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405.それぞれの目的


「嘘を言っても分かりますよ。それは同じ加護を持つ貴方ならお分かりでしょう?」

「……」


少しだけ首を傾げるようにハリの顔を覗き込むレイの顔はどこまでの美しい微笑みを浮かべているが、その目の奥には氷のような冷たさと、焼き尽くすような怒りが同居していた。


「沈黙は無駄です」


一瞬口を固く引き結んだハリに、レイの容赦ない声が覆い被さる。ハリはそれでも口を開くのを拒否していた。その頑な様子に、レイは少しだけ憐憫を含んだ顔になって目を細めた。


「…随分と複雑に拗れていますね」

「……見ないでください」

「それが嫌なら貴方の口から話すことです」

「……」

「それでは私が『見た』ことを全て大公閣下にお話するだけですよ。私の能力は大公閣下もご存知だ。しかし貴方の感情、想いはどの程度なのか私には判断できません」


サラリと胸元に落ちたレイの銀色の髪がハリの視界の端で揺れる。光を透かすその髪は、日の光を通過して一瞬だが淡い金色に光る。ハリはその色を見てかつて自分の側にいた優しい人を思い出して、思わず目を固く閉じてしまった。


「…僕は、あの方の…シオシャ公爵閣下の願いを、叶えたかった」


しばらくの沈黙の後、ハリは年齢には相応しくない疲れ切って全てを諦めたような力のない声でポツリと呟いたのだった。



ハリ・シオシャは世間にはコールイ・シオシャ公爵の唯一の孫ということになっている。しかしハリの母親でひとり娘だった元公爵令嬢は、王族の婿入り直前に別の令息と駆け落ちをした為に勘当、除籍されているので、その息子であるハリには相続権はなかった。ただ、夫を失って幼い子を一人で育てることが出来なくなった為に戻って来た娘を無碍には出来ず、ハリが稀少な加護を有していることもあって、成人するまでは面倒を見るということで一時的に迎え入れていた。


そんな立場のハリが強い聖魔法を発現し、その中でも聖人認定に必要な再生魔法も行使出来ることが判明した。シオシャ公爵家は王族が臣籍降下して興された家で、過去に何人もの王族と縁を繋いでいる家系だ。ハリが聖人認定をされると、王族の血縁から初の聖人になる。当時は最年長の聖女が引退したばかりというのもあって、ハリは異例の早さで聖人認定を神殿から受けた。

だが、聖人認定後に行われた血統の鑑定でコールイとは血縁にないことが判明する事態になるとは、誰もが予想もしていなかった。

本来は聖人認定の前に受ける鑑定だったのだが、ハリの再生魔法の発覚とほぼ同時期に王太子の長男が誕生した。王子と同時に新たな聖人の誕生は、神からも祝福された吉兆であると国内外に示すという王家の思惑もあった為に、鑑定よりも先にハリの聖人認定が異例で決まったのだが、そのせいでハリの出自は秘匿されることになった。


ハリは引き取られた当初から後継から外されていたし、聖人であれば神殿に仕えることを優先される。現在シオシャ家は、娘の勘当後に後継者として養子に迎えた王子が事故で亡くなっているので、正式な後継者は立っていない。だが、既に今の王太子の子の一人を養子に迎えることは王家との約定により確定しているので、ハリが後継にならなくても問題はなかった。直系の孫が継がなくても不自然なことではないため、敢えて混乱を招くようなことは公表されなかった。


それはあくまでも王族の血縁から聖人が出たとしたい王家と、神殿の先走りによる失態を隠したいという両者の思惑が一致したからだった。



「僕のせいで、あの方は不幸になった…だから、少しでもお役に立ちたくて、駒になりたかった」

「その為にお嬢様に近付いた?」

「恩を売って縁談を断れないようにして王家の血を大公家が受け入れたと民に思わせれば…そうすれば、王家の地位はより盤石になる。それがあの方の、公爵家の長年の大望でした」

「だから全ての薬効無効化の装身具を壊した?」


静かなレイの問いかけに、ハリはハッと顔を上げた。ハリの表情には驚愕と怯えが同居していた。


「あの装身具の製作には、私も協力して魔石に魔力を充填していますから」

「あ…ああ…」

「お嬢様が毒に触れて倒れたと聞いて、すぐにその装身具を調べる為に私が呼ばれました。そして聖属性の魔石に、別人の魔力を感じました」


ユリの安全の為に開発した本来は毒と認識されない薬効ですら無効にする装身具は、複数の魔石を微妙なバランスで調整した繊細なものだ。回復薬なども無効にされる為に常時使用は禁止されているが、市井に危険なミュジカ科の薬草が大量に出回っているので、ユリには外出時には身に付けておくようにレンザが厳命していた。


