422.【過去編】守る為の距離
「レンドルフはどうしている?」
宴も一旦終了して、まだ物足りない者達は各自小規模な祝いを続けていたが、クロヴァス家の面々は沈痛な面持ちで当主の執務室に集っていた。もう深夜に近いのでまだ幼いレンドルフとタイラーはおらず、二人のお目付役としてザルクもここにはいない。年齢的にディーンも就寝時間を過ぎているが、報告者としてこの場に立ち合っていた。
「ザルクがタイラーの部屋にレンドルフを連れ込んで、シーツでテント作らせてキャンプごっこに付き合わせてます。大騒ぎさえしなければ見逃すように家令に頼みました」
「お前、手回しが早いな」
「ありがとうございます、父上。ザルクにはレンドルフを一人にしないように言い聞かせてありますので、大丈夫でしょう」
ここに集まるまでに自主的にきちんとレンドルフに気を回す手配を終えているディーンに、ダイスが彼を労うように肩に手を置いた。
令嬢達をメイドの控えている休憩室まで送り届けると、すぐさまディーンはディルダートとアトリーシャに令嬢達の会話をかいつまんで報告しに行った。そしてそれをレンドルフ達も聞いてしまっていることと、タイラーはともかくレンドルフは意味を正確に理解しているのではないかと思うことも付け加えた。ディーンとザルクが令嬢達の言葉を聞いて更にその側に潜んでいる二人に気付いた時には、タイラーは何となく悪口を言われたのは分かったようで怒りで顔を赤くしていたが、レンドルフはすっかり血の気の引いた顔でその場に蹲っていた。
ディーンは、三兄弟が父や祖父にそっくりだと言われる度に、レンドルフの顔が寂しそうに曇るのを何度も見ていた。レンドルフの出自は家族は誰も一切疑っていないが、それでも血縁の中で一人だけ違う系統である事実は変えようがない。分かっていても、他者から突き付けられた何気ない悪意は、まだ幼く優しい少年の柔らかい心を打ちのめすのは十分だったのだ。
今日の宴の主役であるダイスが動くのは難しかったが、代わりにディーンが動いてくれたおかげである程度水面下で牽制することが出来た。
ディーンの情報から正確にどの家門の令嬢かを割り出したアトリーシャが、歓談にかこつけてきっちりと令嬢の親にレンドルフを家族がどれだけ溺愛しているか、そして数代前に嫁いで来た高位貴族の女性が同じ髪色だったと告げた上で貴族には通じる言い回しで「次はない」と釘を刺しておいた。まだ社交界デビューもしていない令嬢がレンドルフの出自を勝手に語るというのは、間違いなく親の影響だと判断したのだ。
彼らもそれを理解したのか、少々顔色を悪くしながら承諾の意を見せたので、それ以上の追求はしなかった。しかしその後幾ら挽回しようとも、彼女達の縁談を受けることはない、とクロヴァス家の面々の間では共通認識となったのだった。
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「これから、ああいった話題に遭遇することは避けられないだろうな」
ディルダートが深々と溜息を吐いた。
家族や近しい人間は、レンドルフがクロヴァス家の血を引いていないなどとは微塵も思っていない。しかし何も知らない人々は、勝手に考えて勝手に判断する者もいるのだ。交友範囲が大きくなればそれだけ多くの人間と接することになる。
「血縁の鑑定を受けた方がよいでしょうか」
「それもねえ…面と向かって聞いて来る人がいるならともかく、そういった話は当人のいない場所で噂として話題になるから、聞かれてもいないのに鑑定したと触れて回るのもどうかと思うの」
「そうですね…」
ジャンヌが眉間の皺を深くして提案したが、社交界をより知り尽くしているアトリーシャが首を横に振る。いつもは年齢よりもはるかに若々しく見えるアトリーシャだったが、少し目元に濃い影が落ちていて疲れが顔に出ていた。
