416.レンドルフの手柄と誤解
レンザの訪問に、ディルダートとアトリーシャは視線を交わしてから「用件は伺いましょう」と許可を出す。この場でレンザが大公家当主ということを知っているのはこの二人だけになる。
他のクロヴァス家の人間には、「とある高貴な方に使用する解毒薬の素材を秘密裏に採取する為に辺境領に来た薬師」と伝えてある。表向きはアスクレティ大公家の名代として葬儀に参列する為、王都からレンドルフと共に来たことになっている。そしてレンドルフが協力して薬草探しをしていたのも内々に告げていた。
「面会をお許しいただきありがとうございます」
「いいえ。お体の方は大丈夫ですの?」
「完全とは申せませんが、大分回復いたしました」
入室を許されたレンザはまだあまり顔色は良くなかったが、下位貴族として不自然ではないスーツに着替えて、所作は美しく背筋がきちんと伸びていた。ふらつくような様子もなかったので、ディルダートとアトリーシャはそっと安堵した。
まず用件を聞こうと椅子を勧めたのだが、レンザはその前にクロヴァス家の面々に向けて深々と頭を下げた。彼が大公家当主だと知っているディルダートはギョッとして目を剥いたが、幸いにも毛深さのおかげで動揺は表に殆ど出ていなかった。さすがにアトリーシャはキッチリ内心の動揺は完璧に隠し切っている。
「ご子息に怪我を負わせたこと、誠に申し訳ございません」
「あ…いえ、それは」
「それは、襲撃者に覚えがあるということだろうか」
思わず言い淀んだディルダートに、バルザックが口を挟んだ。その口調は不機嫌さを隠さず、感触があったならばヒヤリとした鋭い切れ味の刃といったところだろうか。レンザの正体は知らせていないので、この場では辺境伯当主のダイスに次ぐ身分ということになっている。だからこそ一応大公家に繋がりはあるものの下位貴族風になっているレンザに対する態度としては間違ってはいない。しかし事実を知っているディルダートは、聞こえない程度ではあるが一瞬息を呑んだ。
「おそらくは」
「その者の名は」
「それはご容赦ください」
「言え!」
「ザック!」
レンザに向けて剣呑な気配を隠そうともしないバルザックを、ダイスが強い声で制した。顔はよく似ているが、考えるよりも早く体が動くダイスとは正反対で、バルザックは一歩引いたところで冷静に物事を見る性格だ。今のように感情的になることは珍しい。溺愛しているレンドルフが重傷を負っているところを目の当たりにしてしまったせいだろう。
さすがに兄の叱責混じりの制止に、渋々といった風にバルザックは少しだけ体を後ろに引いた。
「解毒薬を必要とされているのは、第一王女殿下でございます」
「…っ」
感情のない静かな声でレンザが告げた言葉に、部屋の中にいたアトリーシャ以外の者が一斉に反応を見せた。ディルダートは大公女の為であると知っているが、まさか第一王女の話になるとは思っていなかったので息子達とは別の意味で驚いたのだった。
「…分かった。私は席を外しましょう」
「ザック…」
「兄上、私はレンドルフの看病に行かせていただきます。お話は後程兄上が私に話すべきか判断してください」
「ああ。レンドルフは任せた」
少しの沈黙の後、バルザックが席を立った。背もたれに積み上げた服の重みで椅子がグラリと傾きかけたが、すぐに回収したので元に戻る。
バルザックはクロヴァス家の次男ではあるが、今の籍は婿入りした隣国にある。クロヴァス家は家族ではあるが、立場としては他国の人間なのだ。今のように密室で王族にまつわる話は、バルザックは聞くべきではない。家族としてこの場限りの話として他言はするつもりはなくても、万一誰かにこの場にバルザックがいたと知られればややこしいことになりかねないからだ。
バルザックとしてもレンドルフの怪我の原因は問い質したかったが、それで家族に害が及んでは本末転倒だ。複雑な気持ちを堪えて立ち上がったバルザックに、ダイスは眉を下げてそれに答えた。
立ったままのレンザの脇を無言で通り過ぎて出て行くバルザックに、レンザは静かに頭を下げたのだった。
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「その…王女殿下に解毒薬が渡ることを阻止しようと何者かが狙ったと?」
