39.【過去編】戻って来た男
事態が大きく動いたのは、それから10日後のことだった。
本来の閉店時間ではないが、カツハが帰ってからも誰も来ることはないので、ミキタは閉店の看板をドアの外に掛けたところだった。
「またアイツ来てたの?」
「ああ、全くどうしようもない下衆野郎だよ」
裏口からミスキとクリューが連れ立って入って来た。ミスキの目の下にはくっきりと隈が浮き、頬も少し痩けたようだった。
「もういっそ力づくで殴り込みかけた方が良くなぁい?」
「そうするにしても、まず御前と繋ぎが取れなくちゃ動けないよ。助け出したはいいが、あたし達の首が飛んじゃ意味がないだろ」
散々食い散らかした後の皿を見て、クリューは盛大に顔を顰めながら言った。カツハは散々偉そうに料理を注文はするが、少しだけ口を付けて大半は残してしまう。そして何が楽しいのか、幾つもの皿の上の料理をグチャグチャに混ぜて見るも無惨な状態にしてゲラゲラと笑うのだ。時にはテーブルクロスにまでソースまみれにして帰る有様だった。そんなことを繰り返されて、もうミキタの堪忍袋の限界も近い。むしろ未だに破裂していないのが不思議な程だ。
「もうそんなのどうでもいいだろ!さっさとタイキ連れ出して逃げよう!事後承諾で、御前の領地に逃げ込めば何とかしてくれる筈だろ!」
「御前の領地まで無事に逃げる手段はあるのかい」
「…!それは…」
「もうバートンがあっちに到着してる筈だ。もう少し、もう少しの辛抱だよ」
ミキタの正論に黙ってしまったミスキに向かって低く呟く彼女の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。彼女の握りしめた拳が僅かに震えていた。
カツハにもうどれだけの袖の下を渡したか分からない。さすがにこれ以上焦らしてはミキタが爆発すると思ったのだろう。妙な勘の良さを発揮して、カツハはタイキは収容施設内で無事に過ごしているとの情報は寄越していた。勿論何かの証明がある訳ではないが、出来るだけ長く有効に搾り取ろうとする下衆の嗅覚は鋭い男なので、今はそれに縋って信用するしかなかった。
ミスキが崩れ落ちるように店の隅にある椅子に座り込むと同時に、静かに店のドアが軋む音を立てて開いた。
「もう閉店で…」
ノソリと黒い影が滑り込むように入って来たので、ミキタはそちらを向いて口を開きかけて動きを止めた。
「え…嘘…!?」
入って来た人物の顔を見て、声を上げたのはクリューだけだったが、その場に居いた全員が時が止まったように固まってしまった。
「久しぶりだな」
以前のような艶のある黒ではなく、枯れ草のような乾いた色の褪せた金髪に、大分全体的に肉付きが良くなって顔にも体にも年月が刻まれていたが、その顔立ちや身のこなし、そして何より声は忘れようがなかった。
「…随分年取ったねえ…ステノス」
何が苦いものでも呑み込んだような声で、ミキタが口の端だけを上げて笑みを作った。
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「ちょ…!ミキタ、あんた何落ち着いてんの!?」
「よぉ、クリューちゃん。相変わらず同じ顔してやがんな」
「…どういうことなのよ…生きてたの…?」
もはや20年近く前に死んでいたと思っていたステノスが目の前に現れて、混乱しているクリューにステノスは軽い様子で片手を上げた。困惑してクリューはミキタに顔を向けたが、目が合ったミキタは微かに苦笑したような表情を作っただけだった。隣にいるミスキに目を向けると、ただ無表情でジッとステノスを見つめていた。その目からは何の感情も読み取れなかった。
「積もる話は色々あるが、今は仕事で来てるんでな」
そう言われて、改めてステノスの全身を見たクリューはハッとして顔を強張らせた。
ステノスはあまり体に合ってはいなかったが、警邏隊の制服を着ていた。しかし、見慣れたデザインの制服ではあったが、その色は特別なものだったのだ。通常の警邏隊の制服は、紺色の生地に役職に応じて襟や袖に赤や金色のラインが入っている。しかし今彼が着ている制服は、黒い生地に白いラインが入っている。この制服は、弔事があった場合に着用されてるものだった。
