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38.【過去編】二人目の


「良かった、間に合った」


店の裏口に繋がるドアが開いて、大きな木箱を両手に抱えた少年が肩でドアを押しながら入って来た。背は高いが細身で、その顔はまだあどけなさが残っている。


「ユウキ!」

「今週の配達に伺いましたーっと」


彼はニコニコと笑いながら、既に勝手知ったるカウンター内のいつもの置き場に木箱をドン、と置いた。


「ユウキ、連絡してたと思うけど…」

「親方からのサービスだってさ。あと、半分は僕が作った売り物じゃないヤツ」

「へー、どれがユウちゃんが作ったの?」

「見ればすぐ分かるよ」


そう言いながら彼は木箱の蓋を取った。中にはツヤツヤとした照りが美しいパンがズラリと並んでいた。作り立てではないが、十分に香ばしく食欲をそそる香りがフワリと立ち上る。

クリューは目を凝らしてパンを見つめたが、一面のパンはどれも同じように美味しそうで、さっぱり差が分からなかった


「…ゴメン、どれがユウちゃんのか分かんないわ」

「クリューさん、お世辞はいいのに」

「お世辞じゃないわよ。ホントに分かんないの」



彼、ミキタの次男であるユウキは、現在王城近くで店を出しているパン屋で修行兼住み込みで働いている。幼い頃からミキタの店の手伝いをしていた影響からか料理が好きで、平民向けの学校を卒業してすぐにパン職人を目指して自ら修業先を見つけて二年前に家を出たのだ。



身分や出自に関わらず誰でも通うことの出来るので平民向けと言われる学校は、7歳から14歳までの間に四年以上通うことが全国民に義務付けられている。そこで読み書きや計算など、基礎的なことを学ぶのだ。そこから専門的な知識を付ける為に更に上の学校に行く者もいるし、ユウキのように弟子入りして直接指導者から学ぶ者もいる。

貴族は家庭教師などから知識を学ぶので、試験を受けて問題がなければ、15歳から貴族が通わなければならない学園に入学するまでは学校に通う者は少ない。



「ここから…ここまで親方のだろ?」

「正解!さっすが母さん」

「……全っ然違いが分からない」


お互い通じ合っている親子の会話に付いて行けず、クリューは眉根を寄せて首を傾げるだけだった。



赤ん坊の頃から粉ミルクの濃度や温度にうるさく、繊細な味覚を持っていたユウキが自らの足で探し回って選んだ修業先だけあって、その店のパンは絶品だった。息子が世話になっているということを差し引いても、多少送料を掛けてもミキタは店で使うパンをそこから仕入れていた。

だが最近は、カツハが大きな顔をするようになってから客足が激減していた。その為、各仕入れ先に頭を下げて回って、この騒動が終息してカツハと縁が切れるまで当分の間は契約を止めてもらっていたのだ。長年きちんと仕入れ先とは良好な関係を築いて来たミキタの頼みであったので、どこも同情も込めて快くミキタの願いを受けてくれていた。


「親方も心配してたけど、タイキはまだ?」

「…ああ。どうにか様子だけでも知りたいんだけど、どこもかしこもまだ混乱しててね」

「兄貴は?」

「ミスキもあちこち伝手を頼ってるみたいだけど、いい話はないみたいだよ」

「…そっか。ごめん、僕の方ではそういう伝手はないから役に立てなくて」

「何言ってんだい。こうして心配して来てくれたじゃないか。それで十分だよ」


すまなそうに眉を下げるユウキに、ミキタは少々強めにバンバン背中を叩いた。


「子供は保護ってことだから、罪人みたいにひどい目には遭ってない筈だよ。だからユウキは心配しないでちゃんと修行頑張りなさい」



----------------------------------------------------------------------------------



今日は休みを取って来たのでランチの仕込みを手伝うと申し出たユウキを断って、ミキタはクリューを送るように頼んだ。いつもならありがたいのだが、今は一人でも時間が余ってしまう程に減った仕込み量をユウキに見られたくなかったのもあった。


