402.ユリの過去とレンザの独白
お読みいただきありがとうございます!
ユリの両親を「はとこ」同士なのに「従兄妹」と表記しておりました。確認した範囲で修正しておりますが、見落としがありましたら申し訳ありません。ユリの父方の祖父レンザと母方の祖父が従兄弟同士と設定しておきながらどうしてこうなった(ボンコツ)
物語としては変更はありません。よろしくお願いします。
「そろそろクロヴァス領に入ります」
「この辺りには関所は設けていないのですね」
「他に人が通れるような道はありませんし、領境よりも安全で人里に近いところに設置しています。厳密に言えば褒められたことではありませんが、そうでもしないと誰も来たがらない無人の関所になるだけですから」
「言われてみればその通りですね。この歳になっても、やはり現地に来てみないと分からないことは多いものです」
大公家の所有している馬車は殆ど揺れも車輪の音も聞こえないが、さすがに舗装されていない道なので多少は揺れる。冷気が入らないように閉じられた鎧戸のような窓の内側をほんの少しだけ開けて、レンドルフは外を確認してレンザに告げた。
空は曇天ではあるが降りそうな程の厚みはないので、少なくともクロヴァス領に入るまでは天候には恵まれそうだった。冬場は殆ど雪が降っているこの辺りでは、この程度なら晴天と同じようなものだ。それに晴れ過ぎると雪からの照り返しが厳しいので、外で活動するには今くらいの天候が最適だった。
「あの、昨夜母から手紙が来たのですが『アレクサンダー様と久しぶりの再会を楽しみにしています』と…母とは既知だったのですね」
「既知、というのも烏滸がましい程度ですが…以前、ヒュドラ討伐の際に少々お手伝いを。とは言いましても、私は後方支援専門でしたが」
「ではもしかして父とも…?」
「ええ。お父君の勇姿は離れた場所で拝見しておりましたよ」
「そうでしたか…その、アレクサンダーさんは…」
「貴族か、ですか?」
レンドルフはあまり詮索してはいけないと思いつつ、気になっていたのが態度に出てしまっていたらしく、レンザにハッキリと問われてビクリと一瞬肩を竦ませた。大きな体でありながら、その様子は悪いことを見つかった少年のようにレンザの目には映った。
ごく一般的に、顔見知りではない相手に身分を尋ねるのは余程のことではない限り禁忌ということはない。もし隠したいのであれば相応の変装をしておくし、尋ねるのは相手が格上だった場合に失礼なことをしないようにという確認でもある。見た目から明らかに身分が違うのならともかく、微妙なところでは聞いてしまった方が安全なのだ。そうすれば相手の申告した身分に合わせて対応すれば失礼だと誹られたり、咎められたりすることはない。
「中央から最も離れた席を賜っております」
「そう、でしたか」
「もっとも、薬師として研究や後進の育成ばかりに気を取られている名ばかり当主ではありますが」
「どちらもご立派なことではございませんか」
言葉巧みに誤摩化してはいるが、レンザはそこまで嘘は吐いてはいない。大公家をそのように表現してもいいのかはさておき、この国の中央を王家とするならば最も離れているのは事実だ。
レンザはどの爵位かまでは明言を避けたが、大抵の場合「中央から離れた」と称するのは男爵位が一般的で、一代限りの士爵や騎士爵も含まれる。だからレンドルフもそのあたりだと誤解しているのだろう。レンザとしても敢えてそう取れる言い回しにしたので、その誤解はある意味正しいのだ。
そしてそれを聞いたレンドルフからは、ユリの祖父が貴族であることにほんの僅かに安堵が見えた。その根底には、ユリとは平民と貴族の間に横たわる溝がなかったことが含まれているのだろうとレンザは読み取った。
レンドルフ自身は現在は爵位もなくただ貴族令息というだけで、将来的には実家から籍を抜けて平民と変わらない身分にはなるのだが、それでも出自が貴族か平民かでは享受出来る権利は大きく異なるのだ。オベリス王国が王政であり、貴族の存在する身分制がある以上どこにいてもそれはつきまとう。レンドルフは相手が平民であっても気にせず付き合いが出来るが、必ずしも周囲が全てそうとは限らないのも理解しているだろう。
「…私は、ユリには自由に、望んだ道を選んで、その先で幸せになってもらいたいと思っています」
「はい」
「私の孫はユリ一人ですが、跡を継がせることも考えてはいません。当人が望むのなら助力は惜しみませんが、色々と厄介なことも多いですから。私としてはむしろそういった柵から遠ざけたいと思うのです」
ユリのことを考えている時に甘さを含む目になるレンザに、レンドルフは彼の愛情の深さを垣間見ていた。貴族であるなら、血を繋ぐことが最大の義務だと言われている。直系がいれば、多少能力が劣っていたとしても後継に指名する家は多い。直系以外に家を継がせようと血で血を洗うようなお家騒動に発展して、結果的に誰一人生き残らず家門自体が消滅した、などという話もレンドルフでも耳にしたことは一度や二度ではない。
