366.ハンカチ選び
まだ夕刻の時間帯だからか、店内は若い女性がそれなりに入っていた。
そこに明らかに場違いな大柄を通り越して巨体としか言いようのない男性がノソリと扉をくぐって入店したので、一瞬だけ店内は静まり返った。しかしそのすぐ後ろに続いて入って来た小柄な可愛らしい顔立ちの連れらしき人物が袖を引っ張るようにハンカチなどの布製の小物を陳列してある棚に連れて行ったので、店内にいた女性の半分程が恋人に連れられて強引に付き合わされたのだろうと予測して急に和やかな空気になった。
こういった可愛らしい店に連れて来られた男性は、恥ずかしいのか不機嫌そうな様子を隠さなかったり、尊大な態度で店内の商品を鼻で笑ったりすることも多いのに、その男性は少々照れくさそうに顔を赤らめているが雰囲気は柔らかい。しかも会話の内容は小声で分からないが、あれこれと隣の相手に聞いている様子は何とも微笑ましい。確かに体格は規格外に大柄だが、周囲に気を配って移動する姿にすぐに店内にいた女性客達は警戒を緩めたようだった。もっとも店員は、彼の背後にさり気なく回ってガラス製品などに引っかからないように整頓するフリをしてそっと位置をずらしたりしていた。
「この辺とかどうです?可愛い感じですけど子供っぽくはないし」
「そうだな…他の色とかはないのかな」
恋人同士と思われたのは、他でもなくレンドルフとショーキであった。ショーキの方は可愛らしいタイプの顔立ちで男性にも女性にも取られることは多いし、隣にレンドルフがいるのでいつも以上に華奢に映るので何となくそう見られてそうだと察していたが、レンドルフが気付いていないので別に黙っていればいいかと思っていた。
ショーキが指差したのは、淡いピンク色のシルクのハンカチにスマートな黒猫が刺繍してあるものだった。スラリと伸びた尻尾のデザインがどこか上品で、確かに子供っぽい印象ではない。
「他の色ですか?こっちに黄色のがありますけど」
「ええと、猫の瞳の色が…」
「聞いてみましょうか」
その猫の目の色は、黄色い糸で刺繍されていた。幾つか同じ人物の作品なのか色違いのハンカチはあったが、どの猫も黒の毛並みに黄色い瞳をしている。
近くにいた店員に聞いてみたところ、残念ながらこの作者の猫シリーズは飼い猫をモデルにしているらしく全て黒猫で瞳が黄色いそうだ。
「こちらは不思議な生地ですね」
「そちらは先月から販売を始めたばかりのお品でございます」
他に何かないかとレンドルフが視線を上げた先に、棚の一つを丸々使って、更に上から吊るしてあるように広げて展示してあるハンカチが目に留まった。
色は白のみなのだが、半透明なような不透明なような、角度で印象が異なる。そして光を受けて虹色の柔らかな光を反射していた。
「縦糸を養殖アラクネの糸を、横糸をシルクで特殊な織り方をして作り上げたものです。薄くて手触りも良い上に吸水性も抜群という特性を備えております。今のところこのお色しかございませんが、飽きの来ない風合いですのでどんなシーンでもお使いいただけるかと」
「養殖アラクネなら安全ですね」
「さすが騎士様。お詳しいですね」
アラクネは蜘蛛系の魔獣でその作り出す糸には弱毒性があって、その糸で作った巣に掛かった獲物を弱らせて補食する性質がある。しかしその糸は伸縮性に富み非常に丈夫だということで、長年の研究で人工養殖に成功しているのだ。野生のものに比べると体は半分以下の大きさなので取れる糸は少なくなるが、性質はそのままに毒性を抜くことが可能になった。まだそこまで大量の養殖は実現出来ていないので大分高価になってしまうが、使い道は多い為需要も高い。
今のところ最も多いのは医療関連で、回復薬や治癒魔法が効き辛い患者の傷口を縫う為や、火傷の治療の為の一時的な人工皮膚として利用されている。
「太さにムラのあるものを縦糸のみで使用することにより、このように独特な輝きをもった布に織り上げることが可能になりました。性質上染色や刺繍の技術は確立しておりませんが、これから人気が出て入手困難が予測されますので、お求めになるなら今のうちです」
