37.【過去編】クリューの昔
同性(女性)カップルのエピソードがちょっと入ります。
タイキがスラム街の解体作戦に巻き込まれ捕まってから、半月あまりが経過していた。
作戦は一斉に行ったことが功を奏して、あれ以来街中ではそれらしき場所は確認されていない。しかしその反動として、捕縛した人数があまりに多く、各人の事情聴取は遅々として進んでいなかった。
その間に、部隊長カツハは毎日のようにミキタの店を訪れ、タイキのことをちらつかせては只で散々飲み食いをしていた。時折部下も連れて来ては同じように飲み食いをさせ、酷く酔って他の客に絡んで店の物を壊しても謝罪も反省もなく、また翌日ケロリとした顔でやって来るのだ。
その為、ミキタは他の客に頭を下げて、当分夜の営業時には来ない方がいいと告げていた。
ミキタは明らかに疲れた顔になっていたが、それでもタイキが戻るまでは、とひたすら我慢をしているようだった。
「おお、そうだ。今ちょっと極秘に人探しをしていてね。こういう場末の店の主人なら、我々の目が届かないようなゴミ溜めにも目が行くのではないかと思ってね」
カツハは極秘という割には大きな声で、懐から畳まれた一枚の紙を取り出した。もっとも、最近はカツハと彼が連れて来る部下くらいしかいないので、いくら大きな声で話しても気にする必要もないのだが。
そしてそれをポイ、とミキタに投げ出すと、軽く顎をしゃくって無言で開けろと指示を出す。ミキタのこめかみには一瞬青筋が浮いたが、それを隠して愛想笑いをしながら指先でつまみ上げて開いた。
「…これは…!」
それは肖像画を印刷したものだった。印刷が荒くてはっきりとは分かり難いが、その人物の顔立ちや雰囲気などは分かる。人探しをするのには十分だった。
その肖像画は若い女性の姿が描かれていて、纏めた髪や首元の宝飾品などから貴族のようで、年の頃は20代半ばといった風だった。目を引く目立つ美女ではないが、少し垂れた目に頼り無さげに下がった眉、そして寂しげな微笑みをたたえた思わず守りたくなるような可愛らしい雰囲気の女性。
「これは30年程前に描かれた肖像画でね」
「まあ、それでは随分と面立ちが変わってしまっているのでは?」
「ああ、今は50代のババアにはなっているだろうさ」
「…それで?この女性が、どうしたと言うんですか?」
ミキタは平静を装いながら、まるでカツハの意図が読めないといった風に首を傾げてみせた。カツハは「これだから無教養の平民は」と呟いて分かりやすく小馬鹿にした表情を顔に浮かべながら、勿体付けるようにグラスの酒を空にし、ミキタに酌をさせながら顔を寄せて来た。
「こいつはな、こんな顔をして主人殺しの大悪党だ」
「まあ!殺しですって!」
「シーッ!声が大きい。…全くこれだから下賤の女は…」
「申し訳ございません。それで?カツハ様はどうして大罪人を探しておられるのですか〜?」
今日はカツハ以外に客はいないのだから、声を潜めさせる意味もないのだが、いい加減酔いが回っているので単純にミキタの声が煩かっただけなのかもしれない。我ながら芝居がかったわざとらしい言い方だと内心ミキタは投げやりに思っていたが、カツハには全く気付かれていなかった。
「この女が殺した男のご子息が探しておるのだ。まあ執念深いと言うか何と言うか…とは言え、探しているのはとある国の地位も名誉もある大貴族様でな。生きたまま連れて行けば莫大な報酬がいただけるということだ。余程ご自分で報復を受けさせたいらしい。全く…力だけしかない頭の軽い軍人の考えそうなことだ」
「報復…ねえ」
大貴族様と言う割に、カツハの内心見下している気持ちが駄々漏れているが、そこは気にするところではない。ミキタは手元の紙に再び視線を落として、そこにある見慣れた顔を眺めたのだった。
「ですがカツハ様。この肖像は若い頃のものでございましょう?でしたらわたくしには心当たりは…」
「この店に、この女にそっくりな者が出入りしている聞いた」
一瞬、ピタリと動きを止めたミキタに、カツハはニヤリと口の端を歪めて笑う。
「これに描かれているのと同じ年頃の、赤い目をした女だ。知っているだろう?」
手荒れの全くない、柔らかな皮膚と整った爪を持つカツハの指先が、ミキタの持ったままの紙を軽く突ついた。王都領を魔獣の危険から守る騎士団駐屯部隊の部隊長ではあるが、元々なのかその地位になってからなのか、その手は荒事とは一切関わりのない文官の手だ。いや、インクの跡もペンだこも見当たらないので、文官以下かもしれない。
