395.残す想い
少し早い昼食を済ませて、往来の落ち着いた街道を出発する準備を始める。さすがにスレイプニルばかりが引く馬車は目立っていて、道行く人々の注目を浴びていた。それでも先頭の馬車には葬儀に向かうことを表わす黒い旗が掲げてあるので、あからさまに近付く者はいなかった。
レンドルフは宿を出て、馬車には乗らずに馭者台の方に向かった。食事の時に、少しだけ馭者をやらせて欲しいとレンザに頼んで、今日の予定している行程の半分程を任せてもらえることになったのだ。稀少な白いスレイプニルの手綱を握れるだけでも光栄なことなので、ついレンドルフはソワソワしていた。
「わっ!」
馭者台周辺の様子を確認している最中に、急に強い力で後ろから襟を引っ張られた。普通の人間ならば転んでしまうところだが、レンドルフなので数歩よろめいただけで済んだ。
「ノルド…!危ないじゃないか」
レンドルフの襟を引いたのは、唯一クロヴァス家から同行しているスレイプニルのノルドだった。白のスレイプニルに比べると一回り小さいが、それでも他のスレイプニルにすれば体格が良い個体だ。
振り返って注意すると、頭をレンドルフの腰の辺りまで下げて耳を伏せ、心なしか黒い目を潤ませてレンドルフを見上げていた。
「申し訳ありません!」
それを見て、スレイプニルの世話を担当しているらしい青年が慌てて駆け寄って来た。手には馬用のブラシとバケツをぶら下げていた。
「大丈夫ですよ。多分、おやつが欲しいだけで」
「そ、そうなのですか?」
レンドルフは恐縮する世話係を宥めて、クロヴァス家の馬車の中から箱の一つを引っ張り出す。この馬車の中にはレンドルフが単身領地に向かう為の必要な物が積み込まれていた。基本的にレンドルフが馭者も務める予定だったので、馬車の中は箱を積み上げれば辛うじてレンドルフが入れるくらいの隙間しかない。
箱を開けると、そこには乾燥させたカーエの葉が詰め込まれていた。これはノルドが特に気に入っている甘い味がする木の葉だ。最初は自生している木から生のものを与えていたが、寒くなって来るとどうしても葉の数が減ってしまう。そんな時に、この葉が注文を受けて好みのブレンドをしてくれる茶葉専門店でも扱っていると知り、そこで乾燥した物なら年中入手出来るようになったのだ。
レンドルフは箱から数枚を取り出すと、馬車の外にいる世話係にカーエの葉を渡した。
「これを五分くらい水に漬けると柔らかくなるので、それを水ごと与えてやってください」
「は、はい。お預かりします」
「次の休憩にも出してやるから、他の人にはするなよ」
まだションボリとした様子のノルドの首筋をワシワシと撫でて、レンドルフは世話係に「よろしく頼みます」と言い残して他の馬車の様子を見る為にその場を後にした。
レンドルフの視界には入らなかったが、ノルドが世話係に渡したカーエの葉を視線で追ったのはほんの僅かで、すぐにどこか切なそうな目をして去って行くレンドルフの広い背中を見つめていた。世話係はそれに気付いたが、どうしてやることも出来ずに水入れの中にカーエの葉をそっと落としたのだった。
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「…っ何、考えてる…!」
鑑定の為に目の前に並べられた薬瓶の一つを握り締めていたセイナは、怒りのあまり身体強化を発動させてその瓶を握り潰してしまった。
「ちょちょちょ、セイナさーん。落ち着こぉかー」
側で記録を取っていたアキハが慌てて割れた薬瓶を取り上げると、破片が刺さっていないかセイナの手を広げて確認する。
「安心して、切れてないわ」
「まあ切れてへんけど、キレてるし?でもそこんとこ冷静で安心したわ〜」
身体強化で皮膚も強化していたので、ガラス片は少しもセイナの手に傷は残していない。さすがに医師として処置の為に手を使う職業なので、その辺りは一線を越えるようなことはなかった。
「で〜?この辺は全滅なん?」
「ああ。全部駄目だ」
「あらぁ。イケズなこと」
セイナが鑑定していたのは、体内組織を修復しつつ消滅させるという特殊な効能を持つ薬だった。これは毒や病などで機能しなくなった部位を正常な状態で復元する効能と、駄目になってしまった箇所を消失させる効能の薬を、それぞれの効果を阻害することなく同時に行う特殊な薬だ。
