401.ハリの目的とサミーの覚悟
ハリは誰もいない廊下を足早に進んでいた。
途中、この治癒院に入院している患者の家族らしき人物とすれ違ったが、神官服を脱いで平民が着るような服になっているハリは、ただの家族の見舞いに来た子供にしか見えない為怪しむ人もいない。これが不安気にキョロキョロしているなら迷子かとも思われるが、堂々と目的地に向かう様子のハリを気にする者はいなかった。
ハリの加護「真実の目」で治癒院の職員や警備員のいない場所を選んでいるので、多少遠回りではあるが確実に目的地に向かって歩を進める。目的はユリがいる特別室だ。その場所は既に把握しているが、近付くに連れて警備が厳しくなっている。さすがに道を間違えた見舞いのフリをするのは厳しくなって来たところで、ハリは椅子に座ってぼんやりとした様子で周囲を見回す。
(あれが使えるな)
加護の力を使うと、ハリの目には建物の壁を透かして人々の動きが見える。治癒院の中には多くの人々がいるのでそこから各自の動向を探るのは骨が折れるが、短い時間に集中して行えば不可能ではない。
その中でハリは、清掃担当の職員がシーツなどのリネンを回収している動きを観察して、それが必ず警備員が立っている場所を通ることを把握する。そして彼らはリネンを回収して外に出る時は余計な物を持ち出していないか中を確認しているが、入る時は確認していないことを見付けた。入る時はリネンを入れる袋の付いたカートは凹んでいるので、誰かが潜んでいる可能性はないと判断しているのだ。しかしそれは大人の場合であって、ハリのような小柄な子供ならば多少袋が膨らんでいても、ただそういった形にたまたま歪んでいるだけだろうと思い込んでそのまま通過出来る。
ハリは軽く口角を上げると、椅子からヒョイと立ち上がった。が、加護を使い過ぎたせいか一瞬足が縺れて近くの壁にぶつかるような勢いで背中ごと体重を預けて体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「え…は、はい。大丈夫…」
カチリ
辛うじて倒れずに済んだハリの隣に、心配して誰かがやって来たのか目の前に大人の手が差し伸べられた。頭上から聞こえて来た大人の男性の声に聞き覚えがあるような気がしたが、ハリはとにかくここで体調不良を疑われて誰かを呼ばれるのを防がなければならないと、咄嗟に取り繕うことに神経を集中させていた。
しかし次の瞬間、首の辺りにヒヤリとした感触と冷たい金属音がしたかと思うと、足から力が抜けて床に倒れ込みそうになった。床に体が着く前に抱きとめられて、横抱きにされたのか体が宙に浮く。
「あ…貴方は…」
「仕事熱心なのは良いですが、規則を守らないのはいけませんね」
ハリが動き辛い体を動かして顔を上げると、そこには銀の髪に淡い青色の瞳を持つ美しい青年の顔、神官長レイが薄い笑みを湛えて自分を見下ろしていた。その目の奥には、その色よりももっと冷たい冴え冴えとした感情が潜んでいるようだった。
「貴方の会いたがっていた方に会わせて差し上げましょう」
「え…?」
「ただし、鑑定…いえ、使用出来るのは加護だけ。見るだけです」
「そ、れは」
「治療を施すことは許しません。…と言うより、出来ないでしょう。貴方に聖人としての自覚があるのなら」
気が付くと、レイの周辺には数名の人間が控えていた。その中の険しい顔をした白衣の黒髪の女性がやけに印象に残った。
「自分が何をしたか、きちんと見ておきなさい」
そうハリに告げたレイの言葉は、一切の温度を感じさせなかった。
------------------------------------------------------------------------------------
中途半端な時間だったせいか浴場には客はおらず、レンドルフは広い湯船で存分に手足を伸ばすことが出来た。一緒に来ていたサミーは、冬場でもあまり湯船で温まることが得意ではないらしく、すぐに外に出てしまっていた。
レンドルフが上がって休息所に行くと、サミーは気楽なインナー姿で炭酸水を飲んでいた。この休息所は浴場と繋がっているので男女別になっていて、こうして気楽な姿で寛いでいても何ら問題はない。レンドルフも似たような恰好で、瓶入りのリンゴの果実水を購入してサミーの近くに腰を降ろした。
「どうも育ちのせいか、こうやって湯を豊富に使うってのには慣れませんで」
「この国の生まれではなかったのか」
「生まれは…よく分かりませんが、育ちはラストーラ王国で、そこでも北端の場所にいました」
「ラストーラ…ここからだと西の砂漠を挟んで北側にある海に面した国…だったかな」
「ええ。海は温暖で豊かで、陸は山岳地帯が多くて寒い場所が多い国土の国でさ」
レンドルフは頭の中に地図を思い浮かべて、ラストーラ王国の場所を確認する。乾燥した砂漠の多いコルディエ皇国と隣接している小国で、険しい山が国土の大半を占めている。その代わり豊かな海に囲まれる半島のようにせり出した形をしているので、海産物や海運業が盛んな国だった筈だ。陸地はあまり農地や住居に向いていないので、国民の何割かは海や周辺の小島で暮らしていると言われていた。
