391.辺境伯家と大公家
荷物をまとめて、レンドルフは王城の前で客待ちをしている馬車をどうにか捕まえて、夕刻近くにクロヴァス家のタウンハウスへ向かった。
タウンハウス前に到着すると、門扉に黒地に白に染め抜かれたフェニックスの紋章の旗が掲げられていた。これはその家門に凶事があった際に扉や門などの目立つ場所に置かれ、本家の人間であれば分家や寄子、そして領地の主だった大きな建物などにも掲げられる。
レンドルフが馬車から降りて馭者に料金を支払っていると、馭者に「お悔やみ申し上げます」と声を掛けられた。彼にしてみれば客に対する挨拶のようなものかもしれないが、レンドルフにはそれも心に沁みて、うっかり目が潤んでしまいそうになった。すっかり気持ちが弱っているのかもしれない。
「この度は先代様の件、使用人一同心よりお悔やみ申し上げます」
「ああ、ありがとう。支度はどうなっている?」
「雪道用の車輪を急ぎ確認させております。あと二時間ほど掛かりますので、若様は少しでもお体をお休めになってください」
「…そうさせてもらうよ」
タウンハウスの中に入ると、その日屋敷にいる使用人全員が迎えてくれたらしく、皆沈痛な面持ちで深く頭を下げていた。その胸元には、献花用に使用される白い花に黒い葉の造花を付けている。使用人全員が父ディルダートのことを悼んでいることに、レンドルフは悲しみと誇らしい気持ちがない交ぜになっていた。
「お部屋にお食事をお持ちします」
「いや…ああ、ありがたくいただくよ」
「畏まりました」
レンドルフは当分食欲は湧きそうになかったが、それでも食べられるうちに少しでも食べておかないと、この先は強行軍になるので体力が保たないだろう。執事長の提案に、レンドルフは頷くと自室に戻った。
引き出しの中に入れておいた便箋を取り出すと、レンドルフはすぐにペンを取った。
ただの偶然ではあるが、こうして堂々と故郷に戻る理由が出来たのだ。これを逃す手はない。心の中でディルダートに謝りながら、レンドルフは「子爵家執事アレクサンダー」宛てに手紙をしたためた。
父の葬儀に列席するので、他から勘ぐられることもなく辺境領に戻れること。本日中に辺境領に向けて出発するので、途中合流は難しいことと、それならばいっそ現地でおちあった方がいいということ。そして最後にユリの容態を慮るメッセージを書き加えて、先日「アレクサンダー」から数枚渡された白い伝書鳥に手紙を託した。レナードは五日の内にどうにかすると言っていたので、彼もそれに合わせて準備をしているかもしれない。もし合流出来なくても、探す素材はレンドルフも分かっているのだ。葬儀の合間に森に入って先に見付けておくことが出来れば、追いついた彼に少しでも早く素材を渡せる可能性もある。
葬儀の準備より薬草探しを優先すれば、レンドルフは親不孝と誹りを受けるかもしれない。レンドルフとて父の死に心が痛まない筈がない。しかしまだ生きているユリを救うことをレンドルフは選んだ。
辺境での魔獣討伐に出れば、全員無事で帰れないこともある。死んだ者だけでなく、今まさに死に逝く者も置いて行かなくてはならない場面に直面することもある。それがどんなに親しい者であっても、その瞬間は生きていたとしても、その場で悲しみに沈んで動けなくなっては他の仲間が窮地に陥る。だからこそ、その時は残された者がすべきことをする為に前に進めと教えられた。もし息があっても助からない場合はその場で一番身分の高い者がとどめを刺して、少しでも苦しみが長引かないように送り出すのだ。そして状況によっては埋葬することも出来ず、遺体が魔獣に食い荒らされることを防ぐ為の聖水ですら不足していることも珍しくはない。次に来た時にはおそらく魔獣の糧となって骨の一片すら残っていないのを承知の上で、僅かな遺髪と小さな遺品だけを持ち帰る。それがするべきことを託された者の責務だ。
(父上…俺はすべきことをする為に進みます)
レンドルフは白い伝書鳥にそっと息を吹きかけると、窓の隙間から飛び立って行った影をしばらく見送っていた。
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レンドルフが手紙を送るとすぐに、メイド長がワゴンを押して食事を運んで来た。
