411.女の勘と最強の名
「…一応、基準は越えてる」
「何が問題なん?」
「うーん…上手く言えないけど、何となく」
「じゃ、止めとき」
「あんたねえ…いや、こういうのは勘も大事か」
執務机の上に並べられた幾つもの解毒薬の入った瓶を前にして、セイナが唸り声を上げていた。その傍らで書類作成をしていたアキハが、さすがに鬱陶しくなったらしく呆れた顔をしていた。
セイナの眺めている解毒薬は、アナカナ第一王女に使用する為、という名目で素材を集めて腕利きの薬師に精製してもらったものだ。前回は素材の状態が良くなくて使えるものがなかったのだが、今回は二本だけセイナの鑑定魔法で確認して基準値をクリアしたものが入っていた。しかしながらセイナは言葉にはできないがそこはかとなく嫌な感覚を拭えなくて、その瓶を前に唸っていたのだ。
「今回はさ〜、治験とか〜、少量から試して様子見〜、とかが出来ひんのやし、賭けに出なくてもええやないの」
「そうだね。確実に御前の作った薬を待とう」
実際に解毒薬を使用するのはユリではあるが、彼女に万一のことがあったらアナカナに何かがあるよりも大変なことになる。アナカナも王太子の第一子で、現在次期後継者の序列第一位という重要な存在だ。しかし彼女には同い年の異母弟がいるし、その下にも実弟が一人、異母弟が二人もいるので、非情なことを言ってしまえば換えの利く存在なのだ。しかしながら大公家の直系は現在ユリだけだ。ユリを後継に指名しなかったとしても、アスクレティ家の血を守る意味では絶対に喪われてはならない存在である。それに当主レンザが溺愛している孫なので、それこそユリの身に何かあれば国内が大荒れになる可能性も高い。
「これ、念の為レイ神官長様がいらした際に鑑定してもらおうか」
「そうやね。…にしても、こういうことがないようにする為のギルドなんやけど」
「この件が落ち着いたら、御前がテコ入れするだろうね。あの赤女狐もこのままで済ます気はなさそうだし」
多数ある「ギルド」と名の付く組織は、基本的にギルド同士だけで繋がった存在で、どの国にも属さず、たとえ王家であっても無理矢理命令を聞かせることは出来ないものだ。その国内に施設を間借りしている以上協力関係は築いているが、決して権力に屈することもおもねることもないと宣言している。それは世界中どこのギルドに行ってもその基本理念は変わらない。特定の権力と癒着してしまうと犯罪の温床になったりする可能性が高い組織を独立させて、規則に則った運営をすることがギルドの存在意義だ。
冒険者ギルドだけでなく、薬師ギルドや商人ギルド、職人ギルドなども、私欲に塗れた権力と結びつけば国が傾くことも容易い。多くの人が関わる以上、必ずしも全てが理念を通せているとは限らないが、そうであろうとすることが重要なのだ。
各地のギルド長や理事などは貴族が就任することも多いが、皆政治的な権力とは切り離された立場の者が多い。オベリス王国の薬師ギルドでは、どの場所にいても平等に医療を、というアスクレティ家始祖の理念と合致している為に、代々大公家当主が薬師ギルドの理事の一人に就任している。
「全ての薬師が清廉であれ、とは言わんけど、ちょおっと近頃は変なのが出て来た気がせえへん?」
「そうだね。それをチェックして妙な薬が出回らないようにするのがギルドの役割なんだけど…その薬師ギルド自体にも妙なのが紛れ込んでるみたいだし」
「ああ〜早うユリちゃん帰って来てー!そんで御前がビシッと悪に鉄槌を!」
「どっちかって言うと御前は悪役っぽいけどね」
机に突っ伏してもがいているアキハを苦笑しながらセイナはその頭を軽く突つくと、手元に分けた解毒薬を等級ごとにラベルを貼って箱にしまい込んだ。
「なあ、ところでアレは神官長様が連れ帰って、お説教以外はお咎めナシなん?」
「表立ったものはないけど…あの神官長様がただのお説教で済ませると思う?」
「思わんわ。けどなあ、一回そこんとこビシッとケジメ付けとかんと、ユリちゃんが目ぇ覚ました後にまた付きまとって来たりせんかなあ」
「それは…それも神官長様次第でしょ」
アキハの言う「アレ」とは、先日ユリの病室に無断で侵入して勝手に治癒魔法を掛けようとしてレイに捕まった聖人ハリのことだ。侵入した動機は、ここでユリを治療して恩を売って、断られ続けている縁談を有利に進めようと企んだ為らしい。レイが聞き取りをしたのでそうそう嘘は吐けないとは思っているが、神官長も聖人も同じ神殿側の人間だ。セイナもアキハも完全には信じてはいないが、疑いを向けるには確信もない。しかしとにかく今はそれを追求するよりも遠ざけてもらうことで一旦この件は収束させて、セイナもアキハもユリの治療に専念したいのだ。
「神官長サマ、ねえ…ああ、もうユリちゃんはどうして妙な男を引き寄せるんやろか」
「それはレンくんも?」
「いや、レンくんは過去最高の大当たりやないの?あんな滅多にない優良物件、今までどこに隠れとったんだか」
