407.礼の礼の礼
その日は朝から快晴で、この季節には珍しく青空も覗いていた。
前領主ディルダートが事故死した場所に献花に向かい、その周辺で何か遺品が残されていないかと捜索を兼ねて次男バルザックが数名の騎士を連れて山中に入った。当人たっての希望で、自身と長らくの側近達の手で父の名残を探したいと、周辺の街には葬儀が終わるまでは山に入らないようにと通達を出した。元々この季節に山に入る領民はあまり多くないので大丈夫かと思ったが、その通達が出されているのに密かに山に向かう者がいれば間諜の可能性があるので、炙り出しやすいだろうという思惑もあってのことだった。
バルザックは別荘から直接山に入る道は選ばず、敢えて目立つ赤の外套を纏って街中を通過して向かった。こちらに来てから伸ばしたヒゲは随分フサフサになって、それこそ若い頃のディルダートに瓜二つだった。その姿を一目見ようと、早朝にもかかわらずかなりの領民達が街道に出ていた。中にはディルダートのことを昔から知っているらしき老人が、涙ぐんでバルザックを見送っていた。
集まった人々はバルザックに注目していて、同行する騎士の中に大きな献花用の花束を抱えて、マフラーでぐるぐる巻きにして顔を隠した黒熊が混じっていたことには誰も気付いていなかった。
そうやってバルザックが人目を引き付けている間に、レンドルフとレンザは少し遅れて別荘から別ルートで出発したのだった。
------------------------------------------------------------------------------------
「アレクサンダーさん、なるべくゆっくり進みますが、絶対に無理はなさらないでください」
「はい、よろしくお願いします」
レンザも冬の装備は持参して来ていたが、やはりクロヴァス家で使用している物の方が適しているだろうと白ムジナの外套を借りていた。外套の内側には小さなポケットが縫い付けられていて、そこに屑魔石と呼ばれる極小の火の魔石が入れられている。それが熱を発していて、断熱性の高い白ムジナの外套をより温かいものにしている。そのポケット用の布も、少しずつ放熱するように特殊な網を重ねた形状の為、低温火傷にならないように工夫がされていた。
レンザも若い頃は薬草採取の為に雪の中を歩き回ったことはあるが、それはもう何十年も前の話だ。もう初心者中の初心者と変わらない。レンドルフもレンザの体力を考慮してか、必要な荷物は殆どレンドルフの担いでいる布袋の中に入っていた。万一互いにはぐれてしまったときの用心にレンザも必要最低限の荷物は持たされているが、見た目からしてレンドルフの方が倍以上の大きさの荷物を担当していた。レンザは申し訳ないと思いつつ、これを任せなければ歩みが遅くなり却って迷惑がかかる。レンザはそんな風に割り切って、自分の少し先を後に続きやすいように足元を踏み固めながらゆっくりと歩いて行くレンドルフの背中に感謝を捧げた。
最初の目的地の近くまで来ると、レンドルフは手の動きだけでレンザを止めた。レンザも立ち止まってレンドルフが顔を向けている方角に目を向けると、木々の間から何やら動いている影が確認出来た。しかしそれも白っぽい色をしているので、レンドルフが気付かなければ見落としていただろう。
しばらくその場で立ち止まっていると、向こうは気が付かなかったようで奥の方に走り去って行った。
「フェザーラビットでしたね。冬毛だとあれほど分かりにくいとは」
「ちょうど風下でしたから、気付かれなくてよかったです」
フェザーラビットは臆病で用心深い性質の兎系の魔獣だが、群れで動くことが多いので遭遇するとそれなりに厄介だ。肉食ではないので滅多に襲われることはないが、あまり騒がれ過ぎるとそれを補食しに肉食魔獣を呼び寄せてしまうことがある。戦闘になればまずレンドルフは負けることはないが、少しでも体力は温存しておきたい。
「周辺には魔獣もいないようですし、少し休憩しましょう」
雪の行軍は自分が自覚しているよりもずっと体力を消耗する。いざと言う時に動けなくなると命に関わるので、こまめに軽食と水分を摂る必要があるのだ。
二人は立ったまま、外套の内ポケットに入れていた糖衣をたっぷり絡めた一口サイズのドーナツを口に入れた。それから腰のベルトに下げていたカップを手にして、レンドルフは手を伸ばしてザクリと足跡の付いていない雪を掬い取った。
「アレクサンダーさんは水の魔石を使ってください」
カップの中にこんもりと盛った雪の中に、レンドルフは赤い屑魔石をポンと放り込んだ。それは火の魔石なので、あっという間に熱で雪が溶けてカップの中に湯気の立ったお湯が満たされた。レンドルフは幼い頃からこうして飲み水を確保しているので問題はないが、慣れていないと水に中ることもある。レンザも言われた通りに水の魔石から安全な水を確保して、レンドルフと同じように魔石で水を温めた。