深皿の中には、卵液とミルクを染み込ませたパングラタンが湯気を立てていた。表面はフツフツしていないので、食べやすいように少し冷ましてくれていたのだろう。その皿の隣には、大きな瓶の蜂蜜が置いてある。これはよく子供の頃に故郷で出してもらったメニューだ。一般的には通常サイズであったが家族の中では華奢で小さかった幼いレンドルフの成長を願った、栄養と愛情たっぷりの懐かしい味だ。
上からトロリと蜂蜜を注ぐと、金色の液体がゆっくりと渦を描く。その渦がたっぷりと乗ったところをスプーンで掬って口に入れると、蜂蜜の強い甘さが喉の奥にヒリ付いた感覚を残した。ほんの少しだけ複雑な味わいのこれは、幼い頃から食べ慣れているクロヴァス領産の蜂蜜だとすぐに分かった。
クロヴァス領でも一部養蜂を行っている地域もあるのだが、なにぶん花の咲いている時期は短いので、蜂達は一斉にあらゆる植物の蜜を採集する。その為少々雑味の多いものになるので産業として扱われるような品質ではなく、領内で消費するだけのものだ。しかし王都では手に入らない味なので、時折無性にこれを味わいたくなる時がある。
レンドルフは口の中の甘さだけに集中して、他のことを頭の中から追い出して黙々とパングラタンを完食したのだった。
ワゴンに空になった皿を乗せて廊下に出たところ、何やら階下がざわめいているのが耳に入った。何事かと思ってレンドルフが階段の傍から覗き込んだとき、ちょうど急ぎ足で階段を登って来る執事長の姿が見えた。
「何があった?」
「わ、若様!ただいまアスクレティ大公家より馬車が…!」
「大公家から?」
「はい。使いの者がこちらを」
執事長は銀の盆に一通の封筒とペーパーナイフを乗せて階段を登り切ると、レンドルフの前にそれを差し出した。
前辺境伯の訃報は主だったところに連絡をしてあるが、まだ正式な葬儀の日程は決まっていない。辺境領に限らず、王都から離れた場所に暮らす高位貴族の葬儀が行われる場合は、参列したい者には改めて日程を知らせるが、簡単に訪ねることが出来ない状況の者には葬儀も終わって手続きが済んだ頃合いに王都で別途故人を偲ぶ会を開くことになっている。
それまでは色々と立て込んでいることもあるだろうと、その家門へは訪問を控えることが一般的だ。特に親しい付き合いがあるのならばともかく、クロヴァス家とアスクレティ大公家はそこまで近しい同士ではない筈だ。
レンドルフは首を傾げながらも、格上の大公家からの使いであるし、今は自分がこのタウンハウスでは最も身分が高い立場であるのですぐに封を切って中を確認した。
真っ白な便箋にブルーグレーのインクで綴られている手蹟は、さすがに大公家といった美しい文字が並んでいる。
まずは丁寧な父に対するお悔やみの言葉と、突然の訪問に対する無作法についての詫びが続く。
「え…!?」
「如何なさいましたか」
「い、いや…その我が家と大公家は、そんなに親しい間柄だったかと…」
その手紙には、当主は行くことは出来ないが代理人を送るので、是非とも葬儀に参列させて欲しいという旨が書かれていた。そして当然のように辺境に向かう為の大型の馬車や、クロヴァス家への贈り物や積み込んだ物資などの目録が別紙にズラリと記載されている。ザッと目を通しただけでも相当な量だ。しかもかつて父が可愛がっていた大公家所有のスレイプニルも共にお別れをさせて欲しいとまで書かれている。
「ヒュドラ退治の折りに、大公閣下とそのご子息にはお世話になったとは伺っておりますが、その後は先代様はこちらに来ることはございませんでしたので…」
「そうだな。しかしもうこちらにいらしているのだろう?」
「は、はい。正面にスレイプニル三頭立ての大型の馬車と、同じくスレイプニル二頭が引く荷馬車が来ております」
「それほどの数のスレイプニル…どうやら本気で参列なさるつもりのようだな」
どうしたものかレンドルフは考え込んでしまったが、ここまで準備を済ませて来てしまっている以上あまり待たせるのも得策ではない。
「取り敢えず使いの者と話をしてみよう」
「はい。応接室にお通ししてございます」
「分かった」
レンドルフは自分の姿を見下ろして、そこまで気を抜いた恰好ではないのでそのまま出向くことにした。あちらも先触れもない訪問なので、多少の無作法は大目に見てくれるだろう。それよりもこれ以上待たせてしまう方が余程失礼に当たる。
