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419.【過去編】レンドルフの誕生


20年以上ぶりのおめでたい報告は、なかなかに微妙な空気であった。



クロヴァス辺境伯当主ディルダートも、妻アトリーシャも、嬉しさと心配とがない交ぜになっていた。そして次期辺境伯ダイスに至っては、言葉を失って呆然としていた。


「だ、大丈夫、なのですか…」

「それは…神しか分からないのではないだろうか」

医師(せんせい)からは今のところ問題ないと言われているわ」


アトリーシャはまだ兆候の見えていない平らな腹部に手を当てる。


「それなら…はっ!父上、母上、おめでとうございます」


急な呼び出して領主の間に訪れたダイスは、母アトリーシャの20数年ぶりの懐妊の報がやっと頭に染み込んで来て、まだ祝いの言葉を接げていなかったことに気付いて慌てて頭を下げた。とは言え、手放しで喜べないのも事実なので、表情はまだ複雑だった。


長男ダイスは成人と同時に妻を娶り、その年に長男、翌年に次男が誕生し、今は三人目が妻の中に宿っている。予定としては後半年程で家族が増える予定だ。そして次男バルザックは二年前に隣国に婿入りして、昨年嫡男が誕生したと報せを受けている。つまり孫が三人いる中での懐妊なのだ。その子が無事に産まれれば、生まれながらに年上の甥か姪がいることになる。両親がいつまでも仲睦まじいのは生まれた時からの日常だったが、息子としては色々と複雑ではあった。


「まあそれでな、お前に譲る予定をしていた当主の座を、もう少しだけ…先延ばしにしては貰えんだろうか」

「それは構いませんが」

「すまないな。これから生まれる子にも、俺が立派な当主を務めていたという姿を見てもらいたくてな」

「俺もまだ父上の元で学ぶことは多いですし、むしろありがたいことです」


本来は、あと一、二年程でダイスに跡を譲ってディルダート達は隠居しようと話し合っていたのだ。しかしこれから生まれる子の記憶に残るくらい先延ばしとなると、五年程度だろうか。このまだ正式に発表した訳ではないので、数年先になっても問題はない。


それに生まれた時に親が当主であるか、引退した前当主であるかで扱いが大きく異なって来るのが貴族の世界だ。将来的に継がせることの出来る資産や縁談などに関わって来る為、子供の未来の選択肢を増やす一助にもなるのだ。


「もう少し安定したら領民に向けて公表するから、それまでは内密にしていてね」

「はい、分かりました」

「ジャンヌちゃんには先日の検診で顔を合わせた時に話してあるから」

「ああ、それで」


先日ダイスの妻ジャンヌが医師の定期検診を受けて戻って来た時、少し様子がおかしかったのはそのせいかと思い当たる。彼女も元護衛騎士なので腹芸はあまり得意ではない為、複雑な感情が表に出てしまったのだろう。心配のあまりダイスが帰宅した妻を抱えて歩こうとして叱られたのも記憶に新しい。


「どうぞ母上は無理をなさらずにお過ごしください」

「ありがとう。しばらくは領政は旦那様とダイスに任せるわ」

「は…精進します」


魔獣討伐に出て剣と魔法をぶん回している方が性に合っているダイスは、本当は良くないと分かっていながらも少々言葉に詰まってしまった。が、ふと顔を上げて母の顔を見ると、何故か珍しく今にも吹き出しそうな楽しげな表情を浮かべていた。不思議に思いながら隣に目をやると、やはり感情が隠し切れなかった父が渋い顔をしていた。それを見てダイスは、「きっと今の自分のそっくりな顔をしているのだろうな」とアトリーシャが楽しげだったことに納得したのだった。



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半年後、アトリーシャの腹部が目立つようになって来た頃に、ダイスのところに三人目の男児が誕生した。生まれた瞬間、周囲にいた人間だけでなく生んだジャンヌまで思わず声を立てて笑ってしまった程にクロヴァス家の血が濃く出ていた。標準的な赤子よりも確実に一回り大きな体格に、階下にまで届いた元気な産声に加えて、見事に赤い髪の小熊だったのだ。それこそダイスを取り上げたこともあるベテラン治癒士が「ダイス坊ちゃんをまた取り上げたのかと思いました」と語った程にそっくりな息子だった。


こうして、クロヴァス家にまた赤熊の家族が増えたのだった。


そんな経緯があったせいか、周囲の人々だけでなく領民の間にも、アトリーシャが次に生む子供こそ女の子ではないかという期待が自然に高まっていた。勿論、健やかに生まれてくれればどちらでもいいと思っているのは間違いないが、さすがに男児ばかりが続いているので今度は…と考えてしまうのだ。父のディルダートもよく「今度はリーシャ似の女の子がいいな」と呟いては彼女に嗜められていた。


