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393.素直すぎる気持ち


「レン殿は、私の孫のことをどのようにお考えでしょう」


ユリの唯一の身内で、彼女の普段の言動の端々から滲み出ている祖父への敬意と愛情はレンドルフも分かっていた。その相手とこうして直接顔を合わせて話す機会なのだから、どこかで必ずそんな問いが来るとは思っていた。だがそれでもいきなり真正面から突き付けられてしまうと、レンドルフの喉の奥が竦み上がるように硬直する。

以前に似たようなことをアナカナにも聞かれたが、この緊張感はそれとは比較にならない。


「とても、優秀で、薬草などの知識も深く」

「ああ、質問の仕方が悪かったようで、申し訳ありません」


喋り出したレンドルフを、レンザは強引に遮った。途端にレンザから、何かザラついたような魔力が漏れ出しているのをレンドルフは感じ取った。


「貴方は、ユリを()()()()()のですか?」


一瞬で笑みを消したレンザの温度を感じさせない眼差しを受けて、レンドルフはジワリと背中に汗が滲むのを感じていた。



「どう、と…は」

「ユリは、私にとってはとても可愛らしい孫だが、年頃の娘でもある。将来のことを考えると、遊びや軽い気持ちで近付くような輩には側にいてもらいたくはない」

「そんなことは思っていません!ユリさんのことは大切に思っています!」

「大切に思うだけで、その次は?ユリの将来をどう考えている?」


レンザは丁寧な物腰を捨て去って、漏れ出す魔力を制御するのも取り繕っていなかった。


「貴方は辺境伯令息だ。ユリと()()()()()()と思わないのか」

「確かに俺はユリさんとは釣り合わないかもしれません」


レンザはレンドルフがユリのことを貴族とは思っていないことを利用して、わざと誤解を招くようなことを言った。高位貴族と平民の婚姻は、出来ないという法はないが互いの気持ちだけで乗り越えて行ける程甘くはない。貴族の縁談は二爵位差がギリギリと言う者もいるが、高位貴族同士であれば当人の資質に余程のことがなければ問題はない。貴族らしからぬレンドルフであってもその辺りは教育されている筈なので、それを忘れているなら自覚させようと敢えてレンザは口に出したのだ。


しかし、レンドルフの答えはその意味合いが違っているように聞こえて、レンザは細めた目を見開いた。



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ユリの本来の身分は唯一の大公家直系だ。レンドルフも現時点では辺境伯令息であるし、王家の血が入っていないという点を含めても家格的に釣り合いは問題ない相手だ。

それに何よりユリ自身がレンドルフを信頼しているし、レンザも彼の人柄は好ましいと感じている。客観的に見てもユリの伴侶となりうる条件を考えるのならば、候補の中ではレンドルフは一つ二つ頭抜けて優位に立っているだろう。


しかしレンザの目からは、その人柄の良さが大公女の伴侶となるにはあまりにも危ういとも思っていた。レンザとしては今のところユリは後継に指名せず、薬師または薬師見習いとして貴族とは関わらない場所で静かに生きて行けるようにすることが望ましいとレンザは考えていた。可能ならばアスクレティ領の一角を与えて薬草園の管理を任せるか、遠い異国で一代限りの爵位を購入した方が安全なのだが、ユリの体質上王都から出すことは出来ないのだ。王都にいる以上、ただユリを市井に降ろすだけという単純なことで済む筈がない。秘匿はされているが、ユリの血は現在のアスクレティ家の中で最も濃い。瞳に絶対に変化しない黄金が宿るのは、何よりも始祖に近い証と当主のみに伝えられている。たとえそれを知らなくても、大公家直系のユリの血筋は利用価値が高すぎるのだ。


ユリが平穏な人生を歩めるようにレンザは持てるだけの力を使って環境を整える気ではいるが、それは絶対でも永遠でもない。いつかは誰かに引き継ぐ日が来るだろう。しかしその誰かは好意の気持ちだけでは遠くない将来足元を掬われ、悲劇が起こる可能性は高い。そうなれば、一度手にしたかりそめの幸福を壊された時の衝撃は強く、絶望はどれだけ深くなることだろう。今度こそユリの魂は完全に壊れてしまうかもしれない。