アキハはそう力強く主張して「ウチがあと10歳若かったらな〜」と呟いて、セイナが冷静に「20歳でしょ」とツッコミを入れていた。セイナも実年齢よりは若く見えるが、アキハは更に若々しい。実際は同い年なのだが、そう見られることはまずなかった。
どうやらこの二人の目には、レンドルフは高評価なようだった。
「いっそ薬草探しに協力したご褒美にレンくんを婿に、とか御前言い出さんかな」
「そりゃないわよ」
「デスヨネー」
アキハはさすがに書類を終わらせなくては帰れないので、ノロノロと顔を上げて机に向かう。
「なあ…」
「何」
「セイナさん、お仕事が終わったなら…」
「ちょっと一服して来る」
「ちょ…!イケズぅ〜」
「戻ったら半分引き取ってやるわよ。だから煙草くらい吸わせなさい」
「セイナさん愛してる〜」
「全く、調子のいい」
アキハの抱えている書類は上長が確認して承認すればいいので、副院長のセイナの確認でも事足りるのだ。今日は三人の急患が運び込まれて、治癒士長のアキハが駆け回って治療していたので書類どころではなかった。それを知っているのでセイナも手を貸すのだ。
無駄にうるうるとした上目遣いを大盤振る舞いしているアキハに軽く肩を竦めて、セイナは煙草を片手に執務室を出て行ったのだった。
------------------------------------------------------------------------------------
「これは午後あたりから雪になるかもしれんな」
「そうですか。アレクサンダーさん、少し急ぎますので、かなり乗り心地は悪いかと思います」
「承知の上です。どうぞ私のことは気になさらず進んでください」
外に出るなりふさふさの髭を撫でたディルダートは、その手触りで荒天になりそうな気配を察した。これはクロヴァス家の毛深い男達が感知できる特技らしく、ほぼ髭が生えないレンドルフには無縁の能力だ。幼い頃は晴れた日とそうでない日の差を知ろうとよくダイスの髭を触らせてもらっていたが、レンドルフにはそれは全く分からなかった。
低い雲が垂れ込めている中、レンドルフは背負子にレンザを乗せて出発した。その後ろから、レンザを守るようにディルダートが続く。ずり落ちないようにバランスを取るのが難しいので、身動きが取れないという危険性はあるものの、レンザの体はしっかりと背負子にロープで固定させてもらった。魔獣が襲って来た時は、ディルダートが主戦力で対応してもらうことにしたのだ。
レンドルフは目的地が分かっているので、いつもよりも早足でザクザクと雪を掻き分けて進む。いくら体力があると言っても、膝上まで積もった雪の中を成人男性一人を背負っての行軍なので、さすがに息が上がっている。まるで煙突のようにレンドルフの顔から勢い良く白い息が立ち上っていた。
「少し休憩だ」
「はい」
そのまま進もうとするレンドルフを、ディルダートがきちんと止めて休憩を挟ませる。雪の中の移動は当人が自覚している以上に体力を消耗するのだ。寒さで分かり辛いが、水分も相当失われるのでこまめな栄養と水分の補給は必要だ。
体を動かしていないレンザも一旦背負子から下りて、一緒にナッツをキャラメルで固めた菓子を摘む。動いていなくても寒さに対抗する為に体は体温を維持しようと消耗するのだ。少々歯に絡みそうなキャラメルを口の中で溶かしながら、生姜の風味のする紅茶を啜る。
これも寒くなる季節に向けてユリが作っていた試作品だったとレンザは記憶していた。粉末化した紅茶と一緒に生姜も乾燥させたものなので味も香りも薄くなってはいるが、普通の紅茶よりもはるかに体の芯が温まるような感覚がする。完成したとは聞いていないが、これならば北の地方を中心に需要は高いだろうとレンザはつい頭の中で試算してしまう。そしてほぼ完成しているであろうものを、レンザに報告するよりも先にレンドルフに渡していることが少々悔しいような気持ちになっていた。
「レンドルフ、残りは食ってくれ」
菓子は紙で包んでバーのようになって一人二本の割当だったが、一本を食べ終えたディルダートが残りの一本をレンドルフに投げ渡した。甘い物が好物のレンドルフは既に完食していたので、それを難なく受け取った。
「父上…?」
「お前はこのお方を」
そう言った瞬間、ディルダートの姿が目の前から消えた。実際は消えたのではなく、一瞬で身体強化を掛けたディルダートの体が弾丸のように飛び出したのだ。まるで雪の上を飛ぶように移動して行くが、僅かに遅れて点々と雪が跳ね上がるので、辛うじて地を駆けているのが確認できる。
レンドルフは素早くディルダートが向かって行った方向に向けて短剣を構え、背中にレンザを隠すように立った。護衛対象が近くにいる時と足場が悪い時は愛用の大剣は使用しないのだが、それでもレンドルフ自身の豪腕で敵を捩じ伏せることは幾らでも可能だ。
