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40.【過去編】書類山脈はどこまでも高く

前回の話より、少しだけ時間が遡ったステノスサイドの話です。



時は少し遡り、スラム街解体作戦直後。



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「あ〜〜〜どいつもこいつも!」


ステノスは机の上に山積みにされた書類を投げ出して、ガリガリと頭を掻きむしった。警邏隊の制服の上着は無造作に椅子の背に掛けられていてシャツ一枚になって、それも第二ボタンまで外されお世辞にもきちんとした身なりとは言えない状態だった。しかしこの部屋にいるのはステノス一人だったので誰かに気を遣う必要もなかった。


「はーい、追加入りましたぁ〜」

「もう持って来んな!」


まるで夜の酒場のような甘く鼻に掛かったような高い声が響いて、女性が一人書類束を抱えて入って来た。ステノスは思わず大きな声を出していたが、彼女は大きな声を出されても平然とした様子で、何事もなかったようにステノスの前に新たな書類の束を置いた。

彼女の名はカナメと言い、ステノスと同じく警邏隊の制服を着ていた。カナメは大変小柄であったが顔立ちは大人びた美女だった。吊り上がったアーモンド型の目や、クッキリと口角を上げた形に紅を引かれた唇は猫を思わせる。紫の真っ直ぐな髪を肩の辺りで切り揃えて、何故か襟足の一部だけを長く伸ばして首の後ろで束ねていた。


「仕事ですよ、し・ご・と。お給料分は働かないと」

「うっせえよ。ちったぁは手伝ったらどうだ」

「アタシは給料分は働いてまーす。じゃ、お先でーす」

「おい、待てよ、カナメ!」


ステノスを置いてさっさと帰宅しようとするカナメの手を掴んで止めようとしたが、掴んだ手の平にチリッとした痛みが走って手を離してしまった。


「あら〜結構優秀。ちゃんとご報告しなくちゃ」

「また妙な魔道具の試作品付けてんのかよ」

「か弱い女性が身を守る為の護身用の魔道具です。それ、毛虫毒ですから、早めに手を洗った方がいいですよ」

「早く言えよ!」

「勝手に女性に触れようとするのが悪いんです。いい加減覚えてください。もう昔みたいに若くもなければ細くもないんです。それにそもそも国も時代も違うんですよ」

「耳が痛ぇな」


ステノスは見る間に赤く腫れて来た手の平を見て、慌てて部屋の隅に設置してある洗面台で手を洗っていた。


「仕方ないですね。弟に声を掛けておきます。今日のノルマが終わり次第向かうように言伝ます」

「ええ〜あいつかよ」

「要らないならそのまま帰りますが?」

「よろしくお願いします」


ステノスが素直に頭を下げると、カナメは満足そうに微笑んで上着のポケットから痒み止めの軟膏の入った小さな瓶を机の上に残して、颯爽と部屋を出て行った。通常なら回復薬を掛ければすぐに治るのだが、ステノスはあまり回復薬が効かない体質だった。それを知っていて軟膏を用意しているところがさすがと言うか、小憎らしいと言うか、とにかくステノスは複雑な感情で彼女の背中を見送った。



手を洗ってもどんどん痒さが増して来るので、ステノスは急いで手を拭いてその軟膏をべったりと塗り付けた。その軟膏はすぐに効果が現れて痒みは治まったが、その手では書類が捲れないことに気付いてこれ以上ない程渋い顔になったのだった。



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「先程から一向に山が減る気配がない気がするのですが」

「そう思ったら負けだ。今は無心で一枚一枚処理して行け」


しばらくしてカナメからの言伝を聞いたのか、彼女の弟でもあるヨシメが部屋を訪れた。彼はカナメと血の繋がりがあるのかと誰もが一度疑いたくなる程に長身で体格が良く、丸坊主にしているため強面ではないのだが近寄りがたい雰囲気がある。日々体を鍛えて美しい筋肉を作ることをノルマとしていて、彫刻のような見事に引き締まった体を誇示するが如く直に制服の上着を着込んで、その前を常にはだけている。年中前を開け放っているので冬場は近くで見ると鳥肌が立っているのだが、それでも頑なにシャツを着ようとしない。最近では直接制服が汗を吸い込むので誰よりも洗濯回数が多く、どことなく一人だけ生地の紺色が白っぽくなっていた。