その不吉な装いに、クリューは思わず自分の身を抱えるように腕を組んだ。
「こちらを届けに伺いました。流行病の可能性があったので、既に処理しております」
ステノスは急に姿勢を正して、片手に抱えていた小さな布包みから陶器の白い容れ物と、紙に包まれた何かを丁寧にテーブルの上に置いた。
急にミスキが立ち上がって、ツカツカとテーブルに歩み寄った。そして紙の包みを開くと、そのまま凍り付いた。そして震える指先が中の物をつまみ上げる。
「嘘…」
震える足をどうにか動かしてクリューはミスキの近くまで歩み寄り、彼の手の中の紙に上に乗った赤い髪の毛を確認した。ザァ…と足元から血の気が引くような感覚がして、思わずフラリとクリューがよろけた。彼女が崩れ落ちる前にいつの間にか背後に回っていたミキタが抱き止め、近くの椅子の座らせた為に辛うじて倒れずに済んだ。
「説明してもらおうか…」
クリューの肩に労るかのように置かれたミキタの手は、服越しにも酷く冷たくて微かに震えていた。唸るようなミキタの声は、怒りが爆発する寸前の声だとクリューは気付く。
「保護した子供の中に流行病に罹っている者がいた。そこから感染が広まり、ご子息も罹患の症状が見られ隔離したものの、症状は改善しないまま昨日死亡を確認。現在施設内の感染は終息し、子供二名の死者のみの被害に留まりつつあり…」
「そうじゃない!」
淡々と事実を告げるステノスの言葉を遮って、ミキタが大声を上げてガン、と近くの壁に拳を叩き付けた。身体強化魔法を使っていればミキタならば壁くらい穴が開いただろうが、さすがにそこまではしなかったらしい。しかし、彼女の渾身の拳は、ビリビリと近くの柱を振動させた。
「ウチの息子と分かっていながら何故報せない!何故こんな形で返しに来た!!」
この国の葬儀は、火葬と土葬が半々だ。土地の少ない王都などは火葬が主流であるが、土葬の地域でも流行病で亡くなった者は感染の拡大を防ぐため火葬になる。
「数日前、役場よりこちらのご子息であるという証明書類が届いたが、流行病の為に施設から出すことも、無駄な混乱を防ぐ為にも外部に報せる許可は出せなかった。ただ、こちらの誠意として私の一存で遺髪を切り取り、個別に」
突然、ステノスに向かってミスキが手にした紙と赤い遺髪を叩き付けた。ステノスは顔を背けただけでその場から動かなかったが、不快そうに眉根を顰めて顔に貼り付いた髪の毛を払い落とした。
「弟の遺髪にずいぶんな扱いだな」
「っざけんな!」
完全に激昂した様子で、ミスキは足を踏み鳴らした。その喉が裂けるような怒りに満ちた声は、普段は似ていないミキタのものとよく似ていた。
「こいつはタイキの髪じゃない!誰か知らない偽物だ!こんなのでごまかされるかよ!!さっさとタイキを返せ!!」
「おいおい、何を証拠に偽物と…」
「触れば分かるんだよ!俺はずーーーーっとタイキの髪を洗ってやってたし、伸びた髪を切るのも俺の役目だったんだよ!」
「…マジかよ」
「こんなモンで俺を騙せると思うなぁっ!!」
そう怒鳴りつけると、ミスキはステノスに殴り掛かった。冒険者を目指していた頃にそれなりに体術も習っていたのでミスキも基本的に動けるが、ステノスは軽々と受け流すように捌いてしまい、その身に触れることも出来なかった。たいして広くない店内での乱闘なので、テーブルや椅子がどんどん倒れて行く。まだ片付けていなかったカツハが食い散らかした皿も、床に落ちて飛び散った。それを踏んで滑り、ミスキが派手にテーブルを巻き込んで倒れ込む。
「ミスキ!」
思わず立ち上がりかけたクリューの膝の上に、何かがポン、と置かれた。見ると、先程までテーブルの上に乗っていた白い陶器の容れ物だった。これは一般的に火葬後に残った骨を入れてこの容れ物ごと埋葬するものだ。
「抱えてな。偽物にしろ、粗末に扱っちゃ気の毒だ」
クリューの背後にいたミキタが、いつの間にかテーブルが倒れる前に回収して来たようだ。
「うん」
「いい子だ」
