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380.薄紅色の熊と黒い猫


ミキタは珍しくランチの時間が終わった後に店を一旦閉めて、大きな袋を抱えて乗り合い馬車に揺られていた。行き先はエイスの街から少し離れたところにある貴族の別荘などがある方向だった。


目的地はアスクレティ大公家別邸であるが、警備の関係上乗り合い馬車は貴族の所有する土地から一定の距離までしか行けない。一番近い停留所からでも徒歩で20分くらいは掛かるが、もうすっかり秋も深まって肌寒い日もあるくらいなので歩くにはちょうど良い季節だ。荷物はそれなりに重さはあるが、毎日スープがたっぷり入った寸胴鍋やフライパンを振っているミキタからすれば大したことではない。ただいつもよりは気を遣ったスーツを着ているので、多少動きにくさを感じる程度だ。



ミキタの持っている袋の中には、特製ハンバーグを入れた保温容器がある。別添えでハンバーグに掛けても、コメに掛けてもいいようにカレーも容器にたっぷり持参していた。一応溢れないように密閉されているのだが、それを越えてもほんのりとカレーの香りが手元から漂って来る。先程乗り合い馬車の中でも香りを振り撒いてしまい、近くにいた冒険者らしき青年が盛大に腹を鳴らしていたので少々悪いことをしてしまった。


大公家別邸を訪ねるのは、ミキタはこれで三度目になる。前の二度はミスキ達の「赤い疾風」と一緒だったので、一人で行くのは初めてのことだった。とは言え、今日は当主のレンザが不在であるので多少は気が楽かもしれない。



「ミキタさん!わざわざありがとうございます!」


別邸のメイドに案内されて応接室に通されると、ちょうど紅茶がサーブされたタイミングでユリが元気に部屋に入って来た。今日はユリの正体を知っているミキタの訪問なので、髪や瞳も素のままだった。


「久しぶり。元気そうで安心したよ」

「もうずっと元気です。早くミキタさんのところでご飯を食べたいです」

「そう言ってもらえるのは嬉しいねえ」


本当ならばユリは王族に次ぐ身分の高い貴族令嬢なのだが、ミキタの前では普段の「薬師見習いのユリ」の顔を見せている。


「土産と言うほどじゃないけど、ハンバーグとカレーを持って来たよ。さっきメイドさんに預けたから、良かったら後で食べておくれ」

「ありがとうございます!あれからレンさんと行く機会がなくて。今度は一緒に行きますね」

「待ってるよ。もし前もって連絡が貰えるなら、リクエストに応えてあげるよ。カレーでもギョーザでもね」

「わあ、楽しみです!絶対連絡します!」


久しぶりに大公女の身分を外せる相手に会えたせいか、ユリはいつもよりもはしゃいでいるようだった。普段市井に降りる時の黒髪とは真逆の透明感のある真っ白な髪なので随分印象が違うが、頬をほんのりと染めて笑っている顔は間違いなくミキタの見慣れたものだった。


「はい、これを待ってたんだろ?」

「ありがとうございます」


ミキタは鞄の中に入れていた片手で持てる程度の箱を取り出す。その箱は少し光沢のあるクリーム色の包み紙に覆われていて、濃い緑色の細いリボンが掛かっていた。そのリボンには繊細な蔦を思わせる紋様が金糸で刺繍されている。箱の中身は手紙でペーパーウエイトと知らされていたので、見た目よりも重量を感じる。


「丁重に扱ってたけど、一応中身を確認してくれるかい?」

「は、はい、すぐに」


箱を渡すとユリが分かりやすくソワソワしたので、ミキタはすぐに開けたいのだろうと察して確認を勧めた。

ユリの細い指がそっとリボンを摘んで、ゆっくりと引いて結び目を解く。その顔は期待で輝いている子供そのもので、ミキタの末の息子がプレゼントを開ける時のことをつい思い出してしまった。市井でもそれなりに生きて行けるようにとレンザからの依頼を受けてから、ミキタ達はユリのことを末娘と思うことにして接して来た。その成果なのかは不明だが、時折末っ子のタイキと同じような顔をすることがある。全く血の繋がりはないのだからそこまで似ずともいいのに、と思ってしまいミキタは吹き出しそうになってしまったが、水を差すのは申し訳なかったので顔の筋肉を総動員して堪えたのだった。



この箱は、レンドルフからミキタの店に送られて来たものだった。正確には、彼の故郷の薫製肉と共に送られて来た。添えられていた手紙には、ユリに贈りたい品を見付けたのだが送り先が分からないのと、伝書鳥では重さがオーバーしていたのでミキタにユリが店に来た折りにでも渡してもらいたいとの旨が綴られていた。伝書鳥は登録した本人の元に飛んで行くので、住んでいる場所を教えなくても書簡のやり取りが出来るのだ。ただやはり基本的には手紙と軽い小物程度しか送れないので、レンドルフが見付けた品は不可だったらしい。