「アレクサンダーさんもお好きなものをどうぞ」
「それはユリが作っているものですね」
「はい。いつも助けられています」
レンドルフが小さな薬包を取り出して、手の上に乗せてレンザに差し出した。これはいつもユリが息抜きで作っていると言って渡してくれる粉末の飲み物だ。レンドルフ用に甘い味のものが多いので、今回のような雪山には最適だ。レンザがそれを一つ摘まみ上げると、レンドルフも中身の粉をサラリと湯に溶いた。
レンドルフが選んだのは柑橘を数種乾燥させた後に粉にしたもので、砂糖も多めに入っているものだ。湯に溶くと淡い琥珀色になり、爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「さっきフェザーラビットが消えて行った方角より右側の丘陵を越えた先が、俺が教えてもらった薬草の自生していた場所です。でも、その後の地滑りでやはり地形が変わっていますね」
カップを片手にレンドルフが指し示す方向は、少し上り坂になっていて先が見えない。雪のせいで距離感も掴みにくいので、こうしてレンドルフに協力をしてもらえたことは幸運であったとレンザは実感していた。大公家にも雪山の経験が豊富な者も勿論いるが、やはり幼い頃からこの地で育ったレンドルフの経験値は何よりも有益だ。
------------------------------------------------------------------------------------
短い休憩を終え、再びレンドルフが先に立って歩き始める。
思っていたよりも勾配が急で、途中何度かレンザは手を付いた。レンドルフが柔らかな雪を掻き分けて自分の体で道を作ってくれているので、負担はレンザの方がはるかに少ない筈なのだが、やはり日々鍛えている騎士のレンドルフと研究や当主の仕事をしているレンザとでは基礎体力に雲泥の差がある。
「…この辺りですが、見当たりませんね」
「そう…です、ね…」
距離からすれば大したことはない筈なのだが、目的の場所までは随分時間が掛かった。身体強化も使っているのだが、レンザの息は上がっている。
丘を登り切って少し開けた場所に出たが、目を凝らしてみてもただ雪原が広がるだけだ。目的の「カザハナノハナヨメ」は、雪の中で咲く白い花なので非常に見付けづらいが、たっぷりと浄化の魔力を含んだ薬草なので魔力を感知できる者は近くに行けば必ず分かるし、そうでない者は地面に薬草を中心とした渦を巻く紋様が描かれるのを目印にして探す。雪が積もっていてもその表面に渦巻き模様が発生するので、踏み荒らされていない雪原を注意深く眺めれば分かるのだ。
「…今日は引き返しましょう」
「……まだ、と言いたいところですが、そうした方が良さそうですね」
「申し訳ありません」
「いいえ、レン殿のお気遣いはありがいものです」
まだ日が頭上に来たばかりだが、レンザの疲労を見てとったレンドルフが帰還を口にした。レンザもユリのことを考えれば日が落ちるギリギリまで粘りたかったが、これ以上無理をしては明日以降にも響いてしまう。それに強引に続行して発見したとしても、疲労し切った体では正しい調薬が出来るとは思えない。レンザもまだ余力があるうちに引き返して、明日以降の採取方法を考え直した方がいいと思ったのだ。レンザは自分の体力と雪山での採取をきちんと予測を立てていたつもりであったが、思っていたよりも体力的に厳しいものだった。
引き返す前に、再び並んで軽食と水分を補給する。
「明日以降、アレクサンダーさんは離れで待機していただいて、俺と父で探すことは出来ませんか?」
「レン殿と、お父君で?」
「はい。探索者は少ない方がいいのでしょうが、ここは単独で動くことは推奨されない土地柄です。父なら事情は知っていますし、今なら死んだことになっていますから密かに動くのには適任でしょう」
「…そうですね。戻りましたら、調整をお願いします」
じゃがいものポタージュをそっと啜りながら、レンザはゆっくりと頷いた。これもユリがレンドルフの為に、少しでも腹持ちが良いものをと考えて作ったものだ。粉ではなく粗いフレーク状にしてあるので、裏ごししたような滑らかさではなく溶けたジャガイモの少しざらついたような風合いが舌に感じる。ユリが何度も試食をして調整をした、少量でも食べごたえを感じさせる為の工夫なのだ。
レンザはカップの中を全て飲み干すと、溜息を誤摩化すように長く息を吐いた。
レンザとて自身の年齢と体力は把握している。責任のある地位と領地と王都の往復など多忙を極めているので、体力も気力も同年代に比べればかなりある方だと自覚していた。しかしここに来て、やはりそれは王都で暮らす者の基準であったと痛感していた。