ヨシメはノルマの筋トレの汗を流さないままステノスの手伝いに来たので、どことなく全身が濡れてツヤツヤしている。そのせいか、部屋の湿度が上がって書類も心なしか湿気を吸ってしっとりしているような気がした。



「これじゃキリがねえな。今日は食堂の閉まる一時間前までやって上がることにしようや」

「はい」


ステノスはそう言って時計を確認して時間を決める。警邏隊の敷地内にある食堂が終了する時間まで三時間程あった。残っている書類の処理は到底今日中には終わらないので、どこかで区切りを付けなければ効率も落ちる。



彼らは、先日のスラム街解体作戦の報告書を読んでいた。幾つもあったスラム街での捕縛状況と、それにあたった駐屯部隊と警邏隊の実行部隊が一覧になっている。そして極秘裏に各部隊に潜ませた諜報役の隊員が作成した報告書と突き合わせているのだが、次々と問題が浮き彫りにされて報告書の報告書まで作成されるような状況に陥っていた。


最初は、エイスに派遣している駐屯部隊の騎士達の中で、賄賂や恫喝じみた行為が横行しているという密告だった。ちょうど、エイスの街を含む中心街以外の広域の治安を守っている警邏隊の規律が乱れているとの情報も寄せられていたこともあり、それらが真実かどうかを見極める場にスラム街解体作戦が利用された。

勿論、問題になっていたスラム街を一掃することが最大の目的ではあったが、ついでに駐屯部隊と警邏隊の問題もまとめて片付けしてしまおうというのが上層部の判断だった。



もともとステノスは、数年前にとある貴族の子飼いの諜報員として警邏隊に潜り込んでいた。そこで実力を発揮して、それなりの役職に就いていたのだ。その雇われ先である貴族がこの作戦に関わっていたこともあり、ステノスが立場上警邏隊のまとめ役として指名されていた。

カナメとヨシメの姉弟は、ステノスとは別の貴族から派遣されていた諜報員だったが、同じような任務を命じられるせいか別現場でもよく顔を合わせていてすっかり馴染みのようになっていた。この警邏隊への潜入任務も、互いに似たようなことをしているのだから、と暗黙の了解で上司と部下のような関係になっていた。勿論あまり馴れ合い過ぎると互いの雇い主から刺客でも送られて物理的に首が飛びかねないので、それなりに牽制しつつ持ちつ持たれつの間柄だった。



作戦が実行に移された際、幾つかの拠点でスラム街の住人の抵抗や逃亡が見られた。彼らはまるで正確に作戦実行の日時を把握していたかのように準備していたのだ。

ステノスは、ほんの少しずつ、作戦には影響が出ない程度に異なる命令を各実行部隊に伝達していた。捕らえたスラム街の住人からその情報を聞き出せば、どの実行部隊に情報漏洩者がいたかを炙り出せる。その結果、駐屯部隊側が多いと思われていたのだが、残念ながら警邏隊にも多数存在していたことが明らかになった。


「思ってた以上に警邏隊所属が多いですね。面倒なんで、全部駐屯部隊に異動扱いにしておいていいですか?」

「それは思っても口にしちゃダメなヤツだろ!」


ヨシメが思わず本音を口走ったが、ステノスも気持ちは分かると思いつつ一応否定しておく。駐屯部隊の違反者は騎士団に報告書を丸投げして処遇を任せてまえば終了だが、一応警邏隊の役職者に名を連ねている身としては、少なくとも警邏隊の方はそうはいかない。取り調べをして懲罰なり異動なりの処遇の後に人員補充など面倒な手続きが待っている。

いつからそうなったのかは不明だが、予想以上に駐屯部隊も警邏隊も腐敗が進んでいたようだ。ここでどちらも一掃してしまえば随分と風通しも良くはなるが、その実務をする者からすれば堪ったものではないというのもまた事実であった。


「この調子で行くと、警邏隊も人手不足になるなあ。いっそ今回捕まえたスラムの奴らから良さそうなの引っ張り込むか」

「さすがにそれはマズいでしょう」

「もともと運と要領が悪くて食い詰めたようなのもいるからな。ちょいと鍛えてやればモノになりそうな若いのもいるんだよな…」

「それを鍛えるのはステノスさんがしてくださいよ」

「ちっ…先手打ちやがって」



それから二人は黙々と書類の山を片付けようとしたが、その歩みは遅々として進まず、結局食堂が閉まる数分前に慌てて駆け込んで、明日の準備を始めようとしていたシェフを拝み倒して軽食を作ってもらったのだった。