クリューには、万一の時にタイキに使うようにと大公家から借りていた特別製の変装の魔道具を押し付けた。通常の変装の魔道具は髪と目の色を少し変えるくらいだが、この魔道具は顔立ち自体も少し変えて見せるので、髪の色も変えてしまえば全く別人にしか見えなくなるのだ。


「またクリューさん誰かにつきまとわれてるんだ」

「そーうなのよぉ。もう春の季節は終わったのにねぇ。ユウちゃんも気をつけるのよぉ」

「僕は大丈夫だって。地味だし」


クリューは庇護欲をそそる印象の外見のせいか、口説かれることが割と多い。そして毎回きっぱり断ってもつきまとわれることも、年に一度か二度は発生する。既に彼女は風物詩として開き直っていた。

苦笑しながらも借りた魔道具を起動させ、金髪に青い目という敢えて派手な色合いにしておいて、顔立ちは目の小さな地味なタイプに変化させた。これならば一瞬の印象が髪色に集中するだろうという作戦だった。



----------------------------------------------------------------------------------



クリューとユウキは店を出て並んで歩いていたが、ふと人通りが途切れた時に、ユウキがポツリと口を開いた。


「兄貴のこと、聞いてる?」

「ミスキ?特に何も…何かあった?」

「仕事、辞めたって」

「え!?嘘、全然聞いてない。それ、ミキタにも言ってないよね?」

「あの感じだと、そうだと思う」


ミスキは手先が器用なことから、昔から自分なりに魔道具を改造したりしていたので、今は魔道具作りの工房兼直売を行っている商会に務めていた。魔石に魔力を補充するのに必要な属性魔法がなかったことから中の仕組みを作ることは出来なかったが、魔石を含めた中身を収める外枠を作る仕事に就いていた。小さな商会であったが、それこそ小さなピアスから大きな家具まで、あらゆる魔道具の加工製作に携わっていた。そこで働きはじめて数年になり、最近では貴族向けの魔道具も一部扱わせてもらうまでになっていた筈だ。


「いつもなら仕事をしてる時間にうちの店の近くで見かけて、追いかけて行って確認したら兄貴だった。それで、問いただしたら仕事、辞めて来たって」

「…それって、タイちゃんを助け出す為かしら」

「多分。兄貴は、タイキのことになると自分そっちのけでそれを最優先にするから」

「ユウちゃん…」


ユウキの声色に微かに苦々しい響きを聞き取って、クリューは複雑な表情で彼の顔を見上げた。ユウキの父親譲りの黒い癖のない髪と黒い瞳は、この国では割と珍しい。少し前に見た時はもっと頬のラインがふっくらと子供っぽかった気がしたのだが、しばらく見ない間にスッキリと鋭角的な輪郭になったように思えた。


「僕もタイキは心配だよ。いきなり知らないところに閉じ込められて、怖い思いをしてるんじゃないかって。でも…」

「それは分かってるわよ。みんなタイちゃんのこと心配してるのは同じ。その気持ちに上下はないわよ」



「……クリューさん。ちょっとだけ密談しません?」


少しだけふざけたような口調でユウキが言ったが、その目は真剣な色を湛えていた。


「そこは密会とかって言って欲しいところだわ」

「すみません」

「いいわよ。どこにする?どこかの店の個室にする?それとも公園?」

「公園。もし人が多かったら個室ってことで」

「了解」



すぐに話がまとまると、揃って方向転換をして公園に足を向けた。まだ朝の時間帯なので、人は殆どいなかった。公園の入口ではまだ開店前の準備をしている屋台があったが、声を掛けたら準備中でも快く飲み物を売ってくれたので、少しだけ値段の高い保冷の付与が付いた方を選んで購入した。


ベンチが並んでいる噴水の側よりも、ポツリと離れた場所に一つだけあるベンチを選んで腰を下ろした。


「個室代が浮いたわね」


軽く笑いながら、クリューはよく冷えたコーヒーを一口飲む。ミルク多めにしてもらったので、苦味よりも先にミルクの優しい甘みが口の中に広がる。本日のおすすめを選んだのだが、後口の酸味が少ないのでクリューの好みの豆に当たったようだった。


