375.王女の建前と本音
「それから、特例として王女殿下がキュプレウス王国のことを学ぶということで、あの研究施設に月に二回程度出向くことになった」
「あの施設は治外法権を認めさせていると聞きましたが」
「ああ。だから苦労はしたが、あの中では王族としてではなく留学…社交…社会見学、か?まあそんな扱いで細かい条件も付けてどうにか許可が降りた」
そう説明をするレナードの眉間に皺が寄っているのを見ると、どうやら相当の苦労をしたらしい。
王城の一角の使用していなかった土地を利用して、大国キュプレウス王国との共同研究を行っている施設だが、それを実現するまでには相当な長い交渉と莫大な資産を掛けているとはレンドルフも聞いていた。
キュプレウス王国はこの大陸一、どころか世界一の強大な大国であり、神の寵愛を受ける国とまで言われている。広大な国土は肥沃な土地で、農業だけでなく工業や商業、魔法や魔道具などの研究に関しても頭抜けている。しかしそれだけに数多の自国民を養うだけの資源が全て国内で賄えてしまうのだ。その為、周辺国と僅かに国交を開いているだけで、新規でかの国と取り引きをするのはほぼ不可能に近い。
かつては多くの国と交易も行っていたのだが、豊かな資源を狙って悪意のある者が大量に入国して一時治安が荒れた時代があった。更に領土を奪おうと国規模で進軍して来る輩も絶えず、自国民が苦難に喘いでいることを重く見た時の王は、遂に王国を鎖国状態にしてしまった。それに困ったのはキュプレウス王国に頼りきりの交易を行っていた他国だった。もともとキュプレウス王国の方が全てにおいて上であった為に、貿易なども不均衡だった。それなのに軍隊を仕掛けたり、いくら抗議を受けてもキュプレウス王国に流れ込む難民を見ない振りをしていたので自業自得な面もあった。
それに追い討ちをかけるように、周辺国は日照りや大寒波、洪水などの天災が多発した。これは神の寵愛を受ける国に対して害を為したことによる神の怒りだと恐れられ、それが元で幾つかは国を維持できなくなって仕方なくキュプレウス王国が併合することになり、ますます国土を広げより強大な国にのし上がって行った。
現在は鎖国は解除されているが、他国との交易は最低限に絞り対等な条件でのみ行っている。そして入国が大変厳しいことで有名になった。たとえ留学や旅行であっても、厳しい審査に合格しなければ入国は許可されず、ましてや永住権を取得するのは年に数名とさえ言われている。
そんなキュプレウス王国と共同研究が出来るということは、国内だけでなく他国からも注目を集めていた。この功績は、アスクレティ大公家がオベリス王国建国時から独自の生態系を持つミズホ国との交易を重ね、輸入した薬草を長い時を掛けてこの大陸に適した形に改良して行ったことがキュプレウス王国に認められたからだ。とは言え技術などは大国に遠く及ばないため、共同と銘打っていても主権はキュプレウス王国にある。
だが、それでもキュプレウス王国に直接手を出すよりもこちらの方がはるかに御しやすいと判断されたようで、どうにかして利権にあやかろうとする動きが相当激しかった。それを少しでも回避する為の治外法権で、あらゆる権利はキュプレウス王国に紐付いている。その為、敷地はオベリス王国の中にあっても、実質の権限はキュプレウス王国であるので滅多なことでは手出しは出来ないのだ。
「殿下の食い意地もそこまでになりましたか…」
「人聞きの悪いことを言うでないぞ。かの大国に教えを請うまたとない機会じゃ」
「左様でございますか」
「そ、それに、食事も文化のうちじゃ…」
先日泣きながら「天むす」を食べているところをレンドルフに見られているので、気まずくなってアナカナはポソリと目を逸らしながら呟く。
コメを栽培し輸出しているのはミズホ国の他にも幾つか存在しているが、このオベリス王国でコメが入って来るのはミズホ国との唯一の交易湾を有しているアスクレティ領のみだ。しかしあまり王家との繋がりを持ちたがらないアスクレティ家なので、キュプレウス王国のことを学びに行くというのは建前で、実際はアナカナがユリに会ってコメを食べさせてもらうことを目的にしているのではないかとレンドルフは思わずにいられなかった。
