394.命の恩人
レンドルフは幼い頃から騎士になることだけを目指して成長して来た。幸いにも剣術にも魔法にもそれなりの才があったようで、学園で騎士について学び、王城騎士団に入団してからは団長に目を掛けてもらって異例の早さで近衛騎士団に所属出来た。相応の苦労はあったもののそれ以上に騎士一色の日々は充実していたと思っていた。周囲にも恵まれ、王太子の覚えもめでたく王国史上最年少で近衛騎士団副団長に抜擢までされた。それこそ人も羨むような順風満帆な人生のように見えただろうし、レンドルフもこの先の道が続くことを疑いもしなかった。
「詳しくは言えませんが任務中に失態を犯しまして、その責任を取って降格、休暇という態で謹慎を申し渡されました」
騎士になる為に日々鍛え上げた成果の現れた大きな体は、女性や子供に遠巻きにされることが多かった。しかし騎士としてそれは誇るべきことなのだと納得していたのだが、まさかその体が他国の賓客扱いの留学生にあれほど畏怖を与えるものだとは予想もしていなかった。
レンドルフ自身がそのつもりはなくても、どうしようもない部分で責められ、責任を取らされることになった。そのことに関しては互いに悪意はなかったことは分かっているが、誰かが責任を取らなければならない状況で、やはり元凶となってしまったレンドルフが選ばれたのは仕方のないことだった。
「その処分については当然のことと思っていましたし、誰かを恨むような気持ちも一切ありません。でも…その時は本当にどうしたらいいか分からなくて」
寮を出てタウンハウスで過ごしていた時は、習慣として鍛錬と食事をしていたし、使用人達を心配させないように振る舞ってはいたが、レンドルフは途方に暮れていたのだ。立派な騎士になろうとずっと一直線に上だけを向いて生きて来た。それがいきなり梯子を外されて放り出されたような状態になってしまった。勿論、王城で近衛騎士を務めることが騎士の全てではない。しかし自分ではどうしようもないことの責任を取る形になってしまった状況は、レンドルフの心が追いつけなかったのだ。
「その時、ほんの気まぐれでしたが、父が討伐に参加していたヒュドラの退治現場を見てみようと思い、エイスの街に赴いたのです」
「それで絡まれていたユリを助けてくださったと」
最初は子供が質の悪い男達に絡まれていると思って、レンドルフは急いで介入したのだ。その介入の仕方は今思うと強引過ぎたと反省していた。もし最初から女性が絡まれていたと分かっていたら、下手に手を出すと却って女性を恐怖に陥れてしまうかもしれないことを考えてレンドルフが直接手を出すようなことはしなかったかもしれない。おそらく物陰から土魔法で男達を拘束してから、近くの店などに自警団などを呼ぶように頼んで顔も合わせなかっただろう。
しかし子供と勘違いしたレンドルフと直接顔を合わせることになってしまったユリは、見上げるようなレンドルフに物怖じしたような様子もなく、礼と称して一緒に食事にも付き合ってくれたのだ。その時に彼女と食べた料理は、久しぶりに美味しいと思えた。そして甘い物が好きだと告げてもユリは特段奇異な目を向けて来なかったことに、何とも言えない胸の温かさを覚えた。
周囲から腫れ物のように扱われて、これからの去就も全く分からなかったレンドルフは、その時になって初めて自分が思っていた以上に傷付き絶望していたのだと知ったのだった。その自覚もないまま、三ヶ月あまりの時間をタウンハウスに籠って過ごしていたら、今頃どうなっていたかと思うとゾッとするような気持ちになった。
「ユリさんは次に出会ったときに、冒険者登録を勧めてくれて、定期討伐にも誘ってくれました。俺は、ずっと騎士以外の道はないものだと視野が狭くなっていたことにも気付いていなくて、そう言われて初めて他のことをしてもいいのだと気が付いたんです」
「きっとユリのことですから、自分の薬草採取に協力してくれそうな優秀な人に来て欲しかったのだと思いますよ?」
「それでいいんです。俺が勝手に救われたんですから」
体に似合わぬ可愛らしい色合いの髪を自分でも好ましいとは思えなかったが、ユリがそれを美しい花に喩えてくれた。神のいる場所で咲くという言い伝えのある真っ直ぐ空に伸びる凛とした花だと。それだけでレンドルフは色々なことが受け入れられるような気持ちになれたのだ。