ユリとの接触の機会を窺っていたハリは、フォルオン公園で起こった食中毒騒動でユリが負傷したのを好機と捉えた。遠くから加護「真実の目」で見ていたが、どうやらユリは特殊な装身具を付けていて、それで毒を無効化していると分かった。薬師見習いであるユリは、毒に触れる機会もある。今回の怪我を治療するだけでなく、その毒に触れたときを狙って再び治療をすればもっと恩が売れて、打診している縁談が有利に進むのではないか。


そんな思惑を持ってハリはユリに近付き、治療と称して直接肌に触れることで治癒魔法と同時に装身具に自分の魔力を流し込んだのだった。


ユリには悪意や劣情に反応して反撃する防御の装身具も身に付けてはいたが、ハリにはそんな感情はなかったことと、本来は攻撃性を持たない聖属性の魔力を流されただけだったので反応しなかった。その為、繊細な魔力のバランスで動いている装身具が狂わされていたことに、ユリ自身も気付けなかったのだ。


そしてそのまま正しく機能しないままになっていた装身具の不調は、ユリが毒を受けるという最悪の形で発覚したのだった。



「お嬢様が特定の毒にはああした過剰反応が出ることはご存知でしたか」

「し、知らない…!ほ、本当です!だって、だって僕が治せないんじゃ意味がないじゃないですか」

「…まあ、そうですね。これに関してはお嬢様が最悪のカードを引いた、ということですね」


レイは溜息を吐いて、ハリがどうやら嘘を言っていないことを加護の力で確認した。わざと治療を施して恩を売る状況を狙うにしても、全く手出しが出来ないのでは意味がないのは確かだ。



レイの加護はこの国では「真実の目」と呼ばれるものだが、生国のキュプレウス王国では「鑑定」と名が付いている。魔法でも同じような分野のある加護なのでキュプレウス王国ではそこまで稀少なものではなかったが、レイの場合は幼い頃の環境のおかげでその加護の精度が高いことで有名だった。

通常の鑑定魔法ならば対象者の出自や体の状態が分かる程度であったり、絵画や宝石などの物質の鑑定のみに発現する者もいる。鑑定魔法は主に薄く広く鑑定出来るか、限られた対象を詳細に見ることが出来るかのどちらかに限られていることが大半だ。

加護の力による鑑定はその人物の過去や嘘を吐いているか否かも完全ではないが見ることが出来るし、条件さえ揃えば僅かではあるが未来視も可能だ。そして対象は生物に限らず、無機物でもそこに残された情念のようなものまで見ることが出来る。その範囲と精度は個人の能力によって差はあるが、通常の鑑定魔法より上位だと言われている。

ただレイは魔法でも鑑定を使える為、余程のことがない限り加護の力は使用しない。見え過ぎてしまうことは決して良い結果をもたらす訳ではないのだ。



「しかし貴方は決してしてはならないことをしたのです。治癒魔法を発現し、人を救う立場に就いている以上それは重罪です」

「…はい」

「ですが、まだ幼い貴方を聖人として認定してしまった神殿にも責はあります。いくら再生魔法が使えると言っても、もっときちんと学びの場を与えて、経験を積ませることが我々の責務でした」

「レイ神官長様は、僕の聖人認定には反対していたと聞きました」

「ええ、その通りです。才を持っているのと、それを生かす素質があるのかは別物です。神殿はもっと貴方に選択肢を与えるべきでした」


ハリが再生魔法を発現した時、周囲には多くの人間がいた。目撃者が多かった為に、神殿が把握するよりも早く市井に聖人が現れたと広まってしまったのだ。ちょうどその時期レイは王都から離れた場所にいた為、伝書鳥でハリの話を聞いた時には既に聖人認定は神殿の決定事項になっていた。

レイとしては、まだ幼いハリにはきちんとした教育や理念を教える必要があると聖人認定を見送るように意見を出したのだが、その決定の場に居合わせることが出来なかった。神殿の中で最高齢で任期最長の神官長を務めるレイがその場にいて異議を唱えれば、せめて慣例通りに血統の鑑定を先に行えていたかもしれない。しかしレイ不在のまま話は進み、急ぎ王都に戻った時には既に聖人ハリの存在は王都中に知れ渡っていた。

