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372.見送りと出迎え


「さあ、お芋が蒸し上がりましたよ」


手伝いに来ていた年配の女性がニコニコしながら、まだ湯気の立つ蜜芋を籠に乗せて持って来た。食べやすいように切り分けてくれていて、紫色の皮の中から鮮やかな黄色い実が美しく艶めいている。


「こちらが今収穫したてのもの。こっちが先週収穫して熟成させておいたものですよ。どうぞ食べ比べてください」

「ありがとうございます」

「それから…」


籠を受け取ったレンドルフに、女性は声を潜めるように蓋付きの容れ物も手渡す。その容器は冷やしてあったらしく、ひんやりとした感触が指先に伝わる。


「これを添えると大変危険ですので、お気をつけ下さいな」


彼女はそう言って、ニッコリと笑うと他の者にも配るのか竈の方に戻って行った。


「危険…?大丈夫かな」

「何が入ってるの?」

「い、いやちょっと待って、俺が開ける…」


ユリがレンドルフが持っている容器に向かって、躊躇いなく蓋に手をかける。まさか本当に危険なものを渡すとは思えないが、それでも一瞬レンドルフが焦る。しかし両手が塞がっていたので、ユリはあっさりと蓋を外してしまった。


「バター?」

「…みたいだね」

「危険…なのかしら?」

「さあ?」


開けてみると、中には冷えたバターがみっちりと詰まっていた。どう見ても普通のものにしか思えず、ユリとレンドルフは顔を見あわせて首を傾げた。


「まず、食べてみようか」

「そうね」


まだ熱い蜜芋を手に取って、フウフウと息を吹きかけながら火傷に注意してハクリとかぶりついた。


「!…甘いな」

「熱っ…美味し」


まず収穫したての方を食べてみると、ホクホクした柔らかい実にフワリとした上品な甘さが口一杯に広がる。レンドルフは何度か食堂で出て来た蒸しパンの上に乗っていたのを食べたことはあるが、それは小さくダイス状に切られた飾りのようなものであったのでこうして蜜芋だけを純粋に食すのはおそらく初めてだ。その時も十分甘いと感じたが、収穫したてだからなのか口の中でホロホロと崩れる柔らかさが舌の上でより甘さを感じさせた。

二人とも熱さに何度も息を吐きながら、手を止めることがなくあっという間に一切れを食べてしまった。


「今度は熟成した方を」

「あ、持っただけで違うのが分かるね」


先に食べた方はふっくらと空気を含んだように柔らかかったが、熟成させた方はしっとりとした重さがあって、切り口から蜜が染み出しているのかキメの細かい艶が見てとれた。そちらも息を吹きかけながら口に含むと、全く同じ種類のものとは思えない程印象が違っていた。


「これ、砂糖を入れてる訳じゃないよね」

「…だと思う」


熟成した方は水分を多く含んでいて、ねっとりと裏ごししたような濃厚な食感と甘さだった。ただ蒸かしただけである筈なのに、まるで砂糖を追加して練り上げたスイートポテトのような味わいだ。たった一週間程度の差で、ここまで違っているとは思いもよらなかった。


「…レンさん、これが危険って意味、分かった気がする」

「そうだね。ユリさんはどっちにする?」

「ホクホクにバター、かな」

「俺もそうしよう」


皿の上に温かい蜜芋を乗せて、先程渡されたバターを置いた。その熱で見る間に黄色いバターは透明になって、ホクホクの表面から隙間に滲むように流れて行く。すっかり金色の液体が染み込んでしまうと、表面が光に当たってツヤツヤと輝いている。その最も艶のある部分をフォークで掬い取って口に入れると、溶けたバターが水分の少ないホクホクの実をしっとりとさせている。そして新鮮なミルクの風味とほのかな塩味がより一層甘さを引き立てる。


「これは…」

「危険だわ…」


二人揃って、蜜芋にバターという魔性の組み合わせに頷くしかなかったのだった。


その後、熾火でじっくり焼いたものも届けられて、甘さに香ばしさが加わった上に再びバターを置いてしまうと更に凶悪な状態になってしまった。気が付けば、渡された容器の中に入っていたバターも、籠に盛られた蜜芋も全てお腹の中に消えていた。


「今日は夕食は控えることにするよ…」

「私は、明日の朝も抜こうかな…」


並んで溜息を吐きながらそんなことを呟いていたのだが、その背後でノルドが恨めしそうな目で見ていたことは気付いていなかったのだった。



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夕刻に近くなった頃、帰り支度の為に再び防具を着込んだレンドルフはやはり場違いな出で立ちにどこか恥ずかしそうな顔をしていた。それからお土産にと両手に抱える程の麻袋に入った蜜芋を二袋も受け取って、ノルドの背に積んでいた。ノルドはそれを摘み食い出来ないかとしばらくグルグルと回っていたが、さすがにレンドルフに拳骨を喰らって仕方なく諦めていた。勿論手加減はしているし、耳元で「後で分けてやるから」と囁いておくのは忘れなかった。


