370.クロヴァス辺境領の誉
「ここに置かせてもらいます…」
レンドルフはまだ赤みの残る顔をなるべく伏せながら、少し離れた場所にある木の根元に自分の脱いだ防具をそっと置いた。
「あの、レンさん…ちゃんと言ってなくてゴメンね」
「俺も確認しなかったし…」
ユリが遠慮がちにしゃがみ込んでいるレンドルフの広い背中に話しかけると、ヘニャリと情けない顔で苦笑している横顔が見えた。
今日は大公家の別邸に敷地内にある畑で、蜜芋の収穫の為にレンドルフを呼んでいた。屋敷からは林を挟んで完全に見えなくなっているし、元々別の貴族が所有していた農地なので大公家所有と知る者は少ない。ユリもレンドルフには、管理を任されている薬草園の持ち主が所有している畑と説明してある。実際嘘ではない。
王都の人間からすると、蜜芋は土の浅いところで育つ為に子供でも収穫は難しくないので、普段農業に携わらない人間が楽しむ娯楽の一種だ。しかしレンドルフは王都に来てから騎士の任務一辺倒だった為にそういった娯楽には疎かったので、過酷な環境下での辺境領式収穫のつもりだったのだ。その為、魔獣討伐の時に使用していた防具で身を固めて、持ち物も一体どこの深度の森に入るつもりだとばかりに本格的なものを揃えていたのだ。
そして先に来て待っていたユリとは、ピクニックと雪山登山くらいの温度差が生じていたのだった。
魔獣避けを設置しても魔獣が人里に降りて来るのが日常な辺境領とは違い、王都内は王城に置かれている防御の魔法陣のおかげで殆ど魔獣は出没しない。王都の一部であっても王城から最も離れたエイスの街にある森の深い場所ではさすがに魔獣は出て来るが、こちらから出向かなければ遭遇することは滅多になかった。
レンドルフはそんな危険な場所に畑を作る筈もないと、少し考えれば分かりそうなことに至らなかったことに顔を真っ赤にして頭を抱えてしまったのだった。
「そうだよな…王都内でそんな魔獣の群れを殲滅しながらの辺境領式収穫はないよな…」
「それはそれで辺境領式がすごい気になるんだけど!?」
ドサリと重そうな音を立てて最後の脛当てを外して置くと、何だか脱いだ防具が小山のようになっている。シャツとトラウザーズという軽装にはなったが、シャツのボタンは全てレンドルフ自身の魔力を込めてある補充用の魔石が加工してあるものであるし、手袋やブーツも分厚い革で一部に金属が縫い込んである対魔獣仕様のものだ。
「こうやって脱いだところを見ると、やっぱりレンさんの防具サイズって大きいね。私が膝を抱えたら上の防具だけですっぽり全身入りそう」
「入ってみる?…あ!い、いや、やっぱりナシ!ナシで!!」
「ええー」
一瞬ユリの目が輝いたが、レンドルフは慌ててそれを止めてしまった。すっかりその気だったユリはむぅ、と口を尖らせて不満げな顔になった。
「ほ、ほら、その…い、色々付与が掛かってるから!他の装身具の付与と反発したりすると危ないから!」
「えー、レンさんだって着けてるのに」
「これは俺のに合わせてあるから!魔力とか…ええと、そういうの…」
「んー、それもそうね」
どう考えてもレンドルフの視線は泳いでいるし選ぶ言葉も辿々しいので明らかに嘘なのだろうが、ここでゴリ押ししてこれ以上レンドルフのメンタルを削るのも申し訳ない気がしてユリはあっさり引いた。しかし心のどこかで「隙を見て潜り込もう」と思っていたことは決して表に出さないでおくことにした。
「一応上から布を掛けておきますね」
「ただの防具なので汚れは大丈夫ですよ」
「これ、虫除けの付与もしてあるんで。気が付かないうちに内側に虫が入るのも嫌でしょう?」
「お気遣いありがとうございます。すみません…余計な手間を」
「虫除けは多めに持って来てますから、大したことじゃないですよ」
