418.似ているところ、似ていないところ
翌朝、目を覚ましたレンドルフはまだ少しだけぼんやりとしていたが、すぐに往診に来てくれた老医師夫妻にきちんと診てもらって、問題なく回復していると告げられた。ただ出血が多かった為に少々貧血気味なので、増血剤を数日服用して激しい運動はしばらく控えるようにと懇々と言い聞かせられた。
これはクロヴァス家の血筋の者は幾度も言われて来たことだ。何かあれば先頭に立って魔獣討伐に赴き、怪我をして帰って来ることの方が多い。その度に幾度となく同じことを言われて、それよりも早い時期に鍛錬を始めて説教を受ける、という一連のことがお家芸のように語り継がれているのだ。
レンドルフもしばらくと言われたので、全く疑問にも思わずそれなら明日から鍛錬を開始しようと考えていて、それを老医師に悟られて「最低でも一週間!」と叱られていた。どうにもクロヴァス家の直系はその辺りの感覚がズレているようだ。
「失った骨まで綺麗に再生していますが、他の場所に比べてまだまだ弱いのです。いつもの動きで骨折することもありますから負荷は掛け過ぎないようにするんですぞ」
「はい…善処しま…いえ、厳守します」
レンドルフは言葉の途中で老医師夫妻に圧を掛けられて、慌てて訂正した。生まれた時から故郷を出るまでずっと世話になって来た二人なので、体が大きくなってもいつまでも子供の時の感覚が抜けない。そのせいでレンドルフだけでなくクロヴァス家直系は彼らに頭が上がらないのだ。
幸い食欲は変わらなかったので、レンドルフはいつもより消化の良い煮込み料理中心の朝食をたっぷりと摂って、腹ごなしがてら別荘の庭をうろついていたのを見つかって使用人達にベッドに放り込まれた。いかにも手持ち無沙汰なレンドルフがまたウロウロすると困るので、ベッド脇のサイドボードには乗り切れない程の使用人の推薦図書が積み上げられた。レンドルフは彼らの気遣いに感謝して、今日一日はベッドで大人しくしていようとその中から旅行記を選んでページを開いた。
しばらくすると、レンドルフは本を開いたままうつらうつらと体が揺れ始めた。普段はそんなことはないのだが、やはり貧血の影響はしっかり残っている。何度目かで大きく体が傾いでハッと目を覚まし、少し水でも飲もうかと本を閉じた時、部屋のドアがノックされた。
使用人が「アレクサンダー」の来訪を告げ、レンドルフの体調次第で出直すということだったのですぐに会うと返事をする。
「レン殿、まだお休みが必要なのにお訪ねして申し訳ありません」
「いえ、体力だけはありますし、もうほぼ回復しているようなものです。それから貴重な薬を使っていただいたとも聞きました。本来ならこちらからお訪ねするところですが」
「どうぞ無理はなさらず」
シャツにループタイを締め、その上にゆったりとしたグレーのニットを羽織ったレンザが案内されて部屋にやって来た。ループタイに付いている金色の金具には小さな青い石があしらわれていて、随分と愛用しているのがすぐに分かった。
ベッドの脇に椅子を用意してもらって、そのすぐ側にティーワゴンもセッティングされた。
「すぐにお暇するつもりでしたが」
「もしお時間があるのでしたら少しお付き合いいただけると助かります。普段は体を動かしてばかりなので、何もしないとどうしていいか分からないのです」
「それではお言葉に甘えまして」
レンザが椅子に座ると、レンドルフは聞きたいことをすぐに尋ねてもいいものか少しだけ落ち着きがなくなっていた。レンザはその内容も、レンドルフの心情もすぐに理解して、淹れてもらった紅茶に手を付けずにすぐに切り出した。
「解毒薬は無事に到着しましたよ」
「…ああ、ありがとうございます」
レンドルフはその言葉に、全身から力が抜けたように安堵の溜息を漏らした。そしてレンザから解毒は数回に分けて少しずつ行うことと、ひとまず一度目の解毒は無事に終了したことを報告された頃には、レンドルフの目は潤んで赤くなっていた。