彼のねちっこい口調は、最初からミキタが分かっていると承知した上での質問だったようだ。
その肖像画は、クリューに瓜二つだったのだ。
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「…まあ…言われてみれば似ておりますね。ですが年齢も違いますし、第一、これは貴族の肖像画ではございませんか?彼女は確か平民…」
「その女の母親の居場所を聞き出せ。これだけそっくりで、血の繋がりがない筈がない。ちょうど母親の年くらいだろう」
「それは…そういった話はしたことがありませんので、急にそんなことを言っては怪しまれるのでは?」
「ふん。遺産の一部が譲られるとか言えばノコノコ姿を現すだろう。どうせ金に汚い罪人だからな」
「一体、この人は何故そんな罪を?」
「どうしてそんなことを知りたい」
「だって、カツハ様がその女を連れて行けば、莫大な報酬がいただけるのでしょう?それに協力するのですから、わたくしにも少し良い目を見させてくださいな」
ミキタの持った紙に伸ばされたカツハの手に、指を絡ませるようにミキタの手が重なる。一瞬カツハの顔がだらしなく緩みそうになるが、すぐに我に返って軽く咳払いをしながら手を引っ込めた。
「そうだな…もし上手く事が運べば、収容施設にいるお前の息子をこっそり出してやってもいい。私が手配してやろう」
「まあ、ありがとうございます」
散々只酒、只食いをして来た上に、何度も袖の下を受け取っておきながら一銭も払う気のないカツハに、ミキタは内心唾棄するような思いに駆られた。だが事実カツハは捕縛したスラム街住人を管理している責任者の一人であり、正規の手続きを待っていてはいつになったらタイキを助け出せるのか全く分からない。少なくともレンザに知らせに直接アスクレティ領に行ったバートンから連絡が来るまではこの男に楯突くのは得策ではないと、ミキタは煮えくり返るハラワタを必死に押さえ込んだ。
「その女はな、大貴族の当主に擦り寄ってまんまと愛人の座に納まったのだが、それだけでは満足出来ず、正妻と跡取のご子息を亡き者にしようと破落戸を雇ったそうだ。だがそれに気付いた当主が止めに入り計画は失敗。逆上した女は破落戸と手を組んで当主を殺害、財宝を盗んで逃亡したということだ」
「まあ恐ろしい」
「この店に来る女がその罪人の娘なら、お前もせいぜい気をつけるんだな。何せ大貴族様を唆した上で殺した毒婦の血筋だ」
「わたくしに上手く出来るかしら〜」
「無理なようなら、その娘を私のところに寄越すように誘導するだけでも構わないぞ。私が直々に聞き出してやろう」
「けっ」
「ん?何か言ったか?」
「いいえ〜、ちょっと喉がいがらっぽくて〜」
カツハは大分酔いが回っているのか、既に完全な棒読み状態になっているミキタに気付いていないようだった。
その後も自分だけ気持ちよく酔いしれたカツハが帰った翌日、ミキタは急遽塩を買い出しに行く羽目になって、これからは遠回しの呪法よりも直に酒の肴にたっぷりと塩を入れる方向に切り替えよう、と後悔していたのだった。
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「と言う訳で、あんたは当分ここに近寄らない方がいい」
「ええ〜大丈夫よぉ〜。何ならその薄毛男?カッパだっけ?そいつの部屋行ってちょっと潰して来るから」
「よしなさい、バッチイから」
「それもそうね」
翌日の開店前、重たい塩だけでなく特売の根菜を大量に購入してしまって息切れをしながらミキタが戻ると、合鍵を持っているクリューがせっせと床に残っていた塩をモップで拭いているところだった。
すぐにミキタは昨日カツハから聞いた話をクリューに話し、先程のような会話になったのだった。
「お互いそれなりに探られちゃマズいイチモツ腹に抱えてるんだから、しばらくはここを離れなさいよ」
「でもこうやって手配書が回ってるんなら、移動するのも危なくない?」
「大丈夫だよ。これ、30年前のあんたじゃないか。誰も同一人物だとは思わないよ」
クリューは元が辿れない程の遠い祖先に異種族がいて、急な先祖帰りが出たらしく、ある一定の年齢を超えてから外見が殆ど変わらなくなった。もともと童顔気味だったのもあるが、見た目は20代くらいにしか見えないが、実はミキタより年上で50を越えている。