「それに、誰かを守ることが騎士の本分だということを思い出させて…いや、本当の意味で理解出来た気がするんです。その気付きは全部、ユリさんが俺にくれたものです。ユリさんは俺にとって、命の恩人にも等しいです」
「……ふふ。ユリは自分の気持ちの赴くままに行動しているだけでしょうから、レン殿が命の恩人と思っていると知れば慌ててしまうでしょうね」
「俺が勝手にそう受け取っただけです。ただ…やっぱり重いかと思うので…内緒にしていただけると」
少し頬の辺りを赤らめながら軽く頭を下げるレンドルフを、レンザは目元を緩めて頷く。その顔はレンザ自身も自覚していなかったが、ユリを見つめる時の目によく似ていた。
「分かりました。私からは言わないでおきます。ですが、いつか貴方の口からユリに伝えてやってください。きっと、慌てたとしても喜ぶでしょう」
「はい」
一時は剣呑になりかけた馬車の中の空気は、それが全て霧散して今は柔らかく温かなものに包まれていた。
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まだ街道に雪の降っていない地域なので、レンドルフ達を乗せた馬車は予定通りの宿場に到着した。あと小一時間もすれば日の出になるので、空も東側がうっすらと白んでいる。馬車から降りると、やはり王都よりも空気が固く冷えていた。これから更に北上するので、もっと厳しい寒さと雪になって来る。馬車の中で確認した予定ならば、明日の朝の宿泊場所辺りからいよいよ本格的な雪道なって来るだろう。
荷下ろしとスレイプニル達を厩舎に連れて行くのは既に待機していた使用人達に任せて、ずっと馭者を務めていたサミーは少し離れた場所で煙草を銜えてゆっくりと煙を燻らせていた。
「サミーさん、お疲れさま。寒さは平気かな?」
「大公家から支給された防寒具が優秀だから寒くないし、スレイプニル達は勝手に走ってくれるし、これほど楽な仕事はなかなかありませんや…って、申し訳ございません」
つい気が抜けていたのか砕けた口調になったサミーが頭を下げる。所作は丁寧な方がサミーに馴染んでいるように思えたが、口調は今のように砕けている方が楽そうな印象だった。
「俺の前ではそのままで。さすがに他の人がいるときは推奨しないけれど」
「じゃ、お言葉に甘えて。レンの旦那はお疲れじゃあねえですかい?」
「あの馬車の中は快適だったよ。さすがに大公家が用意しただけある」
最初は固めだと思った座面だったが、長時間座っていても一向に負担にならないものだった。しかも馬車の揺れも吸収しているのか、驚くほど安定している。中にいると本当に走っているのか疑わしくなり、窓をの外を見て確認したくなってしまう程だった。
「あのスレイプニルもさすがの大公家所有のもので。特にあの白いヤツは、もう桁が違う。ありゃスレイプニルとは思えませんぜ」
「へえ。良かったら明日、少しだけ馭者を代わってもらおうかな」
「いやいや、それはさすがに駄目でしょうよ。仮にも父の葬儀に向かう息子でしょうが」
「この髪色なら息子とは思われないよ。辺境伯家は赤熊の一族って思われてるから」
クロヴァス家の直系は赤い髪と大きな体、強力な火の攻撃魔法を有すると思われている。大半は間違いではないのだが、それでも血縁が必ずしもその特徴を持っているという訳ではない。基本的にクロヴァス家は王都に出て来ることは極めて少ないので、赤い髪という印象だけが人々の記憶に残って語り継がれているだけなのだろう。
現に肖像画でしか見たことはないが、レンドルフの祖父にあたる先々代当主は紫色の髪をしていた。レンドルフの髪色はクロヴァス家で肖像画が残っている中にはいないが、そもそもクロヴァス家は毎日のように魔獣を相手にしなければならない家門なので、幾度となく血が途切れかけて来た歴史がある。その中で肖像画すら残せなかった当主も何人もいるので、もしかしたらその中に薄紅色の髪の人物も居たかもしれない。
「その辺は閣…アレクサンダー様に許可取ってくださいよ。俺からはいいとも悪いとも言えませんから」
「ああ、そうするよ」
明け方近くの最も人が少ない時間帯なので、作業の為に待ち受けていた人間しか周囲にはいないようだ。もし昼に到着していれば、稀少な白いスレイプニルを見てちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