「一瞬ですが意識を取り戻して、僅かですが受け答えも出来たそうです。まだどんな後遺症が残るかは分かりませんが、視覚、聴覚は機能していることと、脳への影響も少ないだろうとの見解です」
「本当に良かった…」
「貴方のおかげです。いくら感謝しても足りません」
「俺も助けていただきました。俺からも感謝を」
「しかし、助けていただいた側が言うことではありませんが、随分と無茶をなさいましたね」
レンドルフが体を張って放たれた魔道具を止めてくれなければ、折角作った解毒薬はあの場で破損していただろう。そうなったとしても諦めずに薬草を探せば見つかったかもしれないが、調薬の回数が増えればそれだけ狙われる危険も増えるということだ。場合によってはレンザが命を落としていたかもしれない。レンザに万一のことがあった際は、ユリの師匠に当たるセイシューに調薬を頼んではあった。しかしそちらも妨害されたかもしれない。
ユリに解毒薬を送ることが出来たのは、ひとえにレンドルフが命懸けで活躍してくれたおかげなのだ。
「きっと後で両親や兄達に叱られます。頭では分かっているのですが、どうも昔から我を忘れてしまう癖があるようで」
「ユリにも叱られたことがあるでしょう?」
「は…はい。お恥ずかしながら」
ユリには常に大公家の影が張り付いているので、レンドルフとの会話はレンザに筒抜けだ。その報告を聞くに、レンドルフはどうも自分の頑丈さを過信しているのかそれ以外の理由があるのか、すぐに自分のことを犠牲にして目の前のことを遂行しがちな傾向があるようだった。犠牲というよりは、自身のことに頓着がないと言った方が正しいだろうか。それに居合わせたユリが半泣きになって怒ったりしたのだが、いつもレンドルフはユリや周囲の無事を真っ先に喜ぶばかりで行動は変わらないのだ。最近ではユリの方が手段を変えて、とにかくレンドルフの怪我は一旦受け入れて、いかにして素早く効率的に治療するかに切り替えていた。
王族や貴人を身を呈してでも守る近衛騎士としては正しい行動なのかもしれないが、それを解任された今も身に滲み付いているのは決して褒められたものではないとレンザは考える。それに辺境領へ向かう道中で、クロヴァス家の家訓は「生きていることが正しい」なのだと聞いていた。それを分かっているにしてはレンドルフの行動はどうにも捨て身が過ぎるようだった。
「きっとこれがバレたらユリさんにも叱られますね」
「そうでしょうね」
「でも…」
レンドルフは自分の手元に目を落として、すっかり赤くなった目元をフッと柔らかく細めた。
「ユリさんを助けられたなら、良かったです」
「…そうですか」
本当ならば、まだ若いレンドルフにはそんな戦い方はするべきではないと忠告をすべきだとレンザは分かっていたが、あまりにも幸せそうな表情で口にしたレンドルフに何かを言うのは止めることにした。今ここでレンザが言っても、彼の芯までは染み込まないと思ったのだ。
(これは、相当根が深そうだ)
いつものレンザならば、ユリ以外は身内であっても不利益だと判断すれば容赦なく切り捨てることが出来るだけの冷静さを有している。レンドルフもユリの命の恩人であるが、その分程度の恩は既に返している。ユリの身を守りつつ防波堤になるのなら、今後もレンドルフはいくらでも利用価値があると頭では考えていた。ユリの為ならば、進んで自らいくらでも身を呈してもらって構わないのだ。
しかしレンザの心情としては、この若者のそんな無謀な癖をどうにかしてやれないものかと思う自分もいた。どうやらすっかり絆されてしまっているのを自覚すると同時に、大公家の人間はクロヴァス家の者を気に入る傾向にでもあるのだろうか、と密かに内心苦笑する。
「あまり、ユリを泣かせないでくださいね」
「……努力します」
それでもつい口に出してしまったレンザに、レンドルフはしばし逡巡した後に困ったような笑顔で頷いたのだった。