渡された容れ物をしっかりと胸に抱えたクリューに、ミキタは微笑みを向けて肌に触れるか触れないかの距離でクリューの頬に落ちた髪をそっと彼女の耳に掛けてやった。その惚れ惚れとする表情と仕草に、こんな時なのに思わずクリューの頬が熱を持った。
「さて、と。ステノス。あんた随分ウチの息子達にふざけた真似してくれたね」
「おいおい、俺は仕事で来ただけで」
ステノスが言い終わらないうちに、ミキタの姿が掻き消えたかと思うと、目の前に靴の裏が迫っていた。ステノスは咄嗟に後ろに飛び退いたが、そうはさせまいとこめかみの側に追撃の風を感じ、体を捻って辛うじて避ける。切れる程ではなかったが、微かに頬にチリリとした痛みが走る。
「腕は衰えてねぇなあ」
「あんたは動きが重くなったね」
ミキタとステノスは、顔は笑っているものの目付きは剣呑なままで睨み合う。しかしそれは一瞬のことで、すぐにミキタの踵が容赦なくステノスの脳天に向かって振り下ろされた。ステノスはそれも避けたが、その動きは想定されていたのか、即座に彼女の膝が顎の辺りにガツリと入った。思わず足元が縺れたステノスの背後に素早く回り込むと、背中に蹴りを喰らわせて跪かせた。そして首に腕を回していつの間にか隠し持っていたナイフを喉元にピタリと当てた。
「相変わらず強ェなあ」
「言いたいことはそれだけかい」
笑みを消して冷たい目のミキタが、容赦なくステノスの首筋に刃を押し当てる。勿論手加減はしているので、皮一枚に軽く傷が付いただけで、僅かに血が滲むだけだ。しかし、その声色はいつでも力を込められるという静かな怒りを感じさせた。
「タイキを返してもらおうか」
「だからそいつは…」
「まだ言うかい。ミスキ!あたしの部屋の金庫から黒い瓶持って来な」
「番号知らないよ」
「あんた達の誕生日」
「了解」
体の半分がソースやケチャップに塗れたミスキが、ミキタに言われるままにキッチンの奥に続く二階のミキタの部屋に向かう。途中、ソースを踏んだ靴が滑るのか、その場で脱いで裸足で階段を上って行った。そしてすぐに戻って来た時には、片手に真っ黒な瓶を持っていた。
「おいおいそいつぁ強力な自白剤じゃねえか。物騒なモン金庫に入れとくなよ」
「ミスキ、手袋して蓋開けて持って来な」
「ああ」
「ああ、じゃねえよ、ああ、じゃ!何だよ、親子して平然と何やってんの!」
ステノスが騒ぎ出したが、二人は全く気にも留めずに淡々と作業している。何とかステノスはミキタの拘束から逃れようと挑戦してはいるが、体格が小柄な女性であることの不利を埋めようと研究し尽くした彼女の関節技は、余程の者でなければ逃れることは出来ないのだ。
「それ、飲んだら何でもベラベラ喋るけど、確実に廃人になるヤツでしょぉ?」
「廃人になれば喋ったことも忘れるから、丁度いいさ」
「丁度って何ー!?」
離れたところで見物を決め込んでいるクリューが呑気に話しかけて来る。もはやステノスはツッコミ担当と化していた。
防毒の付与魔法付き手袋をわざわざ身に付けて、ミスキは瓶の蓋を開けた。開けた瞬間、何とも泥臭い臭気が周囲に漂う。
「こういうのって、飲まされたくなければ吐けー、ってのが様式美じゃないのー?」
「別に飲ませりゃ吐くんだから選択肢必要か?」
「時間の無駄」
「もーやだー、この親子ー」
無駄なあがきをしているようなステノスに、ミキタもミスキも淡々と完全に感情が死んだ口調で飲ませる準備をしている。
「…あんたも一応親子だけどね」
泣き言を言うステノスを眺めながら、クリューはボソリと呟いたのだった。
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「無理なのー!俺、ホントにその骨がここの末っ子だと思ったから、飲ませても無駄ー!!」
ミキタがステノスの鼻を摘んで強引に口を開けさせ、ミスキが瓶を開いた口に突っ込もうとしていた寸前、最後の抵抗とばかりにステノスが叫んだ。さすがにその内容に、ミスキが動きを止めた。
強力な自白剤でも最初から知らなかったことは白状させようがない。もしステノスが言うように、彼があの遺骨を本当にタイキだと思っていたのなら当人の居場所は分からない。
「どうする?」