せめてレイはハリに聖人の身分を隠して、神官が修行の為に行うような奉仕活動や慈善事業などに参加させるように神殿に認めさせた。その時に何か問題が起これば、自身が全ての責任を負う、と宣言までしていた。


聖人や聖女は、欠損などの重傷者に再生魔法を施すことが主な役割だ。その為、人体について詳しく学んでおくことは必須であるし、怪我や血に耐性がなければ務めることは出来ない。実戦で目の当たりにした時に力が発揮出来ないようでは困るため、認定される前に一神官として怪我の絶えない騎士団や治癒院などで奉仕活動として治療に携わる。そこでどうしても耐えられない者や、向いていない者は別の道を選択することもあるのだ。

稀代の天才児と呼ばれているハリは、医学書を読破して理解するのは問題はなかった。しかしそれは座学のみで、実戦の機会がないまま彼は聖人に認定された。もし向いていなくても、それならばただの象徴として置いておくのにちょうど良い存在だという王家と神殿の方針がレイには透けて見えていた。ハリの白い髪と赤い瞳はよく目立ち、整った顔立ちにまだ11歳という年齢故の中性的で儚げな見目はプロパガンダとしては最上級だろう。


これで王族とは縁を繋がないと一貫しているアスクレティ大公家との縁談が調えば、建国王の時代から血の縁を繋がないという友誼を結んでいる一族同士が縁戚になる歴史的な快挙にもなる。表向きはハリは王族の血を引いていることになっている。しかし実際は大公家の遠縁の血を引いているため、アスクレティ家と子を成すことも可能なのだ。王家にしてみれば、これ以上の有効な手駒はない。


「時期を見て貴方が装身具に細工したことは報告はしますが、今は黙っておきましょう」

「え…?」

「庇う訳ではありませんよ。今それを報告して貴方が大公家の怒りを買えば、シオシャ家…引いては王家と神殿をも敵に回すでしょう。ただの一貴族ならばともかく、大公家は彼らと敵対出来る力を持っていますからね。本気で怒らせれば国が荒れる。だからお嬢様の無事を確認してから、改めて謝罪の場を用意しましょう。上手く行けば命までは取られないでしょうし」

「な、何で」

「私は今は神殿に仕える身ですよ。争いで国が乱れるのは遠慮したいのです」



レイはゆっくりと立ち上がって、ハリの首に装着されたままの魔道具に触れる。再び起動した魔道具は、ハリの膨大な魔力を利用して彼の体を拘束する。そして次の瞬間、まるで人形のように動きを止めていた護衛達も動き始めた。レイが周囲に張り巡らせていた時魔法を解除したのだ。


「聖人ハリ。貴方はお嬢様に恩を売って、縁談を有利に進めようとした。そうですね?」


レイはまるで初めてそれを確認するかのように、全く温度を感じさせない声色と表情で改めてハリに問いかけたのだった。



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「それでは、アレクサンダー様は明日はこの辺りを中心に薬草を探すのですね」

「はい。その予定ではありますが、思った以上の積雪なので範囲はもう少し狭くなるかもしれません」

「分かりましたわ。バルザック、貴方はそこに人を寄せないように誘導して捜索をして頂戴」


身支度を終えた喪服姿のレンザが離れに案内されて、それこそヒュドラ退治以来40年ぶりくらいにディルダートとアトリーシャに顔を合わせた。さすがにそれだけの時を重ねれば互いに年月の重みが顔に出ているが、それでもすぐに分かるくらい当時の面影が残っていた。

レンドルフには正体を隠しているのは予め伝えてあったので、そういったことには長けているアトリーシャがごく自然に「ご無沙汰しております、アレクサンダー様」と挨拶を交わしていた。片やディルダートの方は迂闊なことを言わないように言葉少なに「お久しぶりです」とだけ言うと、後のことはほぼ妻に丸投げしていた。レンザが偽名に使っている「アレクサンダー」は、ディルダートの学生時代からの親友の名なので複雑だったということもあった。


アトリーシャもあまり喋るとディルダートの挙動が怪しくなりそうだったので、あまり時間がないとすぐに本題に入った。


テーブルの上に準備しておいたクロヴァス領の詳細な地図を広げ、明日から薬草採取の為に山に入るレンドルフ達と、ディルダート捜索の為に赴くバルザックが顔を合わせないように打ち合わせていた。


