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閑話.クロヴァス家の人々

今回は初登場の人物がゾロゾロ出て来ます。


クロヴァス領の領都から馬車で半日程離れた保養地として使われる地区で一番大きく目立つ領主の別荘には、少し前から黒い旗が掲げられていて、更に今日は同じく黒い旗を付けた馬車が数台停まっていた。


ここは当主を引退した先代夫妻が暮らしていて、その黒い旗が掲げられて以降門は閉ざされている。出入りの業者や使用人達は普段と変わらない動きだが、常に鍛錬と称して自警団と共に山中に入っては仕留めた魔獣を肉屋に抱えてやって来る赤い熊…ではなく先代当主の姿は見えなかった。


黒い旗が掲げられるということは、この領地で高い身分の者が亡くなったという知らせだ。先代当主の姿が見られなくなってすぐにその旗が掲げられたので、そこに住む領民達はまさかという思いと、何かの間違いであってほしいという祈りを屋敷に向けながら、不安な日々を送っていた。



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「ぢぢゔぇぇぇぇぇ」


部屋の中には、黒い服を来た人間がひしめき合っていた。

実際にはひしめき合う程狭い部屋ではないのだが、通常よりも大柄な人物が半数を占めているので非常に圧迫感があった。


「ご無事だったのだから、喜ぶところではないのか」

「喜んで泣いで何が悪いのだぁぁぁ」

「兄上、いい加減泣き止んでください。同じ顔で鼻水を垂らされているのをこの歳で眺めるのはキツい」

「お茶を淹れ直しましょうか」

「いや、どうせ淹れ直してもすぐに飲めないと思うよ」


部屋の中には、四人の男性と三人の女性がいた。男性四人は、一目で血縁であると分かる程全員そっくりの顔立ちをしていた。男性は皆が赤い髪に赤い瞳、そして見上げる程の巨漢であった。それは間違いなくクロヴァス家の血統である。違うところと言えば年齢の差で多少髪に白いものが混じり始めていたり、目元に刻まれた皺の深さの差だったりくらいで、年代順に並べれば一人の人間の老けて行く様を表現しているかのようにも見えてしまう。


そこで大泣きをしているのは現当主で長男のダイス、その隣で厳しい顔をしながらも顔をハンカチで拭ってやっている背の高い短髪の女性はその妻のジャンヌだった。そしてうんざりした顔をしながらソファで寛いでいるのは次男バルザックで、不眠不休で隣国からやって来て先程湯浴みをしてようやくひと息をついたところだ。

そしてこの場では一番年下で身分も下になるので給仕をしようと立ち上がりかけたのがダイスの長男の妻エミリア、それを冷静に止めているのが夫のディーンだ。


「ええと…すまないな…」

「ダイスのおかげであまり疑われていないのですもの。それでいいのよ」


眉を下げてションボリと背を丸めているのは死んだと言われていた前当主ディルダートで、その隣でニコニコと笑っているのは前当主夫人アトリーシャだった。


「バルザックは予想よりも早かったのね」

「ええ。母上から調査依頼を受けて、(ミューズ)が近いうちにクロヴァス領に呼ばれるだろうと、いつでも向かえる手配をしておいてくれました」

「まあ、さすがね」

「彼女も隣の大公領が騒がしいのは気にしていましたからね。書簡でのやり取りは危険だと思っていたようです」


次男のバルザックは隣国ガリヤネ国のエウリュ辺境伯家に婿入りしていた。一人娘で、魔境と呼ばれる国境の森の動植物の研究をしていた天才肌の令嬢だったが、今は辺境伯家を継いで当主を務めている。彼女は領政にも並々ならぬ才を発揮して、オベリス王国よりも女性の地位が低いガリヤネ国で立派な女領主として辺境に繁栄をもたらしている女神と名高い。

その彼女へ向けてアトリーシャから密かに、最近クロヴァス領にガリヤネ国の密偵が入り込んでいるので、捕らえた者の外見的な特徴や喋り方の癖、他にも細かい情報を提供してガリヤネ国のどこから送り込まれているかを調査して欲しいと依頼があったのだ。アトリーシャも薄々どこからかは察しているようだったが、きちんとした確信を得たかったのだ。

