374.王城での密談茶会
最近あちこちで密談が繰り広げられています。
手にしたロールケーキを一旦部隊専用の談話室に置いて来ようと早足でレンドルフが向かっていると、頭上から「レンドルフ、ちょっといいか」と聞き慣れた声が降って来た。ちょうど騎士団所属の文官達が勤務している執務棟の脇を通過しているところだったので、その上から気軽に声を掛けて来る人物に心当たりは一人しかいない。
見上げると、予想通り統括騎士団長レナードが窓から身を乗り出して手招きをしていた。
「荷物を談話室に置いてからでは?」
「出来ればすぐに」
「承知しました」
通常ならばレナードから執務室への呼び出しがある時は、文官経由で要請がある。それがこんな風にたまたま通りかかっただけで声を掛けて来たのだから、余程急ぎの用件だと判断してレンドルフはケーキの入った紙袋を提げたまま執務棟の中に足を踏み入れた。
もう既に連絡が行っていたのか、レンドルフが受付に行くと既に案内の文官が待っていた。一般の騎士ならばそうそう統括騎士団長からの呼び出しを受けることはないのだが、レンドルフは何故か近衛騎士時代からよく呼び付けられていたのですっかり受付にいる文官達とは顔見知りだ。
「急に申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ」
気まぐれな上司がいるとお互い苦労する、と目だけでそんな気持ちを交わしつつ、慣れた廊下を案内されてレナードの執務室に向かった。
「失礼致します」
「おお、急ですまないな」
ノックして執務室に入ると、全く悪びれた風ではないレナードが爽やかに迎えて来る。その執務室のソファには、近衛騎士団長ウォルターと、侍女のお仕着せを来た小柄な少女が並んで座っていた。彼らの横には護衛のように、同じ侍女のお仕着せの少女が一人立っている。本来ならば侍女の立ち位置はそこであるのだが、レンドルフはその座っている方の少女を見て一瞬ではあるが動きを止めた。しかしすぐさま平静を装ってウォルターにも騎士の礼を取る。
レンドルフが動きを止めたのは、赤茶色の髪に赤紫の瞳のかつて保護した少女、変装をしたアナカナが涼しい顔で座っていたからに他ならなかったからだった。うっかり目が合ったアナカナには確実に目が泳いでしまったのはバレてしまった気がするが、すぐに顔を伏せるようにしたのでレナードやウォルターには気付かれなかった…と信じることにした。
「お初にお目にかかります。此の度王女殿下の侍女兼学友候補として務めることになりましたリョバル・ミスリルと申します」
「…何をなさっておいでですか王女殿下」
「ぐっ…ここは一緒に乗ってくれるところじゃろうに」
「先日そのお姿でお会いしたばかりではございませんか」
「ううっ…ウォルターもレンドルフもノリが悪いのじゃ!」
そこにレナードの名が連なっていないので一体どういう反応をしたのかは気に掛かるが、それよりもこの執務室にいる面々が通常ならば大規模な夜会でもまず揃うことのない顔ぶれにも関わらず何故一堂に会しているかという方が重要だ。
どうしたものかと明らかに戸惑っているレンドルフに、取り敢えずこの部屋の主人であるレナードが座るように促す。大きな身体をなるべく小さくしてソロリとレンドルフが座ると、手にした紙袋の置き場に困ってしまった。
「あー…ええと、こちらを殿下のおやつにでも…もう味見はしていますので問題はないと思いますが、必要ならば毒味を」
「大丈夫じゃ!わらわの為に用意したものではなかろう?それなら安心じゃ」
部屋に入って瞬間に甘い匂いを嗅ぎつけたのか、アナカナの視線は紙袋に釘付けになっていた。レンドルフは食べやすいように切ってから容器に入れておいたヒスイに渡す分を差し出した。談話室に持って行くのは丸ごと二本分はあるので、ヒスイに渡す分はそこを減らしても大丈夫だろう。
「いいのか?誰かに渡す為ではなかったのか?」
満面の笑みで紙袋を受け取ろうとしたアナカナは、レナードの指摘にハッとしたように顔を上げた。その表情は見るからに「しまった」と分かりやすい感情が浮かんでいる。突拍子もない言動で大人を困惑させる稀代の天才王女のアナカナだが、時折見せる子供らしさは何とも微笑ましく見えて、レンドルフは思わず笑顔になってしまった。
「まだ十分に残っております。それにこちらは食堂のシェフから今夜出す予定のデザートをいただいたものです。幸い本日は夕食の食券も申し込み済みですのでまだ食べる機会はございます」
「あの食堂の姉妹、お前の贔屓が過ぎやしないか」
「先日寄付した蜜芋で作ってくれたので、その礼にもらったのです。決して贔屓などでは」
「…そうか」
中身の説明をしているところを、ウォルターが割って入る。レンドルフは少々心外、と言いたげな様子で眉を顰めたので、ウォルターはそれ以上追求するのは止めておく。