「その可能性も考えられます」
バルザックが抜けた後、改めてレンザに椅子を勧めて話を再開する。
内々での家族会議ならばほぼアトリーシャが仕切るのだが、外部の者が入ったことで最も身分が上のダイスが代表して尋ねた。そしてレンザの曖昧な答えに、思わず眉を顰めてしまった。
「では他の可能性とは?」
「大公家が狙いかと」
その答えに、ダイスはヒュッと息を呑んですぐに二の句が継げなかった。
「その根拠はございますの」
「ええ。詳しくは申せませんが、王女殿下が毒を盛られたのは大公家に縁の深い場所でありました。そしてそれよりも少し前から、各地で解毒薬に使用する素材が不足しております」
「アレクサンダー様がそう仰るということは、それが仕組まれたものだと確証があるのですね」
「…法廷の場に出すには少々厳しいでしょうが」
「そう…」
ダイスに代わって訊いたアトリーシャも、レンザの答えに眉根を寄せた。
レンザがこう言うということは、それなりに違法行為で集めた情報も含まれているのだろう。それは確実なものではあるが、正式には表に出せない。
表向きはディルダートの葬儀に参列する目的の裏で、第一王女アナカナに使用する解毒薬に必要な薬草を求めて辺境に来たことになっている。大公家が関わる場所で毒を盛られた上に解毒薬が用意できずにいたとすれば、責任を取るまでは行かなくても「薬の」と二つ名を持った大公家の評価はかなり痛手を負うだろう。それに実際はその解毒薬は大公家唯一の直系のユリに使用するもので、もしそれが用意できなければ直接的な大打撃になる。
どちらにしろ大公家にとっては避けたい話だが、幸い解毒薬は完成して王都に送ることが出来た。あとは無事に大公家の者の手に渡って治療が開始できれば良いが、まだ到着していないのか続報は来ていない。それでも特別な伝書鳥は、一度見失ってしまえばまず外部の者に見つかることはない。ユリの為の医療班の手に渡ることは確実なので、少なくとも相手の思惑の半分は潰せた形になった。
「これはわたくしの失態です。旦那様が亡くなったと聞いたことで動き出す有象無象を牽制して欲しいと大公閣下にお願いしてしまったばかりに、不埒な考えを抱く者を引き寄せてしまいました」
「しかし母上、もしかしたら隣国からの間者の可能性も捨てきれません」
「ダイス、今は証人が誰もいないわ。間者なのか王女殿下を狙ったのか、それとも大公家を貶めようとした者だったのかは知りようがないの」
「そのどれであっても、我が領地には不利益なことばかりでしたね…父上とレンドルフが止めていなければ…あまり考えたくないですね」
ディルダートの話によると、最終的にレンドルフが体を張って相手の攻撃を阻止したおかげで、紙一重で解毒薬は無事だった。万一相手の思惑が成功していたら王家と大公家に対する失態、どころか、話を捩じ曲げられたらクロヴァス家が両家に翻意ありと取られる事態になりかねない。相手が隣国の者だったとしても、間接的に王家を狙った者を国内に侵入したことを阻止できなかったとして、国境防衛の要としての辺境伯も相当に痛手を負う。
今更ながらダイスはそのことを思うと、この季節なのに背中に汗が伝うのを感じていた。
「経過としては思わぬこともありましたが、目的は無事に果たせました。辺境伯様、ご一統様にはご厚情をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます」
「い、いや…こちらこそ、我が弟の治療に貴重な薬を惜しげもなく使っていただいたこと、誠に感謝する。それに、襲って来た者は捕らえられなかったが、貴殿のおかげで領内に潜む間者をかなり捕縛出来たのも事実だ。今すぐにとは参らぬが、必ずや恩をお返しいたしましょう」
「ありがたきお言葉ではございますが、私はただの名代に存じます。どうぞその旨は大公様に」
「分かった。貴殿の活躍は、大公閣下に余すところなく伝えさせていただく」
「恐れ入ります」
知らないこととは言え、当人に向かって当人を褒め讃える報告をするのか…と側で聞いていたディルダートはダイスの発言に少々複雑な気持ちになった。
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レンザの顔色がまだ回復していないのと、これ以降は身内で検討することも出て来るのでこれでレンザには席を外してもらうことにした。彼も少しホッとしたような表情で、再度丁寧に頭を下げると部屋を後にした。