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レンドルフの部屋を辞したレンザが廊下を歩いて行くと、途中で昼食のワゴンを自ら押して歩いているバルザックと顔を合わせた。クロヴァス家の面々はレンドルフを随分可愛がっているようだが、この次男は特に溺愛していると聞いていたし、昨日の僅かなやり取りでもそれはレンザにも十分伝わっていた。
「アレクサンダー殿。レンドルフの見舞いでしたか」
「はい。無事に解毒薬が王都に届いたとご報告をしておりました」
「そうか……その、昨日は失礼な真似をしました。弟のことになると感情的になってしまいまして。申し訳ありません」
「謝罪をお受けいたします。どうぞお気になさらないでください。こちらの事情で負傷させてしまったのは事実ですから」
まだバルザックは何か言いたげだったが、ワゴンの昼食が冷めてしまうとレンザに促されて会話を切り上げる。
「あの!」
すれ違って数歩離れると、バルザックの思い詰めたような声がレンザの背中に掛けられた。レンザが振り返ると、熊のような厳つい大男がまるで子供のような不安気な顔をして佇んでいた。万一ディルダートを誰かに見られた時に誤摩化せるようにバルザックも髭を伸ばしていたが、もう既にその必要はなくなったので全て剃り落としていた。そんな彼の素顔はディルダートに生き写しで、レンドルフと似ているところを捜す方が困難な程かけ離れている。
「弟は…レンドルフは、王都でどのように暮らしているか、ご存知でしょうか」
「…共通の知り合いがおりますので、人伝程度でしたら」
「あいつは、幸せにしていますか?」
妙に切羽詰まった様子のバルザックに、レンザは少しばかり面食らって目を瞬かせた。しかしその真剣なまでの表情に、レンザは慎重に言葉を選びながら答える。
「私はそこまでは存じ上げませんが、友人と過ごすときは楽しそうにしている、とは聞いております」
「そう、ですか」
「それはご本人に聞いた方がよろしいのでは?」
「あいつは…弟は、昔から人の気持ちを慮ってばかりいるので…いや、これは家族の問題でした。教えてくださり、ありがとうございました」
バルザックはレンザに一礼すると、足早にワゴンを押してレンドルフの部屋に向かって行った。その大きな背中を見送りながら、レンザは「後ろ姿は似ているな」と思ったのだった。
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外は祭のような賑やかな騒ぎになっていたが、敷地の奥まった場所にひっそりと建つ離れは別世界のように静かなままだった。
「あと数日は落ち着かないと思いますわ」
「前ご当主殿が生還されたのです。領民達の喜びもひとしおでしょう」
この街の中心を貫く街道に面している別荘は窓を開け放てば表通りの喧騒が届くが、その奥にある離れには一切届かない。そこで泊まっているレンザは、アトリーシャと向かい合って晩餐を共にしていた。これまでは死んだことになっていたディルダートも一緒に食卓を囲んでいたのだが、彼は祭の主役としてあちこちに招待されて領民達と飲み交わしているので不在だった。
アトリーシャは最初の挨拶回りには付き合ったが、事後処理が残っているので早めに引き上げていた。それに領民達の盛り上がりからすると、宴は深夜まで続くだろう。おそらく浴びる程に酒を勧められるであろうディルダートの為に、手ずから酔い覚ましの薬湯を準備しておくつもりだった。
「閣下のご予定はどうなさいますか?解毒薬が完成すればすぐに王都に戻ると伺っておりましたが」
「あの街の様子では、少し落ち着くまでは出発するのは難しいでしょうね」
領主を引退してこの保養地に暮らしているディルダートは、この地の住人達に非常に愛されている。その為街中のあちこちでお祭が繰り広げられている状態で、少し落ち着くまでここから王都に向かうのには時間が掛かりそうだった。