「同一人物と思われないんだったら、ここにいても良くない?」
「そうしたらあの薄いのが煩いだろ」
「いいじゃない、あたしを売っちゃえば。そしたらタイちゃん返してもらえるんでしょ」
「冗談でもそういうこと言うんじゃない!どっちもあたしにとっては大事な人間だ」
「もーぅ、ミキティってばカッコいいんだから」
買って来た食材をパントリーに片付けながら在庫を台帳に記しているミキタに、クリューは背後から抱きついた。
「こーら、字が書けないだろ。人目がないからってベタベタするんじゃないよ」
「ええ〜いいじゃない〜。昔はもっと一日中ベタベタしてたじゃない〜」
「前から言ってるだろ。あたしは一度別れたヤツとはヨリは戻さないの」
「あれはあたしが一方的にフラれたんじゃない〜。ちょっとくらい大目に見てよぉ」
「特別は、ない!」
クリューの方が背が高い為にミキタの肩に顎を乗せるような体勢になっていたので、ミキタは肩越しにピシリとクリューにデコピンをくらわせた。クリューは思わず「うっ」と呻いて額を押さえながらミキタから身体を離した。
「ミキティつれなーい」
「いい歳なんだからカワイコぶらない」
「いいじゃない、見た目はピチピチなんだしぃ」
「はいはい」
ミキタの塩対応にクリューはむくれたような顔になったが、お互いにこれは気を紛らわせる為の軽い冗談のようなやり取りだと承知していた。うっかりするとタイキのことが気がかりでつい一日中塞ぎがちになってしまうので、それでは何の解決策も浮かばない。絶望で動けなくなるのを避ける為に、気持ちを保っておくことが必要なのは、二人とも経験的によく知っていた。
ミキタとクリューは出会ってしばらくの間、恋人関係であった。やがてその関係は解消され、ミキタがステノスと結婚しても、その後ステノスが行方不明になり死亡したと見なされ二番目の夫と再婚をし、再び二度目の未亡人になっても、クリューはずっとミキタの隣に居続けた。息子を三人も抱えて店の経営に奮闘するミキタを支え、息子達にも惜しみない愛情を注いで子育てをフォローしてくれた。
恋慕でも執着でもなく、友人というには近い距離感の不思議な関係のまま、彼女達はそれこそ30年近くも共にいた。
「でもねえ、なーんで急にあたしを探そうとしてるのかしらねぇ」
「そうだね。今までそんな気配なかったのに。少し探りを入れてみるかい?」
「いい、いい!今はタイちゃんの方が最優先。それに、あんな家に関わるとロクなことないわよ。どうせあたしにまで辿り着くことはないわよ。放っといていいわ」
「分かった。でも一応注意はしておくんだよ」
カツハがミキタに教えたクリューの話は、全くの捏造だった。
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クリューは隣国の男爵家の娘に生まれたが、生家はとうに無くなって久しい。
半ば借金のカタに売られるように、クリューよりも年上の孫がいる隠居の後妻になるところだった。だがそれを商業で成功を収めた子爵家当主が、割り込むようにクリューに求婚したのだ。10歳以上も年上であったが大変な美丈夫で、最初の縁談よりははるかに歳が近いし、何より持参金もいらずにただ身一つで来てくれればいいと強く希望された。その上男爵家の借金まで返済してくれたのだ。クリューからすれば夢のような状況で、断る理由も無かった。そのままトントン拍子にクリューの婚姻は決まり、「最初の縁談相手が君に執着しているからほとぼりが冷めるまで」という相手の言葉を信じて、風光明媚な地方の別邸で暮らすことに彼女は一切疑問に思わなかった。
すぐに子供が生まれたが、ただ一度抱いただけで「余裕のある貴族は自分で子育てはしない」と周囲に取り上げられ、それ以降どんなに頼んでも何かと理由を付けて顔すら見せてもらえなかったことからクリューの胸に疑問が湧いた。いや、現実が見たくなくて醒めないようにしていた夢を見続けることが出来なくなっていたのかもしれない。
やがて自分には常に監視が付いていることや、あれこれ理由を付けて一向に正式な妻としてどこにも紹介すらされていないことをきちんと自覚して、ようやくクリューは自分が騙されていることを悟った。
そして夫を問い詰めたところ、身分は低いのにクリューの魔力の高さに目を付けた侯爵が、身分を偽り金の力でクリューを愛人として囲っていたという事実を知らされたのだった。結婚式で互いにサインを入れた婚姻届は、その後どこにも提出されることなく既に破棄されていた。信じて子まで成した相手は、夫ですらなかったのだ。