収穫の手伝いに参加しに来たといううちの一人が、レンドルフの防具の上に布を被せてしっかり重りを着けて包んでくれた。レンドルフよりも少し年上と思われる赤銅色の短髪の男性で、日に焼けた肌と服の上からでもすぐに分かる鍛え上げられた体躯はレンドルフと並んでも貧弱に見えないくらいだ。
ふと、その顔に見覚えがあって無意識にレンドルフは彼の顔を見つめていたらしい。
「あ、覚えていてくれましたか?朝の鍛錬以来ですね」
「ああ!あの時の!その節はお世話になりました」
彼は、以前レンドルフがパナケア子爵の別荘を間借りしていた時に、隣の大公家の護衛騎士達と親しくなって朝の鍛錬などを一緒にしていた時に居た顔だった。確かその時は前髪も後ろ髪も随分長くしていたので、かなり印象が違っていた。しかも今日は収穫の手伝いなので、動きやすい服で平民とあまり変わらない出で立ちだった。そのせいかすぐに分からなくてレンドルフが恐縮する。
「あの時は名乗らず失礼しました。クロウ・ライナバです。今日は休暇なんで、こっちのお手伝いを」
「あの時はありがとうございました。改めましてレン、です。今日はよろしくお願いします、ライナバ卿」
「いやあ、俺はもう家を出て平民も同然なんで!クロウと」
本当は今日もユリの護衛なのでクロウは任務遂行中なのだが、そこは隠すことも任務のうちだ。それにクロウだけでなく、この場にいるこの畑の持ち主を名乗っている老人も、その娘夫婦も、手伝いに来ている平民達も全て大公家の護衛だ。とは言え、ここは大公家の敷地であるし周辺は部外者は立ち入れないようにしていあるので、そこまでピリピリした空気ではない。
(クロウったら、あれじゃこっそり潜り込めないじゃない)
しっかりと布を掛けられてしまった防具をユリは横目で眺め、こっそりと心の中で文句を言った。本当の虫除けの意味もあるが、半分以上はユリが潜り込むのを阻止する目的もあった。すっかりユリの思考は筒抜けなのである。
「そりゃあんまり防具には他人には密着して欲しくないですよねえ。特に女性には」
「あ…やっぱり分かります?」
「そりゃ、俺も騎士ですから。いくら手入れしてても…ね」
「全くです」
ユリが名残惜しそうに防具のある方を見ていたのを確認して、クロウはそっとレンドルフに近寄って小声で囁いた。
うっかりユリが大きな防具の中に膝を抱えて収まるのは可愛らしいかと思ってしまったのでつい一瞬だけ承諾してしまったが、レンドルフはすぐに防具の臭い問題を思い出して即座に阻止したのだった。レンドルフもきちんと防具の手入れはしているし、内側の革や布にも防臭効果のある付与は施していはいるが、それでも万能ではないのだ。服と違って丸洗いする訳にはいかないのと、魔石や専門のクリーニング店で浄化をしても毎日出来る訳ではない。特に遠征などでは持ち歩ける魔石に上限がある以上、命に関わらない部分は後回しになりがちだ。そして少しずつ色々と蓄積して、何をしても取れない臭いが染み付いてしまうのだ。
レンドルフ自身はまだ今使っている物はそこまでではないと思いたいが、それでも確実に無臭ではないのは断言できる。そんな中にユリが入るのは絶対ダメだと心から思うのだった。今回は危うく、想像したユリの姿が可愛らしかったのと久しぶりに会えたことで気持ちが浮ついていたので承諾しかけてしまったが、寸でのところで気が付いて良かったとしみじみ思ったのだった。
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「ここから見える五面の畑に蜜芋が植わっております」
「思ったより広いのですね。この人数で大丈夫でしょうか」
「いやいや、今日中にどうしても、というものでもないのですよ。蜜芋は保存が利くものですし、熟成させるとしっとりと甘さを増すので、顧客の好みによって時差が必要なのです」
レンドルフはユリと収穫する予定の場所に案内されて、農場主だという老人、ソウヤに簡単に説明を受けた。レンドルフは蜜芋の収穫は初めてなので実に真剣な姿勢で聞いていたので、彼も気分を良くしたようだった。