そして時が満ち、20年以上期間が開いた出産で心配されていたが、予想以上の安産で無事に現当主の三人目の子が誕生した。


その子は待望のアトリーシャ似の可愛らしい…男の子だった。



レンドルフと名付けられた末の息子は、それはもう家族や周囲に愛された。

同時期に生まれたダイスの三男も勿論可愛がられていたが、レンドルフは他の兄弟や甥達に比べて華奢で小さかった為により丁重に扱われた。実際はレンドルフは標準的な体格ではあったのだが、比較対象が規格外過ぎたのだ。その為、当時のレンドルフの処遇は王家の姫に勝るとも劣らない厚遇であった。

男児であると分かってはいても、アトリーシャ似の優美で美しい顔立ちに、ふわふわと柔らかな薄紅色の髪、抜けるような白い肌に薔薇色の頬をしたレンドルフには可愛らしいものがよく似合っていた。そして周囲もそれが見たくてつい与えてしまうのだ。特に妻を溺愛しているディルダートが、妻にそっくりな息子の為に率先してフリルの付いた服や愛らしい小物などをどっさり購入して来るのだ。つい周りもそれに同調していた。


領主夫人に似た可愛らしく素直な三男は、歳の離れた長兄夫妻にもよく懐き、少しだけ年上の甥達の後をチョコチョコと付いて回る姿が多くの城に使える者達の癒しになっていた。少しやんちゃな甥達で幼い頃の数年差は大きく、小さなレンドルフは時折泣かされることもあったが、すぐに仲直りをして再び無邪気に遊ぶことがその頃のレンドルフの世界の全てだった。



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やがて辺境に生きる者として剣術や体術、乗馬などを教わるようになって少しは鍛えられたが、レンドルフの成長は遅く平均的な辺境領の子供達よりやや小柄だった。他の領では問題はなくとも、辺境で生きるには虚弱の部類に入っていたので、周囲も影に日向に見守って協力を惜しまなかった。

しかしそうやってレンドルフに関わる人間が増えて行くに連れ、一つ一つは些細なことでもまだ柔らかなレンドルフの心が薄皮一枚ずつ削られていたことに気付いたのは、乗馬の訓練が終わった後のアトリーシャとの会話だった。


「お母様、わたくしの馬には、あれを着けた方がいいと思うのです」


ダイスの息子達は既に大人の馬に乗れるようになっていた。レンドルフより半年しか違わない三男は乗馬の能力が特に突出していたので、誰よりも早く子供向けの小型魔馬を卒業していたのだ。通常の貴族の子息にはまだ乗馬の訓練は早すぎる年齢なので、慣らされた小型魔馬が乗れるだけでも十分な才能なのだが、やはりレンドルフには目の前の年の大差ないの甥達がどんどん大きな馬を走らせているのを見ているので思うところはあるようだった。乗馬の訓練が終わると、レンドルフはいつも考えて込んでいるような様子を見せていたのだ。


それを励まそうとアトリーシャが訓練でかいた汗をタオルで拭っている場所に訪れた時に、不意にレンドルフがある場所を指してそう言ったのだ。


「あれは女性がドレスを着ている時に着ける横乗り用の鞍よ?貴方にはその乗り方は必要ではないでしょう」

「……わたくしは、ドレスを着た方がいいのです」

「レンドルフ…?それは貴方が着たいと思っているの?」


つい声が固くなってしまったアトリーシャを怒っていると思ったのか、一瞬ではあるがレンドルフの肩がビクリと跳ね上がる。


「わたくしは、可愛いものが好き、です」


レンドルフは俯いて爪先で地面を軽く掘りながら、アトリーシャとは目を合わせないまま小さな声で呟いた。そうやってする時は、レンドルフが嘘を吐く時に誤摩化してよくする仕草だ。何故そんなことを言うのか分からずアトリーシャは少々混乱したが、嘘を吐く理由をきちんと聞き出さないといけないと思って、そっと細く筋肉の付いていないレンドルフの肩に手を置いた。


「汗をかいて喉が渇いたでしょう。お母様と一緒にお茶をしましょう」

「はい」


母の誘いにレンドルフはパッと表情を明るくして頬を染めた。アトリーシャは高位貴族にありがちな、子育ては乳母や教師に丸投げはしておらず、貴族にしては子育てに関わっている方だ。しかしそれでも領主夫人にはこなす業務が多いので、どうしても目を配れないこともある。なるべく折りを見てレンドルフから何か気になることや希望などの聞き取りをしているのだが、それでも寂しい思いをさせてしまっているのかもしれない。