世間では、赤熊と呼ばれる荒くれ者のディルダートが美しい妻を辺境に閉じ込めて溺愛を注いでいると思われがちだが、実のところアトリーシャも夫を溺愛している。いつまでも仲睦まじい二人のことは、領民の間では有名だ。息子達も、幼い頃から子守唄替わりに母から父の髭の生え癖を暗記する程に惚気られて来ていたので、世の中の夫婦が本気で仲違いをすることもあると知った時の彼らの衝撃は如何ばかりだったか。
だからこそ、20年以上ぶりにレンドルフが誕生したことも、髪色も目の色もディルダートに似ていなくても、誰一人として不貞を思い浮かべる者はいなかったのだ。それこそディルダートなど愛妻にそっくりな生まれたての我が子を喜びのあまり頭上に抱え上げて雄叫びを上げてしまい、産婆や治癒士に袋叩きの目に遭わされたのは未だに話題になる。
そうやって家族から愛されて来たレンドルフだったが、成長と共に世界が広がれば、新しい出会いだけでなく様々な悪意にも遭遇する。それは生きて行く上で避けられないことであるが、タイミングが悪かった。ただでさえ自我がよりしっかりして来たところで、自分ひとりが父の血筋とは似ていないと自覚し、そこから自己肯定感が削られていたのだ。それが分かって家族でフォローして行こうと思った矢先に、令嬢達の心ない言葉が追い打ちを掛けた。
「それから、当主に就任したばかりで大変でしょうけれどタイラーのこともちゃんと気遣ってあげてね。あの子もレンドルフを弟のように大切に思っているから」
「はい、そうします」
しばらく家族会議で色々と意見は出たが、結局簡単に解決するような案はないということ結果が出ただけだった。ただ、最初にディルダートが考えていたように、レンドルフには今の環境と物理的に少し距離を置かせて様子を見てみることにはなった。
「当分は新当主への挨拶などで忙しくなるだろうから、レンドルフとタイラーには気を配っておくようにと通達するしかないな」
「僕とザルクでなるべく面倒を見るようにしますよ。元はと言えば、僕らが部屋を抜け出したのを真似したんですから」
「ああ、任せる」
「その抜け出したことへの説教は別物だからな、ディーン」
「ひっ…」
最終的にダイスが纏めてディーンがそれに答えて終了しそうだったが、低い声で母のジャンヌに射抜かれるように睨まれて、ディーンは蛇に睨まれた蛙のようにピシリと固まってしまったのだった。
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そろそろ日付が変わる頃、ディーンは寝る準備を終えて末弟タイラーの部屋を静かに訪れた。そっと扉を開けると、部屋の中は何本もロープが張られていて、そこに広がるようにシーツや毛布が掛けられていた。ベッドの上には誰もいないが、紙が広げられてその上にお菓子の食べ残しが転がっている。
ディーンは音を立てないように幾重にも吊り下がっているシーツを掻き分けて覗き込むと、天井に見立てた上から淡い明かりにした照明の魔道具がぶら下がっていた。その真下には大の字になって転がっているタイラーと、端の方でザルクの片腕にしっかりと抱え込まれたまま丸まっているレンドルフの姿を確認した。
起こさないように弟の顔を覗き込むと、口元に菓子の欠片が付いていた。寝る直前まで摘み食いをしていたのだろうとすぐに分かった。歯磨きをしていないとバレたらメイド長に怒られるだろうが、今日くらいは多めに見てもらおうと思いながら、ディーンはそっとタイラーの口元に触れる。一度眠ると朝まで起きないタイラーは目を覚ます気配はなく、夢の中でも何か食べているのか幸せそうに口を動かしていた。
隣で小さく手足を抱きかかえるように丸まっているレンドルフを覗き込んで、伸びた前髪をそっと顔から避けると目尻の辺りが少しだけ赤くなっているのが分かった。眠くて擦ってしまったのか、それとも別の原因があるのかはディーンには分からなかったが、白い肌にはそれがとても目立つことに胸が痛む。