「俺も海で育ったようなものなんで、食べ物や飲み物以外で水を使うとどうにも収まりが悪くて」
「じゃあこの国に来て驚いただろう」
「そりゃそうですよ。洗濯や食器なんかを水で洗う、ましてや湯浴みなんて、どこのお貴族様かと」
ラストーラ王国は雨が少ない上に、険しい山に降った水はあっという間に海に流れ込んでしまうのだ。そのおかげで海が豊かではあるのだが、真水を確保するのが難しい。水が豊かなオベリス王国と違って、ラストーラ王国では飲食用以外で生活用水を使用するような場面では浄化魔法や魔道具を使うことが主流だ。
「レンの旦那は色が白いですね。北の地出身の人は肌が白いと聞きました」
「俺は特に白いらしい。多分母に似たんだろうな」
「俺は生粋のラストーラ人ではないようなんで、あっちでは色白で通ってましたが、こちらの国に来ると日焼けが染み付いているみたいですね。よく南のバーフル出身かと言われましたよ」
コルディエ皇国の民は褐色の肌に黒や紺色などの濃い色の髪が特徴的だが、周辺の国はオベリス王国の民とほぼ変わらない。同じ大陸内で長らく交流があったり、支配したりされたりなどもあって、オベリス王国を含む大陸は比較的近しい特徴を持った民族が主に暮らしているのだ。コルディエ皇国は主都と他国の間に広大な砂漠が横たわっていたので、血の交わりがあまり多くなかった為だと言われる。
他愛もない話をしていると、気が付けば夕食の時刻が近くなっていた。二人とも髪も体もすっかり乾いたので、鍵付の箱に入れていた服をせっせと着込んだ。この季節に湯冷めをして風邪でも引くと大事になるので、着込む量は多い。レンドルフなど一着の布量が多いので、箱の中にはパンパンに服が詰まっていた。
「ところで、さっき話しかけられていたのは…」
「ああ、騎士団の方ですよ。どうも王城付の方だったらしくて」
「第三騎士団か?」
「ああ、そんなこと言ってましたね。何か、俺の目の色で確認したいことがあるとか何とか。ちょいと偉そうだったんで、ムカついたのが表に出ちまいましてね。身分証を出せとか詰所に来いとか絡み出したんで、レンの旦那に声を掛けてもらって助かりましたよ」
「ああ…その色ではな」
サミーは普段は眇めがちにしているせいかあまり気付かれないが、薄紫色の瞳をしている。これはこの国では主に王族の血が入っていると現れやすい色なので、それで声を掛けたのだろうとレンドルフは思った。どんなに血が薄くても時折出ることもあるので、必ずしも薄紫の瞳が王族と認められるとは限らないのだが、出自が分からない平民で見つかれば一応確認される。異国出身であれば特に問題なく身分証を確認するだけで終わるのだが、たまたまサミーが身分証を手元に持っていなかったので拗れてしまったらしい。
「こいつもねえ…面倒なんで色を変えちまいたいんですが、俺は魔力量が多いらしくて結構金が掛かるって言われちまって。ま、金が貯まるまでは、こう…やって誤摩化しますよ」
サミーは苦笑しながら、レンドルフに向けてわざと大袈裟に目を細めて前髪を垂らしてみせた。それでもじっくり見れば分かってしまうのだが、街中ですれ違う程度ならばバレずに済むだろう。
既に分かっているレンドルフには気を抜いているのか、目を細めることはあまりしていない。取り繕っていない時のサミーは切れ長で鋭い目ではあるが、決して細い目ではない。本人が生まれが分からないと言っているのと簡単に色を変えられない程の魔力量を持つとなると、ひょっとしたら…という可能性は高いかもしれないが、これ以上はレンドルフが踏み込むべきではないと判断した。
実のところサミーは先王の庶子で現王の異母弟に当たるのだが、その存在は記録に残されていない。サミー自身は出自を知っていたし、父親にあたる先王もサミーの存在は知っている。しかしサミーは生涯名乗り出る気はないし、先王もその存在を表に出す気も行方を探すつもりもない。そもそも顔を合わせたこともないので、おそらくどこかですれ違ったとしても目の色から遠縁かもしれないと思う程度で互いに親子とは分からないだろう。
それに、今のサミーは大公家の力で養父の実家の戸籍に書き換えられている。先王の庶子のサミーはその存在もなくなったも同然なのだ。あるとすれば平民には相応しくない程の膨大な魔力量と薄紫色の瞳だけだ。それも大公家からの許可が下りればその色も手放すつもりだ。
大公家がサミーをどう利用するかは分からない。しかしサミーは大恩ある養父母の直系さえ守れるならば、自身に流れる血を一滴残らず利用してくれて構わないと思っているのだ。
「一緒に宿に戻れば声も掛けられることはないだろう」
「ええ、しっかり離れず着いて行きますぜ」
しっかりと手袋までして防寒の支度を済ませた二人は、すっかり日が落ちて暗くなり始めた空に反比例して明かりの灯り始めた目抜き通りを引き返して行った。そしてレンドルフとサミーはサギヨシ鳥の串焼きを売る店で同時に足を止めて、つい夜食用に袋一杯に購入してしまったのだった。