「可能であれば、私はレン殿と共に王都に戻ろうかと思っています。それまで申し訳ありませんが、こちらにご厄介にならせていただけるとありがたいです」
「そうしていただけますとこちらとしてもありがたいのですが…閣下はよろしいのですか?」
「急ぎ孫の元に駆け付けたい気持ちは勿論ありますが、今のところ治療は順調だと報告が届いております。それに、レン殿と行動を共にした方が互いの安全の為でしょうし」
王都から辺境領に来るまでには、スレイプニルに引かせた大公家の所有する馬車で同乗して来た。そうすることで互いに守りを固めていたのだ。もしそれぞれが別に帰還すれば、互いの戦力が落ちるのは間違いない。少なくともレンドルフは一頭のスレイプニルと、彼が乗るには小さい馬車で単身向かう予定だったのだ。片道とはいえ、完治していたとしても重傷を負ったばかりで長距離の移動はさすがにレンドルフでも厳しいだろう。
それに解毒薬を送らせまいと仕掛けて来た襲撃者の最大の障壁になったのがレンドルフだ。恨みを買っていないとは言い切れない。
「クロヴァス領から王都まで護衛を付けることも出来ますが、いらした時と同じように閣下とご同道できるのであればこれほど安心なことはございませんわ」
「私としてもレン殿を安全に王都に送り届けねば、孫に叱られてしまいますからね」
「閣下がいてくださればあの子も無茶はしないと思いますわ」
アトリーシャは心底安堵したように大きく息を吐いた。
「踏み込んだことだとは重々承知ですが…ご子息はあまりにも…その、騎士道精神と言いますか」
「自己犠牲が過ぎると?」
「有り体に申せば」
レンザは言葉を選んだのだが、アトリーシャの返答はレンザが思っていたことそのものをズバリと口にした。そう言いながら、彼女は感情を表に出さない貴族的な薄い微笑みを浮かべた。
「…誰が悪いという訳ではないのです」
アトリーシャの呟きは小さく、レンザに言うよりも自身に言い聞かせているような印象だった。少し伏せられた目と白に近い水色の髪と同じ色の睫毛が、ほんの少しだけ震えているように見えた。その長い睫毛に縁取られた目元は、レンドルフとそっくりだった。
「閣下、少し長い話になるかもしれません。それでもお付き合いいただけます?」
「勿論です」
二人は晩餐を終えると、そこから応接室に移動した。
部屋の中には、年期の入った薪ストーブが置かれていて、既に火が入っていて部屋の中はフワリと温かかった。クロヴァス領の家屋は、全体的に各部屋が小さめに作られている。それは冬場の薪を効率良く使う為の生活の知恵だ。
アトリーシャが申し付けて、ローテーブルの上にワインと蒸留酒が準備され、ドライフルーツが並べられた。この季節のクロヴァス領では、肉以外は保存の利く食糧が中心になる。ドライフルーツは王都で売られているものよりもしっかりと乾燥させてあって固いため、最初から細かく切られていた。
「…よろしいのですか?」
「この土地で旦那様がいる以上、わたくしの不貞を疑うものはおりませんわ」
全てを用意させると、アトリーシャは侍女も席を外すように指示を出した。淑女中の淑女と言われる彼女にしては軽率ではないかとレンザは訝しんだ表情を隠さなかったが、アトリーシャは全く気にも留めない様子でクスクスと笑った。
完全に二人だけになると、アトリーシャは視線を僅かに下に向けて、何かを思い出すかのようにゆっくりと語り出した。
「あの子は、人の気持ちに聡いところのある、優しい子なのです」
細く紡がれる彼女の柔らかな声に被るように、部屋の隅にある薪ストーブの中から少し大きめにパチリと爆ぜる音がしたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
次回からしばらくレンドルフの過去編になります。お付き合いいただければ幸いです。