そして調査の結果、密偵はガリヤネ国の主都、更に言えば王宮から放たれていたことが判明した。


その結果は、符牒にして既にアトリーシャに送り返しているが、今後の対応についての相談は一度で済む筈がないのは分かり切っているので、書簡よりもおそらく何らかの理由を付けてバルザックを里帰りさせるだろうと読んでいたのだった。


「私もこのタイミングだったので偽情報かと思ったんですが、兄上の書簡のせいで可能性は半々にまで確率を上げられましたよ」

「それでバルザックはどちらに賭けたの?」

「ミューズが『生きてる』に賭けて譲らなかったので、私は仕方なく『死んでる』にしました。おかげで大損です」

「何か、すまない…」


生死を賭けの対象にされているにも関わらず、またしてもディルダートが謝った。


「貴方達もちゃんとここに辿り着いたのね。聡明な孫達で嬉しいわ」

「ありがとうございます、お祖母(ばあ)さま。エミリアが気が付きまして、話し合った結果ここだろうという判断に達しました」

「正解よ。エミリアちゃんは良い選択眼を持っているようね」

「み、身に余るお言葉、光栄でございます」


エミリアは頬を赤くして少し興奮した様子でアトリーシャに頭を下げた。緊張のあまりか貴族の仕草を忘れてしまっているが、童顔で少しふっくらとした体型のエミリアは動作に何とも愛嬌があるのでむしろ微笑ましく映る。



次期当主夫人でもあるエミリアは、元は隣の子爵領にある大きな商家の平民だった。彼女は平民向けの学校を僅か一年で卒業する秀才ぶりを発揮して、貴族向けの学園でもっと専門的な学問が学べるように領主の子爵の養女になった経歴の持ち主だ。商団に同行していた幼い彼女の聡明さに気付いたアトリーシャが子爵家に養女にするように後押しをしたのだ。その後ダイスの息子達の誰かと縁を繋いではどうかと持ちかけたのが切っ掛けで嫡男のディーンと婚姻し、こうして今はクロヴァス家の一員となったのだ。


このディーン、エミリア夫妻がここにいるのは、様々な情報を拾い集めて推測して元当主のディルダートの訃報は嘘であり、二人の住んでいる別荘から少し距離のある離れにいるのではないかという答えに到達して訪ねて来たのだ。息子達には召集の号令を掛けたが、自力でここまで辿り着いた次期当主の孫夫婦をアトリーシャは大喜びでこの場に招き入れたのだった。



クロヴァス家の男性陣は外見が似ていて、大柄で厚みのある筋肉質な体型で常人よりも力が強いために剣術や体術に長けている。その為脳筋一族と捉えられがちだが、権謀術数に長けた者もきちんといるのだ。ただ王都などで社交で丁々発止をするのはあまり好まない者が多かったので、血筋だけしか誇るところのない凡庸以下な貴族には田舎者の脳筋貴族と思われている。しかしむしろ脳筋に見せかけて相手の油断を誘い、まんまと策に嵌めるのを得意とする者もいる。今集まっている中ではバルザックとディーンがどちらかと言うとそのタイプだ。外見はともかく、中身はアトリーシャ似なのだ。


「あと来てないのはレンドルフだけか」


バルザックがこの領で穫れた木の実入りのクッキーを摘みながら「あいつがここに入るとますます狭くなるな」と呟きながらも、明らかに嬉しそうな顔をしていた。バルザックの弟大好きぶりは身内では有名だ。レンドルフが生まれる前に婿入りして故郷を離れていたので、過ごした時間は圧倒的に少ない。だが幼いレンドルフの顔を見た瞬間に陥落して、幾度となく遊びに寄越すようにディルダートやダイスにせがんでいた。あまりにしつこいので、留学と称して数ヶ月隣国にレンドルフを預けたこともある。

