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379.永劫の決別

今回は話の切れ目の関係でレンドルフもユリも登場しません。


アスクレティ大公家本邸の一部屋は、ひどく冷たい空気のまま長い沈黙が続いていた。


「お前はどうしたい、コールイ」


先のその沈黙を破ったのはレンザの方だった。


レンザもこの国で王家と並ぶ程の権力と財力を持つ大貴族の当主を長年務めて来たのだ。駆け引きの場ではそう押し負けることはなかった。が、この場では先に口を開いたレンザの方が僅かに焦りを見せたことで劣勢に天秤が傾いた。

それを肌で感じたのか、コールイはよく見ていなければわからない程微かに肩の力を抜いた。


「さあ?何のことか」

「…そうか」


あくまでもシラを切るつもりのコールイに、レンザの声にほんの少しだけ苦いものが混じる。


「やはり一本貰おうか」


ローテーブルの上に置かれたシガーケースにコールイは手を伸ばした。レンザはそれをいいとも悪いとも言わずに黙していたが、それを許可と取ったのかコールイは勝手に蓋を開けて、かつて途切れることなく常に手元に添えられていた物と同じ銘柄を摘み上げた。そして慣れた仕草で吸い口を切り落とすと、火を点す前に少しだけ愛おしそうに目を細めて指先で褐色の側面を撫でた。その仕草は何故がひどく艶かしく、まるで女性の指先に唇を落とす前のようにも見えた。


火を点すと、レンザの脳裏に懐かしい顔ぶれが浮かび上がった。それはレンザとコールイの互いの妻であり、学生時代に色々と悪さをした共犯の友人でもあり、今は亡き父ムクロジの姿もあった。レンザは葉巻は嗜まないが、ムクロジは夜に一本程度ゆっくりと楽しむ習慣があった。偶然にもコールイと同じ銘柄を好んでいたので、この香りは二人の顔を同時に思い起こさせた。


「ああ…妻の葬儀以来か。こんな味だったか…」

「八年前か」

「正確には七年だ。しかし、来年の頭にはそうなるな…」


ゆっくりと煙を口の中で転がすように味わいながらコールイは溜息混じりに呟いた。



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確かその日は朝から低い雲が垂れ込めて、雨よりも雪になりそうな冷え込んだ空気が地表に澱んでいるようだった。小ぶりの黒い棺が二つ並んでいて、墓守が静かにその棺を掘った穴の中に降ろして行った。地表よりも更に低くなった場所に流れ込む冷気が見えるようだった。


そこに火魔法を使える神官が立ち会い、火魔法と同時に浄化の聖魔法を行使して祈りの言葉を捧げながら棺ごと燃やす火葬だ。地域によっては土葬を行うところもあるが、王都や人口の多い場所では感染症の防止と土地の問題で火葬が主流だ。

この国はかつて治療方法の確立していない流行病が猛威を振るい、人々は為す術もなく次々と倒れ神の国に召された。その病は貴賎を問わず子供を中心に命を奪い、一命を取り留めても女性に重大な不妊という後遺症を爪痕として残した。今の研究ではこの国に昔からある風土病と流行病が混じりあってしまった結果引き起こされた悲劇で、そのせいで周辺のどの国よりも死亡率が高かったのだろうと言われている。

病は死者からも感染すると分かってからは、この国の葬儀は病で亡くなった者は浄化を同時に行いながらの火葬が義務となっているのだ。

この病は完全に撲滅できた訳ではなく、時折思い出したように燻った炎が上がるので未だに人々には悪夢のような出来事として記憶に摺り込まれている。


燃えて行く二つの棺を、コールイは何の感情もなく眺めていた。この棺は燃やしても中が見えないように蓋に特殊な付与が掛かっているので、いくら目を凝らしても炎の中で蓋だけがハッキリと残って見えるだけだ。その蓋の下では、コールイの妻と娘が神の国に渡って行く。


そのコールイの後ろでは、喪服に身を包んだ淡い金髪の男性が佇んでいる。彼はコールイの義息子になった元王子で、柔らかな癖のあるふんわりとした髪は湿気に負けて随分と萎れているように見えた。それがまるで今の彼の気持ちを代弁しているかのようにも思えた。