一応部屋に戻って鏡を覗き込んで髪と軽く整え、シャツのボタンを上まで留める。それだけで多少は人を出迎える体裁くらいは保てている筈だ。夏物ではない為に生地がしっかりしているのも幸いした。
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「お待たせして申し訳ありません」
「こちらこそお時間を取っていただきありがとうございます」
「あ…貴方は!?」
「お久しぶりでございます、クロヴァス卿」
レンドルフが応接室に入ると、ソファに座っていた人物が立ち上がって恭しく頭を下げた。
そこにいたのは明るい茶色で少し長い髪を綺麗に隙なく撫で付けて首の後ろで括り、たくわえられた髭も整えられた背の高い男性で、僅かに垣間見える細められた目は薄紫色をしていた。以前とは随分と印象が変わっていたが、その顔は以前ユリとモタクオ湖に行った際に護衛を務めてくれていたサミーだった。
「サミーさん…大公家の使者と伺いましたが」
「はい。所属している商団の出資者の一つがアスクレティ大公家ですので、今回も雇われ護衛として務めさせていただくことになりました」
以前護衛をしてもらったサミーは所作などは貴族でも通用しそうなものだったが、普段は商船の護衛を務めていたらしく風貌や言葉尻に平民らしい荒っぽさを感じさせた。しかし目の前にいる彼は、高位貴族の従僕と言っても遜色がない。前にもそう思ったが、元々こちらの洗練された物腰の方が彼の本分のように感じられた。
「早速ですが、あまり時間を掛けない方がよろしいかと存じますので、こちらの用件をお伝えいたします」
全く予想もしていなかった人物と再会して、レンドルフは全く頭がついて行っていなかった。半ばサミーに促されるような状態でソファに座り込む。
今回サミーは、雪道にも強い護衛ということで大公家に一時的に雇われていることと、自分とは違う別の代理人がいて、彼とレンドルフを無事に辺境領を往復させる為に来たことを告げた。
サミーは育ちは海の近い場所で過ごしたので船に慣れてもいるが、そこは北の土地だったので雪の対処方法も幼い頃から仕込まれていた。その為、冬場は海ではなく陸路の商団の護衛を務めることが多いそうで、その経験から今回は大公家の馬車の馭者と護衛を務めることになったようだ。
「詳しい話は代理人の方から聞いていただきたいのですが、私からお話し出来るのは、今後の辺境領に関わろうとする者への牽制、だそうです」
「牽制、ですか?大公家が我が家に?」
「今のご当主様も、先代様に引けを取らぬ勇猛さと大らかさで領民から慕われていると伺っております。しかし先代様はあのヒュドラを討伐した功績者であり、未だ英雄として御名を馳せておいでです。その方がいなくなってしまうと、不安に思う者もいることでしょう。いえ、そこに付け入ろうとする輩もないとは言えないでしょう」
「ええ…」
レンドルフは心情的に否定はしたかったが、客観的に考えれば頷かざるを得なかった。
兄夫婦は領民のことを思い、それに尽力する為に日々奔走している。しかしどちらも政治的な働きは極端に向いていない。レンドルフとて人のことは言えない脳筋である自覚はあるが、兄夫婦の方がもっと貴族的ではないのだ。
引退したとは言え、ヒュドラの討伐に大きく貢献し活躍した記憶がまだ人々の中に残っている父ディルダートは、未だに王都でも一目置かれている。その存在が無くなってしまえば、クロヴァス家を利用しようとする悪意を持った存在が近付いて来るかもしれないのだ。
勿論そんな領主夫妻を支える優秀な文官はいる。しかし辺境伯よりも身分が上の百戦錬磨な貴族を相手に、迂闊に足元を掬われないとは言い切れない。そういったことについてはレンドルフの母が非常に強いのではあるが、父を亡くしたばかりの母がどれだけ気落ちしているかと思うと冷静な判断が出来ないかもしれないし、出来れば負担をかけたくはなかった。
「大公閣下は、ただの旧友として葬儀に代理人を立てて参列するだけとの仰せです。特に何か家同士の約定や取り引きなどを申し出るつもりはない、と。しかし、王族はもとより他家ともあまり深い縁を結ばない大公家が葬儀に参列するという事実だけで、多少の牽制にはなるとの判断です。それを以て、かつてその背に守られた英雄殿への感謝と手向けにしたいと仰っておいでです」
