと愚痴のような怨嗟のような言葉を零さずにはいられなかったのだった。



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「あら、ダンスのレッスンは終わり?お疲れさま」


離れから本邸に戻る途中で、エウリュ辺境伯当主ミューズが向こうからやって来るところに遭遇した。彼女は何か人前に出るような公務でもない限り、平民と変わらない恰好をしているのが常だ。今も瓶底のように分厚いレンズの眼鏡を掛けて、櫛を通したのかも怪しいくらいもっさりした黒髪を書類を束ねる紐で無造作に括っているだけの姿だ。レンドルフがここに到着した時は当主らしく上質で品の良いドレス姿だったのだが、翌日には普段の姿に戻っていてレンドルフも一瞬誰か分からなかったほどだった。


「お母様!やっぱりレンドルフを誘って良かったわ!すっっっごく踊りやすいの、兄さまより!」

「まあ、良かったわねえ」


カリュの後半の力の入れ具合に、実際目にしていないが兄オルフェとのダンスに彼女がどれだけ不満を持っていたかが伺えるほどだった。


「貴方の方が大変かもしれないけれど、よろしくね」

「わたくしこそ、カリュには助けられております」

「まあ、ご丁寧に」


ミュースは眼鏡で表情は分かりにくいが、いつもおっとりとした口調でニコニコしている。ふんわりとした雰囲気で辺境伯当主とは思えないが、バルザックが言うには稀代の才覚を持った才媛だとレンドルフは聞いている。バルザックと出会う前はその才能を理解して生かす場がなく色々と行き詰まっていたようだが、出会ってからは存分に力を発揮してエウリュ領を順調に栄えさせている。

特に大きな成果を遂げたことで有名なのは、塩に強い牧草を彼女が開発、実用化したことだろう。その牧草を食べて育った家畜の肉やミルクの味が格段に向上したという功績は、クロヴァス領にも聞こえていた。


「貴方の礼服は、ザックがばばーんとしてるから、どどーんと待っていてね」

「は、はい。ありがとうございます」

「カリュもしょっきりとしておいてね。任せたわよ」

「はぁい、お母様」


ミューズはニコニコを軽く手を振って、図書室のある方へ消えて行った。大抵彼女は執務室か図書室に棲んでいる。



「…レンドルフ、多分貴方の礼服はお父様がちゃんと用意してるから楽しみにしてて、ってことだと思う」

「うん、それは何となく分かった」


辺境伯当主のミューズは稀代の才媛ではあるが、自身の考えを表現する言語が大変直感的で独特なのだ。そのせいで当主を継ぐ前は良施策を提案しても上手く家臣に伝わらずに失敗が続き、やがて人に説明するよりも自分でやった方が早いという結論になっていた。しかし考えついたもの全てに手を付けたはいいが、案は良くても技術が追いつかないことや抱え込み過ぎて爆発寸前になったりして、実父である先代辺境伯にも彼女の才能は理解されていなかった。

しかしひょんなことからバルザックと国境を越えて出会い、何故か彼がミューズの言語を理解出来たことから評価が一転した。そして普段のおっとりした様子からは想像も付かないが、ミューズがバルザックに猛アタックして見事射止めて現在に至るのだった。

バルザックの方も、クロヴァス家の直系の「たった一人の伴侶を溺愛する」という特性を発揮して、現在両辺境伯家は夫婦円満で暮らしている。


「髪型はどうする?そのままにするなら私と揃いの色のリボン用意するけど」

「…もしかしてさっき義姉(あね)上様が言ってたのって」

「まあ、そういうこと。多分だけど」

「そっちは分からなかった」

「でしょうね」


さすがに生まれた時から一緒にいるので、カリュはバルザックほどではないがミューズと大きな齟齬なく会話が出来る。兄オルフェも会話が成り立っているらしいのだが、お互いに感覚的な会話をしているので、傍から聞いていると本当に通じているのか不安になるとはカリュの見解だった。


「別に目的があって延ばしてる訳じゃないから、任せるよ」

「そうなの?まあ似合ってるから、やっぱりリボンで纏める方向で行きましょうか」


カリュはレンドルフは家族枠で連れて行くのでエウリュ家の色にするか、それともクロヴァス家の色にするかと色々と考えているようで口の中でぶつぶつ言っていた。エウリュ家の家門の色は鮮やかなコバルトブルーなので、ミューズ以外は赤系の髪色なので使い方によってはひたすら派手で目の痛い見目になってしまうのだ。


「似合う、か…」

「ん?何か言った?」

「ああ、頑張ってエスコートしなくちゃ、って」

「大丈夫よ、レンドルフなら。ちょっとくらい間違っても、その顔で押し通せば気付かれないって」


カリュの理屈はよく分からないが彼女が言うと何となくどうにかなるような気もして、レンドルフは随分伸びた自身の髪を軽く指先に絡めて微笑んだのだった。



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