「色々とご迷惑をお掛けしました。自分のことも含めて客観的に判断できることが自慢だったのですが…寄る年並には勝てませんですな」
「お身内の、ユリさんのことが関わっているのです。冷静でいるのは難しいです」
「レン殿も?」
「……はい」
レンザがチラリとレンドルフの腰に下げている大剣に目をやると、柄の部分に細かい彫金細工と黒の革製のタッセルが揺れている。微かに感じる魔力から、ユリがレンザに渡した品と同じ気配がしていた。これはレンザの長年の友であり、幾度となく仕事を任せて来た付与師ロイのもの手がけたものだとすぐに分かった。
(どちらを先に作ろうと思ったのやら…)
そう思いながらも、おそらくレンドルフの分を作ろうとして途中でレンザの分も一緒に作ろうと思ったのだろうな、と察してレンザはほんの少しだけ苦笑する。タッセルはそもそも危険を伴う場所や任務に赴く相手に対して無事の祈りを込めて贈るものだ。レンザも領地を往復しているが、護衛も着いているし荒事とは基本的に無縁だ。もし相応しい手製の品を贈るならば、刺繍をしたハンカチあたりだろう。
それでもレンザは孫が自分の為に考えて作ってくれた品なので、喜びのあまり「家宝にしよう」と大公家の資産リストに入れようとしてユリに「使ってください!」と言われたのが随分昔のように思えた。
------------------------------------------------------------------------------------
「レン殿」
「はい」
「この件が落ち着いたら、お礼をさせてください」
「え…そ、それはちゃんと薬草を発見してから」
「それはまた別に。ここに来るまで、貴方には随分世話になりました。それにお礼を返したいのです。何かありませんか?」
「何かと言われましても…」
急な申し出に、レンドルフは困った顔を隠しもせずに視線を彷徨わせた。父ディルダートの赤とも母アトリーシャの紺色とも違う、淡褐色に虹彩に向かって若草色に変化するヘーゼルの瞳は一体誰のものを継いだのだろうか、とレンザはそんなことを思う。髪と同じ色の薄紅色の睫毛に白い肌は、まるで全体に紗が掛かったようなふんわりとした優しく柔らかな色合いだ。
「私の出来る限りのことはしますよ」
何となく困らせたくなってしまって、ついレンザはそんなことを追加してしまった。レンドルフのことだから無茶なことは言わないだろうが、彼の心の裡を垣間見たくなったのだ。
「ええと…その、無理ならそれで構いませんが…」
「どのようなことでしょう?」
「その…目が覚めたら、お見舞いに行かせていただけないでしょうか」
「ユリの、ですよね?」
「あ!あの!本人が嫌なら絶対行きませんし、アレクサンダーさんが行くついでに、ドア越しとかに挨拶するだけでもいいので!」
あっという間に顔を赤くして早口で捲し立てるレンドルフに、レンザは何度か目を瞬かせてポカンと彼の顔を眺めてしまった。
レンザとしては、無事に意識を取り戻してからユリの希望を聞いて見舞いに来てもらうつもりでいたのだ。さすがに病み上がりの顔を見せるわけにはいかないので多少回復してからになるだろうが、最初からレンドルフには会いに来てもらうつもりでいたのだ。時折距離が近すぎることはあるものの、レンドルフはきちんと紳士的な態度でユリを大切にしてくれているのはレンザも知っている。レンザ的には不本意ではあったが、同じパーティーの仲間として上手くやっているのは間違いないのだ。
それなのに、まさか礼として見舞いを希望されるとは全く予想していなかったのだ。
「…分かりました。その時になりましたらお知らせします」
「ありがとうございます!…あ、でも、無理だとしても本当に構いませんから」
「礼を言う必要はありませんよ。ただ、誰かは同室させますが、よろしいですか?」
「当然です。本当に少しだけでも顔を見るか、話をさせてもらえれば十分です」
いくら身内の許可があっても、婚約も交わしていない未婚の男女を密室で二人きりにする訳にはいかない。侍女と護衛を部屋の隅に待機させるとしても、レンザはユリさえ良ければレンドルフとはきちんと顔を合わせて見舞ってもらう予定だった。てっきりレンドルフもその心づもりでいるのだと思っていたが、あまりにも控え目でささやかな願いに、さすがにレンザも虚を突かれてしまった。
「ユリの望む形にはなりますが、必ず機会を設けますよ」
「ありがとうございます!」
礼を聞き出すつもりが再び礼を言われてしまい、レンザは何とも複雑な気分になったが、何とも嬉しそうなレンドルフの顔を見てそれ以上のことは言わないことにしたのだった。