ただ壊れるだけならともかく、ユリの体に保有している強大な特殊魔力が暴発を伴うならば、もはや止める術はない。かつてレイ神官長がユリの治療の為に調べた鑑定結果は、ユリが全ての魔力を放出して暴発させたなら、王都は簡単に壊滅するだろうということだった。


レンザとしては大切なユリを傷付けるようなことをする者がいるなら、この国がどうなろうが知ったことではないとは思うが、それ以前にユリにそこまでの絶望を味合わせたくはないのだ。

それにレンザ自身、レンドルフを気に入っていないと言えば嘘になる。どちらの身も心も守ると言うなら、可哀想だがレンドルフをこれ以上踏み込ませないことも一つの手であると考えていた。別れは一時は辛いと感じるかもしれないが、取り返しがつかないほど壊されるよりは時間薬で治る方がまだマシと言うものだ。



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「ユリさんはきっと立派な薬師になって、多くの人を助けるようになるでしょう。それこそアレクサンダーさんや、曾祖父殿と並び称されるほどの。ですが。ですが俺はその隣に立てるだけの力も、才能もありません。その、努力します!ユリさんと釣り合うような人間になってみせます!」

「…貴方は、レン殿は、ユリと釣り合わない、と…?」

「情けない話ですが、今は、そうです。それでもユリさんは、隣に立つことを許してくれました。俺は、許される限り共にいたいと思っていますし、ユリさんが薬師になるまでには、そこに堂々といられるだけの力をつけるつもりでいます」


顔を赤らめながらも、レンドルフは真っ直ぐにレンザを見つめて言い切った。言っている内容は決して誇れるようなものではなく、どちらかと言うと情けない部類だろう。けれど彼の気持ちは眩しいまでにストレートで誠実だった。平民と信じているレンドルフから見れば、ユリは身分が下の者だと思っているのに、そこには蔑むような気持ちは欠片も感じられない。むしろ仕えるべき相手とでも言いそうな態度だ。それは物語に出て来る姫に忠誠を捧げた護衛騎士の姿のようでもあった。


「ユリが薬師になるまでには何年も掛かるかもしれない。それでも隣にいたいと…?」

「はい!」

「何故薬師になるまでと期限を切っているのかな」

「ユリさんは、薬師になるまでは縁談や他のことを考えるつもりはないと言っていましたので。だから、ユリさんが薬師になった後でいいので、考える時の何かの候補に入れてもらえたら、と…」


おそらくステノスあたりがいたら「何かってなんだよ、何かって」と突っ込みが入ったかと思うが、耳まで真っ赤にして半分涙目になるほど目を潤ませているレンドルフにレンザは言葉を失っていた。それこそ大公家ただ一人の嫡男として物心つく前から後継教育を受けて来たレンザは、あまり社交をしない大公家でも貴族の権謀術数の世界に長年浸かっていた。それだけに、このレンドルフの愚直なまでの素直さが眩し過ぎて対処方法が見つからなかったのだ。


(これがクロヴァス家の家風なのか…)


ユリが時折レンドルフのことを「可愛い」と連呼していることがあって、レンザはそれについては賛同しかねていたのだが、ほんの少しだけそれが分かったような気がしたのだった。



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「…その、色々失礼なことを申しました」

「い、いえ!ユリさんのご家族なら当然です。ご心配をおかけして申し訳ないです」


やはりユリのことがずっと気がかりなのもあったのか、レンザにしては珍しく頭に血が上っていたらしい。レンドルフはあまり気にならなかったようだが、口調や態度が素に戻りかけてしまっていた。レンザは改めて一つ息を吐くと、「アレクサンダー」に戻ってレンドルフに深く頭を下げた。


