382.色々な始まり
いつもよりも集中している様子で朝の鍛錬をこなしているレンドルフを、同じ騎士仲間達は少々遠巻きに眺めていた。あまりジロジロ見ていては自分の鍛錬が疎かになってしまうので気を付けようと思うのだが、レンドルフの愛用の特大模造剣が有り得ないほど鋭い音を立てて振り抜かれるので、どうしても視線が向いてしまうのだ。人によっては、相手と組んで手合わせをするつもりだったのだがこの状況では危険だと判断して、それぞれ素振りに徹することにして横目でレンドルフを見ていた。
「なあ、ショーキ。あの人、珍しく機嫌悪くないか?」
「レンドルフ先輩ですか?いえ、全然。あの人が機嫌の悪さを表に出すことなんて…まずないですよ」
「そ、そうなのか?」
「近いうちに遠征任務が決まりそうなんで、気合い入ってるんじゃないですかね」
「それなら、いいんだが…」
同じように鍛錬に来ていたレンドルフと同じ部隊のショーキを見付けて、一人の騎士が近寄って小声で訪ねて来たが、ショーキは困ったように笑いながら受け流した。
一瞬だけショーキが言葉に詰まってしまったのは、ユリの変装をうっかり見破ってしまったことを白状した時に無意識的にレンドルフから威圧を向けられてしまったことを思い出したせいだった。とは言っても、基本的にレンドルフは他者への攻撃性はまずないタイプなのはショーキも十分分かっている。もしあるとしたら誰かを守ろうとした時に出るものなので、ショーキの中のレンドルフに対する評価は変わっていない。
レンドルフがいつも以上に鋭く剣を振るっているのは、この訓練場に来る途中に顔を合わせた際に、妙に上機嫌だったせいだろうとショーキは予測していた。気が付くと緩んでしまいそうになる顔を、鍛錬で誤摩化しているので必要以上に力が入っているのだ。
(意外とみんな見てないんだな…)
ショーキからすると、おそらくこの団の中では一番と言っていいほどレンドルフといる時間は長いが、それだってまだ一年も経っていないのだ。少し話せばレンドルフは高位貴族出身とは思えないほど顔や態度に色々と出やすいのが分かる。ショーキはむしろよく今まで高位貴族に囲まれて近衛騎士団にいたものだと思うほどだ。騎士としては強く頼りがいのある先輩ではあるが、人としてはどこか放っておけなくて世話をしたくなってしまうと言うと怒るだろうか、と考えて、すぐにショーキはそれを打ち消す。レンドルフならば少し困ったような、照れたような複雑な表情を浮かべるだけだろうと簡単に想像が付いてしまったからだ。
(あれかな。薬局のユリさんがやっと暇になったのかな)
ここ最近、王城内で扱う回復薬などに異物が混入したという騒動があった。これは偶発的な事故であって故意ではないと周知されたが、中級以下の回復薬や傷薬を全て破棄して入れ替えることになった。その数が膨大なものになった為、王城内だけでなく周囲の薬局や薬師などが対処に追われて大変だったと聞いていた。その直後から、レンドルフが勤務が終わった後に外に出掛けることが極端に少なくなっていた。ショーキは薬局勤務のユリもその騒動の影響で忙しいのだろうと思っていたのだ。
薬局も騎士もどちらも暇になるのは良いことだな、と思いながら、ショーキは体を動かしたおかげで額に浮かんでいた汗をタオルで拭ったのだった。
「お先に」
「お疲れさまでーす。今日は随分張り切ってましたね」
「ちょっと気を引き締めたくてな」
刃を潰していても当たっただけで致命傷間違いなさそうな殺傷力の高い巨大な模造剣を片手で軽々と鞘に納めて、レンドルフは近くにいたショーキに気付いて声を掛ける。あれだけ振り回しておいてまだ余裕があるのか、レンドルフは全体的に肌がしっとりと艶を放っている程度で汗が流れている様子はなかった。
「何か良いことありました?」
「っ!?」
しかしそうショーキに尋ねられた途端、レンドルフの顔が即座に赤みを増した。真っ赤とまではいかないが、訓練場を全力で一周でもして来た程度には血色が良くなる。