「こんなにありがとうございます」

「いやあ、こちらこそ助かりましたよ」


熟成をさせるなら冷暗所のパントリーなどに置いておけばひと月以上保存が可能だが、今の季節なら二週間くらいなら常温でも問題ないとアドバイスをもらっていた。レンドルフは自分で管理するのは無理そうなので、一袋はタウンハウスに、そしてもう一袋は王城に持ち帰って同じ部隊のメンバーに数本お裾分けをして残りは食堂に寄付しようと思っていた。そのまま蒸かすなどの調理法では到底騎士の数には間に合わないが、食堂のシェフ姉妹なら不公平のないように全員の口に入る料理に利用してくれるだろう。


「レンさん、気を付けてね」

「うん、ありがとう。ユリさんも帰りは気を付けて」

「まだ…薬局には顔を出せないんだけど、また機会があったら誘ってもいい?」

「喜んで。もし必要なものがあったら教えてくれれば届けるから、いつでも言って」

「ありがとう…また、早く前みたいに気軽にご飯食べに行けるようになりたいなぁ」


今日は一日はしゃぎながらレンドルフと芋掘りを楽しんでいたが、やはり夕刻という時間帯のせいか物寂しさがユリの胸に去来する。手紙のやり取りはほぼ毎日しているし、すぐに連絡を取りたければギルドカードでも可能だ。それでも離れがたいと思ってしまうのは、次の約束がはっきりしないからだろうとユリは無理に自分を納得させる。


「じゃあユリさんの好きそうな店を探しておくよ。もうすぐ次の勤務日程も決まるから、分かったらすぐに送るよ」

「うん…待ってる」


ユリがそっと右手を差し出すと、レンドルフは躊躇いなくユリの小さな手を握る。ユリが両手を差し出してもレンドルフの大きな手ならばすっぽりと収まってしまう程に差があるが、全く力も入れずにただふんわりと温かさに包まれるだけの優しい握手は、相変わらず防御の装身具が無反応だった。



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後で蜜芋をもらうことを約束してもらったノルドの弾むような足取りと、レンドルフの大きな背中を見えなくなるまで見送って、ユリは一つ溜息を吐いた。


「お嬢様」


ぼんやりと佇んでいたユリに、既に大公家の護衛の顔に戻ったクロウが声を掛ける。


「みんな、今日はご苦労様。おかげでいい一日になったわ」

「光栄です」


ユリもすぐに切り替えて、普段のユリに戻る。貴族令嬢らしからぬ気安さではあるが、それでもレンドルフの前に出るときは違う、人を使う立場の雰囲気を纏う。


「お嬢様方のおかげで収穫が捗りました」

「それはレンさんのおかげじゃない?」

「確かに。あれはもうお見事でした」


畑の責任者からやはり護衛に戻ったソウヤが、被っていた麦わら帽子を脱いでユリに頭を下げる。一見、長年農業に携わって来た好々爺に見える彼だが、実はアスクレティ家の諜報部隊「草」を統率する頭でもある。普段は別邸の庭師長を務めている風だが、大公家の中でもかなりのベテランで実力者だ。もう一つの部隊「根」の頭は本邸の家令と別邸の執事長がそれぞれの屋敷で務めているので、実質半数の護衛を取り仕切っているのがソウヤのようなものだった。


「あのレン殿は、魔法士を目指しておられたので?」

「え?ずっと騎士一筋って聞いてるけど。ほら、武門のクロヴァス家のご子息だし」

「そうでございますか。いや、あまりにも多彩な魔法をお使いになられますので」

「そう言えばそうね。制御は苦手だけど火魔法と、下位の水魔法なら使えるってことだったし」

「三属性ですか。や、相当な努力家でございますな」

「ふふ、ホントね。前に召喚魔法も見せてもらったし」

「何と!」


魔法は生まれ持っての魔力と属性がなければ使うことは出来ないが、持っていてもきちんと基礎を学んで自分で制御を覚えなければ上達しないものだ。複数属性を持つ者は属性魔法を発現した三割くらいは存在しているが、その属性を複数使いこなす者になると一割以下になるだろう。複数属性持ちは全般的に魔力が多いが、属性の数だけ比例して増える訳ではない。単純に総量を複数に割り振れば、それだけ使える魔法の威力が弱くなるのだ。その為、複数属性持ちであっても、一番相性の良い属性の魔法を鍛え上げることの方が推奨される。ユリも風属性と氷属性を有しているが、感覚的に使いやすい風魔法の方に魔力の七割くらいを回している感じだ。


「その召喚魔法は実戦でお使いに?」

「ええ。アーマーラビットの群れを一掃する時に使ってたわ」

「実戦レベルでの召喚魔法をあの若さで…いやはや、真面目な御方ですな」

「そうよ。レンさんは真面目で誠実ですごいのよ」


大公家の中でも上位の実力者であるソウヤに感心されて、ユリは自分のことのように胸を張ってドヤ顔をしていた。その様子が微笑ましくて、ユリの後ろに控えていた護衛達は顔が緩みそうになってしまうのをひたすらに堪えていた。


