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373.小さな密談


幾つかある応接室の中でも一番小さなところに案内されて中に入ると、落ち着いた風合いで地味に見えるが最高級の革と一級の職人の手で作り上げたソファに、レンザと見知った顔が笑顔でユリを迎え入れた。


「レイ神官長様、お久しぶりでございます」

「ユリシーズ嬢、息災のご様子で安心いたしました」


そこにいたのは、中央神殿で神官長を務めるレイだった。彼はオベリス王国内の神殿の頂点にある中央神殿で三名しかいない神官長の座にいる一人であり、見た目とは裏腹に最高齢で最長の神官長であった。見た目は20代から30代くらいにしか見えない銀の髪に淡い水色の瞳を持つ怜悧な美貌の持ち主で、長命で有名なエルフ一族を身内に持つと言われている。エルフの特徴的な尖った耳は受け継いでいないが、高い魔力と不老長寿はその身に流れていた。


「こちらのお屋敷に伺うのは七年振りくらいでしょうか。皆様もお元気そうで何よりです」


かつてユリが虐げられていた母方の実家から救出された際、重度の洗脳状態だったユリの解毒や回復に手を貸してくれた縁で、今も年に一度はユリの体調を鑑定してくれている。いつもならばユリがレンザと共に神殿に赴くのだが、今回は数年ぶりに来てくれたそうだ。


「今はユリを外に出せないからね。神官長殿にご足労願ったのだよ」

「いつも神殿ばかりを渡り歩いておりますのでね。たまには違う場所を訪れるのも良いことです」


レイは中央神殿所属の神官長ではあるが、非常に気まぐれに国内の神殿を巡回しているのだ。その自由な行動に眉を顰める者もいるが、実質神殿の最高統治者になるので誰も面と向かって苦情を言うことはない。それにいつレイが訪れるとも分からないという状況は、不正を目論む者には良い牽制になるので一定の自浄効果もあるのだ。


「わざわざお越しいただき感謝いたします」

「いやいや。私としても大公家自慢のワインをいただくことが出来ますからね。むしろ呼ばれずとも訪れたいほどです」

「まあ、それでは神官長様に来ていただきたい時は『良いワインが手に入りました』とご連絡すればいいのですね。良いことをお聞きしました」

「ふふふ、どうぞ他の者にはご内密に」


ユリがクスクスと笑うと、レイも悪戯っぽく笑って返す。若くは見えるがやはり中身は老成しているので、ユリにとってレイは話しやすい男性のひとりだ。そしておそらくレイは祖父のレンザよりも年上だろうが、彼らの間には親友のような空気感が漂っているのも心地が良かった。



「お二人とも至って健康です。とは言え、それに慢心して無茶をすればあっという間に転落しますのでご注意ください」

「毎年のことながら耳が痛いですな」

「閣下は大切なお嬢様を始めとする多くの方の責任を負っています。注意し過ぎることはございませんよ」

「そうですよ、おじい様。ただでさえお忙しいのですから」

「それならもう少しお転婆は控えてくれると私は心安くなるのだがね」

「…お転婆などではありません」


少し口を尖らせるユリに、レンザは軽く前髪の辺りを撫でる。後ろの髪はミリー達がありったけの技術を込めて繊細に編み込まれているので、それを崩さないように気を配っていた。成人女性にするには随分子供扱いだが、ユリは嬉しそうに受け入れていた。その様子に、レイは思わず頬を緩める。


「時に、以前寄生蛇に噛まれたクロヴァス卿はその後お変わりありませんか?」

「はい、変わらずご活躍です。今日も一緒に芋掘りに行って来ました!」

「芋掘り…」

「あ。ええと、み、蜜芋の採取を」

「蜜芋の採取とは、楽しそうですね」


あまり貴族令嬢が言いそうにない「芋掘り」という単語にレイは目を丸くしたが、ユリが慌てて訂正したのを聞いて楽しげな笑みを浮かべる。整った顔立ちなので真顔になると小さな不正も許さない清廉な神官長と見られがちだが、こうして微笑むとグッと雰囲気が柔らかくなる。どちらかと言うとエルフ寄りの人間離れした美貌で誤解されやすいが、長く生きて人の中で暮らしているので意外と柔軟な思考の人物だ。


「彼には次の夏辺りに一度私を訪ねて来てもらいたいのですが、よろしければそうお伝え願えますか?」

「は、はい…あの、何か気に掛かることでもございましたか?蛇毒の後遺症とか」

「いいえ、完全に解毒しておりますよ。ただ、強い動物毒は体質に変化をもたらすこともありますでしょう?ですから一年程経過を見て確認したいのです」

「分かりました。必ずお伝えします」


以前レンドルフはこの大陸にはいない寄生蛇という猛毒の蛇に噛まれたことがあった。その場に居合わせて、万能の解毒の装身具を持ち歩いていたユリが対処して事無きを得た一件だ。その際にレンドルフの治療と鑑定を行ったのが、たまたまエイスの街の神殿に来ていたレイだったのだ。