しかし目の前のユリの祖父は、血を繋いで家を存続させるよりもユリの幸福を優先しようとしている。少なくともレンドルフには、その言葉に一切の嘘を感じられなかった。
「ユリの両親の話は少しは聞いていますでしょう?」
「ユリさんからはご両親のことは記憶にないと」
「アキハ嬢…いや、今はノーイ夫人ですね。彼女とユリの父がかつて婚約していたことも知っていますね?」
「は、はい…アキハさんに伺いました…」
レンドルフはエイスの治癒院で治癒士長を務めているアキハ・ノーイから、ユリの父の元婚約者だったと聞いていた。後継として頼りなく薬師になる気もなかったらしいユリの父と、せめて有能な妻を娶ればと周囲に決められた政略だったそうだ。しかしそれを由としなかったユリの父は、「真実の愛」の相手を見付けたとしてアキハとの婚約を解消したと聞いていた。
レンドルフは貴族の家同士の政略の重要性も理解しているが、両親や兄達が恋愛結婚だったこともあって、多少複雑な気持ちになった。しかしその後生まれたユリを育児放棄していたと聞かされた時には、そんな吹けば飛ぶような薄っぺらいものを「真実の愛」などと言うべきではないと腹立たしく感じた。そこに過分に個人的感情が含まれているのは分かっていても、やはり腸が煮えくり返るような気持ちになったのだ。
「あの時はユリの母にも別の婚約者がいましてね。だから彼らはあちこちに多大な迷惑を掛けたのです」
「ええと…それは俺が伺っても良いものでしょうか…」
「聞きたくないなら止めますが?」
「そ、れは…」
ユリのことは彼女自身が話してくれる時まで待つと宣言してしまった手前、レンドルフはそこで即答出来れば良かったのだが、つい言葉に詰まってしまって顔が熱くなるのを感じた。レンドルフとて気になる相手のことは知りたいと思う気持ちは人並みにあるのだ。ユリが嫌なら無理に聞き出すつもりはない気持ちに嘘はないが、一瞬欲望に揺らいでしまったのが丸分かりだった。しかもユリの身内の前での失態に、こめかみにジワリと汗が滲むような気がした。
レンザはすぐに赤くなるのが分かりやすいレンドルフにほんの少し目元を緩めたが、笑ってしまってはこの気の良い青年に失礼だとすぐに顔を引き締めたので、幸いレンドルフには気付かれなかった。
「では、私の独り言だと思ってください。それに、アキ…ノーイ夫人の話に少し付け加えるだけです」
「は、はい…」
そう言われても、レンドルフはきちんと姿勢を正して真剣な顔をしていた。
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「当初は家同士の契約も理解しない息子夫婦を勘当しようかと思いましたが、なにぶん一人息子で、私にも兄妹はいなかったのです。ですから父…ユリからすると曾祖父が、褒章として賜って管理していた男爵位と小さな領地を譲りました。後継は縁戚から取るにしても、放逐して何かあった時に困りますから。そして抑止の意味で、アスクレティ大公家の寄子に連ねさせたのです。幸い領地は隣接していましたので、大公家の領地の一部として管理する代官の職を務める形にしました」
ユリからも曾祖父も薬師で、王家から幾度も褒章を受け取っていたとレンドルフも聞いたことがあった。アスクレティ家は「医療の」と二つ名が付く程に医師や薬師を多く輩出して来た歴史がある。薬師として多くの手柄を立てて来た家に繋がるからこそ、大公家も寄子として麾下に入れたのだろうとレンドルフは納得した。
レンザはそこで一旦言葉を切って、大きく息を吐いてから「しかし」と続けた。
「私も息子の教育に失敗しているので言えた義理ではありませんが、妻になった令嬢も色々と問題のある女性で…そんな二人だったので、当然のように領地を治めることは出来ず、あっという間に困窮しました。更に追い討ちをかけるように、生まれた子は…ユリは、病を持って生まれました」
ユリの父は、レンザやムクロジには似なかったのか、魔力量も少なく魔法の制御も得意ではなかった。一応風属性は発現したが、木の枝の先を落とすのがせいぜいだったのだ。だからこそ優秀なレンザやムクロジに比べられて来たことで、より彼の性格を捩じ曲げたのかもしれない。
しかしそれでもアスクレティ家の直系で、その身に流れる血は濃いのだ。「真実の愛」の末に伴侶に選んだ女性ははとこにあたり、もし子が出来れば、国王や王太子などの王家の直系よりもはるかに高い魔力量を有している可能性が高かった。いくら大公家当主が王家に反旗を翻す気はないと言っても、分かっていて子を成したとなれば、王家への反逆、玉座の簒奪を目論んでいると疑われて厄介なことになる。それを避ける為に子を成すことはならないと二人には言い聞かせ、当人達も納得していた。
しかしそれをどう曲解したのかレンザには知る気もないが、程なくしてユリが生まれてしまった。そして予想通りユリの魔力量は膨大で、その上血の濃さから先祖の体質が蘇ったのか特殊魔力も有していた。その特殊魔力は、人に不快感や体調不良を引き起こさせるもので、ユリの両親は早々に育児放棄をしたのだ。
