421.【過去編】悪意のある言葉
オベリス王国最北の辺境クロヴァス領の短い夏が終わり、山の木々が燃えるような赤い色に半分程染まって来た頃、農作物の収穫期に入る前に新当主就任の盛大な式典が催された。
レンドルフもこの日は新調された体に合わせた赤い騎士服を身に纏い、領主城の正門前に設えられた舞台脇で兄の晴れ姿をキラキラとした目で見つめていた。
クロヴァス家の家門の色彩である濃い赤の正装に、肩や胸元を飾る金の装飾品は輝きを控え目にしているので重厚感がある。肩から背に掛けて長く裾を引くマントが時折風を受けて広がると紋章でもあるフェニックスを模した刺繍がよく見えて、その見事さに集まった領民から溜め息が洩れた。
長兄ダイスの真っ赤な燃えるような髪に同じ色の髭をたくわえて威風堂々とした様子は、既に長らく領主を務めていたかのような風格さえ漂っていた。その少し後ろには、同じ形の正装に少しだけ丈の短いマントをたなびかせ帯剣をしている妻のジャンヌが控えている。彼女は婚姻式も騎士服で臨んだ誇り高き騎士であり、妻であると同時にダイスを支える生涯の専属護衛でもあるのだ。
時折女性の黄色い悲鳴が上がるのは、明らかにジャンヌの動きに合わせてであった。彼女の子供が三人いるとは思えない程スラリと引き締まった長身と、美しく気高い猛禽類を思わせる凛々しく涼やかな顔立ちは、領内の女性に絶大な人気がある。
そこにディルダートとアトリーシャが登壇すると、領民の歓声は最高潮に盛り上がった。
二人は黒を基調とした正装に赤の装飾が付いたものを身に纏い、ディルダートは赤の宝玉が付いた大剣、アトリーシャは銀製の短剣を持っている。これは代々の当主から受け継がれている家宝で、これを渡すことによって当主の交代が正式に公表される儀式だ。大剣は次の当主に、短剣は配偶者の手に渡されるのが一連の流れだ。
ただディルダートが当主を継いだのは先代の急死を受けてのことだったので、未成年で婚約者もいなかったディルダートが先代不在でどちらの剣も受け取る形になった。そのことを覚えている年嵩の者達は、今回の正規の形で行われた儀式に人目も気にせず号泣していた。
「兄上…カッコいいね…」
「そうだな!父上はカッコいいんだ」
うっとりと呟いたレンドルフに、隣に立っていたダイスの三男タイラーがフンスと鼻息を荒く同意した。タイラーはレンドルフより半年年上の甥にあたるが、クロヴァス家の血筋を存分に体現していてレンドルフよりも頭一つ分背が高かった。まだ幼さの残る丸い頬と少々腹の突き出た幼児体型ではあるが、誰がどう見ても小さなダイスそのものだった。隣にいるレンドルフは、標準からやや華奢といった体型なので、タイラーの隣にいるとより儚げな美少女に見えてしまう。肩より下くらいまで伸びた髪は、騎士服と同じ生地で作ってもらった赤いリボンで括られている。
領民の大半は新当主のダイスと妻ジャンヌに注目をしていたが、レンドルフもその愛らしさに密かに注目の的であった。
まだ年齢的にレンドルフとタイラーは市井に降りることはしていない。領主城や専属騎士団の訓練場などで交流があるだけなのだ。来年辺りには領民との交流も兼ねて、クロヴァス家が直接運営している孤児院や学校などを視察に行くことになるだろう。
だからこそ、この二人が領民の前に正式にお目見えするのは今回が初めてになる。噂などでは聞いていただろうが、タイラーが予想通りダイスにそっくりなのと、それ以上にアトリーシャ似のレンドルフは人目を引いた。誰もが顔を見た後に服装を見て、騎士服なので息子に間違いないのだろうと無理矢理納得させている顔をしていた。何せ新当主夫人のジャンヌが騎士姿なので、そのまま受け取っていいものか一瞬悩むようだ。
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式典は天気にも恵まれて恙無く終了し、領主城も街も全て領地を上げての宴が行われた。
レンドルフ達は未成年なので宴には参加せずに早々に引き上げたが、家族のみが入れる私的な部屋で祝いということでいつもよりも豪勢なおやつに囲まれてご機嫌に過ごしていた。しかし城内がいつもよりも賑やかで、使用人や護衛達もどこか浮ついたような空気に、冒険心旺盛な子供達が大人しくしているのは難しいことだった。