「…兄上」
「…起こしてしまったか」
「まあ、起きてたし」
ディーンも何となくザルクが起きているような気がしていたので、小声で話しかけられてもそう驚くことはなかった。ザルクは抱えていた自分の腕と丸めた毛布を交代させるようにレンドルフに巻き付けると、そっとシーツテントの外に出るようにディーンを促した。
「レンドルフは、どうしていた」
「俺やタイラーの前では元気そうにしてたよ。でも、俺達が寝たのを確認してから出て行こうとしたから、俺は寝たフリをして放してやんなかったけど。もしトイレだったとしても、どうせタイラーと一緒に明日叱られるだろうからいいやと思って」
「あー…いや、お前がいいなら」
「タイラーは寝る前に果実水ガブガブ飲んでたから、間違いなくおねしょコースだな。どうせここはあいつの部屋だし」
「お前、さり気なくひどいな」
思わず苦笑するディーンに、ザルクは得意気な顔で「絶対バレる誤摩化し方を明日伝授してやるんだ」とよく分からない計画を立てていた。
「…あいつ、泣いてた」
「そっか…そうだよな」
二人が寝静まった頃、レンドルフはどこかで一人で泣くつもりだったのだろう。けれど寝たフリをして抱きかかえていたザルクを起こす訳にも、こっそり抜け出すことも出来ずに我慢していたようだったが、その内に耐えられなくなったのか声を押し殺して泣いていた。ザルクは寝ぼけたのを装って、レンドルフをしっかりと抱きしめてみたが、それでもしばらくは泣き止まないままだった。起きて声を掛けることも考えたが、幼いながらもレンドルフの矜持を守った方がいいような気がして、ザルクはそのまま寝たフリを続行した。
「あの女達、襟から魚を入れてやればよかった」
「それはやめてくれ」
「それで、おじい様やおばあ様は何か言ってたか?」
「ああ、今後のことを大体ね」
当主を引退した二人は、領都から馬車で半日程の別荘に居を移すことは決まっていた。そしてまだ未成年のレンドルフは両親の元で暮らすよりも、年の近い甥達と共に勉強や鍛錬が出来る環境の方が良いだろうと領主城に残る方向で話が進んでいた。
別荘のある場所は魔獣の出現も少なくのんびりとした環境ではあるが、保養地として休暇で訪れる観光客の他は隠居した者が余生を過ごすような土地柄なのだ。まだ幼いレンドルフが暮らすには娯楽も少なく年の近い者も多くない。だからこそ領都に残すと考えていたのだが、最近の様子ではむしろ新天地でレンドルフのペースで学ぶことを優先した方が良いのではないかと話し合いがされていた。
同じクロヴァス家の直系として教育をして来たが、甥達と比べると年下ということを鑑みてもレンドルフは体格も体力も違い過ぎた。かといって急に一人だけ違う扱いをするのもまたレンドルフを傷付けるのではないかという意見もあって、一時的に距離を取る方向に転換することになったのだ。
両親と共に引っ越すという名目ならば、レンドルフも不自然には思わないだろうとの配慮もあった。
「レンドルフを連れて行くんだ…」
「一時的なものだよ。それに、会いたければいつでも会いに行けばいい」
「俺達のこと、忘れちゃうんじゃ」
「レンドルフなら大丈夫だ。…タイラーは、正直忘れるかもしれないけど」
「あー…タイラーはなあ…」
タイラーは目の前のことに気を取られて、すぐに色々なことを忘れがちな性分だ。さすがに兄弟同然に育ったレンドルフのことは忘れないとは思いたいが、兄二人は断言できずに渋い顔で唸ってしまったのだった。
翌日、雲一つなくよく晴れた領主城の中庭では、いつもよりも大物のシーツが何枚も干されて風にたなびいていて、その様子を小さな二つの影が恥ずかしそうに物陰から眺めていたのだった。