更にその後ろにはレンザを含め数名が参列していたが、公爵夫人とその一人娘の葬儀にしてはひどく寂しいものだった。こんなに寂しい葬儀になったのは、彼女達に流行病の疑いがあった為だった。娘の駆け落ち相手が流行病で亡くなり、戻って来た娘と公爵夫人が立て続けに亡くなった。その為シオシャ家でも葬儀への参列は遠回しに断っていたし、今日参列している者も流行病であった場合の後遺症のことを鑑みて成人を過ぎた男性のみだ。それは仕方のないことであり、他にも縁があった多くの人間は丁重なお悔やみの書簡を既にシオシャ公爵宛に送っているので、決して遺恨の残る不義理ではない。


しかし、レンザは彼女達の死因が病ではないことを知っていた。おそらくここに参列した者達も、それを知っているから来ているのだ。そうでなければ、感染の危険を冒してまで来ることはない。レンザとて死者を悼む気持ちは持ち合わせてはいるが、手元に引き取ったばかりでまだ容態が不安定なユリがいた。もし流行病の可能性があるなら、他の者と同じように書簡で済ませていただろう。


二人の死因は、公爵夫人の手による娘を道連れにした無理心中だった。



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「…妻は、この香りを好まなかった」


過去に思いを馳せていたレンザは、ただ独り言のように呟いたコールイの声にハッと我に返った。


「皮肉なものだ。あれの生前は止められなかったのに、葬儀の直後からこの匂いが火葬の煙に似ているように思えて、全く旨くなくなったのだ」


コールイは再び煙を吐き出して、そっと灰皿の上に置いた。


「しかし、こうして時が経ってみると、改めて旨いと感じるようになったようだ」

「それは悪い癖を思い出させてしまったようだな」

「いや、今日だけだ。何せ我が家の家令が医者の手先で口うるさい」


眉間に皺を寄せながら苦笑して、コールイは氷が溶けて大分薄くなってしまった蒸留酒を一気に半分以上呷った。


「…もし、お前の孫と縁談が調えば、引くつもりだったがな」

「そんな口約束を信じろと?」

「アレは何も知らんよ、その名の通り真っ白な聖人だ」

「それでも断るよ」

「ははっ、だろうな。ユリシーズ嬢はお前の大切な姫君で、最愛なのだろう?」

「ああ。()()()()だよ」


コールイが目を細めてレンザの胸元辺りを見つめた。彼には鑑定魔法は使えないが、ハリは鑑定魔法の上位とも言われる加護「真実の目」を有している。それで見れば、レンザとユリの魂が結びついていることくらいすぐに分かるだろう。通常の鑑定魔法では見破れない程に隠して結ばれた契約は、国内最上位と名高いレイ神官長が結んだものだ。それを見破れるのは魔法とは違う「加護」くらいしかない。

ハリにその気はなくとも、コールイの命で使わせていればそのことは把握している筈だ。コールイの視線は、知っているのか知らないのか判断が付かない曖昧なものであった。


レンザがユリにも秘して結んでいる「魂の婚姻」は、近親者同士では禁じられている。それは魂を結びつけることで互いの感情が増幅しやすくなるからだ。その感情が抑え切れなければ、決して踏み込んではならない領域を越えかねない。婚姻を結ぶことに何ら問題のない者ならば良いが、そうではない者同士では禁忌になる。

しかしレンザはユリを生かす為の唯一の手段としてそれを選択し、ただ孫を溺愛する祖父としての立場に踏み止まっている。


「残念だよ、レンザ。お前は…いや、大公家は力を付け過ぎた。もはや過去の盟友は、今や王家を脅かす魔物に過ぎん」

「王家が弱体化した、の間違いだろう」

「それが驕りだと何故分からん。お前の父上も、お前もやり過ぎたのだ」

「先に仕掛けたのはあちらだ。我らに手を出しさえしなければ、今も盟友でいられただろう」


バチリ、と音がしそうな程の鋭い互いの眼差しがぶつかり合う。


「私は、王家を守護する者だ。王家を頂に崇め、唯一無二の存在として導く者の盾となり、矛となる」

「やはり王族の血を引く者とは分かり合えぬようだな」



シオシャ家は、王族が臣籍降下して興された公爵家だ。その時の始祖は武功に優れ、王家を守る家門として名を馳せた。その家訓は、コールイにも正しく受け継がれていた。レンザはその愚直なまでに真っ直ぐな気質を好ましいと思っていたのだ。たとえ王家とアスクレティ家が相反する立場だったとしても、その王家側の家門だったとしても、個人としての好悪は別物として考えていた。