「一応確認しとくけど、ミキタには内緒?」

「はい」

「絶対?」

「絶対です」

「あたしの判断で話した方がいいって思っても?」

「絶対です。……それに、クリューさんも話した方がいいとは思わない…と思う」


ユウキの顔は固く、少しほぐそうとクリューは軽めに言ってみたのだが、彼の顔はそのままだった。それを見て、彼女もスッと居住まいを正す。


「誰かの命に関わることならミキタに話す。そうじゃなければ言わない。それでいい?」

「はい」


ユウキは絞りたての林檎ジュースを購入していて、それを一気に半分程喉に流し込んだ。まだ気温は高くないので、緊張しているのかもしれない。



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「僕の父さんのこと、覚えてる?」

「そりゃ覚えてるわよ。ランガでしょ。ソロでAランク冒険者…まあ、一般的に男前だったわね。好みじゃないけど」

「クリューさんらしい」


きっぱりと最後の言葉を付け加えた彼女に、ユウキはやっと少しだけ笑ったような表情になった。それでも彼の黒い目は、どこか憂いを含んでいるようで、それを見てクリューは「そういう寂しそうな目は似てたわ」と内心思った。



ステノスの遺品のみで葬儀を上げたミキタは、短期間で開店資金を貯めようと約一年間の契約で、地方の貴族領の鉱山に出稼ぎに行くことに決めた。ミキタの仕事は採掘ではなく、鉱山周辺や坑道内に出没する魔獣や盗賊などの退治を請け負う傭兵仕事だった。危険は伴うが、その分短期間で高額の資金を作るには最適な内容ではあった。

その間まだ幼かったミスキの面倒は、期間限定だから、とクリューに頼み込んでいた。むしろクリューが出稼ぎしようかと提案したが、ミキタはそこは譲れないと頑として聞かなかったのだ。それでも月に一度は必ず帰って来ていたので、ミスキも特に問題もなくクリューと暮らしていた。

そしてその一年の契約が終わる頃、ミキタが一人の男性と戻って来た。


その男性はランガと名乗り、真っ直ぐな黒髪と、切れ長の黒い瞳の持ち主だった。顔立ちはどちらかと言うとあっさりしていて、あまり表情を動かさないせいか、少し冷たい面のような印象だった。初めて会った時、クリューはすぐにミズホ国の人間ではないかと思った。それくらいかの国の民の特徴が出ていたからだ。クリューは一度ランガに正面から聞いたことがあったが、彼は静かな声で「今は根無し草です」と言って、微笑むだけだった。クリューも生まれ故郷はとうに捨てているので、人には色々あるとそれ以上は追求しなかった。


ランガはミキタの出稼ぎ先の鉱山で知り合い意気投合したということで、そのまま彼女に付いて来たようだった。そしてミキタが店を開店させるのとほぼ同時に、彼はミキタの二番目の夫におさまった。付き合いの長いクリューからすると、ランガはミキタの好みとは違うような気がしたが、酒の席でどこが良かったのかと尋ねたところ「あたしより強かったから」といわれて納得せざるを得なかった。

ランガは普段は物静かで、休日は眼鏡を掛けて読書などを嗜む風であったが、Aランクの冒険者の名は伊達ではなく、たった一人であちこちのダンジョンに潜っては最奥まで到達して毎回回復薬一つ使わず無傷で帰って来た。ギルドで募集する定期討伐にも参加し、単身での参加にもかかわらず期間中の魔獣の買い取りの最高額を叩き出したこともあったので、その実力は間違いなかった。



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「僕は母さんにも父さんにも似なくて、残念だったろうね」

「そんなことないわよ。料理上手なとこと、読書好きなところが似てるじゃない」

「そう、かな」

「そうよぉ。…ミキタに言えないことって、そういうこと?」

「…そうじゃないよ」



ユウキは生活魔法とほんの少しだけの身体強化魔法しか使えない、平民によくあるタイプだった。体力も魔力量も人並みだ。それは通常に生活して行く上で全く不便はないのだが、周囲にあまりにも化物じみた才を有した者達が揃っていたせいか、ユウキは昔からそれを気に病んでいた節があった。とは言うものの、こればかりは当人の努力でどうにかなるものではない。少ない魔力量でも、使い方を工夫すればそれなりに扱えるようにはなるが、やはり生まれつき魔力量の多い者には到底及ばない。どれだけ体を鍛えても、身体強化魔法を掛けられる者には敵わないのだ。