三兄弟の上二人は普段は入れない宝物庫に忍び込めるのではないかと予てより計画を立てていたらしく、末っ子のタイラーと更に年下のレンドルフを置いて、さっさと出て行ってしまった。タイラーは着いて行きたいと駄々をこねたが、兄二人に「お土産で一番いいものを譲ってやる」と言い聞かせられて渋々承諾していた。しかししばらくするとやはり兄達に着いて行こうと言い出して、レンドルフと二人でこっそり部屋を抜け出したのだった。
「兄上達、どこに行ったんだろう」
「戻った方がいいんじゃない?」
「大丈夫だって!何かあったら俺が守ってやるから。俺の方が強いし」
「…うん」
汚すといけないからと式典用の騎士服は既に着替えさせられていて、二人とも揃いのチュニックとトラウザーズ姿になっていた。だがサイズが同じものだったせいか、レンドルフの方が裾丈が長くて遠目にはふんわりとした膝下のワンピースを着ているかのようなシルエットになっていた。
レンドルフは言われた通り部屋で待っていようと主張したが、タイラーに強引に連れ出されてしまった。二人は手を繋いで、使用人達の目を盗んでカーテンなどの陰に隠れながら進んで行った。
「あれ?庭に出ちゃった」
「みたいだね」
「あ!裏の池だ!ここに繋がってんだ」
回廊を隠れながら進んでいるうちに、気が付いたら二人とも中庭のような場所に出ていた。まだ日は高いが、秋はすぐに暗くなってしまう。すぐに空が赤くなって来るだろう。
いつもと違う場所から出たせいか、二人とも今いる場所がどこなのか分からなくて混乱してしまった。周囲を見回すと、何となく見覚えのある池が見えた。その池にはそこだけに棲息している金色の魚がいるので、見間違う筈がなかった。
近付いてみるとやはり見知った池で、今のレンドルフの人差し指くらいの大きさの金色の小魚がキラキラと光を反射させながら池の中を泳いでいた。その魚を見るのがレンドルフは好きだったので、思わず近くに寄って池を覗き込んでしまった。
「レンドルフ!ちょっと隠れろ」
こっそり抜け出して来たことを忘れて池の傍で座り込んだレンドルフを、タイラーが小声で慌てて腕を引っ張った。レンドルフよりも体の大きなタイラーは力も強く、引きずり込まれるように茂みの中に倒れ込んでペタリと尻餅をついてしまった。
「痛た…」
「しっ、誰か来る」
思わず呻いてしまったレンドルフの口を塞ぐようにして、タイラーが後ろから抱え込む。それと同時に、反対側の池のほとりに数名の少女がやって来るのが見えた。茂みに潜むようになったので向こうの顔もはっきり見えなかったが、木の葉の隙間から色とりどりのドレスが垣間見えた。声の感じからすると、少し年上の令嬢達のように思えた。今日の式典に親と共に招待された貴族令嬢なのだろう。
「思ったよりは栄えておりましたけれど、やはり魔獣が近くにいるかと思うとどうしても…ねえ」
「それに、ご当主様はまるで野蛮な猛獣のようで…将来ああなるのかと思うと」
「いくら爵位と資産があると言われましても、命懸けなのは嫌ですわ」
声の様子から、令嬢は三人のようだ。レンドルフは全部は理解は出来ないが、言葉の半分くらいでも彼女達が何か嫌なことを言っているというのは分かった。
「一人だけ可愛らしい子がいたようですけど」
「ああ、ご当主様の末の弟君と聞きましたわ。確かにこんな田舎には勿体無い上品な佇まいでしたわね」
「ですが辺境伯様のお血筋ではないのでしょう?」
「まあ、そうでしたの」
「全く似ていませんもの。大人は言わないだけで、皆知っていることだそうですわ」
「それはそうですわね。わたくしでも見れば分かりますわ」
誰もいないと思ってか口さがない令嬢達の会話に、レンドルフはザッと血の気が引いて体が芯から冷えて来るのを感じていた。彼女達が指しているのは、間違いなく自分のことだと察してしまった。
父によく似た兄二人と、甥三人。実際に会ったことはないが次兄バルザックの長男も父親似だと聞いている。その中で、レンドルフだけが明らかに異質だった。顔立ちは母アトリーシャ似だが、薄紅色の髪とヘーゼルの瞳は周囲の縁戚は誰も持っていない。近しい家族はレンドルフを可愛い末っ子として分け隔てなく接してくれているが、そんな中でも時折レンドルフは強烈な孤独感に襲われることがある。