慣れた身内だけになると、ダイスは当主の仮面を脱いでゆるゆると力を抜いて背もたれに体を預けた。さすがにもう10年以上も当主をしていれば堂々と振る舞うことは板に付いて来ているが、やはり政治的な方面のやり取りは得意ではない。
「…思っていたよりも大事になっていましたね」
静かに話を聞いていたディーンも大きく息を吐いた。
王都や大公家などとは遠く無縁でいた辺境で、まさかそんなことになるとは夢にも思っていなかったのだ。クロヴァス家は王家に忠誠を誓う古い家門であるが、それはこの国の一員としてごく当然のことだ。ただ領民を守る為に国境の森から出て来る魔獣を討伐し、不利益をもたらさぬように隣国を警戒している。互いに領域を侵すことがなければ自国とも隣国とも対立するつもりはないし、国境を平穏に保つことが引いては国を守り王家への忠誠の形となっているだけだ。
「少し予定していた話を変える必要があるわね」
本来は、父の遺品を探そうと亡くなったとされる山で探索をしていたバルザックが、怪我をして動けなくなっていたディルダートを発見して連れ帰る、という筋書きだったのだ。しかし負傷したレンドルフを背負ってディルダートが戻って来たのをかなりの領民に目撃されている。バルザックが保護して連れ帰ったとはとても見えない。髭を伸ばしていたのですぐにディルダートとは分かりにくかったかもしれないが、ディルダートが別荘に到着した直後にバルザックも帰還したので別人とは誤摩化せないだろう。
「そ、それでは書簡は書き直した方が…」
「それはそのままで良いのではないかしら。見つかった詳細までは書く必要はないのだし」
「そうですか…」
ディルダートの訃報の訂正を知らせる書簡を頑張って書き終えていたダイスの顔色が悪くなったが、書き直しにならなくて明らかに安堵していた。魔獣討伐には無類の強さを発揮するダイスだが、机に座って行う作業が大の苦手なのだ。分かってはいたが父親の少々情けない姿を見て息子のディーンはそっと溜息を吐いてしまい、隣にいた妻のエミリアがテーブルの下で手を握り締めるという可愛らしいやり取りがあったのだが、そんな息子夫婦にダイスは全く気付いていなかった。
「この際、旦那様には誘拐されていたことにしましょうか」
「ゆ、誘拐?俺をか!?」
年を重ねても未だに辺境最強の名を冠しているディルダートに、これほど似合わない言葉もないだろう。そんな事を言われてディルダートもパカリと口を開けて目を丸くしてしまった。
「確か旦那様の代わりに棺に入っている間者には、生まれ故郷から呼び寄せた幼馴染みの婚約者がいましたね」
二年前に孤児を装って領内に入り込んだ隣国の諜報員の男は、周囲の信頼を得て専属騎士団に入団した。そして騎士になって初めての遠征でディルダート暗殺を目論んだのだった。しかし功を焦ったのか、隣国とクロヴァス領では地続きの森でも魔獣の習性が異なっていたのに気が回らなかったのか、魔獣に襲われて呆気無く死んでしまった。
その場が混乱していたこともあって、元の顔の判別も付かなくなった男と、一緒に退治された赤熊を見て周囲がディルダートが亡くなったと誤解したのだ。そしてその誤解に乗る形で、ディルダートの訃報を周囲に流したのだった。その為、ディルダートの遺体が納められている棺には、その男と赤熊が入れられている。
その男には、婚約者がいた。騎士になったので最近故郷から呼び寄せたという若い女性だったが、彼女もまた男と同じく諜報員だったのだ。
男が暗殺に失敗したと悟ったのか、その日のうちに行方をくらませて隣国へ戻って行った。しかし元からそれを警戒していた国境警備のエウリュ辺境伯家の騎士に捕らえられて、身柄はあちらで押さえられている。
「彼女が人質にされて、騎士が脅されて旦那様を誘拐したとしておきましょう」
「俺があんな若造に!?」
「女性が人質に取られていたので旦那様は仕方なく、ですわ。そこで騎士は犯人と争いになって旦那様の身代わりに始末された、とすれば良いのです」
「むう…」