魔力量は生まれついてのもので、特別な事情がない限り生涯その量は殆ど変化しない。その残酷なまでの才能による能力差は、魔力量に限らず誰でも大なり小なりぶつかる壁で、自分で落としどころを見つけて行かなければならないのではあるが、ユウキの場合は両親の能力が高いだけに余計にコンプレックスとなっていたのだろう。



その中で、昔から味に煩かったことを活かせないかとミキタが店の仕込みの傍ら料理を教えたところ、メキメキと腕を上げて、特にパン作りが得意になった。それが今の彼に繋がっている。


「僕が母さんから料理を教わってたから、兄貴のことは自然に父さんが面倒見るようになってたよね」

「そうね。ミスキ、器用で武器の扱いが上手かったから、色々教えてたわね」


その頃、クリューとバートンが冒険者見習いだったミスキを森の浅い場所や、初心者向けのダンジョンなどに連れて行っていた。当時のミスキは、ランガに憧れて冒険者になりたいと言っていたので、適性や覚悟を測る為でもあった。ミスキも生活魔法と身体強化魔法しか使えなかったが、身体強化魔法はかなり強く、冒険者を目指すには十分な能力を有していた。何より武器の扱いは戦闘センスが良かったミキタ譲りなのか、近距離用でも遠距離用でも自在に扱った。このまま順調に経験を重ねれば、それなりに冒険者として食べて行けるだけの実力に達するだろうと思われた。


「何度かミスキと一緒にダンジョンに潜ってたっけ。その時はちゃんと子供のレベルに合わせて教えたりしてたから、大したもんだと思ったわ」

「兄貴、父さんには懐いてたし」

「…そうね」


ユウキとミスキは父親が違う。二番目の夫のランガはユウキの父親で、ミスキとの血の繋がりはない。しかしあの頃の彼らは、血の繋がりなど関係なく良好な親子関係なように見えた。ランガがミスキを、ミキタがユウキをそれぞれ面倒を見ているような役割分担になっていた。


「クリューさんにはそう見えたんだ」

「アイツ、表情が無くて分かり難いから誤解は受けやすかったけど、ミスキに対してはちゃんと息子扱いしてたってみんなも見てたと思うけど」

「僕たちは多分、クリューさんや周りが思ってるような良い親子じゃなかったよ」


ランガはあまり自分のことの多くを語らなかった。Aランクの腕前があればどこかの貴族のお抱えになって安定した収入を得ることも可能だった筈だ。しかし彼は貴族に打診されても、他の冒険者からのパーティ加入の誘いがあっても、頑なにソロを貫いた。それこそクリューが知っている限りで誰かと一時的にも組んだことがあるのはミスキくらいだった。周囲も、冷静で人間味の薄い冒険者に見えて、義理とはいえ自分の子供には甘いのだと認識していた筈だ。


「僕を見ても、母さんを見ても……兄貴を見ても、全然ちゃんと見てくれないんだ。その後ろよりずっと遠くにいる『誰か』を追ってた」

「……それは、気付かなかったわ」

「きっとそれは、他の人よりは近くにいたからね。それに僕でさえ気付いたんだ。兄貴も絶対気付いてた。でも兄貴は、父さんを尊敬してたし、憧れてたし、一緒にいるだけで嬉しそうだったよ」



()()()は、ずっと()()を探してた」


ユウキは深い溜め息と共に言葉を吐き出した。その声はいつもより低く、すっかり疲れた大人のような響きを含んでいた。



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「しょっちゅうダンジョンに潜ってたのも、その『誰か』を探してたのかもね。帰って来るとすごく落胆してたから。それをさ、兄貴が気付かないフリしながら、無事で良かったー、冒険の話を聞かせてーって言うんだ。絶対気付いてたのに、無理してさ」

