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385.重なった不運

前回の話の終わりから少しだけ遡った時間軸の話です。


またしても話の切れ目でユリとレンドルフは不在です。


どのくらい時間が経ったか分からなかった。


アナカナは黒い魔力で作られた鳥籠のような中にいた。その中央に小さな椅子があるだけで、そこから降りて数歩分の広さしかない。しかしアナカナは椅子から一歩も降りることはなく、ただ凍り付いたように動かなかった。


「王女殿下、申し訳ありません」


部屋の中に細身で赤みがかった金髪の人物が慌てたように入って来ると、それを合図にしたかのように黒い鳥籠は消滅した。だがアナカナは椅子の上から動かず、少し俯いた様子で顔も上げようとはしなかった。


「先日お目にかかりましたヒスイにございます。長らくそのままでお辛かったでしょう。何かお飲みになりますか?それともお手洗いに行きますか?」

「…ユリは」


ポツリと呟いた声があまりにも掠れていて、ヒスイだけでなくアナカナ自身も驚いた。ヒスイは急いで置いてあった水差しからカップに注いでアナカナに握らせるように持たせる。

アナカナは特に喉の渇きを感じてはいなかったが、これを飲まなければ話してくれそうにない様子のヒスイに、仕方なくカップに口を付けた。しかしずっと飲まず食わずでいたせいか体は渇いていたようで、一度喉の奥に水を無理に送り込むと、次は吸い込まれるように簡単に胃の腑に落ちて行った。


あっという間にカップを空にしたアナカナに、ヒスイはお代わりを注いだ。それも一気に半分ほど飲んで、ようやくアナカナはカップから口を離した。


「ユリは…どうなった、のじゃ…」


アナカナはどうにか声を出そうとするのだが、喉の奥がキュッと締まったように息苦しくなって声が震える。落とさないように握り締めたカップに残った水もユラユラと揺らめいているのを見て、ヒスイはそっとアナカナの手を開かせてカップを近くのテーブルの上に置いた。


「先程応急処置を済ませ、神殿内の治癒院に運んだそうです。私は直接携われませんでしたので、それ以上のことは」

「…そうか」

「それから…その、そろそろご帰城される時間ではありますが…」

「問題を起こした以上、罪人となるのは契約上承知しておる」

「罪人という訳では…」

「構わぬ。地下牢でも従うし、もし必要とあらば騒ぎ立てぬよう城へわらわから一筆書くでの」

「そのようなことはいたしませんよ」


妙に達観した様子のアナカナに淡々と言われてしまい、ヒスイの方が少し慌てていた。本来ならば許されないことだが、あまりにも儚く憔悴した様子のアナカナにヒスイは小さく「失礼します」と呟いてギュッと抱きしめるように抱えて、軽く背中をさすった。


「閣下から少し事情を伺うだけです。もう少し掛かりますので、何か召し上がりますか?お口に合うか分かりませんが、簡単なものならご用意出来ます」


朝から何も食べていない筈だが、アナカナは食べる気が起きなくてフルフルと首を横に振った。が、視界の端にユリが用意してくれた昼食がそのままになっているのが見えた。アナカナの為に作ってくれた白いコメをボール状に小さく丸めたものが並んでいるが、食べる直前に起こった騒動でそのまま放置され、すっかり表面が乾いてしまっていた。


「あれを、いただきたい」

「あちらは…随分経っておりますので」

「ユリ、が用意して、くれたのじゃ。食べねば、バチが当たってしまう」


アナカナはそっとヒスイの体を軽く押して立ち上がってテーブルに近付くと、両手でコメを鷲掴みにして躊躇うことなくかぶりついた。


「……酸っぱ」


中にはガツンと強い酸味と塩気の赤い実が入っていた。先日食べてガッカリした漬物とは違い、どこかで求めていた味そのものがあった。表面は乾いて少し固くなっていたが、食べられないほどではない。むしろその独特の弾力が、ずっとアナカナの奥に眠っていた前世のぼんやりとした感覚に引っかかるものがあった。