そこでレンドルフはよくユリが利用している馴染みの食堂ならば立ち寄ることもあるだろうと、ミキタに依頼をして来たのだった。薫製肉はそれに対する依頼料だったようだ。何度かレンドルフから手土産で貰ったことのあるもので、仕留めた際の絞め方が良いのか非常に味が良い。それを店で出したこともあるが、抜群に評判が良いのだ。それが一抱えもある塊で送られて来たので、ただ品物を渡すだけで随分と過分な報酬だった。


ただ今のユリは安全が確実になるまでは、と別邸の敷地内から出られなかったので、ミキタの店にも行けていなかった。そこで事情を知るミキタはユリに連絡を取って、直接別邸を訪ねることにしたのだ。その為いつもはずっと開けている店をランチ後に閉めることにはなったが、クロヴァス領産の薫製肉の報酬ならば全く惜しい手間ではなかった。



「…キレイ…可愛い…」


丁寧に包み紙も開いて箱の中を覗き込んだユリは、思わずといった風に口元を手で押さえて呟いた。そして箱の中身をそっと両手で掲げるように取り出してテーブルの上に置いた。


「おやまあ」

紅水晶(ローズクォーツ)かしら…」


箱から出て来たのは石で出来たペーパーウエイトなのだが、その石は可愛らしいピンク色をしていて、丸いフォルムの熊が人間のように足を投げ出して座っているポーズを取っていた。その熊の表情は、目を細めてニコニコと笑っている優しいものだ。


「よっぽどユリちゃんに忘れられたくないんだねえ」

「そんなに忘れっぽくないですよ。ふふ…でもちょっとレンさんぽいですね」


ミキタの前ではレンドルフはあくまでも「冒険者のレン」の栗色の髪の姿しか見せていないが、大公家の諜報員ではないがミキタも元傭兵だった腕前を見込まれていざという時にユリを守る要員の一人だ。それ故にレンドルフの出自も、本当の姿も既に知っている。レンドルフの父が「辺境の赤熊」と呼ばれているのもあって、自分の薄紅色の髪と似た石で、熊の意匠のものを選んだのだろう。分かりやすいほどの贈り物に、ミキタは二人の仲が順調に進んでいるのを微笑ましく思った。


「届けてくれてありがとうございます、ミキタさん」

「そんなのお安い御用だよ。また何かあれば配達員はいつでもやるからとレンくんに伝えておくれね」

「はい。その時はよろしくお願いします。でも、もうすぐ戻れそうなので」

「そうかい、それは良かったね」


ユリはそっと熊の頭を指先で撫でるように触れると、再び両手で抱えて箱の中に戻した。



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レンドルフはユリからの手紙で、ミキタからペーパーウエイトを受け取ったことを知った。どうやらわざわざ届けに行ってくれたらしいので、後でまたミキタの店には何か改めて礼を送っておこうと考える。


ふと特に意識もなく壁に備え付けられている棚にレンドルフは目をやった。あちこちぶつけて壊してしまうので極力備え付けのものも少なくしてもらっているシンプルな部屋だが、部屋の隅にある棚はあまり動線に影響がない場所なのでそのまま設置されていた。その棚の中央辺りに、ちょこんと黒い置き物が鎮座している。

それは、黒曜石で作られた猫の形のペーパーウエイトだった。シンプルな流線型で長い尻尾を足に巻き付けるような姿で座っている。そして目には緑色の翡翠が嵌め込まれている。


これは、ユリに贈ったものと同じ店で買い求めたものだ。最初はグレーの猫のものが目に付いたのだが、商品の紹介文には「希望の石で製作可能です」と書かれていた。それなら黒猫も出来るのではないかと相談してみたのが切っ掛けだった。

その際に見せてもらったカタログに熊があったので、ピンク色の石で作れないかとも相談したのだ。その際にあまりにも自分を主張し過ぎていやしないかと少々心配になったが、ここ最近全く会えていないこととアナカナから自分も知らなかった縁談の話などを聞かされて、どこか焦りのようなものを感じていたせいもあった。別に特段何かを意識してもらうつもりはないが、少しでも側にいるつもりだということを伝えたい気持ちの方が勝った。

そしてレンドルフは自分用にも黒猫のペーパーウエイトを作ることにした。目の色は幾つも選べたが、一番濃い緑色をしていた翡翠を選んだ。もうこれは完全にユリをイメージしていた。小さな口で食べ物を頬張っている姿はリスのようで、好奇心に目を輝かせて駆け寄って来るのは子犬のようにも思える時はあるが、一番近いのはやはり猫だった。アーモンド型の大きな瞳が集中して何かに見入っている姿は、まさに猫科の様子を思い起こさせた。