「一応捜索と言いつつも目的は遺品の回収ということにしてしておきますので、あまり騎士達も周囲を動き回らなくてもおかしくないでしょう」

「そうね。でも最低でも五名は連れて行ってね。後から出発する二人から目を逸らせるようにしたいから」

「ええ。当日はなるべく目立つようにしますよ」

「俺も変装して着いて行ってもいいだろうか…」

「どうします、母上?」

「んーそうねえ…髪とお髭の色を変えれば大丈夫ではなくて?ほら、今の旦那様は殆どお顔立ちが分からないし」


アトリーシャの許可を得て、ディルダートは自身の遺品を探す一行に参加することになった。ディルダートの討死は誤報であったと発表するのは六日後を予定している。それが騎士団で定められた葬儀に列席する為の休暇の上限であり、レンドルフが辺境領にいられるギリギリでもある。その間に目的の薬草が採取出来れば前倒しになる可能性もあるが、期限内に見つかる保証はない。

レンドルフはそれでも見つからなければ迷わず辺境領に留まるつもりだが、早く見つかればそれに越したことはない。


地図の上には幾つかの印と、それを取り囲むように不定形な丸い図形が描かれている。その印は、かつてレンドルフがベテランの猟師から薬草の自生している場所を教えられたと思しき場所だった。複数あるのは、やはり昔の記憶なのでかなり曖昧になっているのと、地滑りが起こった場所なのでレンドルフが把握している地形と変化していたせいで絞り切れなかったのだ。そもそも森の中なので目印らしいものはなく、現地に行けば植生で多少は分かるが地図上で示すのは非常に難しかった。

取り敢えずそれらしき候補全てに印を付け、地滑りが起こった方向を囲むようにして捜索の範囲を絞った。地図上ではそこまで広範囲ではないが、雪深い山中なので捜すのは困難が予測された。


しかしクロヴァス領の信頼できる者を同行させた方がいいのではないかというアトリーシャの提案に、レンザは礼を言いつつもきっぱりと拒否をしていた。

今回の薬草は最高の状態で採取してその場で調薬をする為、出来る限り他者の魔力が混じらない環境にしておきたかったのだ。足元の悪い中の捜索になるので、身体強化魔法は必須だ。人が多ければそれだけ多くの人間の魔力が影響を及ぼすので、少しでも効能の高い薬草を入手するには最小限で向かうことが望ましいのだ。


「それに、今はクロヴァス家も注目されていることでしょう。薬草を探すことを妨害する勢力に気付かれたくないのです」

「分かりましたわ。ですが、くれぐれも無理はなさいませんよう」

「お気遣いありがとうございます」


明日の採取に向かう際に必要な物は慣れているレンドルフが揃えることにして、明日は早朝から動くということで早めに休むことになった。特にレンザはクロヴァス領は初めての訪問であるし、まだ本格的な冬の訪れではないが王都からすれば真冬よりも寒いので、体調には十分留意してもらわなくてはならない。


「これから別荘に戻るのも大変でしょうから、アレクサンダー様にはこちらの離れの客間を整えさせました。何かご要望がありましたら遠慮なく申し付けてくださいませ」

「お心遣いに感謝いたします」

「それでは俺は別荘で荷物の準備をしておきます」

「私も手伝おう」

「ありがとうございます、バルザック兄上」


王都から馬車に乗せて運んで来た荷物は、別荘の方で荷下ろしをし保管してある。他にも雪の山中に入る為に必要な物は別荘の方が充実している。立ち上がったレンドルフに、バルザックも一緒に立ち上がって手伝いを申し出た。それはもう少しでも弟と一緒にいたいという目的が丸分かりだった。


「あまり楽しげにするのは控えておきなさいね。一応旦那様の安否も分かっていないということにしているのですから」

「ええ〜…まあ、善処します」


無駄かもしれないが一応注意をしたアトリーシャに、バルザックは全くその気がなさそうな満面の笑みで返事をしたのだった。




お読みいただきありがとうございます!


聖人・聖女についての補足。

どちらかというと聖女の方が数が多く力も強いので、ハリの聖人認定は何としてもしておきたかったという背景もあります。理由は、現在認定されている聖人は再生魔法の力があまり強くなく、力の強い聖女達が全員未婚であるので、男性患者相手に再生させ辛い部分があるからです。その為、同性の聖人か既婚ベテラン聖女の存在が喉から手が出る程欲しかったのです。

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