一時的に消失しても生命活動に問題のない部位ならば別々に薬を使用して病巣などを一度消して、その後患者の体力などを鑑みながら復元、修復させることが推奨されている。その方が成功率も高く、後遺症の危険も少ないからだ。しかし心臓などの一時的にも消失させる訳にはいかない部位などには、この消失と修復を同時に行う薬が投与される。その投与には非常に繊細な扱いが必要とされ、高度な医療特化の鑑定魔法が必須となる。
現在、ミュジカ科の毒が体内に入り自家中毒で危険な状態に陥っているユリにも、この薬が解毒として使用されることになっている。ユリの場合は免疫機能の暴走により全身から毒素が自己精製されている状況なので、少しずつ時間を掛けての免疫機能の消失と復元が必要となるのだ。
これを魔法で解決するならば、同時に上位の鑑定魔法と高い医療知識が必要になって来る。上位の鑑定魔法を使う医師セイナ、そして聖女の資格があるのに敢えて治癒士を選択したアキハの治癒魔法があれば不可能ではないが、やはり同一人物ではないことで危険度は増す。どんなに気が合う人間同士でも、その日の体調や疲労具合でほんの少しの認識の差が生じるのは避けられない。そしてその僅かな差がユリの命を奪う危険性がある以上、やはり薬に頼るしかないのだ。
そしてその薬が調薬されて届いたのでセイナが鑑定で確認していたのだが、どれもユリには到底使用出来ない品質の劣るものばかりだった。
この薬を調薬するのは非常に高度な技術が必要で、担当した薬師も腕の良いベテランではあった。その薬師から、「高品質の物は難しいと思う」と素材の納品時点で言われていた。薬師の元に届けられた素材が、高品質で鮮度の良い物が一部揃っていなかったのだ。依頼者であるセイナは、それも承知の上で調薬を依頼していた。もしその中で一つでもユリに使用出来るものがあれば幸いであるし、なかったとしても他にもそれが必要な患者はいる。それに、ユリにはまだレンザの掛けた魔法のおかげで時間的な猶予もあった。レンザ達が素材を探して安全な解毒薬を届けてくれるのを待つ判断も出来たのだ。
その良質の素材が揃わなかった理由は、過日王城内で起こった回復薬異物混入騒動が原因だった。それ以前から、軽度ではあるがミュジカ科の薬草の中毒症状らしきものが出た患者が全国的に急増していて、それに対処する解毒薬が通常よりも多く必要になっていた。そこに追い討ちをかけるように王城の異物混入騒動で、王城内の回復薬の殆どが廃棄され新たに納入された。その影響で、王都周辺の回復薬に必要な素材が大幅に減っていたのだ。
その素材の中には、ユリの解毒薬に必要なものも複数あったのだ。それが不足していた為に、使用期限ギリギリだったものや、保存状態の悪い素材をかき集めて調薬する結果になったのだった。
「それから、薬瓶に一つ、モグりのヤツが混じってた」
「あ、さっき握り潰したヤツ?ギルド通した瓶じゃなかったん?」
「その筈なんだが、卸しのヤツが数合わせに紛れ込ませたか、それとも上のヤツが確認を怠ったか、担当者がフシアナか」
「あらまあ、どれもキツいオシオキが必要な案件やね〜」
回復薬を始めとして幾つかの必需品である薬は、粗悪な物や異物の混入を防ぐ為に全てギルドの管理下に置かれている。薬瓶をギルドで登録して、それを薬師や薬師見習いに空き瓶を渡して、そこに調薬した回復薬を充填してギルドに納めるのだ。そこで確認して合格すれば規定通りの報酬が支払われる。不合格の品質でも、悪用を避ける為に一定の手数料を支払って全て回収していた。そうすることで、どの地域でも同じ品質と金額で回復薬が入手出来るようにしているのだ。
取り扱いの少ない特殊な薬が必要な場合、ギルドを通して依頼をする以外に個人的に薬師に調薬を頼む場合もある。
ギルドに依頼するればそれを入れる容器から必要な素材を取り揃えるところまでも請け負ってもらえるので多少割高にはなるが、安全性と確実性も高い為、余程のことがない限り大抵の人はギルドに依頼する。そこを避けて個人で依頼するとしたら、質は劣っても安価なものでその場しのぎをしたいか、後ろめたいことがある場合かが殆どだ。どちらを選ぶかは依頼者次第になる。
ユリの解毒薬の調薬は当然ギルドを通して依頼したのだが、残念ながらと言うか半分予想通りと言うか、ユリに使用するには厳しい薬が納品されたのだった。
しかしセイナが怒っていたのは、その中の瓶が一本、明らかにギルドが管理しているとは思えない程の粗悪品が紛れていたからだった。外側からは分からないように細工はしてあるが、内側が薬剤で溶け出して変質しないように施されている保護薬が塗られていなかったのだ。そのせいで、ユリには使えないにしろ他の患者に投与出来た筈の解毒薬が台無しになっていたのだ。しかも、それは時間差で瓶の成分が溶け出して来るものだったので、ギルドの納品時にすり抜けたらしい。