咀嚼していると鼻の奥がツンとするような痛みを感じたが、アナカナはぐっと堪えてひたすら口を動かしていた。最初の数口は立ったままだったので、ヒスイが困ったような顔でアナカナを抱きかかえて椅子に座らせる。それでもアナカナはコメを手放すことはなく、ひたすら食べ続けていたのだった。



アナカナは半分ベソをかきながら二つのコメのボールを食べ切った。普段の量からするとかなり少ないのだが、やはりそれ以上食は進まなかった。



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ヒスイに手伝ってもらって手を洗って洗面所から戻って来ると、部屋のソファにレンザが座っていた。全く気配を感じさせなかったので、アナカナは思わず「ヒッ」と息を呑んでしまった。その声を聞いて、レンザの温度を一切感じさせない視線がアナカナを射抜くように見据えた。


固まってしまったアナカナに、レンザは無言で椅子に座るように目で促した。アナカナも覚悟を決めたように姿勢を正して、レンザの正面に置かれた椅子によじ登った。それに手を貸そうとヒスイが近寄ったが、レンザに視線だけで制されて仕方なく後ろに下がった。


アナカナは色々と聞きたいことがあったが、レンザから発せられる空気は質問を許すようなものではなかった。本当は真っ先にユリの容態を聞きたかったのだが、今目の前にレンザがいるということは、最悪の状況ではないということだと理解して、アナカナはグッと言葉を飲み込んだ。



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ユリが異変に気付いて咄嗟にアナカナの手からハンカチを奪い取った次の瞬間、ユリの体がビクリと跳ねて床に倒れ込んだ。そして見る間に皮膚の見えるところが真っ赤になって、顔色は紫色からすぐに真っ白になった。それは本当に一瞬で起こったことで、アナカナが駆け寄ろうとした瞬間、部屋の隅に設置してあったらしい転移の魔道具で部屋の中にレンザが現れた。

瞬時に異変に気付いたのか、アナカナよりも早くレンザがユリに駆け寄って抱き起こすと同時に、アナカナとユリの周囲に黒い魔力が触手のように出現した。


確かレンザは国内でも指折りの闇魔法の使い手だったとアナカナが思い出した時には、座っていた椅子に引き戻されて周囲を鳥籠のような魔力で封じられていた。

そこからはよく見えなかったが、ユリの体は黒い繭のようなものに包まれて、そのまま横抱きにされてレンザに運ばれて行った。退出する際、一瞬だけレンザに向けられた目には明らかな憎悪が籠められていて、アナカナはそのまま呼吸が止まるのではないと思った。


そこからは、誰もいない部屋で封じられたまま、ヒスイが来るまで身じろぎもせずに椅子に座っていたのだった。



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「質問に答えてもらいますが、よろしいですかな」

「何なりと。自白剤の使用も受諾する」

「…正直に答えてくだされば、そこまでのことはいたしません」


静かな声でレンザから問われて、アナカナは躊躇いなく即答する。その様子に、レンザはほんの一瞬だが目を見開いたようだった。


「あのハンカチに毒が仕掛けられていたことはご存知でしたか」

「知らぬ。あれはいつも身支度をしてくれる侍女が揃えたものじゃ。その侍女は王家の『影』を務めていた者で、わらわに忠実であるのは間違いない」

「それはこちらで調査いたします」


ユリの反応からして、アナカナもあのハンカチに毒が仕掛けられていたのは予想していた。しかし現在アナカナの身支度を整えているのは侍女のシオンかパンジーのどちらかで、他の者は直接手出しは出来ない。それに間接的に誰かが毒を仕込んだとして、あの二人の目をかいくぐるのは相当なものだと思っていた。それに万一彼女達がアナカナに危害を加えようとするならば、もうとっくに神の国に行っている筈だ。それくらいアナカナは二人を信頼して、日常生活は頼り切っていた。


「ハンカチはどのような入手経路か把握しておりますか」

「正直把握はしておらぬ。誰かから特別に贈られたものでもない限り、ハンカチは一度切りの消耗品じゃ」

「あれは誰かから贈られたものではないと?」

「王城に出入りしている商会から納入されたものじゃ。あの鳥の刺繍は似たようなものを何度か使用しているので、調べれば分かるであろう。その商会から作っている工房なども分かる筈じゃ」