シェフ姉妹は、やはり職業柄食べ物に対して敬意を払う人物を評価している。それはただ量を食べるというものとは違い、きちんと食べ物のありがたみを理解して綺麗に食べ切ることが出来ることを指している。勿論好き嫌いなく美味しそうに食べてくれるのに越したことはないが、体質や出身地によって食べる習慣がなかったり、宗教的な理由などで食べられない者は出て来る。それは他者が無理強いするものではないと彼女達も理解しているので残してしまうのは構わないが、わざと食材を粗末に扱ったり遊びや悪戯などを行った者にはシェフ姉妹の電光石火のレードルが炸裂するのだ。
だからこそ彼女達は誰よりもよく食べ、綺麗に完食する上に女性に対しては紳士的なレンドルフを気に入っている。レンドルフの他にも、自分の体調を把握して盛りを調整してきちんと完食する者、苦手ながら身体に良い野菜サラダをほんの少しだけでも挑戦する者、少々お調子者で知られるが「いただきます」「ご馳走さま」の挨拶を大きな声で欠かさない者などをシェフ姉妹は母親のように目を細めて見守っているのだ。因みにウォルターも時折早食いが過ぎると注意されるが、それはそれだけ目を掛けてもらっているという証しでもあった。
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アナカナが紙袋に半ば顔を突っ込みそうになっているのを、もう一人のお仕着せの少女が素早く回収する。そして見た目通りの可愛らしい口調で「団長様の私室の給湯室をお借りしますわぁ」とレナードに許可を取って、紙袋を持ったまま執務室と続きになっているレナードの休憩室に向かった。扉の前で振り返って一礼をして行ったが、そのおっとりとした喋り方とは裏腹に所作は侍女というよりも騎士に近いようにレンドルフには感じられた。
怪しい行動などしません、とばかりに当然のようにその休憩室に続く扉は開け放たれていて、レナードはさり気なく椅子の位置を動かして中で作業をする侍女の姿が見えるところまで異動していた。
「あれはシオンという。元々殿下の影として付けていたが、お前が異動したすぐ後に専属侍女が退職してな。新たな者ではなく影を侍女として表に出したので、身元も実績も問題はない。ナナキ家出身と言えば通じるだろう」
「ああ、それなら殿下の護衛にも相応しいですね」
レンドルフの視線に気付いたのか、ウォルターが簡単に説明をする。
ナナキ家は継承権のある騎士爵の家柄で家格的には男爵位相当ではあるが、長年実力のある騎士を輩出している武門の家だ。政治的な力も必要となる為伯爵位程度が必要とされる近衛騎士ではなく、敢えて叙爵を望まず専属護衛などに就いて現場で活躍することを尊ぶ一族で有名だ。女性騎士が極めて少ない現状で、女性王族に付けられる近衛騎士は限られている。正規の騎士ではなく、侍女と称して専属の護衛を付けるしかない状況でもあるのだ。
「今日は来ていないが、もう一人影出身の専属侍女がいる。あと数年もすれば両名とも殿下の身代わりで使えるだろう」
侍女として仕えるくらいなので、小柄でも成人済みなのは確実だ。アナカナが成長してもう少し身長が伸びれば、その二人でアナカナの影武者の任務にも就く予定になっていた。その後のアナカナの成長次第で侍女がまた交代して、彼女達は再び影の任に戻る可能性もある。
シオンが渡したケーキを準備して運んで来るまで、レンドルフはウォルターから今後の変装したアナカナの扱いについて聞かされた。本来ならば近衛騎士の誰かが請け負うような任務であるが、こうしてレンドルフに話を聞かせてレナードも同席していると言うことは、アナカナの護衛の一端を担うことを命じられるのだろうと察した。近衛騎士から解任されているレンドルフは王族の護衛に就くことは許されないので、「リョバル」の護衛になるのだろう。
レナードが封筒を放り投げるようにレンドルフに渡して、中を確認しろと軽く顎で示す。素直に応じてレンドルフが封筒の中身を取り出すと、そこには「リョバル」の経歴が書かれていた。
「リョバル」の実家がお家騒動に巻き込まれた形で不運にも両親が亡くなり、遠縁のミスリル家を頼って来たので養女に迎えたとなっていた。もともとミスリル家は国内外で優秀な人間を助ける形で懐に引き込み、恩を売って国の役に立つような人材を確保するという役割を密かに担う家門だ。だからこの「リョバル」という少女も、優秀さを見込んでミスリル家が表向き遠縁と言うことにして引き取った、とある程度の高位貴族なら何となく察するだろう。
そして出身は、オベリス王国と接している隣国ガリヤネ国と記載されていた。
このガリヤネ国は国土はオベリス王国の半分程度であるが、良質な鉱石が大量に産出されるのと、国の半分以上が海に面しているので海洋資源が豊かな国である為に国力はオベリス王国と並ぶ。ここ数代は好戦的な王が治めているせいで、周辺国との関係はあまり良くない。オベリス王国との国交が途絶えているのも、一方的に言い掛かりに近いことを申し立てて来たことを切っ掛けに関係が拗れた為だ。ガリヤネ国内も王族が絶大な力を持ってはいるが、それに反発する者も多い為に血なまぐさい噂は絶えることなく聞こえて来る。その為そこから身寄りを亡くした未成年を引き取るのは、周辺国ではそう珍しい話ではないのだ。