「ミスキ、昔から人の表情読むの、上手かったからね…」

「だけど、タイキを連れて来た日は、アイツは別人みたいにはしゃいでた。最初、同じ顔をした双子でも訪ねて来たのかと思ったよ」

「そこまで?」

「きっと、タイキが探してた『誰か』なんだろうなって、すぐに分かった。そりゃ、何年も探してて、それが産まれて間もない赤ん坊ってのも変な話だけどさ、でも僕は間違ってないと今も思ってる」



ランガは、たまたま潜ったダンジョンの中で、捨てられた赤子を拾ったと言った。そして役所には、一日にあちこちのダンジョンを掛け持ちして回るので、どこの場所だったかハッキリしないと届けを出していたのだ。さすがにクリューもそれは嘘だと思ったが、貴重な薬草などが自生していたり、崩落などの危険のある洞窟型のダンジョンなどは国が立ち入りを禁止しているので、ランガはそういった場所でタイキを見つけたのだろうと考えていた。


タイキは、産まれたばかりなようなのに既に歯が生えて牙のようなものもあり、一見しただけでは分からないが触れると皮膚は細かい鱗状になっていた。明らかに異種族の混血児であったので、不貞の末に産まれて発覚を恐れた親が見捨てたのだろうと推測された。ダンジョンにいたということは、死んでも構わない、或いは死んで欲しいと思われたのだろう。



「でも、アイツはタイキを拾って来た三日後に死んだ。Aランクの冒険者にはあり得ない千年樹のダンジョンなんかで。あの日は…母さんがタイキを引き取って育てると決めて、名前を付けた日だった」

「その日は、よく覚えてるわ。あんなに取り乱したミスキは初めてだったから」



ランガは、エイスの街から半日程度の「千年樹のダンジョン」と呼ばれるCランクパーティ以上が推奨される、彼にとってはレベルの低いダンジョンの最奥で遺体で発見された。発見者は、ミスキだった。

当時のミスキはまだDランクで、絶対にそこまで到達出来る筈も無く、そして何故一人でその場所にいたのか全く分からなかった。ただ、その場所で致命傷を負って既に手の施しようのないランガを見付け、助けを呼ぶ為にダンジョンを駆け抜けた。ひとえにミスキが奇跡的に軽傷で済んだのは、ランガが所持していた魔獣を避ける為の聖水と結界の魔道具を持たせていたからだった。


ギルドに駆け込んだミスキは保護され、急ぎ救出部隊が結成されてダンジョン最奥に向かったが、そこにあったのは誰か分からない程に荒らされた男性の遺骸しかなかった。助からない程の重傷を負った冒険者は、せめて遺体だけでも帰れるように自ら聖水を浴びることが基本だ。しかし彼は、ミスキを無事に帰す為に全ての聖水を渡していたらしい。その為、死後に彼の遺体は魔獣に荒らされてしまったのだった。

ミスキの証言と、身内で唯一遺体と対面したミキタから、ランガに間違いないと確定した。Aランクの腕利き冒険者にしては、あっけない程の最期だった。


その死因については様々な憶測が囁かれたが、同行していた義理の息子を庇ったのではないかという見方が大半だった。ミスキは一人でダンジョン内に入り、そこでランガを見つけたのだと言い張ったが、ショックで記憶が混乱しているのだろうと判断された。



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「兄貴がアイツの最期の言葉を聞いた話は知ってる?」

「うん…『家族を頼む』でしょう?それ以来ミスキは冒険者も辞めて、タイちゃんのお世話をミキタに代わってずっと…」


「多分、『()()()を頼む』だったんだよ」


「え…?」


その言葉に、クリューの顔が凍り付いた。


ユウキは先日王城の近くでミスキを見かけ、仕事中にどうしたのかと問い詰めたところ、彼は仕事を辞してタイキの為に奔走していたことを知った。



「この前少し言い争いみたいになってさ。その時兄貴が口を滑らせた。『父さんにタイキを任されたのに』って」

「それって…」

「証拠は無いよ。でも、アイツのタイキを連れて帰って来た時の態度を見てたら、何となく想像はつく。そりゃ、家族の中にタイキも入ってるし、アイツは『家族を頼む』って意味も込めて言ったのかもしれない…でもさぁ!」