「レン殿は土魔法の使い手とユリちゃン、から聞いておりますが、魔法を使った収穫などを目にしたことはございますか?」
「故郷では毎回駆り出されていました」
この老人ソウヤも大公家の護衛の一人なので、絶対呼び慣れない名前でユリを呼んだので、発音が少々おかしくなっていた。注意していなければ分からない程度の間だったので、幸いレンドルフは不自然にも思わないようだったが、後ろめたいユリは思わず背筋がヒヤリとしていた。
もうレンドルフに自分の身分を明かしても嫌われはしないのだろうとユリも自覚しているが、やはりそれでも色々な柵からは逃れられずに縁が遠のいてしまうかもしれないと思うと踏み出せないでいた。それに罪悪感はあれど、以前にレンドルフに言われた「言いたくなければ言わなくてもいい」という言葉に甘えてしまっているところもある。レンドルフはユリがどんな秘密を抱えていようとも、言いたくないなら無理に言う必要はないと言ってくれたのだ。それこそ一生涯黙っていても構わない、と。その言葉に嘘がなかった証として、これまでレンドルフはユリに私的なことを深く尋ねて来ることはない。会話の中でそれらしきことに触れそうになることもあるが、それもただの流れであって、ユリがそこで言い淀めばそこで終了して他の会話になるだけだ。
しかしユリの身分ではずっと秘密にしておくわけにはいかない。その切っ掛けとして薬師試験に受かって正式な資格を取るまで、と自分で決めている。
それまではただの「薬師見習いのユリ」でレンドルフの隣にいられる限りいたいと望んでしまうのだった。
「さっき言ってたけど土魔法でレンさんも手伝ってたの?」
「うん。どっちかと言うと故郷では土魔法の使い手は少なかったから、強制参加みたいなものだったかな」
「どんな感じで収穫するの?魔獣が来るってことは、騎士様も参加する?」
「それこそみんな張り切って参加してたよ。そのまま収穫祭に突入するから」
「お祭に?何だか楽しそうね」
「うーん…楽しい…のかな?」
「え?違うの?お祭って楽しいんじゃないの」
レンドルフは故郷クロヴァス領で楽しげにごちそうと酒に盛り上がっている領民達を見てはいるが、その盛り上がりは王都暮らしで見て来た祭とは大分印象が違うのだ。それをどう説明すればいいのか少々悩んでしまう。
「ええと、大体秋になると畑の作物を狙って、魔獣が森から出て来るんだけど、それを誘い込む用の畑があって」
「誘い込む用!?」
「それは興味深いですな。是非詳しく」
ユリが驚いて目を丸くしていると、隣で聞いていたソウヤも前のめりになっていた。気が付くとクロウを始めとする大公家の護衛達もクロヴァス領の収穫祭に興味津々な様子だった。
「芋を狙って来るのは殆どがワイルドボアだから、森の奥から誘い込みたい場所に向かって数日前から野菜クズを播いておくんだ」
ベテランの猟師が群れの移動ルートを見極めて、数日掛けて目的の場所まで誘導するように仕向けるのだ。これには相当の経験と技術が必要なので、レンドルフが手伝えることはない。
レンドルフの役目は、収穫当日に誘い込む為の森に近い場所に作られた畑で、土魔法を使って一気に地中から芋を地表に掘り出すことだ。厳しい北の辺境領の冬に向けて栄養を蓄えねばならない獣や魔獣達は、この時期とにかく食欲を優先にする本能がある。近くまで誘導された魔獣の群れは、それこそ鼻先に一気にごちそうを並べられたような状態になり、周囲を警戒せずに森から飛び出して来るのだ。
「その群れが畑の中に入ったら、土魔法で高い壁を作り出して封じ込める。群れのボスだと思うヤツを狙うから、完全に全部封じ込めることは出来ないんだけど。あ、でも一度だけ成功したことはあったな。あれは結構嬉しかったよ」
「それでそれで?その封じ込めたボス達はどうするの?」
