408.闇魔法の使い手
日が傾き始める前にクロヴァス家別荘とは別にある離れに戻って来たレンドルフとレンザは、まだバルザック達も戻って来ていないので、しばらくは休息を取った方がいいだろうということになった。
レンザは用意されていた客間に戻ると、着替えを済ませてゴロリとベッドに転がった。一応浄化の魔石で汚れは落としているが、こんな風に何もかも後回しにして体を投げ出すように寝転がるのは幼い時以来だ。
あまり広くない部屋だが、数日滞在するには問題なく家具などが揃っている。クロヴァス領の建築は、比較的部屋を狭めに設計されている。その代わり、家族や使用人が集う場所は広めに作られる。これは冬が厳しい地域の為、貴重な薪を無駄に使わないように個人の私室は狭めにして、なるべく人が集って暖を取れるようにして来た先人達の知恵の結集だ。
レンザの頭の中では色々とこれからすべきことが巡っているのだが、体は疲労の為に上手く動かない。特に足全体が芯の方に熱を持っているようで、怠くて仕方がなかった。
やはり年には勝てない、とレンザは自嘲気味に僅かに口角を上げると、思考することも諦めて目を閉じた。
どのくらい時間が経ったのか、何かの音にレンザは目を開いた。
(伝書鳥か)
目を開けて初めて自分がうたた寝していたことを自覚したレンザは、その音が伝書鳥が到着を知らせる為に窓にぶつかる音だとすぐに気付いて、考えるよりも早く手を翳した。
ベッドから起き上がって急いで中を確認すると、エイスの治癒院に先触れもなく聖人ハリが訪問し、強引にユリのいる特別室に入り込もうとしたという報告が書かれていた。それを読んだ瞬間、レンザは無意識に歯を食いしばったらしくギリッと鈍い音が漏れた。
その前にちょうど来ていたレイ神官長が捕らえて事無きを得たらしいが、もし全ての防護を突破されていたらと思うと肝が冷える。一応レイが聞き出した話によると、動機はユリを治療して恩を売ることで自分との縁談を有利に進めようとする目論見だったらしい。
「ふざけた小童め…」
そう呟きながらも、レンザの脳裏にはその背後にいるであろうコールイ・シオシャの渋面が浮かぶ。幼馴染みと言っても良いくらいに長い付き合いだった彼は、真面目が過ぎて滅多に笑うことのない堅物な男だった。レンザですらコールイの満面の笑みはすぐに思い付かない。
レイの報告にもあったが、ハリがユリへ縁談を申し込んで来たのはただシオシャ家の有益な駒になる為だった。
シオシャ家を含め、現在四家ある公爵家はいわば王家の血を繋ぐ為の受け皿のような家門だ。始祖を臣籍降下した王族に持ち、幾度も王子の婿入りや王女の降嫁などで王族の血が途絶えないようにして王家を支える。場合によっては一代限りの爵位になることもあるが、それは当主の死後一時的に王家が管理して、臣籍降下する王族がいれば再び復活する。今のバッカニア公爵家がそれにあたる。どちらにせよこの国の公爵家は、王位継承から外れた王族の受け皿となっているのだ。
すっかり薄くなってはいるが、王都を中心に張り巡らされた防御の魔法陣を維持するには、建国王から連綿と続く血と魔力が必要なのだ。魔獣の大半が王都を避け、他国からの呪術も阻止する王都の守りの要は、この国には必要不可欠なものだ。だからこそ王家は存続している。
その中でシオシャ公爵家は始祖の王子が武芸に長けていた為か、自身の血が王家に連なることよりも王家の盾となり矛となり、武力で支えることを尊ぶ性質が強い家門だ。コールイも公爵家当主でありながら剣術に並々ならぬ才を発揮し、若い頃から幾度となく内戦の前線や、国境付近の争乱の平定に駆り出されていた。
コールイはそれを不満に思うことはなく、そこで戦功を上げることを誇りにして、王家には絶対的な忠誠を誓っていた。王家を頂点に崇拝しているコールイは、特別な立場を得ているアスクレティ大公家を敵視していた。この国の絶対的な存在は建国王の血を引く王家であり、その血を受け入れないどころかそれでいて同等の地位を許されている大公家を常々不敬な存在と考えていたのだ。
そうなるとレンザとは反目しあうと思われがちだが、個人的に付き合うには互いに違い過ぎていて不思議とウマが合った。コールイも簡単に家の方針を変えることの難しさを重々知っていたので、大公家の在り方については不服をレンザの前でも口にしていたものの、レンザ個人の才能や人柄は尊敬していると言って憚らなかった。
レンザ自身も、コールイのその愚直なまでの真っ直ぐさを眩しい気持ちで見ていた。
家のことの複雑な背景はあったにしろ、互いに認めあう友情はそこには確かに存在していた。
しかし、その潮目が変わったのはいつからだろうか。