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「今度は流行病かよ…」


緊急で上がって来た書類を見て、ステノスは頭を抱えてしまった。



そこには、処遇が後回しになっていた騎士団の施設預かりの孤児達の中で、流行病が発生したという報告だった。

この流行病は、かつてオベリス王国の人口を半分近くにまで減少させた程に猛威を振るった病で、数十年前に終息はしたものの完全に撲滅した訳ではない。時折思い出したかのように患者が発生し、大流行には至らないがそれなりに被害が出る。発生の原因が未だに判明していない為に効果的な薬もなく、上級の回復薬を使用して運が良ければ助かる程度、という厄介な病だ。一部ではこの病は「神の怒り」という迷信を信じている者もいるが、それならば腹黒いが金のある者が高額な回復薬で助かるというのもおかしなものだとステノスは思っている。


不幸中の幸いと言うべきか、スラム街の住人の処遇を優先して孤児達は後回しになって別施設に収容されていた為に、その施設内だけで他に感染は広がらなかったらしい。



「数字だけで見りゃ最小限だが、な」


しかし、感染した者からすれば生死が掛かっている。少なければいいというものでは決してない。ステノスの手元にある報告書は、最初に発症した者が一名、既に亡くなっていた。そして罹患者は10名を越えている。


「こりゃますます子供達は動かせんな」


発症した子供達は隔離されているが、そうではない子供にもこれから症状が出ないとも限らない。今のところ公にならないように情報は統制されているようだが、もしどこかから情報が漏れれば一悶着起きるのは必至だろう。現在孤児達を収容しているのは、広さの都合でエイスの街ではない騎士団の収容施設だ。エイスの街から病が持ち込まれたと噂が立とうものなら、いくらきちんと隔離していることや、無理に移動させるほうが感染を広げることになるとどんなに説得しても心情として追い出す流れになるだろう。そんな感情的な相手との話し合いは、理性を保っていた方が押し切られるのが常だ。



「それと…こっちも気になるんだが、時間が…時間がねぇ…時よ止まれ!!」

「大丈夫ですか?頭」


思わずステノスが渾身の祈りを空に向かって捧げた時、カナメが部屋に入って来て冷たい視線を向けた。


「あーもうどうにかなりたい。……で?今度は何だ」

「話が早くて助かります。先日気にされていた不自然な移送先に関してです」

「おう、助かったぜ。それとカナメ、帰りがけで悪いが、医務室で上級の回復薬を仕入れるように言ってくれ。取り敢えず急ぎで一本」

「支払いはどちらに?」

「ひとまず俺個人で」

「了解しました」


あと五分程でカナメの勤務時間が終わるので、いつもならば何かを頼んでも断られるのがオチだが、さすがに流行病の件は耳に入っているので拒否はされなかった。流行病に多少なりとも効果があるのは上級の回復薬だけだ。おそらく収容施設からも申請は出ているだろうが、この作戦については上層部で様々な利権が絡んでいるので正規の申請では予算が降りて更に現物を手配されるまでに時間がかかる。ステノスは取り急ぎ個人で購入する名目で発注を頼んだ。

ステノスの目的を察しているであろうカナメは、いつもよりも柔らかい笑顔で彼の依頼を引き受けたのだった。



ステノスは心の中で、今後しばらくは飲む酒のグレードを落として節約しなくては、と回復薬の金額を思い出しながらカナメが持って来た書類を手に取った。取り急ぎの対処なので、後で申請すればきちんと薬代は国から支払われるのは分かっているが、そういったものは大抵処理が遅い。数ヶ月は我慢が必要だろう。とは言うものの、ステノスの中では酒自体を控えるという考えは一切ないのであるが。



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「…やっぱりおかしいな」


捕縛された者達の中で、犯罪を行った者とそうでない者の区分けが行われ、現在は罪状が決まった者から次々と刑罰の執行が行われている。今のところ死罪に値するような重罪人はいないが、もともと逃亡中の犯罪者が隠れ住んでいたりしたので、終身の犯罪奴隷は数名出ていた。終身でなくとも悪質な犯罪や、繰り返し犯行を行っていた重犯罪者も長期の犯罪奴隷の刻印を刻まれて、鉱山での採掘や土地の開墾などの重労働を科せられる。犯罪奴隷の刻印は魔法で刻まれるもので、服役期間は消えることがなく、移動や行動も制限される。これらは目立つところに施され、上から色を塗っても隠蔽工作を行っても効果がないようになっている。