カップを握りしめて言葉を詰まらせたユウキに、クリューは掛ける言葉が見つからずそっと彼の背に手を添えた。感情に合わせて深くなった呼吸に、背中が微かに震えていた。


「もしかしたら、一番小さかったタイキを心配しただけって考えようと思ったよ。でもやっぱり…アイツにとって、僕たちは何だったのさ!七年!七年間だよ!それだけ一緒にいたのに、死ぬ間際に何も思わないくらい、どうでもいい七年だったのかよ!」

「ユウちゃん」


感情が抑えられなくなったのか、声が大きくなって行ったユウキをクリューは抱き締めた。昔からミスキもユウキも同じ年頃の子供と比べるとはるかに聞き分けよく、人から褒められるような「良い子」だった。その為に必要以上に我慢してしまうこともあり、本当に時々ではあるが感情が爆発するようなことが何度かあった。そんな時はミキタだけでなく、側で世話をしていたクリューも一緒になって抱き締めて落ち着くのを待っていた。

ある程度大きくなってからはそんなことは無くなっていたので、クリューは不思議と懐かしいような気持ちと、ユウキのずっと抱え込んでいた感情に触れて、気付けなかったことへの胸の痛みがない交ぜになっていた。


「タイキは可愛い弟だし、母さんはまだ僕の手もかかる年だったから、兄貴が世話をするのはいいと思う。でも、あんなにべったり過保護にするのは、ちょっとおかしい」

「タイちゃん、ミスキに懐いてて執着すごい性格だから…」

「執着してるのは、兄貴だ」


まるで断言するようにはっきりとした口調でユウキが少し顔を上げた。黒い瞳の奥に、更に昏い感情が渦巻いているのが見えるようだった。


「まるで、アイツに見てもらえなかった分を取り戻すみたいに、兄貴はタイキを育てたし、タイキも兄貴に懐いた。タイキは特別で厄介な体質だったし、兄貴がいてくれたおかげでちゃんと育ったとは思ってる。でも…僕は、父さんの呪いみたいに思えるんだ」

「呪い…」

「兄貴は、本当にタイキの為に尽くして来たのはクリューさんも知ってるよね。自分を後回しにして、全部タイキ優先して。外から見たら素晴らしく見えるのかもしれない。だけど、僕は、兄貴が兄貴じゃなくなったみたいな気がしてならないんだ」


ミスキは、ランガが亡くなってから冒険者になるのを辞めた。身内の死に直接触れて、魔獣と戦うことが恐ろしくなるのはよくあることだ。それにミスキは、母や弟達を支えなければならないという気持ちを強く自覚したのか、魔道具を作る小さな商会とは言え、安定した職業に就いた。周囲はそう思っていたし、ことあるごとにミスキも「命あっての物種だし」と言い続けた。

その決断に、ミキタは少しだけ安堵しているように見えた。身の安全を考えたら、傭兵や冒険者は親としては勧めたくなかったのだろう。


「僕、時々兄貴にはタイキに過保護すぎ、って言ってたんだ。その度に兄貴は困った顔して笑ってるだけだった。何でそんな顔するのか分からなかったけど…今ならアイツの血を引いてる僕に言われるのが、複雑だったんだろうなって思うよ」

「ランガへの執着…なのかしらね」

「どうなんだろう。ただ、タイキだけじゃなく兄貴もタイキに執着してるとは思う。今はいいけど、この先、ずっとあのままでいいのか、少し不安になるよ」

「……もし遡れるなら今すぐあのダンジョンに行って、ミスキが発見する前にあたしがアイツの息の根止めてやりたいわ」


ギュッと眉間に皺を寄せて呟いたクリューに、ユウキはほんの少しだけ笑った。



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「僕さ、タイキとあんまり仲良くなかったでしょ?」

「…ん…まあ、そう、ねぇ…」

「別に嫌ってるとかじゃないんだ。でも何か、上手く行かない?気が合わない?そんな感じ」



ただよく泣く子だと思われたタイキは、少しずつ言葉を覚え始めると感知能力が高く、特に他者の嘘や悪意に反応していたことが分かった。そして幼いが故の素直さで、本当に悪気なく嘘を見抜いて事実を口にするようになった。それがどういった影響を与えるかも分からないうちから。