サミーは煙草が半分以下になったところで、懐から携帯の灰皿を取り出して火を揉み消す。
「じゃあ、俺はお先に」
「ああ、ゆっくり休んでくれよ」
「ありがとーございます」
ヒラヒラとてを軽く振ってサミーは宿の方に向かって行った。レンドルフも早く休んだ方がいいのは分かっていたが、あまり体が疲れを感じていないせいなのか、気持ちが興奮状態なのか全く眠気を感じられない。
空を見上げると、まだ西の空には多くの星が残っていた。よく晴れているので、この辺りはまだ雪が降るのは当分先だろう。それでも吐く息も白く、サミーが残して行った煙草の残り香でまるでレンドルフも煙草を吸っているような様子になっている。
(ユリさんは…大丈夫だろうか…)
父ディルダートの訃報が嘘であったことを知ってレンドルフの心の一部は軽くなってはいるが、やはりユリのことを思うとズシリと石を飲み込んだような重さが体の中にあるのを感じる。もし彼女に何かあれば身内に真っ先に連絡が来る筈なので、それがないということは大丈夫なのだと言い聞かせる。
「必ず薬草を見付けてみせるから…」
レンドルフはそう小さく呟いて、親指に嵌まっている指輪をそっと額に押し当てた。日の光の元だと湖水のような青色になる石は、今はまだ光が少ないため黒に近い濃い緑色をしている。中央に入っている一筋の偏光色も明るいところで見るよりも暗い色味だった。ユリの虹彩は、視線が合うと暗い中でも光を湛えているように見えることを思い出して、レンドルフはジワリと目の奥が熱を帯びるのを感じた。どうにも今は感情が昂りやすくなっているらしい。
さすがに何もせずに立っていると寒さを感じて、レンドルフは軽く肩を竦めて宿に入ることにした。その際に少々鼻をすすっていたのは、寒さのせいにすることにしたのだった。
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サミーは用意してもらった部屋に戻って、きちんと留めていたシャツのボタンを三つ外してようやく一息ついた気分になった。仕事によってはきちんとした服装であることを求められることもあるが、それが苦手でなるべく避けていたので、こんなに長くきちんとした恰好をしたのは久しぶりだった。
このまま浄化の魔石を使って手っ取り早く身ぎれいにしてすぐに眠るか、もう一服しようかと考えていると、部屋の扉がノックされた。
「はい?」
「疲れているところすまないが、少々いいかな」
「っ!ど、どうぞ」
扉を開けると、部屋の前にレンザが立っていた。サミーはこの依頼を受ける前にレンザの正体は知らされていたので、まさか大公閣下が直々に訪ねて来るとは思わずに一瞬硬直してしまった。
「追加だよ」
「あ、ありがとうございます…」
サミーが扉から一歩引いて部屋に招くと、レンザはするりと音も無く部屋に入って来た。すれ違いざまにレンザが片手に持っていた煙草の箱をヒョイとサミーに差し出す。ヘビースモーカーなサミーは、この依頼を受ける条件として「煙草さえ吸えれば」と希望を出していたのだ。レンザも馬車の中でなければと許可を出していたので、ありがたくずっと馭者をしながら吸い続けていた。その為、手持ちが大分少なくなっていたのだ。
「いまお茶でも…」
「いや、すぐに済む」
レンザは勧められた椅子に座ったが、お茶を用意しようとしたサミーの動きを止めた。そして懐から何も書かれていない封筒を取り出した。
「少々遅くなったが、君の身分証だ。『サミー・ジルヴァ』で良かったかな」
「ありがとうございます!ええ、間違いございません」
サミーが急いで中を確認すると、サミーの戸籍謄本の写しが入っていた。これはきちんとした役所で発行されたもので、書き換えなどが出来ないように付与が施されている為、どこに出しても間違いなく身分を保証してくれるものだ。
「これよりこのサミー、アスクレティ大公家に誠心誠意お仕えさせていただきます」
「もう契約はしているだろう」
「気持ちの問題です」
そう言ってサミーは、手にした書類を何度も嬉しそうに指先で撫でた。ずっと憧れていた家名がそこにあるのを消えないかどうか確認しているかのようだった。