その答えを目の前の令嬢達に突き付けられたような気がして、レンドルフは力が抜けてペタリと崩れ落ちるように地面に突っ伏してしまった。
「ほら、お二人のことは王都でお芝居になっているでしょう。だからきっと麗しい役者や吟遊詩人と秘めた恋だったのではなくて?」
「まあ、素敵ですわ」
突っ伏しても逃れられない悪意のある言葉が突き刺さって、レンドルフはギュッと体を固くした。すぐ側ではタイラーが袖を引っ張っているのが分かったが、レンドルフはその場から動けないままひたすら石になってしまいたいと念じていた。
「大丈夫だ」
不意に、背中を温かな何かが包み込んだかと思うと、同時に耳の周辺にも熱を感じた。そして耳元で少し掠れたような優しい声が耳朶を打つ。体を捩るように顔を上げて振り返ると、ダイスの次男ザルクがレンドルフを背後から抱きしめて両手で耳を塞ぐようにしていた。三兄弟の中では最も体が大きく縦も横も二回り以上レンドルフより大きなザルクは体温が高く、冷えきってしまったレンドルフの体には随分と熱く思えた。
肉厚で弾力のあるザルクの手にぴったりと耳を塞がれたので、レンドルフの周囲の音が遮断される。何か話し声は聞こえるが、レンドルフには意味のある言葉として聞き取ることは出来なかった。
ザルクがレンドルフを抱き込んでいるのを横目で確認して、ディーンは笑顔を貼り付けながら目を背けたくなるような派手な色合いの毒花に足を向けた。
「まあ…」
「これは次期様」
「このようなところでお会いできるなんて」
ディーンは急に浮き足立ったような令嬢達の態度に腹の奥に熱が渦巻くような感情を覚えたが、それを押さえ付けて貴族の礼を返した。ディーンはダイスの長男として早い段階で貴族教育を受けていた。外見はダイスにそっくりだが、中身は淑女の中の淑女と名高いアトリーシャ似だ。まだ幼いとは言え素質があったのか、両親よりも腹芸は上手いかもしれないと言われている。
「護衛からご令嬢がこちらに来ていると報せがありまして、僭越ながら私がお迎えに上がりました」
「光栄ですわ。…ですが、護衛なんて」
「この辺境では何があるか分かりませんから、常に城内に人を配しております。ですが本日のようにお客様がいらしているときは、あまり威圧感を出さないように見えない場所に控えさせております」
「ま、まあ…そうでしたの」
ディーンの言うことは間違っていないが、合っている訳でもない。確かに常時護衛を巡回させてはいるが、そこまで人を割いていないし、見えない場所に潜ませてもいないのだ。目が届きにくい場所は、防犯の魔道具を設置しているので人手は必要ないからだ。
しかしその言葉に、令嬢達は先程の会話を聞かれていたと思ったのか見る間に顔色が悪くなった。実際使用人に見つからないように隠れて行動していたディーンにはきっちり聞かれているのだが、もっと多くの人間に聞かれたと思わせるようなことを敢えて口にする。
「お休みになられるのでしたら、休憩室までご案内いたします」
「あ、ありがとうございます…」
「よろしくお願いしますわ」
ディーンは何事もなかったかのようににこやかに、令嬢達を先導するようにこの場を離れた。しかしその目は、三人の令嬢達の髪色や目の色、ドレスの質などをさり気なく確認して、頭の中で幾つかの候補の家門を心に留める。年齢や家格などから察するに、ディーンの婚約者候補といったところか。
(後でおばあ様に報告だな)
ディーンはこの令嬢達との縁談は絶対に受けないように家族に告げなくては、ときっちりと心に刻んでおく。もっとも、ディーンが言わなくても彼女達が話した内容を聞けば誰も受け入れないだろう。
確かに彼女達が言った通り、このクロヴァス領は王都から遠く環境は厳しい土地柄だ。しかし嫁いで来る相手には無理強いはしないし、望んで嫁いで来たのであれば全力で不自由がないように最大限のことをして伴侶に尽くすのがクロヴァス家の家風だ。来たくないのならば断ってくれて何ら構わない。ただ領地や家族を蔑むような人間を迎え入れる程、鷹揚でもないのだ。
その場を立ち去る際に、弟達が潜んでいる茂みに一瞬だけディーンは視線を向けた。明らかに悔しそうな顔でこちらを見ている上の弟ザルクの顔と、表情は見えなかったが胸に抱え込むようにした薄紅色の髪がチラリと視界に入ったのだった。