「飲ませて本当のコト言ってるか確認できればいいんじゃないかい?」
「そうだな。情報が出て来なくてもこいつが廃人になるだけだし。元は取れるだろ」
「鬼だー鬼の親子だー」
ステノスもそれなりに必死になっているのかもしれないが、どことなく間延びした口調が生きるか死ぬかを前にした人間とは思えない。いやだー、と叫びつつ、どこかでこの状況を楽しんでいるかのような余裕すら垣間見えた。
「人身売買の情報はつかんでますからー!それで手を打ってくださいませー!!」
その言葉に、自白剤をステノスの口元スレスレまで近付けていたミスキがようやく瓶を口元から離した。そして少し伺うように、ステノスを背後から拘束し続けているミキタに視線を送った。
「つまり?」
「……事情を知る者を締め上げて吐かせて来ます」
「そのまま逃げるんじゃない?」
「クリューちゃぁぁぁぁん!!」
身も蓋もないクリューのシレッとしたツッコミに、さすがにステノスも悲壮な叫び声を上げた。
「クリュー、こないだ渡した誕生日のプレゼント、まだウチに置いてあったよね」
「うん。いざとなったらあの薄毛キモ男に使おうと…あ、ここで使っちゃう?」
「今度新しいの買って返すよ」
「いいわよぉ、別に」
「…ものすごく嫌な予感しかしないのは気のせいでしょうか…」
「今持って来るわねぇ」
「人の話聞いてくださーい!」
誰もステノスの叫びは聞いていなかった。
今度は奥からクリューが片手に何か包みを持って来た。彼女は住んでいる場所は別のところにあるのだが、この店にもたまに泊まりに来るので私物は色々置きっぱなしになっているのだ。
「これを〜腰に巻い…巻……ちょっと!もうちょっとお腹引っ込めなさいよ!!」
クリューが包みの中から革のベルトのような物を出して、ミキタが拘束したままステノスの体を起こした。そして抱きつくようにしてクリューがそのベルトをステノスの腰に巻き付けたのだが、少々肉付きが良くなっている彼の腹回りには長さが足りなかった。言われるままにステノスは思い切り息を吐いて腹部を凹ませたが、到底長さが足りそうになかった。
「クリュー、ちょっと貸して」
ギリギリとステノスの腹を絞り上げているクリューに、ミスキが声を掛ける。そして手にしていたベルトのバックルの部分を開き、中の部品を少しいじった。するとまるで生き物のようにベルトの革がスルスルと伸びた。
「え?これ、そうやって調整するの?」
「いや、ちょっとした裏技。制御部分のストッパーも兼ねてバックルの中に回してるから、それを外した分伸びただけ」
「良く知ってるわねえ」
「これ、ウチの商会……の商品だから」
クリューはユウキから聞いていたので知っているが、まだミスキは職場を辞めたことをミキタに報告していなかった。何となく罪悪感から一瞬言葉を切ってしまったのだろう。
「まあ制御部分が無効になるけど、威力が上がる分にはいいだろ」
「おおい!威力ってなんだ、威力って!」
「死にはしないよ。せいぜい捥げる程度だ」
「捥げるって何がーーーー!!」
「母さん、発動時間はどうする?」
「俺を無視するなーー!!」
この革のベルトのような物は魔獣を生け捕りにする際に使用される拘束用の魔道具で、魔獣の体に巻き付けて強めの電流を流すことが出来るのだ。普通は罠のようなものとして使われ、人間に使用するのは原則禁じられているが、凶悪犯などを捕らえる際に利用される場合もある。
「三日だ。三日でタイキの行方が分かるヤツから情報を引き出して、あたしらがタイキに会えるように算段をつけな」
「三日!?無茶言うなよ!」
「タイキはひと月近く不当に拘束されてんだよ!三日でも長いくらいだ!」
「母さん、設定終わった。それ、外そうと思えば外せるけど、パスワードなしで外したら即座に発動するから」
ステノスにベルトを装着したミスキが声を掛けると、ようやくミキタは拘束を解いた。解放されたステノスがやれやれと言わんばかりにナイフを突き付けられていた喉元を拭った。しっかり刃を当てられていた感覚だった割には殆ど傷はなく、拭った手の甲には血の跡も付いていなかった。ミキタの手に握られているのはなまくらなどではなくしっかりと研がれたナイフなのは間違いないので、よほど刃物の扱いに慣れていないと出来ない芸当だった。