「閣下はわたくしの命の恩人です。ジルヴァ家の人間は、恩人に対して人生を掛けてお返しすると教え込まれております。その家名に恥じぬよう働きをいたします」
「それは重畳」
サミーは、かつての名は「サムエーレ・トーカ」と言った。
出自は、生まれてすぐに死んだとされていた先代国王の庶子だ。公に出来ない生まれだったのを、王家の弱みになると生まれてすぐに攫われて、トーカ家の一員として育てられた。しかし彼を切り札として使う前に、トーカ家は国家転覆にも等しい罪を犯して一族郎党処刑された。滅多に死刑が行われないオベリス王国では相当厳しい処遇だったが、それほどのことをしたのだ。だがその直前にトーカ家の別荘に窃盗団が侵入し、幸か不幸か箱に入れられていた赤子のサミーを宝と一緒に連れ去ってしまった。その窃盗団は異国で捕縛され、盗品を検分していたところサミーが発見されたのだった。
しかしサミーの出自を調べたところ、もし見つかればトーカ家の一員として血の繋がりはなくとも処刑されてしまうことが分かり、そのまま保護した者が密かに引き取ることにしたのだった。
その引き取った者は、その国では国内の海運業を一手に引き受けている大公家の婿だった。養父となった彼は根っからの海の男で、サミーに船の操作から海図の読み方、海賊と戦う為の荒事など全てを仕込んだ。そして養母であり女大公だった女性は、貴族の所作や知識、生き方などを叩き込んでくれた。その厳しさは今も夢で魘されることもあるくらいだが、愛情深くサミーを育ててくれたのは十分伝わっている。亡き彼らの教えは、今でもサミーを助けてくれている。
その養父母の力をもってしても、異国だったせいもあり、トーカ家の生き残りであることを知られずにサミーを養子縁組することは出来なかった。その為サミーは、これまでどの国の庇護下にも入らない生き方しか選べなかったのだ。まだ体の動くうちはそれでもいいかもしれないが、長い目で見れば不利益ばかりだ。サミーとしてはずっとそうだったからなるようにしかならない、と諦めている節もあった。
そんな折、サミーの出自と能力をレンザが知るところとなり、大公家の「影」として仕えるならば新たな戸籍を用意しようと持ちかけたのだった。オベリス王国に戸籍が紐づいているので、アスクレティ大公家であればそれは不可能ではなかったのだ。
こうしてサミーは「サムエーレ・トーカ」から「サミー・ジルヴァ」に生まれ変わったのだった。「ジルヴァ」というのは、かつての養父の実家の家名だった。さすがに異国の大公家と同じ家名を名乗ることはできないが、それでもサミーからすれば望外の喜びだった。
「これで、国に残して来た者を呼び寄せることも出来ます」
「この件が落ち着けば、彼と住む場所も提供しよう。養子にするか否かは…その扱いは君に任せよう」
「感謝してもしきれません、閣下。わたくしの身は、如何様にもお使いください」
「まあ、ひとまずはその瞳はそのままにしてもらえると助かるね。何か問われても、異国の出身だからと誤摩化せるだろう」
「畏まりました」
サミーは養父母のいた国に、彼らの孫を残して来ていた。色々と事情があって養母の大公家は継げず、サミーは援助はしているものの公な後ろ盾になれずにその国の孤児院に預けているのだ。孤児院の院長は全てを知った上で受け入れてくれているのだが、サミーとしてはどうにかしたかったのだ。その為、レンザの条件にたとえどんな裏があろうともすぐに受け入れたのだった。サミーがトーカ家から外れさえすれば、正式に引き取ることも可能になったのだ。
「まあ、まずはこの先の馭者兼護衛を、よろしく頼むよ」
感極まった様子のサミーの肩を軽くポンと叩くと、レンザは訪ねて来た時と同じようにするりと部屋を後にしたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
少しずつであちこちに散りばめた設定や伏線を回収しつつ進めておりますが、大まかな話だけ決めて割と行き当たりばったりで物語を作っておりますので、矛盾が出てないかヒヤヒヤしてます。一応それに関わるエピソードを読み返すようにしているのですが、あれ?こんな話書いたっけ?というのが各所で発生していて(汗)
こんな感じのポンコツな書き手ではありますが、この先もゆるゆるとお付き合いいただけたら幸いです。