「それに、いつかユリさん自慢の祖父殿にお会いしたいと思っていましたので、こんな形ではありますがお会い出来て良かったと思ってます。まさかずっと前に既にお目にかかっていたとは思いもよりませんでしたが」

「あの時はユリにも内緒で顔を出したのです。後から文句を言われましたが」


レンザが子爵家執事の真似事をしてレンドルフの前に現れた時は、こんな風に再び顔を合わせるつもりはなかったのだ。ただ単にレンドルフとは期間限定でユリの護衛替わりになってくれる関係だと考えていたからだ。実際、ユリも彼の休暇が終われば少しずつ遠くなってやがて自然に切れる縁だと思っていた。そして良い思い出として過去になる筈だったのだ。

しかし思いがけずその縁にユリがしがみついた。人のフリをするのがすっかり上手くなっていたが、やはりどこまでも人のフリでしかなかった人形が、ようやく自分の意志で望み執着を見せた相手なのだ。レンザとしては複雑ではあったが、ユリの望みは全て叶えようとあちこちに手を回して縁が切れないようにした結果、レンドルフとの縁は当初よりも深まっていると言っていいだろう。


それはそれで彼に何かあった時にユリにもダメージが行く諸刃の剣のようなものではあるが、しかし先日のレイ神官長の診断ではユリの魂はレンドルフと過ごすようになって驚くほどの修復の速度が上がっていると言われている。

このまま順調に波風も立たずに過ごせれば、近いうちにユリはレンザの魂の庇護下から外れることが出来るかもしれない。



「…アレクサンダーさん。ユリさんは、()()装身具は身に着けていなかったのでしょうか」

「着けていましたよ」

「え?では何故…」


以前にユリとレンドルフが禁止薬物を扱う者が潜入するかもしれないという場に参加しなければならなかった時に、薬効成分まで分解してしまう代わりにあらゆる毒を防ぐ万能の解毒の装身具を作ってもらっていた。さすがに一般的に流通はさせられないが、試作品としてならと特別に借りていたのだ。ただ回復薬ですら無効化してしまうせいで常時装着していては却って危険が伴うので、使い方には十分注意していた筈だった。ユリの伝手で作ってもらったものなので、基本的にはユリが持っていた。


「どうも、装身具に使用していた魔石に不具合が出ていたようです。メンテナンスはこまめに行っていた筈だったのですが…タイミングが悪かったようです」

「そうだったのですか…」


レンドルフもその装身具に何度も助けられたことがあるので、タイミングによっては自分が毒を受けていたかもしれない。しかしそれは受けなくて良かったとは全く思えず、むしろ自分がユリよりも先に毒を受ければ、不具合が分かった筈なのにと苦々しい気持ちが胸に去来する。


「だからと言って、レン殿が代わりに毒を受けていいというものではありませんよ」

「……何故分かりました?」

「大変分かりやすかったですよ」


あまりにも的確にレンザに言い当てられたので、レンドルフの肩が一瞬ビクリと跳ねた。


装身具の不具合は、大公家の開発担当部門が回収して調査している。二つあるうちの一つはレンドルフが立て続けに使用したもので、短期間に強い毒の分解を行ったせいで不具合が起こり調整中だった。残った方は問題が見られなかったのでユリが使用していたのだ。しかし、埋め込まれていた魔石に充填されていた魔力バランスが崩れていて、それが原因で正しい動作が得られなかったのだ。

それがよりにもよってユリの弱点とも言うミュジカ科の成分を有した毒を分解することが出来ずに、ユリに劇症反応が出たのだった。その装身具の不具合が故意に引き起こされたものなのかは、現在も大公家が総力を上げて解明中だった。


「レン殿は、何故そこまでしようとするのです?先日も薬草採取に行けないなら騎士団を辞してしまいそうにもお見受けしましたが…」

「その…出来ればユリさんには内密にお願いしたいのですが…」

「考慮しましょう」

「……ユリさんは、俺の恩人なんです」


そう言って軽く目を伏せたレンドルフは、何かを思い出すようにフワリと微笑んだ。




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