ただ気を引きたいだけの嘘ならば、しばらくは予定を変更してレンドルフといる時間を増やした方がいいかもしれないと考えつつ、アトリーシャはどこか腑に落ちない気持ちの悪さを覚えていた。


(随分髪が伸びているわね。確か乳母からは散髪にあまり気乗りしない様子だったとは聞いていたけれど、それならば髪を括るものを用意した方が良さそうね)


そんなことを思いながら、アトリーシャはメイド長に頼んで風通しの良いガゼボに飲み物と軽食を用意してもらう。レンドルフはガゼボから見える庭園を眺めながら大人しく準備が整うのを待っている。アトリーシャの記憶では、同じくらいの年齢だった頃のダイスとバルザックは待ち切れなくて準備中の菓子を並べる端から食べ尽くして注意を受けていた。それに比べると、レンドルフは同じ血を引いているのかと思う程に聞き分けがよく、足を揃えてちょこんと座って待っている。


「いただきます」


準備が終わってアトリーシャが勧めると、そこでようやくレンドルフは果実水の入ったグラスを手に取った。そして喉が渇いていたのか一気に半分以上飲み干してしまった。そこまで喉が渇いていたのにきちんとマナーを守って待てるレンドルフをアトリーシャは褒めるべきだと思ったのだが、心のどこかで違和感を覚えてもいた。

同じ年齢の貴族令嬢ならば、ごく内輪のお茶会などに参加させてマナーと社交を学ばせ始めるくらいだ。令息でも国の中枢に関わる家門ならば、礼儀作法の教育を開始する。しかしほぼ中央に赴くことのない武門のクロヴァス家では、生きる為の知恵を先に叩き込まれる。乗馬もその一環だ。


だが、レンドルフの所作はどちらかと言うと令嬢のそれに近い。頻繁ではないがアトリーシャと共にこうして過ごすこともあるので、それを見て学んだのだとしたら大したものである。


「ねえレンドルフ。貴方は横座りの乗馬をしてみたいの?」

「え…ええと…」

「それとも、ドレスを着てみたいの?」

「い、いえ…申し訳ございません…」

「怒っているのではないわ。貴方が自分で望んで着たいというなら、わたくしは反対はしなくてよ」

「その、もう…その、お忘れください」


横座りの乗馬は、主にドレスを着た女性の乗馬スタイルだ。しかし今は女性もパンツスタイルの乗馬服を着込んで、男性と変わらず馬に跨がる形で乗ることが主流になっている。横座りをするのは、緊急事態でドレス姿で乗馬をしなければならないような切羽詰まった状況か、式典などで女性王族がどうしても騎馬が必要な場面で披露する程度だ。


「先程は『着た方がいい』と言っていましたが、まるで自分で望んだのではないように聞こえたのですけれど」

「……喜んでもらえるかと、思いました」

「誰に?」

「……」


レンドルフはグラスを握り締めたまま俯いて黙り込んだ。やはりどこか嘘を吐いているのか、地面に付いていない足先がもじもじと小さく動いている。


「レンドルフ」


柔らかなアトリーシャの問いかけに、やはり少しだけレンドルフの肩がビクリと跳ねる。その様子を見て、アトリーシャは自分が怯えられているのではないかと不安になる。確かに禁止されていることをした時は厳しく言うこともあるが、今は責めているつもりはない。けれど自身の中にある違和感が焦りとなって滲んでいるのではないかと胸の前で軽く手を握り締めてしまった。


「貴方が望むのなら、わたくしは止めませんわ。教えてくれてありがとう」

「…はい」


これ以上聞き出すのはレンドルフの負担になってしまうとアトリーシャは判断して、それからは日常の他愛のない話に終始した。レンドルフもそれからは少しずつ緊張が解けたのか、年相応の愛らしい笑顔を見せて母とのお茶会を楽しんでいるようだった。


並べられた菓子は子供に合わせて少量だったが、それでも半分程残されていたのでメイドに頼んで紙に包んでもらう。


「午後の勉強の後にでもお食べなさい。夕食の直前や歯磨きをした後は駄目ですよ」

「はい、そうします。母上、わたくしの為にありがとうございました」


包みを胸に抱えて、レンドルフはペコリとお辞儀をするとメイドに連れられて自室に引き返して行った。



「あの子、いつから自分のことを『わたくし』と言うようになったのかしら…」


少し前までは「僕」と言っていた気がする。誰かの影響かもしれないが、そこにもアトリーシャは違和感を持たずにいられなかった。周囲からは乱暴な言葉遣いになるよりはいいと思われるかもしれないが、そこに何か歪なものを感じてしまい、アトリーシャは密かにレンドルフの周辺を調べさせておこうと去って行く後ろ姿を見ながら決意したのだった。



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