ユリを大公家の後継に据えるかどうかはまだ確定はしていないが、一族の中では最も血の濃い存在なのは周知の事実だ。もしその大公家の直系が公爵令息を婿に迎えれば、世間はそれを二つの家門の融和と捉えるだろう。そしてそれを切っ掛けに、王家は理由を付けて大公家の力を削ぐつもりなのだ。レンザが健在なうちは揺らぐことはないだろうが、そこから数代も離れてしまえば分からない。それに、ユリは「加護無しの死に戻り」として貴族社会では立場が弱い。レンザの庇護がなくなった後でも平穏に過ごさせる為には、何としても今の大公家を維持しなくてはならないのだ。
幸いにもユリはハリには一切興味がないので、縁談を一蹴するのは難しくはない。もし治癒が成功したとしても、それを恩義に感じたとしても縁談を受けるようなことはないだろう。せいぜい法外な謝礼を渡して終わらせる筈だ。
「…!まさか…」
不意にあることに思い当たり、レンザは思わず手紙をサイドテーブルに叩き付けるように押し付けてしまった。そしてすぐに立ち上がり、机の引き出しからレターセットを取り出した。そこに一文だけ書きなぐるようにしたためると、速達便の伝書鳥に持たせた。
レンザが送った手紙には「魅了魔法の検査をするように」とだけ綴られていた。
レンザとコールイが有している闇属性は、精神に作用する魔法が多い。契約内容を遵守させる誓約魔法や、相手に特定の幻を見せる幻影魔法なども闇魔法の一種だ。そしてその中に、指定した相手に好意を寄せさせる魅了魔法もあった。もっと強力に命令を聞かせる隷属魔法もあるが、その魔法は非常に難しく成功率も低い。しかし魅了魔法ならば、掛けられた当人も気付かない程度に少し印象を良くするだけの弱い効果なので、本人も周囲も気付かないことが多い。しかし魅了魔法を少しずつ重ね掛けして行くことで、ごく自然に恋に落ちたかのように見せかけることも可能なのだ。
隷属魔法や魅了魔法は術者の心理状態も効き目に反映されるので、その場で行使するよりは魔石に充填して魔道具で制御して使われる。隷属魔法は犯罪者の抑止に、魅了魔法は政略結婚で必要と分かっていてもどうしても心理的に受け入れられない者が希望して使用することが多い。
レンザは闇魔法の使い手だが、魅了魔法は使うことが出来ない。対してコールイは魅了魔法を得意としていた。最も色恋に遠い性格のコールイが、と昔はよく揶揄ったものだった。
レンザは、ハリがコールイの魔力を充填させた魔石を隠し持っていたならばユリに対して魅了魔法を使う可能性に気付いて、急いで治癒院にそれを知らせたのだった。
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「お帰りなさい、バルザック兄上」
「ただ今戻った。…ああ、弟の笑顔の出迎えは妻と同じくらい良いものだな」
「そこは義姉上を一番にしてください」
夕刻に、探索を終えたバルザックが離れに寄ってから別荘に戻って来た。レンドルフが来る前はバルザックも離れにいたのだが、レンザと同行して来たサミーを始めとする護衛が入った為に手狭な離れでは部屋が足りなくなってしまった。何せ夫を喪って気落ちしているアトリーシャが静養していることになっているので、それを狙う輩を退ける為の辺境領の専属騎士も詰めているのだ。それでレンドルフが別荘の部屋を使うことにしたので、バルザックもこちらがいいと移って来たのだ。
「ご無事で何よりです」
「まあ。収穫はなかったがな」
別荘と離れにそれぞれいる使用人達はディルダートが生きているのは知っているが、それを外部に出さないようにつとめている。
明日もまた探索に出るので、夕食は早めにしてもらった。よく考えてみれば、レンドルフはバルザックと二人だけで食事をするのは初めてのことだった。バルザックもそのことを分かっているのか、終始ニコニコしていた。
「やはり同じ森で狩る獲物でもあちらとは違う気がするな」
「そうなのですか?俺がエウリュ領に行ったのは夏だったのであまり煮込みは食べませんでしたし、違いがよく分かりません」
「俺もよく分からん。ただ、懐かしい味だな」
「それは分かります」
夕食のメインは、ワイルドボアの塊肉と根菜を塩とハーブで煮込んだものだ。領主の子息であっても王都の高位貴族のように豪華な晩餐を食べていた訳ではなかったので、量はともかくメニューは平民の食卓と大差なかった。特にこれからの季節は葉野菜が極端に少なくなるので、根菜が大量に食卓に上る。
「おっ、辛瓜が平気になったんだな」
「兄上、それは昔の話です。俺を幾つだと思っているのです」
「ははは、すまんすまん。俺もダイス兄上も幼い頃は苦手だったから、血は争えないと感動した頃が昨日のようでな」