「それは分かりましたが、何故ガリヤネ国なのでしょうか」
「まあ一番の理由は、王女殿下のワガマ…もとい、学習意欲の高さ故、ということにしてある」
「レナード、今ワガママと言いかけた…」
「気のせいです」
わざわざ訂正したところにツッコミを入れようとしたアナカナだったが、レナードは涼しい顔であっさりと遮った。
読書家で様々な本を読みたがる王女は、最近では異国の伝承に興味を持っているが、隣国ガリヤネ国のものが少ない為に話の出来る者を探していたところちょうど年齢の近い「リョバル」がミスリル家に引き取られた為に侍女兼学友候補として仕えることになった、ということになっていた。
「それで俺を殿下…リョバル嬢の護衛として側に付けるのですね」
「察しがいいな」
レンドルフの故郷北の辺境クロヴァス領は、領地の半分近くを深い森で占められている。この森は隣国との国境でもあり、その向う側がガリヤネ国だ。そしてその森を挟んだ向う側の辺境伯家に、レンドルフの二番目の兄が婿入りしている。
ガリヤネ国とオベリス王国との正式な国交は現在は途絶えているのだが、クロヴァス家とあちらの辺境伯が縁戚になったことで非公式だが辺境周辺の交流が回復しつつあった。レンドルフも学園に入る前に、末弟に会いたがった次兄の強い希望で短期留学と称して数ヶ月ガリヤネ国に滞在していた経験がある。だからこそ表向きはガリヤネ国出身のリョバルを、レンドルフが慣れるまで面倒をみるという態が整えられたようだった。
「しばらくはリョバル嬢の城下の案内を任せる。適当に市井の食べ物でも与えてやってくれ」
「レンドルフの遠征や任務に影響が出ないように予定を組むようにするが、何かあればすぐに言ってくれ。所詮は殿下の食い意地だから、無理に付き合うことはないからな」
「レナード、ウォルター、その言い方はないのじゃ」
団長二人に散々な言われようで、アナカナは口を尖らせて文句を言った。本来ならば王族への不敬で咎められるような内容だが、この場にいるのは異国出身の元貴族でこの国に保護された「リョバル」なのだ。それに文句を言いつつも、アナカナはきちんと頼れる人物を見抜いて軽口も許しているので本気で腹を立てている訳ではないのだ。むしろこうして遠慮のない距離感が彼女が気を許している証拠でもある。もともとアナカナは表面では丁寧に接しつつも裏では陰湿な嫌がらせをするような者は、徹底して遠ざけるだけの察しの良さがある。
だからこそ、数少ない信頼の置ける騎士であったレンドルフが近衛騎士を抜けた穴は大きく、未だに埋められてはいない。レンドルフが解任になった事情が事情だけに表向きはアナカナに近寄ることは難しい為、リョバルの護衛としてならば上司のレナード直々の依頼ということでどうにか体裁は保てる。
これがウォルターとレナードが痛む頭を抱えながらどうにか捻り出した策だった。
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「失礼いたしまあす」
休憩室でケーキとお茶を用意したシオンがティーワゴンを押して戻って来た。レンドルフと会話をしながらも、レナードの視線はシオンのいる方から外れることはなかった。もし万一疑わしい行動をしていればレナードが何か反応を示しただろうが、彼は涼しい顔で座ったままだった。
「一番右の皿がいいのじゃ!」
「畏まりましたぁ」
同じように並べた皿から、アナカナが希望の皿を選ぶ。シオンは言われるままにアナカナの指し示した皿を彼女の前にサーブして、続いて団長二人とレンドルフの前に並べる。その間アナカナは目をキラキラさせて皿に乗せられた蜜芋のロールケーキを眺めていた。変装しているので普段と顔立ちも違っているのだが、表情が同じなせいか全く違和感がない。
「王女殿下」
早速フォークを片手にケーキを切り分けようとしたアナカナに、隣にいたウォルターが軽く咳払いをして制止する。アナカナが動きを止めたのを確認して、先にウォルターが自分の皿のケーキを一口食べ、それからアナカナに出された皿と自分の皿を交換した。ここでアナカナに危害を加えるような者はいないのは分かっていても、一応作法として毒味をしたのだ。
仕方がないとは言え、美しい断面のロールケーキが結構な範囲で削られている。アナカナは「ウォルターも食べすぎなのじゃ…」とボソリと呟いていたが、こればかりは譲ってもらえないと悟ったのか今度こそアナカナはやっとケーキにありついたのだった。
ロールケーキは四切れに切り分けていたので、侍女であるシオンには皿はなかった。それを見てレンドルフはすぐに「俺はさっき食べましたので」と彼女に差し出していた。
「…なるほど、レンドルフは小さきオナゴが好みなのじゃな」
それを見たアナカナは、大きく頬張り過ぎて口の端にクリームを付けながら、妙に達観したような口調でうんうんと頷きながら小さく呟いたのだった。