「…大公閣下には、過分のお気遣い感謝いたします」
サミーが懐から紙を出して半ば読み上げるような形ではあったが、それだけでもレンドルフの涙腺を刺激するには十分だった。辛うじて落涙せずに済んだのは、壁際に並んで立っていた執事長とメイド長が揃って鼻をすすっていたおかげだった。突然のこととは言え、クロヴァス家の面々があまりにも涙脆いと思われるのはさすがに避けようと、レンドルフのギリギリの貴族の矜持が決壊だけは押し止めた。
「それでは辺境領へのご同行は許可をいただけますでしょうか」
「勿論です。どうぞよろしくお願いします」
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今日の夜から雲行きが怪しくなるということなので、レンドルフは急いで支度をしてタウンハウスを出る。扉を開けると、タウンハウスで所有している一番大きな馬車よりも二回りは大きなものが停まっていた。そして毛艶の良いスレイプニルがズラリと並んでいるのは、辺境領でも滅多に見られない光景だった。しかも三頭立ての中心に繋がれているのは、国内に二頭しかいないと言われている真っ白なスレイプニルだった。
この純白の毛並みは変異種で、国王と大公家がそれぞれ一頭ずつ所有している。国王所有の個体は、国賓の出迎えの為に出されたのを近衛騎士であったレンドルフは見たことがあった。それでも片手で数える程しかないし、大公家所有の個体を目にするのは初めてのことだった。並べてみないと分からないが、国王所有の個体よりも大きいような気がした。
魔獣の変異種は総じて高い能力を有していると言われていて、目の前の白いスレイプニルはどの個体よりも確実に一回りは大きいのに、スラリとしてしなやかな肢体はどこまでも優美で美しかった。その後ろにクロヴァス家の馬車とスレイプニルのノルドが繋がれていたが、何故か普通サイズに見えてしまうという錯覚に、レンドルフは思わず目を擦ってしまった。
馬車には、従僕が準備したのか門扉に掛けられている黒い旗と同じものが掲げられていた。これは葬儀に向かう馬車であると周囲に知らせる目印で、必ずと言う訳ではないが街道で優先して通してもらえることが多くなるのだ。そして一番大きな馬車にはアスクレティ大公家の紋章が目立つ場所に入っているので、狭い道ですれ違う時でも大抵の相手は避けて来るだろう。
何せアスクレティ大公家は、貴族平民に関わらず同じ品質の医療を受けられるように尽力を続けている家門だ。国内では直接間接問わずに、誰もが大公家の世話には一度はなっているのだ。その大公家の馬車の道を塞ぐような真似はする者はいないし、万一いたとしても周囲が街道の外に押し退けるであろうことは目に見える。
「馭者はこちらで手配した者を付けますので、レン様はこちらの馬車にご乗車ください」
「は、はい」
予定としては、ノルドを繋いだ馬車にレンドルフ一人が馭者をしながら辺境領に向かう予定だった。道中の危険を執事長に懇々と諭されたが、それならば余計に王都から誰かを連れて行く訳にはいかなかった。何せ危険のない王都には、戦闘に長けた使用人を置いていないのが現状だ。長年クロヴァス家に仕えてくれているベテランの中には腕の立つ者もいたが、歳を重ねて領地で仕えることが厳しくなった為にタウンハウスに派遣された者が殆どなのだ。それでもクロヴァス領出身の者は王都ではCランクの冒険者程度の実力はあるので自分の身を守るくらいは出来るが、やはり辺境に向かうとなると少々厳しい。
それにレンドルフは少し一人になって色々と気持ちの整理をしたかったのもあった。
しかし、レンドルフはグイグイとサミーに背を押されて、タウンハウスにいた使用人全員に見送られながら馬車の中に詰め込まれるように乗せられたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
サミーは「107.モタクオ湖への道中」から数話続けて登場しています。もうちょっと先で出す予定でしたが、色々あってここで再登場になりました。