一応バルザックも成長して誰よりも大きく育ったレンドルフのことは兄や両親から話を聞いて知ってはいるのだが、やはり可愛い弟という認識は変わらないらしい。


「連絡をしてすぐに王都を出たそうだから、あと二、三日で到着するのではないのかしら」

「じゃあ到着に合わせて父上の訃報は誤報でした、って知らせます?」

「どうしようかしら。王都に知らせると『すぐに帰って来い』って命じられるかもしれないわねえ」

「じゃあ到着して六日目でいいんじゃないですかね。確か親の死亡の場合、特別休暇は最大一週間だった筈ですし。ギリギリまで引き延ばしましょう」

「それもそうね」

「俺はそれまで死んだフリをするのかっ!?」


そんなふうにサクサクと決めて行くアトリーシャとバルザックに、悲鳴のようにディルダートが口を挟んだ。


「地下の訓練場で体を動かすのは出来ますでしょう?」

「それは、そうだが…」


世間的にはディルダートは死んだことになっているので、外に魔獣を狩りに行くことは禁じられていた。代わりに隠居してこの土地に暮らすようになった際に特別に作らせた地下にある広い訓練場で、ディルダートは日々体を動かしていたのだ。この地下ならば外がどんな天候でも鍛錬が出来るように作らせたものだが、ディルダートはどんな悪天候でも魔獣が出没したと聞くと飛び出して行ってしまうので、思ったよりは使われていなかった。むしろ隠遁生活をしている今が一番使っているかもしれない。

しかしそれでも外に出られないのはディルダートには辛いらしく、アトリーシャの言うことは絶対に従うのだが大分ストレスにはなっているらしい。


「折角ですから、バルザックと手合わせをなさったら?」

「おお!それはいい!よし、行くか」

「私は今日到着したばかりですよ!」


アトリーシャの提案に、今度はバルザックが悲鳴を上げた。



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ディルダートはもう何年も手合わせをしていないバルザックを引きずってでも訓練場に行きそうな勢いだったが、幾つもの箱に入った手紙を仕分けする手が足りなくなるとバルザックが必死に主張したので渋々引き下がった。

そこで同じように仕分けの役に立てそうにないダイスを連れて行こうとしたが、ダイスは当主直筆でディルダートの訃報は間違いであったと各方面への詫び状を書かなくてはならないので断られた。


「ではおじい様、僕とお願いします」

「おお!望むところだ」

「では、先代様。私もお願いしてもよろしいでしょうか」

「えっ!ジャンヌが行くなら…」

「ダイ、貴方は手紙をお願いします」


気を遣ったのか、ディーンがディルダートの相手に立候補する。彼も事務作業は苦ではないが、そのままディルダートを放っておくのも忍びなかったのだろう。そして完全に事務作業から遠ざかりたかったであろう現当主夫人のジャンヌも立ち上がった。彼女は長らくアトリーシャの専属護衛騎士を務めていたし、ダイスを始めとする三兄弟だけでなく、息子達に剣術を叩き込んで来た女傑だ。さすがに年齢を重ねて最盛期のような動きは無理でも、その分技術や経験で補うことは出来る。ディーンと二人掛かりならばディルダートの良い鍛錬相手になれるだろう。

それを聞いてダイスが着いて行きたそうな顔になったが、やんわりとジャンヌが押し止めたので、ダイスは見る間にしおしおと濡れてしょぼくれた熊のようになってしまった。


「手紙が終わったら来ればいいでしょう」

「だが…」

「待っていますよ、ダイ」

「っ!ああ!すぐに書き上げる!」


ジャンヌが薄く微笑んでダイスの髭に軽く触れると、ダイスはたちまち元気を取り戻してキラキラとした目を妻に向けた。それを見ていた部屋に残る面々は「よく分かってる」と心を一つにしたのだった。



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そこからは残った全員が一丸となって黙々と作業をしていた。本来ならば使用人に任せる作業だが、今は他の者を介入させるわけにはいかない。

彼らがしているのは、ディルダートの訃報を流して以降にクロヴァス家や当主宛てに届いた手紙と、アトリーシャ個人宛てに届いた手紙のリストを突き合わせて、どちらにも送って来たか片方だけか、そしてどんな内容の手紙を送って来たかを確認する作業だった。