(今度、前にユリさんと行ったミズホ国風の料理を出す店に連れて行こうかな)
あくまでもオベリス王国の食文化に合わせた「風」なので、何故かコメに一家言ありそうなアナカナを完璧に満足させることは難しいかもしれないが、一度は連れて行ってみる価値はありそうだ、とレンドルフは既に城下にアナカナを連れて行く算段を頭の中で立てていたのだった。
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共同研究施設でオベリス王国側の最高責任者であるアスクレティ大公家の大幅な譲歩により、細かい条件は付けられたが、アナカナ王女の学びの為に月に二回、施設内の一部立入りが特別に許可された。
これに関しては、将来的にキュプレウス王国と国交が開かれる可能性もなくはないと、未来を見据えた上で王族が大国のことを知る絶好の機会だと王家からの要望を受けた形になった。このまま共同研究のみでそれ以上発展しないことも考えられるが、それでも王族が知見を広げることは悪いことではない。
そしてアナカナの数ヶ月だけ年下の異母弟の王子にも同じ機会を与えるべきだという声もあったが、彼は付けられた条件を完璧に守れる程に分別はまだ付いていないことと、何よりも当人が気が進まない様子だったのでその話は立ち消えとなった。これはその王子に問題があるのではなく、アナカナが規格外の精神的な早熟さを持っていたからに他ならなかったが、この話の決定を聞いた中枢を担う貴族達は、やはり王太子ラザフォードの後継は第一王女アナカナが大きくリードしていると認識を新たにしたのだった。
「随分ともっともらしい内容になりましたね」
「建前は大事だよ。それに、王女殿下には本当に学んでもらうように教育係も付けるからね」
「ただコメを食べたかっただけのようでしたのに」
「それならば尚のこと対価は必要だよ。我が家は王家と同等の力を持つことが許されてはいるが、あくまでも臣下の立場だからね。下の者からすれば愚かな王族は一人でも少ない方がいい」
レンザの辛辣な物言いにユリは少しだけ苦笑を浮かべてしまったが、彼の言うことも尤もだと思うのでそこは否定する気はない。
ユリは別邸の執務室にあるソファに腰を降ろして、分厚い契約書に目を通していた。そこには、研究施設にアナカナを立ち入らせる為に必要な条件が事細かに記載されている。その大半はそう無茶なものではないのだが、ここまでするのかと思うような些細な事項まで入っていた。しかしあの施設は二国間での共同研究だけに、安全性が確保されていないものや、国家機密に相当する情報なども取り扱っているのだ。微に入り細に入りあらゆる事案を想定しておかなければ、外部の人間を入れることは出来ない。
公にはされていないが、以前に事件の調査の為に来た第三騎士団の調査員がユリの誘拐を目論んだこともあって、レンザはそれ以来外部の人間が立ち入ることを許可していないのだ。本当ならば唯一王城の人間が自由に入ることの出来る薬局も閉鎖しようかと思ったのだが、あれはユリの為に作ったような場所だ。王城の土地の一角を使用しているのに治外法権を押し通した代わりに王城内の薬局から遠い部署の者に利用しやすい窓口を増やして福利厚生の一環として協力をしている、と理由を付けてはいるが、有り体に言ってしまえばユリがレンドルフの顔が見られる為だけに存在している。まさに権力の私的利用であるのだ。
「王女殿下がいらっしゃるのはいつからになるのですか?」
「一応来月からを予定しているが、今抱えている件が少々ごたついていてね。さすがに私が不在の時に立ち入らせる訳にはいかないだろうから、それ次第かな」
「何か領地で問題が?」
「いや。例の女の件だよ」
「!行方が分かったのですか!?」
緑魔法の使い手で違法な薬草を栽培して捕縛された女が逃亡した件で、その捕縛に直接携わったユリは安全の為に女の行方が分かるまで別邸から出られない日々が続いていたのだ。
「ああ、先日ようやく捕まった」
「良かった…!それでは私も復帰できますね」
「…出来ればもう少し待って欲しいのだがね」
「え…!?で、ですが、捕まったのならもう安心なのでは」