もう当主を引退しているディルダートだが、まだこの辺境領においては影響力は大きい。そして最強と名高いディルダートをどんな手を使ったにしろ誘拐したという事実が広まれば、もうクロヴァス辺境領は弱体化したと侮って来るだろう。勿論ダイスを始め、ディーンや騎士団、市井の領民達も十分な戦力を有しているのだが、少しでも勝機を見出した者達が徒党を組んで攻め入って来たら厄介なのは間違いないのだ。負けることはないかもしれないが、それでも争いになれば土地も民も傷を負う。
「旦那様は以前から『もしこの身が敵の手に落ちた時にはその時点で死んだ者として扱うように』と遺言を残していらしたでしょう?ですからわたくし達もそれに従ったことにすれはよろしいのです」
「そ、そうだな」
「そこをレンドルフが発見して旦那様を救出したことにすれば、あの子の手柄にもなりますわ。実際、それくらいの功績を立てているのですから」
「ああ。バルザックはそれでいいのだろうか」
「バルザックがレンドルフの手柄を不服に思うと?」
「ないな」
即答したディルダートに、その場にいた全員が何度も首肯していたのだった。
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その後も家族で色々と細かい取り決めを相談し、クロヴァス家の方針は決まった。
ディルダートは、新人騎士の婚約者が人質に取られて仕方なしに誘拐犯に捕まった。騎士はどうにか助けようとしたが残念ながら命を落とし、ディルダートはどこかへ連れて行かれる予定だったが、「死んだ者として扱う」というディルダートの遺言で訃報が流れてしまったので敵も身動きが取れなくなった。そして辺境に集った息子達が遺品を探す目的で密かにディルダートを捜索し、レンドルフが死闘の末、重傷を負いながらもディルダート救出を果たした。残念ながら犯人達は不利と見るや自害してしまったので目的は不明だが、被害は最小限で済んだ。
クロヴァス家で公表する筋書きはその方向で決まった。領民ひとりの為に当主が命を差し出すような真似は褒められたものではないが、既にディルダートは引退して久しい。それに人質を取られて自ら捕まったとすれば、彼自身や家の評判はそう落ちることはない。
ついでに人質になったとされた諜報員の女性は、ひっそりと故郷に帰ったということにした。こちらに来てすぐに幼馴染みの婚約者を喪い、傷心の為に誰にも会わずに国を出たと言えば、誰も怪しいとは思わない筈だ。残された男の遺体は、引き取り手がなかったとして騎士団で弔う予定だ。そうしておけば、こちらに来て間もない女性は少々薄情な者としてあっさり忘れられて、男は二年以上も潜伏していた諜報員とは思われないまま仲間達がその死を悼むだろう。
領民同士が疑い合うような状況になるのは避けられる筋書きだ。
家族会議が終わる頃にはもう深夜に近くなっていて、ダイスとディーン夫妻はそのまま別荘に泊まることになった。明日からは葬儀の中止や、おそらく領民達の間で自然発生するであろうディルダート生還の宴を取り仕切ることに駆り出されて目の回るような忙しさになるだろう。
部屋に通されて湯浴みを済ませようやく落ち着いたエミリアは、隣に座っている夫の夜着の袖を軽く引いた。
「ん?どうしたの。寒い?」
「ううん。あのね、さっきの話…レンドルフ様が解毒薬を守る為に怪我をした話」
「うん」
「王女殿下って、確か五歳じゃなかったっけ…」
妻の考え込むような顔を、ディーンはやんわりと否定して笑い飛ばそうとしたのだが、一瞬固まってしまって上手く言葉が出て来なかった。
先程の家族会議で、解毒薬の完成を阻止しようとして襲って来た相手と戦闘になってレンドルフが重傷を負ったと聞いていた。そしてディルダートがレンドルフは「惚れた相手」の為に負傷したのだと言っていた。
その後解毒薬を必要とするのは第一王女のアナカナだという話まで飛び出して来て…エミリアはその話を統合して、うっかり妙な信憑性の物語を組み立ててしまったのだ。
「…まあ、人の想いは、色々な形があるから…」
ほぼレンドルフとは兄弟のように育ったディーンとしては違うのだろうと思うのだが、絶対に否定できる材料も見つからず、視線を彷徨わせながら哲学的なことを呟いてその場を誤摩化したのであった。
エミリアはレンドルフとは数回しか顔を合わせていませんが、彼女の中では大分残念な感じに仕上がってしまいました。