蒸かして潰した芋の中に赤く辛味の強い瓜が入っているのを見て、バルザックは思わず幼い頃にこの辛味が苦手でせっせとほじくり出して脇に避けていたレンドルフを思い出してしまった。食べられない訳ではなかったが、子供には少々刺激が強く美味しく感じなかったのだ。その真剣な顔で避けているレンドルフの姿が大変可愛らしかったのでバルザックはあの当時にも写真機があれば、などと悔しげに呟いていたので、レンドルフは苦笑するしかなかった。
塊肉はよく煮込まれて、力を入れなくともナイフがスッと通り、肉の繊維がホロリと崩れる程に柔らかい。まだ真冬ではないので脂はそこまで乗っていないが、その分肉の旨味が十分に味わえる。ワイルドボアの独特の肉の匂いを抑える為のハーブは単独で食べると少しだけ鼻の奥に抜けるような刺激があるが、それが肉と合わさるとまろやかな風味になって数倍美味しく感じるようになるから不思議だ。
懐かしい話をしながら食事を終えて、互いにもう少し話したいと場所を移した。
「明日のこともあるから、今日はこれだけにしておこう」
バルザックは用意してもらったワインのボトルを掲げて笑った。二人でワイン一本ならば、クロヴァス家の者達はほぼ影響のない量ではあるが、明日のこともあるので万全にしておきたい。僅かな慢心が命取りなのは幼い頃から十二分に身に染みているのだ。
「レンドルフと酒が飲めるなんてな」
「言われてみれば、家族とこうして飲むのは初めてです」
「おっ!そうか!俺が第一号か」
レンドルフの言葉にバルザックは更に相好を崩して、レンドルフのグラスにワインをたっぷりと注いだ。
貴族が通う学園は、卒業と同時に成人になる。レンドルフはそのまま騎士団に入団して、見習い期間を飛ばして近衛騎士団に配属になったので実家に帰る余裕がなかったのだ。
通常、領地の遠い実家であっても、社交シーズンになると王都のタウンハウスに来る貴族が大半なので、王城勤務の者は長期休暇が取れなくてもその時期に家族と会うことが出来る。しかし辺境は国の防衛の最前線でもあるので、領地を離れることは殆どない。どうしても外せない案件のある時のみ、次期当主か分家の者が王都に出るのが普通だった。
今は王都で暮らしているアトリーシャの実家のデュライ伯爵家や、ディルダートの親友のノマリス伯爵家が大抵のことを引き受けてくれているので、クロヴァス家はほぼ王都に行くことがないのだ。
かつてレンドルフが正騎士の資格を得た際にはディルダートが王都へ行く予定だったが、色々あって結局行けないまま終わっていた。
「…なあ、本当にお前は王都に戻るのか?」
「兄上。そんなに心配されなくても、ちゃんとやっていますよ」
「だがなあ…ガリヤネ国もそうそう自慢できた王家じゃないが、少なくとも辺境は影響もなく住みやすい場所だぞ。ウチにはこっちと違って余っている爵位もある。レンドルフが来るなら…」
「大丈夫ですよ、兄上」
お互いに酒に強い両親の血を継いでいるのでこのくらいで酔うことはないのだが、少しばかりバルザックは気持ちが昂っているようだった。それを宥めるつもりで、レンドルフは空になったバルザックのグラスへワインを注ぐ。
「近衛騎士団を解任されたときは、どうしようかと思うこともありましたが、そのおかげで俺が沢山の人に思われてることを知ることが出来ましたし…それが切っ掛けで交友も広がりました。悪いことばかりじゃないです」
「そうか」
「それに今は…ちゃんと騎士になりたいです」
「……そうか」
レンドルフの言葉にしていない気持ちの変化に気付いたのか、バルザックは少し長い間の後に感慨深げに頷いたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
大公家は物語の中では王家と連なる家という立場が多いですが、この話の大公家の地位は特殊と言うことで。全くの他人の立場だからこそ親戚関係でなあなあになったり権力争いになったりしない、いい感じの距離感のご意見番的なポジションなのです。
王命は出されても嫌なら断れる権利を持っていますが、基本的に断ると色々面倒なので余程のことがない限り受けています。婚姻に関して王命を出されるのは、王家の能力を越える子孫をもうける気はありませんので王家がそういう人を指名してね、ってアピールみたいなものです。そこで万一王家の能力を越える子が生まれても、そっちが指名したんだし大公家に責はないよね〜と逃げを打つ為です。
ユリは生まれた時に王家の魔力を越えていたので処分を検討されましたが、まだ直系の子が一人だけだったのと、当時の王太子が盛り上がってユリの両親の婚姻に手を貸した手前、王家は黙認の方向で契約を交わしています。もし事故が起こらずに次子が平凡な魔力で生まれていたらそちらを生かされたので、ユリはこの世にいませんでした。