動物毒で体質が変化するのは、よく毒蜂などに見られる現象だ。一度目は市販の解毒薬で対処できていたのに、二度目に同じ毒を受けると市販のものでは対処できない程の劇症を引き起こすことがある。蛇毒もその可能性はゼロと言い切れないので、レイは念の為再度の鑑定を勧めたのだった。



しばらくは三人でワイングラスを傾けながら歓談をしていたが、気が付くとすっかり日が暮れていた。


「神殿には使いを出しますので、本日は我が家にお泊まりください。もう晩餐の支度もさせておりますので」

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えます」

「ユリは執事長に部屋を整えるように手配を頼んで来てくれるかな」

「分かりました。それでは失礼致します、レイ神官長様」

「美しいお嬢様との晩餐、楽しみにしております」

「光栄ですわ」


レンザは当主だが、家政は基本的に女主人が取り仕切るものだ。レンザはユリの祖母にあたる妻を昔に亡くしてから後妻を迎えてはいない。その為客人のもてなしの手配はユリに任せられたのだ。


ユリはソファから立ち上がって、一足先に部屋を出た。扉のところで美しいカーテシーを二人に向けて、静かに退出して行った。



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「美しい淑女に成長されましたね」

「ああ…いつまでも私の手の中で守ってやりたい」

「……閣下」

「分かっていますよ。しかしまだ足りない」


そのレンザの言葉に滲む仄昏い感情は、長年生きているレイであっても読み取ることは出来なかった。ただ、レイは()()レンザの留まっている場所は大丈夫だと判断してそれ以上は何も言わなかった。


「まだ覚悟が足りていない」

「その覚悟は、()()()()()()でしょうか」

「……誰でしょうな」



ユリは特殊魔力の強さ故に幼い頃から幾度も魔力暴発を引き起こして、更に両親や身内に蔑ろにされ続けていた期間が長く、魔力と生命に直結している魂と呼ばれる器官に大きな傷を負っている。魂の傷は目に見えることは出来ないが、小さな傷でも命に関わる程死に直結している。「死に戻り」になるほどの大事故から始まり、長らく魂の傷を放置しその上から無数の傷を付けられ、ユリの魂はいつ砕けてもおかしくなかった。

もう砕け散るのを待つしかなかったユリの魂を、レンザは自身の魂を融合して繋ぎ止めたのだ。これは「魂の婚姻」と呼ばれる技術で、砕けるユリの魂に時間を与える唯一の方法だったのだ。

本来は、これは伴侶に対する互いの愛情で結ばれる婚姻と同等の契約であるので、近親者の「魂の婚姻」は禁じられている。魂は感情にも繋がるので、契約を結んだ同士の絆と愛情を深めると同時に、執着や嫉妬心も増大する傾向がある。だからこそ両者の同意もなければ違法となる。だがレンザはそれを知りながらレイの力を借りてユリには秘密で「魂の婚姻」契約を結んだ。


魂に受けた傷は身体と違って回復することはないが、他の幸福な体験や心の満たされる感情で少しずつ埋めることが出来る。レンザとレイは、やがてユリの傷付いた魂がレンザが繋ぎ止めなくても砕けなくなる程に傷を埋められた状態になった時点で、やはりユリには黙ったまま契約を解消しようと考えていた。



「お嬢様の魂は、驚く程傷が埋められています。誘拐されたと聞いた時は新たな傷が増えるのではないかと危惧しましたが、それもほぼ影響は見られませんでした」

「それは良かったです」

「あの青年のおかげ、でしょうね」

「……ええ」


ユリの魂の傷は、昨年まではゆっくりと埋められていたように見受けられたが、今年はこれまでの数年分を凌ぐ勢いで埋まっている。彼女の魂を感覚的に鑑定することが可能なレイからすれば、それは驚くべきことであり、何よりも喜ばしいことだった。


「とは言っても、まだ契約を解除できる程ではありません。まだ当分は閣下の庇護下にいなくてはなりませんね」

「神官長には過分な負担をおかけして…」

「私の長く生きた時の中ではほんの泡沫(うたかた)程度のことです。ですがその泡沫でも美しく幸福な結末を見たいのですよ」

「…そのお言葉、胸に刻みます」


レンザは自身の胸に手を当てて、レイに向かって厳かに頭を下げたのだった。



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レンドルフが蜜芋を食堂に寄付してからしばらく経った頃、食べ終えて食器を洗い場に戻したレンドルフに厨房の奥からシェフ姉妹の一人にそっと手招きをされた。彼女達は双子ではないのだが非常によく似ていて、更に厨房では三角布で頭を覆い口元も布で隠している為に全く区別がつかない。