しかし今、コールイははっきりとレンザに敵対の意志を示した。これはもう当主が当主に宣戦布告をしたことに等しい。それはもはや個人ではなく家同士の話になる。



ことの発端はどこにあったのか分からない。だが近しいところではレンザの息子の強引な婚約破棄と婚姻にあるだろう。王命で結ばれていた筈の婚約を破棄して、周囲が止める前にはとこと強引に「魂の婚姻」を果たして周囲が折れるしかなかった息子の結婚。これは当時王太子だった現国王が「真実の愛」とやらに感動して、王族自身が王命を破棄することに手を貸したのだ。それについては当時の国王と当主ムクロジが王太子を締め上げて反省をさせている。レンザは息子夫婦を勘当同然に後継から外し、領地の片隅で男爵位を与えたことでその時は事をそれで収束させた。


だがその後、ユリが生まれたことにより事態は再び動き出した。当初は後継問題にならないよう息子夫婦に子を成さないことを約束させたが、すぐにそれは破られた。その子供に問題がなければ終わることではあったが、生まれて来た子は膨大な特殊魔力をその身に有していた。


そもそもアスクレティ家の婚姻に王命が出されるのは、次代を残すために王族の血が入っていない伴侶だけではなく、王族よりも魔力の強い者を誕生させないという意味もあったのだ。王族の血が入っていない者ならば、アスクレティ家の縁戚を選べば簡単なことだ。しかしアスクレティ家の血が濃くなり過ぎると、建国王よりも強い魔力を有していたといわれる始祖の血が蘇って来る。それは王家からすればとてつもない脅威なのだ。

それを防ぐ為、そして大公家に翻意無しという証明の意味である王命による婚姻なのに、よりにもよって王太子がそれを破棄させたのだ。だからこそ生まれてしまった子供は、表舞台に出さずにひっそりと地方の下位貴族として過ごさせるのならば構わないと見逃された。


しかし愚かな息子夫婦は、手に負えなくなったユリをレンザに丸投げをしようとしたのだ。そこに王家の意思があったのかは定かではない。ただ始祖の血が濃い子を本家に渡すということは、次期後継者になる可能性があるということだ。それはいざとなれば王位を簒奪する事すら簡単な状況がアスクレティ家に揃うということになる。それを王家の危機として汲んだ側近の貴族が、アスクレティ家の分家を唆して息子夫婦の乗った馬車を襲撃させた。勘当したとは言え本家の直系を始末し、分家と争わせて大公家の力を削ごうという目論見があったのは予想がつく。その時に唯一生き残ったのは、最も消したかった存在であったユリであったのは運命の皮肉だったろう。


その後、僅かな痕跡から馬車の事故は故意であったと気付いたムクロジが、その身と命を賭して報復を実行した。表沙汰にはなっていないが、僅かにでも関わった家門が相当数粛正された。それが元でムクロジもこの世を去り、跡を継いだレンザも父程ではないがそれなりの家門に報復を果たしている。

今の王家は、表向きはそうは見えないがかなり力を削がれた状況にあるのだ。



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「今日は、会えて良かった」

「…そうか」

「もう会うこともないだろう」

「ああ。…息災で」

「そちらもな」


どのくらい時間が経ったかも分からない。しかしグラスの中の氷が全て溶け、外側に付いた結露がコルク製のコースターの上に流れ落ちて丸い跡をつけていた。火を点けていた葉巻は、結局コールイは三度程吸っただけで、半分燃え残って灰皿の上に置かれたままだった。冷えた空気の中に、残滓のように葉巻の香りだけが静かに漂っている。


まるで何事もなかったかのようにコールイが口を開くと、レンザも穏やかに返事を返した。そして静かに立ち上がると、コールイは従者と護衛を連れて何事もなかったかのようにアスクレティ家本邸を後にしたのだった。



レンザは見送ることはせず、しばらくシガールームから出て来なかった。潜ませていた影から大体のことを察したのか、家令がレンザが出て来るまで近付かないように命じていた為、彼らはいつものように日常の業務を淡々とこなしていた。


レンザが出て来たのは夜半過ぎで、静かに「後は任せた」とだけ言い残して夕食もとらずに自室へと戻って行った。



片付けの為に入った使用人は、灰皿の上に残った二本の葉巻の燃え残りをそっと処分したのだった。




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