長期になるまでの罪状ではない軽犯罪を犯した者は、事情を考慮された上で期間や罪状を決められ、短期で消える刻印を付けられて労働や奉仕などを行って罪を償う。こちらは服の下などの目立たない場所に刻まれるので、日常生活にもそれほど影響はない。

ただしどちらも罪人ではあるので、再犯や逃亡などを行おうとした場合、その刻印が即座に体の自由を奪うように定められていた。



ステノスの手元には、罪状が確定した者とその行き先が書かれた一覧がある。そしてカナメが持って来たリストには、その犯罪奴隷達が移送されたルートの馬車や船の乗った人数と下ろした人数が記載されている。それを照らし合わせると、やけに重罪の長期犯罪奴隷の受け入れ先が偏っていた。

重罪の犯罪奴隷を受け入れる先に鉱山や未開の土地がなければならないのは当然であるが、行動が制限されているとはいえ犯罪者を受け入れるのをよく思わない領主も多い。国が補助金や税の軽減などの優遇措置をするので、どうにか受け入れてもらうような現状だった。

軽犯罪の者は、重罪の者に比べればまだ受け入れ先は多いが、それでも歓迎されるものではない。その為、積極的に受け入れをしてくれる領地は貴重ではあった。


「昔っから受け入れの多い領地もあるが…ここ最近や今回に限りやけに多く受け入れてるとこもあるな。何だかキナ臭ぇな…」


荒れ地が多く、いくら開墾しても農作物も育たなければ他の産業にも転用出来ない土地を多く持つ領主などは昔から犯罪奴隷達を多く受け入れることで領を運営している。そういった場所を除いて丁寧に書類を突き合わせていると、やがて三カ所の領地が浮かんで来た。ここ最近犯罪奴隷の受け入れを増やして来たか、今回に限り不自然なまでに多数受け入れているところだ。


「伯爵家が二つと、子爵家…ノーザレ子爵と言やぁ前に息子だか娘だかが問題起こして降爵したとこだな。まだ懲りてねぇのかね」


ステノスの記憶では、二つの伯爵家のうち一つは人柄は悪くないが多額の借金を抱えているという情報を掴んでいた。もう片方は最近新たな鉱脈らしきものが発見されたが、それが何の鉱脈なのか調査中という噂は流れて来ている。借金返済の為に犯罪奴隷を多数受け入れて、国の補助金と徴税軽減を当てにしているというのはよくある話だ。鉱脈も調査などには危険と人手が必要になる。その為に今回急遽受け入れを増やしたというのもそれなりに納得行く理由だ。


そしてノーザレ子爵家は、最近まで侯爵家であったので、爵位こそ低いがそれなりに広い領地を有している。その中には鉱山も保有していたので、元々犯罪奴隷の受け入れは行っていた。しかしこれまではそこまで多くはなかった筈である。

ノーザレ家は小国とは言え他国から王女が降嫁して来ていたような血筋だった筈だ。詳しい話までは調べていないが、婚約破棄騒動を起こして王族の怒りを買って爵位を落とした話は有名だった。現当主の夫人はかつて社交界ではトップに君臨していたが、裏では「大輪の毒花」と囁かれていた筈だ。子爵位に落ちたものの、以前と金遣いの荒さは変わっていないと聞いている。その為の資金源として、鉱山の採掘量を増やしたいのかもしれない。


どの領地もそれなりに理由はあるし、心情的には子爵家が最も怪しいところだが、浮かんで来た伯爵家の調査も外せないだろう。



「そこに送られた犯罪奴隷達の情報も欲しいとこだな……あ〜〜〜時間が足りねえ」


既にスラム街解体作戦から半月以上が経過していた。捕縛した罪人の確定は通常よりもはるかに早い速度で対処されているのだが、如何せん人数が多い。それに罪状の確認に手間がかかる上に、上層部からは絶対に間違いがないようにとやたら圧が強い。何せ王族が直々に後ろ盾についているのだ。今回の作戦遂行に関わりたい貴族は多かった。その中で色々と手を回して苦心して掴んだ機会の為、そこからあぶれた他の貴族達が粗を探して成り代わろうと虎視眈々と目を光らせていた。


ステノスはもはや山になり過ぎて緊急の意味を問いたくなるような「緊急」と書かれた封筒の中を確認しながら、今日もシェフに愚痴られるのを承知で閉まる直前の食堂に駆け込む時間までひたすら書類に追われていたのだった。


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