基本的に貴族令嬢、ましてや王族ともなれば、ドレスや宝飾品などは式典などに使用する歴史のある品でなければ一度公式の場で身に付ければそれ以降は使われることはない。私室で寛ぐ為の服などはその限りではないが、それでも庶民に比べれば新品を常に身に付けているようなものだ。アナカナは何度か洗濯をしていい感じにクタクタになった夜着などを好んでいるが、周囲には「ご結婚されたら絶対なさらないでください」と厳重に言われている。


一度袖を通したドレスなどは孤児院や救貧院などに運ばれて、そこにいる人々が解体したり縫い直しをしたりして、その手間賃を商家が支払って買い取るようになっている。これも慈善事業の一環なのだ。宝飾品はさすがに城の宝物庫に入れられるが、褒章として使われたり、折りを見て別の意匠に作り替えたりしている。

そしてハンカチはそれなりに高価ではあるが消耗品の認識で、誰かに贈られたものでもなければ主に王城で働く侍女やメイドなどに下賜されることが多い。


「王女殿下は、ご自身が狙われているご自覚はおありでしたか」

「ある」

「では、このような事態になる可能性も考えておいででしたか」

「…ないと言えば嘘になる。じゃが、まさかキュプレウス王国と…アスクレティ大公家との関係悪化を招くような真似はせぬと…甘く見ておった」

「…なるほど」


アナカナは王太子の長子であるので、政治的な立場でも狙われてもおかしくない。国としては性別に拘らず長子相続を推し薦めているが、それでも未だに女性当主に眉を顰める者も多い、そしてこれまでの歴代国王はほぼ男性であることもアナカナの立場をより危うくしている。その上、まだ自分の状況を正しく理解していなかった頃に、前世の記憶を元に事件や災害などを大きくしないように大々的に動いてしまった為、あちこちでアナカナの天才ぶりを脅威と捉えられてしまった。

もしアナカナが王女でなければ、近い歳の王子がいなければ、実母の実家がもっと強い立場であったら。そして父の王太子がもっと気に掛けていたのなら。何か一つでも違っていればもっとアナカナも生きるのが楽だったのかもしれないが、こればかりはどうにもならない話だ。


「今回の件は、キュプレウス王国と我が家と敵対するつもりで仕組まれたことではございません」

「え…?では」

「王女殿下に、長期で少しずつ毒を盛ろうとしていたようです。しかも確実性が薄く、成功率が低い代わりに犯人が分からないように仕組まれた、気の遠くなるような呑気な策を」


レンザはほんの少しだけ剣呑な視線を和らげて、長く静かな溜息を吐きながら胸の前で両手を組むようにして指を絡めた。手袋をしていないその指先は、先程まで何かの薬品を扱っていたのか少し緑色に染まっていた。


「ユリがああなったのは不運が最悪の形で重なっただけで、殿下に直接の責はございません」

「しかし、わらわが我が儘を言ってここに来なければ」

「それは間違いないでしょう」

「この償いは如何様にも受け止める。大公殿は、わらわに何を望むのじゃ」

「…仮にも王族が口頭とは言えども口にして良いこととは思いませんが」

「構わぬ。わらわの首一つで大公殿の溜飲が下がるのであれば、いくらでも持って行くが良い」

「要りませんよ、そんなもの」


アナカナの年齢の幼児が口に出すような内容ではないが、何かの物語の真似などではなく自分の意志で分かって発言しているのはレンザにも伝わったようだ。ほんの僅かではあるが、剣呑だったレンザの気配が緩んだ。


「それでは、王女殿下には愚か者の汚名を被っていただくことになりますが、覚悟はございますか?」


アナカナの覚悟に感じ入るところがあったのか、レンザは探るように目を細めてアナカナを正面から見据えた。


「無論じゃ」


アナカナもグッと顎を引いて更に真っ直ぐに背を伸ばして、キッパリと言い切ったのだった。



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