ユウキは、ただ何となく授業をサボってしまったことや、誰にも秘密でクラスの女子と買い物に行く約束を交わしていたことも、全てタイキの口から暴かれた。今から思えば些細なことではあったが、当時のユウキからすれば堪え難いものがあった。幼いタイキは、何故嘘を吐くのかを理解出来ず、ユウキに詰め寄る。ユウキはそのざらついた不快感をタイキにぶつけてしまい、癇癪を起こしたタイキをミスキが回収して宥めるのがいつもの日常だった。


それを見兼ねたミキタが、身内にだけ感知能力が鈍くなるように設定された特殊な魔道具をタイキに装着させるようになってから、兄弟同士はその頃のようなぶつかり合いは殆どなくなった。だが、一度生じてしまったユウキとタイキの溝はなかなか埋まらず、ぎくしゃくしたまま互いの距離感を探りながら生活していた。



「親兄弟だから必ず分かり合える、なんてただの夢だからね。苦手でも、嫌っても別にいいのよ」

「うん…でも、僕はそこまでタイキは嫌いじゃない。弟として大事に思ってはいるよ。ただちょっと…僕とタイキは距離を取った方が上手く行くんだ」

「それは知ってた。ユウちゃんが誰よりも早く家を出たのも、それが理由でしょ」

「やっぱりバレてたかぁ。間に兄貴が入ってくれると上手く行ってたんだけど、だんだん僕が兄貴を頼るとタイキが癇癪起こして気を引くようになって来たのに気付いてさ。もっと距離取らないと兄貴もしんどいなって」


ユウキが弟子入りを決めて家を出てから約二年になるが、それまでは時折爆発していたタイキの癇癪が確かにピタリと止んでいた。誰よりも感覚が鋭いタイキは、ミスキとユウキの間の血の繋がりに敏感に反応し、どこか嫉妬していたのかもしれない。ミキタをはじめ周囲も薄々そのことに気が付いてはいたが、こればかりは時間を掛けるしかないと傍観するしかなかった。


「ユウちゃんもミスキも、良い子すぎるわよ…」


抱き締めていた身体を離して、クリューはクシャリとユウキの頭を撫でた。最近は子供扱いのようだとユウキはそれを避けがちだったが、今回はされるがままになっていた。


「何でクリューさんがそこで泣くのさ」

「年取ると涙脆くなるのよ…」


グスリとしゃくり上げながら、ひたすらユウキの髪をクシャクシャにしている。癖のない彼の髪はこの程度ではすぐに戻ってしまうが、少しずつ公園に人が増えはじめていたので、それは奇妙な光景に映ったようだ。


「ストップストップ!クリューさん、変な目で見られるから!」

「うう…ユウちゃんが元に戻っちゃった…」


さすがに注目を集めだしたのでユウキはサッとクリューの手から逃れるように身体を引いた。


「…ゴメン、何か変な風な話になっちゃった。クリューさん、父さんの最期の言葉、母さんには言わないでくれるよね?」

「…言わないわよ。というか、言えるわけないじゃない」

「だと思った。だからさ、もし兄貴が口滑らせそうになったら、クリューさん止めてくれる?」

「サラッと無理難題言われた気がするけど!?」


ハンカチで顔を拭いていたクリューが目を剥いた。それで一気に湿っぽさは吹き飛んだようだ。


「だってこんな話、母さんが知っても不幸なだけだしさ。僕はいつも側にいられる訳じゃないし」

「そりゃあそうだけどぉ…」

「兄貴も普通の状態なら多分口にしないと思うよ。今はタイキのことで頭がいっぱいみたいだからさ」

「…まあ、期間限定ってことね」

「よろしくお願いします」


わざとらしく畏まった様子で頭を下げるユウキに、クリューは腕組みをしながら「お礼にクリームたっぷりのシュークリームを今度作って来なさい」とふんぞり返って言ったのだった。



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