招かれるままにレンドルフが厨房の出入口の方に向かうと、一抱えもある大きな箱を手渡された。


「この前のお芋、熟成させてうん〜と甘くしておいたから〜。今日の夕食のデザートに出すけど、寄付のお礼でクロ様には丸ごとあげるわ〜」

「あ、ありがとうございます」


箱の中身はよく分からないが、「傾けないように持って行ってね〜」と言われたのでケーキなどのデザートが入っているようだ。どんな物が入っているかは分からないが、ズシリと重い感触にレンドルフは心が弾んだ。そして「クロ様」と今まで聞いたことのない愛称でシェフ姉妹から呼ばれていたこともついでに発覚したのだった。



一旦部屋に戻って箱を開けると、目にも鮮やかなロールケーキが箱一杯に三本も詰められていた。食堂で出すものなので飾りのないシンプルな見た目だが、きめ細かくふっくらとした黄色いスポンジに、甘い香りが鼻をくすぐる。その中にほんのりと蜜芋の香りも混じっているので、生地に混ぜ込んであるのかもしれない。今さっき大盛りの定食を綺麗に食べ尽くして来たばかりなのに、レンドルフは思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。


時計を見ると、午後からの鍛錬にはまだほんの少しだけ時間がある。レンドルフは急いで部屋の中のミニキッチンでロールケーキを切り分けて、一番端を指で摘んで大きくかぶりついた。誰かがいれば絶対にしないが、一人なので気にしないことにした。柔らかで繊細なスポンジは、力を入れていなくても自重で指がめり込んでしまう。そして中にはたっぷりの黄色と白のクリームが二層になって巻かれていた。切った断面はそのクリーム二色が美しい渦を巻いていて、皿に乗せてフルーツソースやクリームなどをあしらえば、中心街のカフェで提供してもおかしくない程の出来映えだった。シェフ姉妹は料理だけでなくスイーツの腕前も確かなようだ。


「美味しいな…」


生地は贅沢に卵を使用し、そこに蜜芋も混ぜてあるのかしっとりとして、少し焼き色の着いた内側が何とも香ばしい。これは畑で食べさせてもらった熾火で焼いた蜜芋を彷彿とさせる。そしてその生地が包んでいるクリームは、白い方は豊かなミルク風味に、黄色の方はもったりとした蜜芋クリームだった。口当たりの軽いものと濃厚なものが口の中で程良い甘さとなって広がり、レンドルフは思わず呟きを漏らしていた。更に甘い味わいの最後に、微かに塩気が後味を引き締める。おそらくクリームに混ぜ込んであるのだろうが、それが主張し過ぎず甘さを引き立てていながらキリリとした後口に止まらなくなる。


(ユリさんがこっちに来られていればな…)


手にした分をあっと今に食べ尽くして、少し名残惜しげにレンドルフはペロリと指に付いたクリームを舐めとった。ユリは甘い物は量は食べられないが嫌いではない。このロールケーキならばきっと気に入るだろう。もし薬局勤務の日程であれば差し入れ出来たのに、と残念に思った。



レンドルフはしばし考え込んで、半分に切ったものを自室の保冷庫に入れ、もう半分を蓋付きの陶器の容器に入れた。それを大判のハンカチで包み込む。


(ユリさんはいないけど、ヒスイさんに差し入れておこう)


ユリは薬局でも裏方に徹していて、接客をこなしているのは同僚のヒスイだ。ユリがエイスの街に戻っている時などでも回復薬を求めに行くことがあるのでヒスイには世話になっている。確かヒスイも甘い物は好きだと何かの折に聞いたことがあるので、きっと喜ばれるだろう。

そして残りの二本は箱に戻して、今日の夕刻から次の遠征任務の計画書作成のために部隊会議があって皆が集まるので、そこで提供しようと思ったのだ。レンドルフとショーキは寮住まいなので夕食も食堂で摂るが、オスカーとオルトは帰宅するので今日のデザートにはありつけないので丁度良い筈だ。それにオスカーのところの娘はまだ幼いので、土産にしてもらうのもいい。レンドルフにとってはロールケーキ三本くらいなら一人でも軽く平らげられるのだが、折角なら誰かと美味しさを共有したかった。特に一番共有したい相手が側にいないので尚更だ。


レンドルフは両手にロールケーキの入った紙袋を下げると、足早に自室を出たのだった。


お読みいただきありがとうございます!


「寄生蛇」は「168.神官長の内緒話」

「魂の婚姻」は「148.【過去編】神官長との密談」

に出て来ます。


神官長がコソコソ暗躍してる感じです(笑)


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