「参考までに、もし三日が過ぎたら、コレ?」
ステノスはそう言って、自身の親指をクイッと下に向けた。
「いや、死にはしない」
「そりゃ助かった」
「ただ、焦げて炭になって捥げる」
「どこがーーー!?」
ミキタとミスキは、揃って無言でステノスの腹の上に鈍く光っているバックルの、少し下側に視線を向けた。その冷たい視線はそっくりで、そんなところはさすがに親子だとステノスは妙に感心していた。が、よく考えてみたらそれどころではない。
「分かったよ!分かりました!何とかすりゃいいんだろ」
「分かったらさっさと行く!」
「へえへえ」
ミキタにピシャリと尻を蹴り上げられ、ステノスは肩を竦めて店を出て行った。
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ステノスが出て行った後、店の惨状に気付いてミキタが深々と溜息を吐いた。
それから三人は無言で倒れた椅子やテーブルを起こして隅に寄せ、各々モップや雑巾などを片手に散らばった食べ物の残骸や皿の破片などを片付けはじめた。思った以上にあちこちに散らばっていたので、店内がすっかり片付いた頃には、既に日付が変わっていた。
「何か飲むかい?」
「俺はいつもの」
「あたしは炭酸水。冷えたの」
疲れ切った顔で掃除用具をしまっていた二人に、ミキタが声を掛けた。それぞれの答えが返って来ると、彼女はグラスを三つ用意し、二つに氷を入れた。そしてリクエスト通りにいつものオレンジジュースと炭酸水、最後に氷を入れなかったグラスには琥珀色の蒸留酒を半分ほど注いだ。
「取り敢えず、お疲れさん」
ミキタがそう言うと、誰からともなくカチリとグラスの縁を互いに軽く触れ合わせた。
「……ねえ、あれ、ホントに違うわよね」
無言で半分程それぞれが飲んだ頃、クリューが少し離れたテーブルに置いてある白い容れ物と、なるべく拾い集めて再度紙に挟んである髪の毛にチラリと目を向けた。
「絶対違う」
「専門家の言うことだからね。…でもまあ、スッキリしないのも確かだし、一応確認してみるか」
即答したミスキにミキタも頷いたが、スッキリしないと言うのも一理あるだろう。
ミキタはキッチンに向かうと、白い紙と手袋を人数分持って来た。
容れ物を置いてあるテーブルに移動すると、その上に紙を広げて手袋をする。そして黙祷を捧げてから、そっと蓋を取った。
「…本物の骨だね」
「この大きさ…子供ね」
クリューがソロリと容れ物を傾け、ミキタが慎重に両手で中身を取り出した。流行病で亡くなった者の遺体は、火魔法と聖魔法が使える魔法士を必ず同席させ、火葬と浄化を同時に行うことが法で定められていた。その為通常よりも高温になる為に残る遺骨は少なく脆くなる。子供や老人なら尚のことだ。
小さな容れ物なのに、形の残っている遺骨はその半分にも満たない。ただ僅かに判別可能な箇所は、大人のものよりもはるかに小さいのは分かった。
「この歯の並び…タイキとは違うな」
「そうね。タイちゃんは歯並びは綺麗だったし…」
「八重歯もない」
顎の骨と思しき部分が取り出されると、ミスキが手に取って指で歯をそっと示した。
せっせとミスキが食後に逃げ回るタイキに歯磨きをさせていた甲斐あって、タイキの歯は虫歯一つない綺麗なものだった。そして、笑うと唇から覗く尖った牙のような八重歯が特徴的だった、しかしこの遺骨に残った歯は、高温で焼いたことを差し引いてもあまり綺麗とは言いがたい歯列だったし、何よりもその尖った歯が一本もなかった。
「もう確認はいいね?」
「ええ…ありがとう」
取り出した時と同じように慎重な手つきで、再び遺骨を容れ物に戻す。どうしても零れてしまった僅かな灰も、丁寧に紙の上で寄せてサラサラと流し込んだ。そして上から固く蓋を閉じると、三人は最初の時よりも長い黙祷を捧げた。
「この子…明日神殿に連れて行って埋葬してもらうわ」
「ああ」
クリューは手袋を外して、少しだけ潤んだ目で容れ物の表面をツルリと撫でたのだった。