「ユリの病は、詳しくは申せませんが魔力に関わるもので、きちんと専門家の指導の元に適切な治療を行えば日常には問題もなく成長と共に治まるものでした。だがそれには手間と金が掛かる。彼らは、ただでさえ困窮していた上に金の掛かるユリを厄介者として放置しました。その時のことでユリの成長に影響が出て、あまり体は大きくなれませんでした」
両親の死後、母方の実家に預けられたがそこでも酷い虐待を受け、身も心も萎縮した状態であったユリは、その後の生育も非常に遅かった。レンザが保護してから手厚い看護を受けて数年でようやく実年齢に追いついたが、それでも身長はごく小さいままだった。一応その後は問題なく健康体であると診断はされているが、子を望むのは不可能ではないが、その過程で非常に体に負担が掛かるだろうとは言われている。さすがにこのことはレンドルフには言うつもりはないが、もしユリが彼とこの先を望むならばそのことも特殊魔力も、そして大公女であることもいつか話さねばならない時が来るだろう。
「彼らが亡くなった時ユリは三歳で、到底跡を継げる筈もなく、更にロクに治められなかった領地は荒れに荒れ、とてもではないが跡を継げるような状態ではありませんでした。ですから爵位は王家にお返しして、領地は大公家に吸収されています」
元々薬草を育てるのに適した土地で、特別なことはしなくても堅実に薬草栽培と領地運営を行っていれば下位貴族として十分な生活が送れた筈だった。仮にユリの為に費用が掛かったとしても、困窮する程ではなかった。しかしレンザは息子夫婦が亡くなってしばらくしてから領地を直接視察に行って、その荒れ具合に呆然としたのを覚えている。そして遺品からは、もう夜会などに招かれることはないにも関わらず大量の夜会服や宝飾品が出て来て、たったひとりの息子の死を悼むよりも情けなさに頭痛がした記憶しかない。
「私は…私もユリの存在を知っていて、息子達への憤りをそのまま無視する形でぶつけていました。それは育児放棄していた彼らと何ら変わりません。今思うと、これほど愛しい存在をどうして無視出来たのか、慚愧に堪えません」
レンザはこの気持ちが「魂の婚姻」の影響もあると理解していたが、しかしただ一人の孫を溺愛する祖父の範疇で留まっていると思っている。生まれてこの方、大公家の後継として厳しく教育されて来たレンザは、亡き妻にも息子にも一定以上の愛情を抱くことはなかったし、それが当然だと思っていた。しかし孫のユリに対しては、これまでに経験したことがない程に気持ちが揺れる。ただひたすらに甘やかして庇護したいと思ってしまうのだ。
それを異常と思わないのは、レンザの父ムクロジの影響もあった。彼もまた大公家の当主らしく、息子のレンザには貴族らしい範疇で接していた。だが、そんなムクロジが孫に当たるユリの父の為に優秀な婚約者を捜して来たり、その婚約が解消された後も勘当はせずに爵位を自ら与えた。レンザにしてみればありえない程の甘い対応だった。そして極めつけは、ユリの両親の死が事故に見せかけた暗殺だと知った時、それに連なる家門を次々と断罪して、そのまま消息を絶ったことだ。その行方はレンザにも分からないが、あまりに報復が苛烈過ぎたせいで、自身の身を消滅させてしまったのだろうと予測していた。ムクロジの墓はあるが、そこは空のまま僅かな遺品が納められている。
そのムクロジの行動の根底には、孫に対する感情、それを愛情と呼んでもいいものがあったのではないかとレンザは理解していた。
だからこそ、レンザはユリに対して甘やかしたくなる気持ちは、ムクロジのそれを同じものだと思っている。
「私がユリの為に尽力するのは、その時の罪滅ぼしのつもりなのかもしれませんね」
レンザは声を潜めるようにしてそう呟くと、小さく溜息を吐いた。レンドルフは「独り言」と称されていただけに、言葉を挟むことも出来ずにそのまま沈黙していた。
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「…年を取ると独り言が多くなっていけませんね。さぞ煩かったことでしょう」
「いいえ、そんなことはありません」
レンザの独白のような話が終わったのだと分かりやすくレンドルフに微笑むと、レンドルフは真剣な顔で首を横に振った。
「その、大切なユリさんに、必ず解毒薬を届けましょう。絶対に、薬草を見付けてみせますから」
レンドルフの柔らかな色合いのヘーゼルの瞳が、思いの外強い光を持ってレンザを一直線に見つめて来た。少なくともレンドルフは、レンザがユリに対して祖父として愛情を惜しみなく注いでいると思ったようだった。そのことでより薬草採取に向けて気持ちを新たにしたらしい。
「ええ、よろしくお願いします」
レンザにしてみれば非常に頼もしく、しかしほんの少しだけ嫉妬をしてしまうような真っ直ぐさで気持ちをぶつけて来るレンドルフに向かって、柔らかく微笑んだのだった。