つい勢いで二つを注文してしまったが、完成して手元に来た時点でレンドルフは「ひょっとして気味悪がられるのでは…?」という考えに至った。自分から、自分をイメージした品を贈るのも場合によっては迷惑かもしれないが、それよりも許可なく相手をイメージした品を手元に置くという行為は、果たして大丈夫なのだろうかと急に不安になったのだった。


(い、一応何かの折に…ついでみたいな形でいつか話そうかな…)


同じ店で自分は猫のペーパーウエイトを購入した、とサラリと言ってしまえばそれで済むのだが、ほんの少しだけ下心とも言えない程の小さな気持ちをレンドルフは自覚してしまっただけに、妙に言い辛くなってしまった。


それを意識すると、何故か猫の緑の目がこちらを向いているのが落ち着かなくなって、クルリと顔を壁の方に向いている位置に回してしまった。


これまで女性には追いかけ回されるか遠巻きにされていたレンドルフなので、急に意識してしまうとどうしていいか分からない。しまいには悶々と考え込むのを止めようと、暗くなっているのに模造剣片手に騎士団の訓練場に駆け込んで、薄暗い中でひたすら素振りを始めてしまった。その素振りは、完全に日が沈んで真っ暗になってもしばらく続いたのだった。


後日、他の騎士から「誰もいなくなった筈の訓練場から剣を振るう音が聞こえて来る。あれは無念のうちに亡くなった騎士の亡霊ではないか」と聞かされて、事実は言えないままレンドルフは密かに深く反省したのだった。



-----------------------------------------------------------------------------------



「あの、ミキタさん。お店に私を訪ねて来た神官がいたと聞いたんですが、その後は…」

「ああ、もう一度だけ来たよ。でもユリちゃんのことは訪ねずに『先日は失礼しました』とか言ってランチを食べて帰ったよ」

「そう、ですか」

「そこでホッとするんじゃないよ。そうやって油断させておいて、懐に入ろうって魂胆かもしれないんだから」


ミキタは、また幼い少年の「ハリー」と名乗る神官のどこか底知れぬ手応えのなさを不気味に感じていた。最初に訪ねて来た時はレンザからは話も聞いていなかったのだが、ミキタの長年の裏街道を歩いて来たような人間ばかりを相手にしていた感覚がハリーに対して警鐘を鳴らしていた。ただ話を聞いていれば怪我の手当てをしたユリが気になっただけと思えなくもないが、彼の目の奥底には沼のようにドロリとして絡み付く昏さが澱んでいた。その目的が何かまでは分からないが、ユリのことを思うのならば近付けたくはない相手だ。


ただ彼は幼さとあどけなさを遺憾なく発揮し、同じ時に店にいた常連の数名に見事なまでに取り入っていた。その内二人は大公家の影の者だったので、さり気なくユリの話を聞き出そうとする彼にはわざと間違った情報を流していた。それもあからさまに違った情報ではなく、全く関係のないただの常連客も「ああ、自分が勘違いしてたんだな」と思う程度のものだ。だからミキタの店で見聞きしたことからユリに辿り着くのは難しいだろうと判断して、ただの聞き役に回った。勿論その内容はレンザに報告済みだ。


「もし今度来るようなことがあったら、あたしからユリちゃんには頼もしい騎士様のお相手がいるからって言っといてあげるよ」

「えっ!?あ、あの、それは」

「別に嘘じゃないだろ」

「そ…それは、ソウカモシレナイデスガ…」


ユリの声が片言になってどんどん小さくなって行くのを、ミキタはつい少しだけ片眉を上げて残念なものでも見るような目で眺めてしまった。


元々ユリがレンドルフと冒険者パーティを組んだのは、女性冒険者がソロで活動していると個人依頼などで余計なちょっかいを掛けて来る輩が多いので、それを避ける為だった。パーティを組んでいる冒険者に個人依頼をする場合は、所属しているパーティリーダーに話を持って行って許可を取らなければならない。レンドルフをリーダーにしているので、少しでも下心がある者はレンドルフの見た目だけで個人依頼を引っ込めるのだ。

それに決まり事ではないが、男女二人のパーティは親子兄妹などの血縁でなければ夫婦か恋人同士というのが暗黙の了解だ。ユリもレンドルフもそのことを全く知らないのではあるが、いつも街中を歩く時はレンドルフがユリを守るように側でエスコートの如く手を繋いでいるので、大公家に紐付いていない者は誤解するなという方が無理がある。むしろ当人達が一番分かっていないと聞いても、すぐには信じてもらえないだろう。


「ま、鉢合わせした時はあたしが守ってやるから。安心して食べにおいで」

「はい!」


レンドルフは確かに強いが、気は優しいので子供相手には強く出られないかもしれない。ミキタはどんな相手でもユリが嫌がるなら容赦はしないと自負しているので、堂々と自分の胸をドンと叩いてみせたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


ユリに贈ったローズクォーツは、過去のトラウマや傷を癒すという意味を持つ石なので、無意識にも最適な品をレンドルフは選択しています。

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