だがそんなことがないように、空き瓶の段階から幾人もの確認が入る筈なのだ。依頼者のセイナが最終確認をしたので発覚したが、もし依頼者が鑑定魔法を使えない患者であったならそのまま服用していた可能性もあり得るのだ。それはこれまで長年薬師ギルドが築いて来た信頼が一瞬にして崩壊してもおかしくない失態だ。
「御前の静かに怒り狂う姿が目に浮かぶ…」
「みんな命知らずやねえ」
セイナが砕いた瓶も一応証拠品としてアキハがさっさと袋の中に入れた。残った瓶は別の患者には使える品質なので、他の職員に渡す用にラベルを貼って区分けしてから箱に詰める。
「…一応あの赤女狐に知らせてやるか」
「あらぁ〜『首を洗って待っとれよ』って最後通牒?」
「違うわ!…いや、まあ、近いか…?」
「お気の毒〜」
「まあそれを覚悟の上でギルド長の看板背負ってるんだ。腹括る時間くらい与えてやるか」
セイナが依頼を出したのはこの治癒院と同じ街にあるエイスのギルドだ。瓶や素材などは外部委託したとしても、その確認を最終的に請け負うのはエイスのギルドになる。そして引いてはそこのトップであるギルド長に責任追及が行くのだ。
エイスの街のギルド長であるグランディエ=エヌゥは、セイナとアキハの学園時代の同級生だ。見た目が派手で豪快な性格をしていたグランディエと、隙のない凛とした清廉なセイナはどこまでも対照的だったが、学業ではトップを争う才女だった。だがあまりにも周囲が比べて面白がるので、いつの間にか当人達も殆ど接触はなかったのに犬猿の仲になっていた。しかし当事者ではなく近くで見ていたアキハは、一周回って気が合うと思っていた。当人達は否定するのでわざわざ言わないが。
「御前が戻るまで、解決はしなくても余計なことは増やしてくれるなよ…」
「ウチとしては早うユリちゃんヨシヨシしたいわ〜。あの癒される魔力浴びたいわ〜」
「あんたが特殊なの」
アキハはユリの特殊魔力を心地好いと認識する非常に珍しい体質なのだ。祖父のレンザやユリの両親も抵抗があったそうなので、血縁とは無関係らしい。しかしそのアキハの体質のおかげで、ユリが他者との接触を完全に拒否することにならなくて済んだのだ。当時感情が死んだようになっていたユリが、無表情ながらもアキハに抱きつかれて「嫌そう」と周囲に分かる程度に感情を揺さぶってくれたことで、少しずつ人らしさを取り戻す一助になっていたのは間違いがなかったからだ。
「あの子、もしウチが生んでたらこんな目に遭わなかったやろか」
「んなわけないでしょ。あの勘だけはいい阿呆坊が養殖花畑のアンタを選ぶことは絶対無かった」
「あはは、阿呆坊。そりゃいいわ」
セイナの辛辣な呼び名に、アキハはケラケラと笑った。
彼女達の言う「阿呆坊」は、ユリの父親のことを指していた。アキハはユリの父親と家同士で決めた婚約者だった。紫の目をしているアキハは王族との血が入っているように思われやすいが、大公家の婚約者の選ばれるくらいなので少なくとも近親に王族の縁戚は一切いない。
どうにも大公家次期当主としては頼りなかった為、優秀な妻を、とアキハが選ばれたのだ。そして人の心を読むことが得意だったアキハは、自身の婚約者が夢見がちな「お花畑」と揶揄されるようなタイプが好みだと見抜いて、そう見えるように振る舞っていた程に優秀だった。当初はそれに誤摩化されたのか、それなりに仲の悪くない婚約者同士のように見えていた。アキハの方は内心かなり割り切って後継の一人でも生めばいいか、くらいに思っていたのだが。しかし彼の方もいつしかアキハのそれを「養殖」と察したらしく、「天然」花畑だったユリの母マーガレットに傾倒して行き、最終的にそちらを選んだのだった。
もしアキハを「養殖」と見抜いていなければ、アキハがユリの母親だった可能性もあったのだ。そう思うと昔の心が壊れて人形のようにしか見えなかったユリを思い出す度、アキハは複雑な気持ちになるのだ。
「今のユリちゃんは不幸じゃない。ま、大変な人生ではあるけれど、決して不幸じゃない。ユリちゃんの周りには味方がたくさんいるでしょ。御前やあたし達、それに」
「レンくん、やね」
「そゆこと」
セイナは休憩とばかりに懐から煙草を取り出して口に銜えたが、アキハに「ここは禁煙ですぅ〜」と取り上げられてしまった。文句を言おうとセイナは口を開きかけたが、禁煙なのは間違いないのでセイナは渋い顔をしてアキハから煙草を奪い返して、面倒くさそうにブラリと部屋を出て行ったのだった。