レンザの報告を聞いてユリは喜びではしゃいだように前のめりになったが、レンザはまだ渋い顔のままだった。
「女は、捕まったと言うよりは保護された、と言った方がいいような状態だった」
重々しい口調で溜息と共に吐き出すようにレンザが告げると、ユリは思わず息を呑んだ。
女の身柄が確保されたのは、とある廃鉱になった山中だった。そこは火山帯であったので地熱を利用して、埋められなかった坑道の中で禁止薬物の元になる薬草を栽培していた。女は廃屋になっていた元鉱夫の小屋で生活をしていたらしいが、ひどく質素でロクな食べ物も残っていなかった。そこはかつては賑わって小さな集落のように商店や飲食店もあったが、廃鉱になった今では街へと続く道すら草で埋もれている。
「そんなところで生活をしていたのはおかしいですね。栽培した薬草を売っていたにしろ、街までは遠いですし、そんなところに商人が訪ねてくれば目立ってしまうでしょうに」
「そうだね。おそらくは女を連れ出した者がそこから出られないように縛り付け、栽培させた薬草を持ち出しては必要なものを極秘に運び込ませていたのだろう」
見つかった女は、まるで別人のように痩せ細りまともに口を利くことすら出来なかった。すぐに神官に状態を鑑定してもらったところ、重度の薬物中毒であるとの診断が出た。それは女が栽培していた薬草から抽出されるものではあったが、そもそも緑魔法で植物を自在に成長できる程の制御力を有しているならば、自身が中毒になる筈がない。ユリの証言では女は召喚魔法を使える程の魔力と実力を備えていたので、その女を匿っていた誰かが隙を突いたか油断させたかで投薬したのだろうと思われた。
しかしその相手を聞き出そうにも、女の状態は悪くまともに話も出来なかった。しかも強力な黙秘の誓約魔法も施されていて、解毒をしただけでは黒幕に辿り着くのは不可能と判断された。
「その上、女が暮らしていた廃鉱の坑道内に残っていたのは生育途中のものだけで、無数にある坑道の殆どで栽培していた跡が見られたが、既に収穫されて運び出されていた」
「じゃあその薬草はどこかに流されてしまったと…?」
「ああ。土地の広さから予測される収穫量を精製したとすれば…正直前代未聞の量で、どのくらいの被害になるか換算されない程だったよ」
恐ろしい事実を聞かされて、ユリは無意識に自分の両腕で身体を抱え込むように力を込めていた。二の腕の辺りに爪が食い込んでいるのに気付いて、レンザは立ち上がってユリの隣に移動して、そっと握りしめた手を包むようにして指を外した。
「それだけの量の薬物を、一体どうしようと言うのでしょう…」
「まだその目的は分からない。が、黒幕の可能性の人物に心当たりは…ある」
「え…ではどうして」
「証拠がないのだよ。そして動機も不明。もしかしたら更にその先にそれを命じた者がいるかもしれない」
「おじい様…?」
ユリの手を包み込むレンザの手は、元々体温の低いユリよりもずっと冷たくなっていた。握り締める手の力は込められていないが、自身の膝の上に乗せている反対側の手は固く握られ、指先が白くなっているの見えた。まるで何かを耐えているように思えて、ユリはレンザの顔を覗き込んだ。その顔があまりに不安気に見えたのか、レンザはハッとしたように目を瞬かせ、すぐにいつもの笑みに戻る。
「勿論、ユリにはまた施設での勤務に復帰してもらうよ。ただ当分の行動範囲は、施設と本邸の中のみにして欲しい」
「……はい」
薬草を栽培している犯人は捕まっても、どこかに流通してしまった危険な薬草が大量にある。そのルートが判明しなくては、いつどこでユリの身が危険に晒されるか分からない。本当ならば、移動の必要のないこの別邸にいることが一番ユリの安全が保証されている。それでもユリの気持ちを慮って最大限譲歩してくれているのだ。レンザの言いたいことも理解出来てしまったので、ユリは少し長い間の後に素直に頷いた。
「…レンドルフ君は、またこちらに招待しよう」
「…!ありがとうございます!」
「全く…その顔には敵わないね、我が姫君」
レンザは柔らかく微笑むと、握り締めていたユリの指先に、本当に触れる訳ではない軽く口付けをするような動作をしたのだった。