召喚魔法は、自身の持っている属性に応じた精霊獣と言われる精霊の眷属を呼び出して使役するものだが、呼び出すだけで膨大な魔力を消費するので実行できる者は少ない。それに加えて魔法の成長が非常に遅く、初期レベルでは消費する魔力と精霊獣の強さが全く比例しないのだ。魔力の半分以上を消費しても、呼び出しただけで終わるか、小さなネズミ系魔獣一匹を倒せればいい方とすら言われる。その時点で、使い手は召喚魔法よりも効率の良い別の魔法を鍛える方向に舵を切ってしまうのだ。しかしそれを乗り越えて鍛え上げると、とてつもなく強力な力を得られるようになるのだが、実戦レベルに到達するには10年単位は軽く掛かることもある。

レンドルフが小型の魔獣と言えども群れを屠るだけの精霊獣を使役できることは、それだけ真面目にコツコツと自身の魔法を鍛え上げていたという証左でもあった。


「剣術にも長けてるし力も強いし紳士だし…ねえ、レンさんて完璧すぎない?」

「そうですな」

「そうよね!」


同意を得られたことで上機嫌でニコニコしているユリを見ながら、護衛達は何ともほのぼのした気持ちになっていた。が、その気の弛みをユリの隣に立つ老獪なベテランはしっかりと察していて、目を細めながら孫でも見つめるような柔らかい表情で微笑んでいる目の奥には冷たいものが潜んでいた。だが、その時は誰もそのことに気付く者はいなかったのだった…。



-----------------------------------------------------------------------------------



大公家の敷地内ではあるが、それなりに離れているので馬車で別邸までユリが帰宅すると、レンザが客人を連れて戻っていると執事長から告げられた。


「お嬢様が戻られましたら応接室に案内するようにと申しつかっております」

「分かったわ。すぐに支度を整えて来るから」


この別邸はユリを守る為に存在している堅牢な要塞のようなもので、当主レンザの許可がなければ建物内に入ることは出来ない。そのレンザが連れて来たのだからユリと顔を合わせても問題のない人物なのだろう。誰かは告げられなかったので、本来はここに来ては行けない人物がお忍びで来ているのだろうと予測は付くが、それでもレンザの招いた人物に対しての警戒心は一切ない。


ミリーと他のメイド達に手伝ってもらって、土まみれの自称平民から貴族令嬢へと変身する。身長は小さくどちらかと言うと可愛らしい寄りの顔立ちのユリだが、それでも童顔ではないのできちんと化粧を施すと華やかな美女顔になる。間違いなく自分の顔ではあるのだが普段は薄化粧のせいかユリは違和感を抱かずにはいられないので、鏡の中を見ると何だか落ち着かない気持ちになる。


「ピアスは緑の…その隣のペリドットの方にして」


夜会ではないが来客に失礼がない程度に軽くコルセットを締めたペールグリーンのドレスに合わせて、手持ちの宝飾品の中から緑色の系統をメイドの一人が銀の盆の上に天鵞絨を敷いて持って来る。ユリはその中から淡い若葉のような色合いの宝石を選んで装着してもらう。小さい僅かに色の違う石が三つ並んでいる地味なものではあるが、大公女が身に付けるものなのでどれも最高級のグレードの石が使われている。むしろこれを貧相と断じる者がいれば、その見る目のなさを浮き彫りにする篩といっても過言ではない。


「ありがとう。支度が出来たと伝えてくれる?」

「畏まりました」


同じ意匠の首飾りも身に纏い、白のレースの手袋の上から「エルフの瞳」が使われている指輪を嵌める。この石は幻と言われるもので国宝にも匹敵する稀少なものだが、王家に報告も献上もされることはなくユリの手に収まっている。発覚しても大公家の身分では咎められることはないが、博物館の特別展示の為に貸し出せなどと要請が来て面倒になることは目に見えているので、ユリには事実を報告する気は一切ない。「エルフの瞳」は小指の爪程の淡褐色の石に芯が揺らめくような幻想的な緑色を内包していて、斜めに白い偏光色が入っている。色味の似たペリドットを選んだので、全体的に統一感が生まれていた。

この指輪はレンドルフが遠征先で買い求めた石を加工してもらったものだ。こうしたフォーマルにも普段着にも合わせられるように工夫を凝らしたデザインになっている。


「?どうしたのミリー?」

「いえ…もう少しお嬢様を磨き上げたかったと思いまして」

「お客様をお待たせしてはいけないわ。それに今だって十分磨いてもらったけど?」


レンザが連れて来てユリに会わせる程の客人をあまり待たせてはいけない。貴族令嬢の身支度にしては早すぎる程の時間だが、それでも30分は経過している。今日の芋掘りの途中でユリを呼び戻さなかったのは、レンザは最大限融通してくれたのだろうと予測が付くのでこれ以上は甘えられない。


「いつも綺麗にしてくれてありがとう」

「勿体無いお言葉です」


呼びに来たメイド長の後について部屋を出る直前、ユリは振り返って令嬢らしい微笑みを浮かべてミリー達に感謝を述べた。彼女達もその言葉に、表には出さないが目の奥に誇らしげな喜色を浮かべて深く頭を下げたのだった。



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