「壁の上に火魔法を使える騎士が待機してて、上から魔法を放って中を一気に焼き上げるんだ。その役目は『誉』って言われてたよ。大抵兄か父が担当してたな」
レンドルフの記憶の中には、高くそびえ立つ程に作り上げた土の壁の上に真っ赤な髪で真っ赤な目をした大柄の騎士が立っている。赤いマントに金色のフェニックスを模したと言われるクロヴァス家の紋章が風にたなびく様は、子供心に憧れたものだった。そして壁の中に火球を放り込むと、真昼の空が赤く染まる程の巨大な火柱が壁の遥か上を越えて立ち上り、その炎をものともせずに佇む騎士の髪やマントが上昇する熱風で吹き上がる。その瞬間を目撃すると、周囲を固めている騎士や領民達から雄叫びのような歓声が上がるのだ。
その光景を懐かしく思いながら、時期的にはもう既に終わっているであろうクロヴァス領の収穫祭で今年の「誉」を取ったのは誰だろうと思いを馳せた。基本的には当主である長兄ダイスが務めることが多いが、次期当主のレンドルフよりも年上の甥が務めているかもしれない。
「レンさんはやらなかったの?」
「俺は火加減が上手くなくて。火力の制御に長けた人間がやると、肉と芋の焼き加減が絶妙なんだ」
「焼き、加減…?」
「うん。焼き上がるまで壁で囲めなかった獲物は周辺で待機してる者が倒して、野菜と一緒に煮込みにしたりして待って、火が消えたら壁を崩して焼き上がった肉と芋を食べながら宴会になるんだ。あちこちから酒を持ち寄ったりして。」
「それは…すごく盛り上がりそうね」
領主城のある領都の端で行われる行事だが、そこで振る舞われる料理は次々と街中にも運ばれて行く。戦闘に向かない領民は後方で調理を担当したり配達を任されて、日が暮れて夜になる頃には領都のあちこちで酒や食べ物がふんだんに振る舞われ、人々は歌ったり踊ったりしながら一晩中盛り上がるのだ。
実のところ最前線とも言うべき森の近くにいる者は、領都に食べ物を行き渡らせる為にある程度食べたら腹ごなしに軽く森に入って魔獣討伐を行っている。酒だけでなく炎の熱や血の匂いに本能が酩酊するのか、その場は戦場と饗宴が混沌とした場所だ。最初は綺麗だった鎧や防具などもしまいには血と土にまみれ、誰よりも先陣を切って森に突入して行くレンドルフの父はどう見ても山賊か熊であるし、兄は一応当主なので無茶はしないように周囲に止められるが、代わりに当主夫人の義姉が突っ込んで行くのに着いて行ってしまうので、どう考えても蛮族の集まりだった。王都の祭とはあまりにもかけ離れていた。
「一晩中食べて飲んで戦って…で、朝になるともうみんなドロドロになってる」
「私の知ってる祭と違い過ぎる…」
「この辺はさすがにそこまでじゃないけど、収穫を狙って魔獣が出るかと…思って…」
レンドルフは重装備で来てしまった時の恥ずかしさを思い出したのか、見る間に顔が赤くなって両手で覆ってしまった。周囲は内心「乙女か」とツッコミを入れていたが、さすがに気の毒過ぎて口には出せない。
「でもレンさんは守ってくれようと思ったんだよね?その気持ちは嬉しいよ」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、今日は会えるのが楽しみで浮かれてたみたいだ…本当に魔獣が出ても役立たずになりそうだから、違ってて良かったよ」
「…そっか、楽しみにしてくれてたんだ」
顔から手を離して眉を下げているレンドルフの言葉に、ユリは小さく嬉しそうに呟いたのだった。
今年の収穫祭はレンドルフの甥(年上)が誉の担当をしましたが、土魔法士が作った壁よりも高い出力で火魔法を使用してしまった為に壁が溶けて、溶岩焼きになったワイルドボアと芋が炭と化しました。その為しばらく領民から「三代目炭様」と呼ばれていました。前当主、現当主も同じことをしているので、ある意味お家芸のようなものです。