レンザもそれなりに攻撃力のある魔法は扱えるが、基本的に普段から荒事には馴染みがない。暗殺などの対処には慣れていても、襲撃などは周囲を固める護衛達が打ち払う為だ。その為、今回は邪魔にならないように自分の身の防御に徹する。
勝敗は、ほぼ一瞬だった。
数メートル離れたところに突っ込んで行くような勢いでディルダートが達すると、同時にズシリという重い爆発音がして、膝を付いたディルダートの手元からシュウシュウと白い湯気立ち上った。
「竜モドキだ。そんなに大きくはなかったな」
立ち上がると同時に、ディルダートは足元から何やら細長いものをズルリと引き出した。その手には、白い毛の生えた長い蛇のようなものが握られていた。長さはディルダートの倍くらいで、鍛えられた腕程の太さがあった。彼が掴んでいる頭部らしき場所は黒く焦げていて、もう絶命しているらしくピクリとも動かなかった。
「それは…足なしトカゲの固有種ですか」
「そうです。王都での呼び名とは違って、この辺りでは『竜モドキ』と言います」
片手で掴んだまま引きずって来たディルダートに、レンザは少し目を細めて訊いた。レンザが近くで見たいと思ったのか、ディルダートは彼の鼻先近くに頭部の焦げた「竜モドキ」を差し出した。
これは一見蛇のような外見をしているが、実はごく小さな足の付いているトカゲだ。小さいものは大人の手の平サイズで虫などを補食する大人しい性質の益獣の一種だが、食べる昆虫が魔力を含んでいるとその影響を受けて巨大化する。そうなると体内に魔石を有する魔獣と化して、鶏などの家畜を襲うようになり、最終的には牛などを丸呑みするサイズにまで変貌するのだ。そこまでになると凶暴化しやすく人にも害を及ぼすので、討伐対象の魔獣として認定される。
トカゲなので通常は表皮は鱗で覆われているのだが、北のクロヴァス領ではよく毛の生えた個体が確認される。夏になると黒い毛、冬になると白い毛に生え変わるので、どちらかと言うと羽毛に近いのかもしれない。そして本来は退化して役に立たない手足が大きくなり、数メートルにもなるとハッキリとその存在が目視できる。その姿は竜種のようにも見えるため、クロヴァス領周辺では「竜モドキ」と呼んでいた。
しかし専門家の研究により、姿は似ていても竜種とは全く異なっていることは周知されている。
「魔石などの素材は要りますか?」
「いいえ。今回の調薬は他の魔力が介入するのは望ましくありませんので、出来る限り持って来たもの以外は増やしたくはないのです。…見事な仕留め具合なのが大変惜しいですが」
「そうですか。ではまた機会ありましたらその時に。レンドルフ、頼む」
「はい」
頭部を一気に燃やしたので、おそらく魔石や内蔵などは傷一つなく残っているだろう。大きさとしては小さい部類ではあるが、状態の良い素材を持って行けないのをレンザは残念そうに首を振った。
レンドルフはすぐに魔法で地面に穴を開けて、そこにディルダートが手早く丸めるようにして放り込んだ。まるでロープかなにかを扱うかのような気軽さだが、実際はかなり巨大な魔獣である。そしてその上から念の為魔獣避けの聖水を振り掛けて、再びレンドルフが魔法で穴を埋める。その互いに言葉もなく流れるような一連の動作に、レンザは感心していた。
レンドルフは学生時代は長期休暇の折りに里帰りしていたそうだが、卒業して騎士団に入団してから帰るのは初めてだと言っていた。だからディルダートとこうして行動を共にするのは数年ぶりである筈なのに、まるで日常ずっと繰り返して来たように互いの行動に淀みがない。レンドルフが幼い頃から魔獣討伐が日常であったとは行きの馬車の中で聞いていたのだが、レンザはいざそれを目の当たりにして辺境領の厳しさを知った。
「では出発しましょうか」
「休まなくてよろしいのですか?」
「あれくらいは動いたうちに入りませんよ」
周辺を見回して特に異常は無いことを確認すると、ディルダートの掛け声でレンドルフは再び背負子の準備を始める。ほんの数秒で片を付けたとは言え、魔獣は魔獣である。レンザは大丈夫なのかと確認したが、ディルダートは髭に覆われていて分かり辛いが破顔して返した。
「さすが王都では未だに辺境最強と名高いだけのことはありますね」
「いやあ、これでも随分弱くなりました」
「ご謙遜も過ぎるとよろしくありませんよ」
「事実ですよ。おそらくまともにやり合えばもう息子達には敵わないでしょう。いや、孫達もですね」
「それは嬉しいことではありますね」
「ええ。ただ、私は年を重ねた分狡猾になりましたので、そうやすやすとは勝たせませんがね」
「ははは、これは手厳しい」
レンドルフに背負われているレンザと、後方の守りを固めるディルダートがそんな会話を交わしているのを背後で聞きながら、レンドルフは「父上、絶対負けると思ってないな…」と思いながら雪を踏みしめていたのだった。