侯爵には正妻がいたのだが子供が出来ず、当代随一と言われていた侯爵の魔力を継いだ跡取を望んでのことだった。
クリューは跡取となる息子の産んだのだから、第二夫人として正式に届けを出すか、もしくはその功労に値する金銭を渡して解放するように詰め寄った。しかしのらりくらりと理由を付けられていつまでも愛人の立場のまま、一向に解放されずに軟禁状態に置かれ、彼女の要求は何一つ叶えられなかった。
そのうちに侯爵からは二人目を、と言い寄られるようになり、とっくに嫌気がさしていたクリューはどうにかして一矢報いて逃げ出そうと画策していた矢先、その侯爵家の別邸にミキタが率いる盗賊団が侵入した。
当時、ミキタは父親から受け継いだ盗賊団の首領をしていたのだ。盗賊団と言っても義賊であり、盗みはすれど殺しはしない、を掟に掲げていた。そこで理不尽な目に遭って閉じ込められていたクリューと出会い、そのままクリューが自ら望んでミキタに攫われたのだった。
「来るか?」
新緑のような淡い緑色の彼女の髪が月明かりを浴びて、クリューの目にはその姿がこの世で最も美しく神々しいものに映った。そう言って差し出された手を取るのに、一切の躊躇は無かった。
ようやく自由になったクリューは、そのままミキタの盗賊団に入ることを選んだ。
しかしその後、盗賊団が侯爵家当主を殺して財宝を奪ったと手配書が回った。そして盗賊団を手引きしたのが侯爵の愛人で、悪辣な毒婦だとあちこちの新聞に報じられていた。その責を負わされて、クリューの生家の男爵家は跡形もなく無くなっていたことも新聞の報道で知った。金に目が眩んで娘を売り渡すような家族だったので、クリューからすれば未練は欠片もなかった為そちらは問題はなかったが、仮にも義賊として名高かった盗賊団には相当な打撃であった。
もしミキタの父親がまだ首領であったら、長年の積み重ねた実績で誰も信じなかっただろうし、疑惑の声は力づくで捩じ伏せられただろう。しかし首領が交替して間もない上に小娘であったミキタにはまだそんな力もなかったので、かつての正義の義賊の名誉は地に落ちてしまうのはあっという間だった。やがて父から受け継いだ仲間もバラバラになり、ミキタの傍らにいるのはクリューだけになってしまった。
そして彼女達には、人殺しと毒婦という不名誉な冤罪だけが残った。
仕方なくミキタ達はその時の名を捨てて傭兵となり、共にあちこちの国の戦場を転々とする生活を送るようになった。経験値を詰むことで、元から戦闘センスがずば抜けて高いミキタと、豊富な魔力量で攻撃に特化した魔法を鍛え上げたクリューは目覚ましい戦功を上げ、当時は「殲滅の魔女」という二つ名で呼ばれるまでになった。そして気が付いたら、ミキタは傭兵グループのリーダーになっていたのだった。
かつての盗賊仲間が噂を聞きつけて、ミキタの傭兵グループに入れて欲しいと頼んで来ることもあったが、彼女は「一度別れたヤツとはヨリを戻さない」ときっぱりと断っていた。
それがミキタの矜持であり、今も固く守られている信念になったのだった。
この先にもクリューの過去関係が絡む話は予定していますが、はるかに先なので(笑)軽くざっくり補足。
クリューの夫(仮)は、自分が良いと思うことは人も当然良いと思っている他者を慮れないタイプ。
正妻は魔力が低いので子供もそうなるのではと気にしていて、夫(仮)は「気にしなくても大丈夫だよ」と言ってはいましたが、夫(仮)は「魔力の高い他の女性が代わりに産むから」で、正妻は「子供の魔力のことは関係ないと考えてくれている」と思っていたところで既に齟齬が。
で、ある日突然「ようやく魔力の高い男子が生まれたから」と子を渡して、それを正妻に責められても「何故私の血を引いた子を育てられるのに不満なのか分からない」と堂々と言っちゃう。
そこで正妻はもしかしてウチの夫、言葉が通じない?と気付いてちょっと病みがちになったのを、夫(仮)は「子供の目の色が自分に似てないのが気に入らないからだ」と判断して、「じゃあ、こっちは処分するから次を持って来る」と言ってしまって、それがトドメになって正妻に刺されて死亡。そのまま正妻は療養と言う名の幽閉。侯爵家は醜聞を隠す為に、行方不明になっていたクリューに罪を押し付けることに。
残された後継の子は、周囲の努力もあって割とまともに育ってます。