「…顔に出さないようにしてたんだが」
「すいません。でも気付いたの僕くらいなんで!」
「いや…その…」
指摘されると余計に意識してしまうのか、レンドルフは大きな手で口元を覆うようにしながら誰もいない斜め上に視線を彷徨わせていた。
「ほら、最近レンドルフ先輩ちょっとションボリしてたでしょ。だから良かったなって」
「ションボリ…出さないようにしていたつもり…だったんだが」
「まあまあ。良いことがあったんなら、良いことです!」
「あ、ああ」
何だか納得が行っているのか行かないのか分からない言葉をショーキから掛けられて、レンドルフは曖昧に頷きながらタオルを片手に訓練場を後にした。その大きな背中を見送りながら、ショーキは先輩相手に微笑ましい気持ちについ笑みが溢れそうになって、慌てて首に掛けていたタオルで顔の半分を覆ったのだった。
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ショーキの読み通り、今日からユリが研究施設に戻って来るとの連絡を受けていたレンドルフは、朝から気持ちが浮ついていて落ち着かなかった。公私混同は良くないと必要以上に気を引き締めていたつもりだったが、様子が違うのは外に出てしまっていたらしい。
本当はすぐにでもユリの顔を見に行きたかったのだが、基本的に裏方のユリは薬局にいても人前に出て来ることはない。レンドルフが訪ねて行った時に他に客がいなければヒスイが奥からユリを呼んでくれるので、行っても確実に会えるとは限らないのだ。それならば以前のように勤務が終わった後に食事に誘えればいいのだが、ユリからの手紙にはしばらく間が空いてしまったのですることが溜まっており、当分は忙しいということだった。レンドルフとしても無理はして欲しくなかったので、ユリから余裕が出来たと言われるまでは誘わないでおこうと固い決意を胸に刻んだのだった。
それでも近くにいてタイミングが合えば顔を見られるかもしれないと思うと、それだけでレンドルフは落ち着かなくなっていたのだった。
「ああ、今日からか」
訓練場の近くに設置されているシャワールームで簡単に汗を流して着替えてから模造剣を置きに自室に引き返す途中、騎士達に告知する為の掲示板に一時的警備配置変更の大きな貼紙がレンドルフの目に留まった。これは数日前からあちこちに貼られていて、絶対に見逃す者がいないように、と無駄な気概を感じさせるものだった。
その貼紙には、第一王女がキュプレウス王国との交流の為に共同研究施設を訪問すると書かれていた。当初は密かに行われる筈だったが、いっそ警備の関係上大々的に周知した方がいいだろうということになった。今、アナカナの側に新たな侍女「リョバル」が配属されて注目されているのだが、そちらから目を逸らせる目的も含まれていた。
そのアナカナが施設に向かう時と戻る際は、その道中に第一騎士団の人員が多めに配置される。そしてアナカナの側には近衛騎士団も数人が同行することになっていた。この貼紙は、その道中で怪しい動きをすれば容赦なく捕らえられるという警告と、視察でもない限り王族の前に出ることは許されない平民の騎士などが目に付く場所にいないようにという注意喚起だ。アナカナ自身は全く気に留めない様子であるが、周囲の人間は身分を重視する者も多い。無駄なトラブルは避けるに越したことはない。
(もしかしたらユリさんがアナ様の世話をするのかな)
非公式ではあるが、既にユリは二度もアナカナと会って話をしている。しかも初対面で名前を呼ぶことを許している程にユリに懐いていた。ユリが忙しいのはその準備もあるかもしれない、とレンドルフは今日はさすがにユリの顔を見ることを諦めたのだった。
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「アスクレティ大公殿、本日はわらわの願いを聞き届けてくれたことを心より感謝する」
「未来の太陽なる王女殿下にご挨拶申し上げます」