「うわぁ…母上宛の恋文なんて見たくなかった…」

「申し訳ありません。なるべくお義祖母(ばあ)さまのみの手紙はこちらで引き取ったつもりでしたけれど」

「いいのよ、そこまで気を遣わなくて。バルザック、余計な手間をエミリアちゃんに掛けさせないでちょうだい」

「はい…」


当主とアトリーシャ宛て両方に送られて来ているのは、ほぼディルダートの死を悼み、お悔やみを述べるものが大半だった。他にも、葬儀には行けないが王都で行われる別れの儀には参列したいので日程が決まったら連絡が欲しい、という常識的な内容だ。

しかしアトリーシャ個人にのみ送られて来たものは、彼女と親しかった人物からの純粋な慰めなどもあったが、大半は遠回しにも直接的にも次の相手を勧めるか立候補するような縁談を匂わせる内容だった。中には待ってましたとばかりに露骨に愛を語るものまであった。

バルザックは自分の父親世代の相手からのねっとりとした口説き文句が綴られたものに当たってしまい、つい愚痴をこぼしてしまったのだった。

何せ嫁いでから辺境領に隣接している領地に行く程度で、一度も里帰りもしていないアトリーシャだが、その美しさは未だに健在と王都にまで噂は届いていた。社交界でも一時期は頂点の一角を務めた程の才媛である彼女には、ディルダートがいるにもかかわらず秋波を送る者が絶えないのだ。そのアトリーシャが寡婦になったと聞けば、これまで遠慮していた者達も一斉に我先にと動き出したようだった。



作業は三人でかなりの速度でこなしているのだが、その中でもエミリアの速度は群を抜いていた。リストをサッと一瞥しただけで、箱の中の手紙の宛名を見て複数来ていたか否かを即断していた。しかもそれは恐ろしく正確だった。これは幼い頃から商家で扱っている商品リストや取引先一覧を把握するのに長けていた彼女の独壇場だ。

しかし彼女は生まれながらに貴族教育を受けていた訳ではなく、それも高位貴族の言い回しに慣れていないので、そのまま受け取っていいのか判断が付かなさそうなものはアトリーシャやバルザックに頼っていた。



そして彼らは二時間程で、数箱に山のようになっていた手紙を完璧に仕分けして、クロヴァス家にとって敵か味方かを見極めるのを終えた。


「さあ、少し休憩しましょうか」

「では私が」

「いいのよ、エミリアちゃんは休んでて。わたくしがお茶を淹れさせてもらうわ」

「母上のお茶をいただくなんて何年ぶりだろう」

「腕は落ちてないと思うわよ」


かつて王子妃教育の一環として当時の王妃から幾度となく茶会に招かれて、そこで王妃専属侍女から直接教わり、王妃に振る舞ったこともあるのだ。その腕前は辺境伯家に嫁いでから夫や息子達に惜しみなく披露されたのだが、うっかり息子達の舌を肥えさせてしまって学園に入学した後に苦労したそうなので、それからは少し控えることにしていたのだ。ちなみにレンドルフは幸か不幸か控えるようになってからの息子だったので、王都に行っても普通にお茶を楽しめていた。



アトリーシャが準備をしている間に書類を汚さないようにバルザックとエミリアが手紙を片付けていたのだが、少し離れた机でせっせと手紙を書いていたダイスが「母上…私にもお願いします…」と弱々しく呟くまで存在を忘れていたので、アトリーシャにしては珍しく慌ててカップを追加したのだった。



お読みいただきありがとうございます!


クロヴァス家は、前当主夫妻(ディルダート、アトリーシャ)に三男、現当主夫妻(ダイス、ジャンヌ)のところも三男と割と男ばかりです。バルザックのところが一男一女です。ダイスの息子達にはまだ子供はいませんが、二人は既婚、一人は事実婚状態、バルザックのところは結婚はしていませんがどちらも婚約者がいるので、完全独り身はレンドルフだけです。事実婚の一人は、異国に婿入りの為そちらの風習に合わせているだけで反対をされている訳ではありません。


そしてレンドルフ以外の男は全員赤熊一族(笑)割と強い女性に捕まる傾向のある一族です。熊なのに。

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