「こちらではわらわは一介の学びを請う者に過ぎぬ。迷惑を掛けているのは重々承知じゃ。その…よろしくお頼み申す」
アナカナは完全に言葉のチョイスを失敗したと気が付いたが、自分の置かれている立場が複雑過ぎてどう対応するか分からなくなっていたのだ。ここはもうまだ幼児と言い張れる年齢に甘えてしまうことにしようと、内心ヒヤヒヤしながら「ちゃんと練習通り挨拶できました!」と言いたげなドヤ顔を作った。
何せアスクレティ大公家当主は、臣下の体裁は取っていても実質は国王と同等の権利を許されている盟約が結ばれているのだ。つまりレンザはアナカナの祖父と同じと言うことだ。今のアナカナは国王の孫であって、後継に指名されている訳でもなければ爵位などを持っている訳でもない。ただ身内が最高位にいるだけの無位の令嬢に過ぎないのだ。
だが一応王族ということで臣下からは敬われる立場にあり、公式の場では大公家当主にも礼を尽くされる側に立つ。厳密にはアナカナの方が立場は下なのだが、それを通してしまうと貴族社会に混乱が起こるので互いに黙認している慣習のようなものだ。
しかし完全に治外法権を認めているこの研究施設内では、アナカナは何も持たず国外に出たただの子供である。どの辺りまでへりくだっていいのか全く読めず、迷っているうちによく分からなくなったのだ。
正面に立っているレンザはアナカナの動揺を読んでいるのかいないのか、顔は笑いを形作ってはいるが一切笑っていない目で見下ろしていた。その彼の後ろにはユリと、20代後半くらいの極端なショートヘアの黄色い髪の女性が立っている。
(これ、絶対ユリには見えないからやっているのじゃ…!)
レンザの感情のない視線にアナカナは引きつった笑みを浮かべたが、おそらくユリ達からは緊張しているようにしか見えないだろう。
アナカナの前世の記憶に詳細はないが、王家と大公家は盟友だったと言われている割に距離が遠いのは今世の知識で知っている。こっそりと王族しか入れない持ち出し禁止の書庫に忍び込んで過去の王国史を読むと、ごく稀に大公家と本当に友誼を交わしている王族も存在していた。近いところでは、先代当主でユリからすると曾祖父に当たるムクロジだった。そのムクロジと親しかったのはアナカナには高祖父になる亡き先々代国王で、ムクロジは王族の専属薬師を務めるほど近しい間柄だった。
基本的に「医療の」と二つ名を持つ大公家の分家や寄子の家が専属の侍医や薬師を務めることが多いが、本家当主が務めることは非常に稀だった。しかしその後、専属薬師を務めるのは大公家とは全くの血縁ではない者が就任している。
様々な資料を読みあさってアナカナが推測するに、どうやら今の国王がユリの両親の縁談に横槍を入れたらしく、そのせいで今は随分と溝が深いらしいという結論に至った。何せユリの両親ならばレンザの息子夫婦で、その当事者でもあったレンザが健在で記憶もしっかりあることはすぐに想像が付く。だからこそアナカナを迎え入れることに相当抵抗はあっただろう。
それでも受け入れてもらったのは、ユリがアナカナに対して悪印象がなかった…と言うより、何となくユリが境遇を同情してレンザに口添えしてくれたのではないかという気がした。レンザの王族に対する忌避感よりも、孫への甘やかしが勝ったのだ。だがそれでコメにありつけるのだから、アナカナとしては幾らでも憐れんで欲しいとすら考えていた。
どこまでもアナカナは食欲に忠実だった。
お読みいただきありがとうございます!
いつも評価、ブクマ、いいね、誤字報告などありがたく思っております。心から感謝です。
誤字脱字を自力で見付けられないのは書き手特有の呪いかなんかとしか思えないのですが…ご指摘ありがたい限りです。
先々代王(故)・ムクロジと同世代
先代王・レンザ、レンドルフの両親と同世代
現国王・ユリの両親、レンドルフの兄二人と同世代
王太子・ユリ、レンドルフと同世代
数歳差はありますが、王族と他の登場人物の世代としてはざっくりとこんな感じです。