「それではこちらを…二枚、包んでもらえますか」
「ありがとうございます」
一枚でも小さいが質の良い宝飾品が買えるくらいの金額だったので、ショーキはあっさりと購入を決めるレンドルフに、やはり貴族だったんだな、と顔には出さないが改めて思った。
「今日は付き合ってくれてありがとう。ショーキの実家では沢山買わせてもらうよ」
「いいですよ、そんなに気を遣っていただかなくても」
「大丈夫だよ。食べられるだけにしておくから」
「あ、ありがとうございます」
レンドルフは体格に見合った大食漢なので、食べられるだけと言ってもかなりな量だ。そこまで大繁盛している訳ではない個人商店なので、日持ちのしないものは閉店までにほぼ売り切れるような量しか作っていない。そうなると、休みの日などにまとめて作るクッキーなどの保存の利くものしか残っていないので、レンドルフがそれを駆逐してしまったら今夜は兄姉達が総出でクッキーを焼くことになりそうだった。
とは言ってもそこは商売人であるので、レンドルフが求めるだけ大喜びで売るだろう。そして「何故もっと早く連絡を寄越さなかった」と姉達に後で文句を言われるだろうことも予測が付く。売り切れた商品の補充の大変さもあるが、どちらかと言うとそれならもっと商品を用意しておいたのに、という方向での文句だ。
ショーキはやれやれと思いつつも、自慢の先輩を家族に見せられるというちょっとした優越感も持って、買い物を終えたレンドルフを実家の商店に案内したのだった。
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「お嬢様、本日は早めにお休みくださいとあれほど」
「待って、あとちょっとだけ」
「お手紙は逃げませんよ」
「…逃げるかもしれないわよ」
いつもよりは早いが、昼間に負った怪我のせいで疲労している筈と寝る準備を早々に整えられたユリだったが、それでもベッドには素直に入らず机に向かって手紙を眺めていた。いつまでも消える気配のない部屋の明かりに、専属メイドのミリーがティーワゴンを押して呆れた顔で部屋を訪れていた。
すぐに魔法で怪我を完治させたと言っても血は流れているし、元々治癒魔法も回復薬も当人の持つ回復力を強引に底上げして傷を治すものなので体力が削られるのだ。魔力の高い者や繊細な制御力を持つ者などは、自身の魔力を負傷者の力に上乗せしたり、必要最低限の負担で最大の効果を上げることが可能だが、それでも体力を削られるのはゼロにはならない。闇雲に効果の高い回復薬を使用しても却って逆効果になることもあるので、怪我に比例した正しい効果のものを正しい量で摂取することが最も肝心なのだ。
ユリもいつもよりハッキリと疲労感は自覚していたが、寝ようと思った矢先にレンドルフからの伝書鳥が届いたのだ。レンドルフにしては珍しく遅めの時間ではあったが、それでも子供でもない限り大抵は起きている程度の刻限だ。全く非常識でもなんでもない。
ユリは帰宅してすぐに、レンドルフに別れた後に起こった出来事をかいつまんで手紙に書いていた。絶対に心配させてしまうのは分かっていたが、別の者からレンドルフの耳に入ってしまう方がより心配をさせてしまうと思って早めに報せることにしたのだ。
怪我の詳細については記載しなかったが、実際軽傷ですぐに治療してもらったのであくまでも心配しなくていい、と軽めに書いた。が、それを読んだレンドルフから、珍しくギルドカードに直接連絡が入っていた。ギルドカードは喋った声を文字にして送るものなので、長いメッセージは無理だが緊急の伝言などを送るのには向いている。レンドルフは手紙を書くことももどかしかったのか、動揺がそのまま文字に変換されたメッセージを送って来たのだった。
ユリはまるでレンドルフの心配そうな声がそのまま聞こえて来そうなメッセージを読んで、悪いとは思いつつ思わず微笑んでしまった。それにユリも「大丈夫だから」と返信したが、どこまで伝わったかは無機質な文字になると分からないかもしれない。それでもすぐに返信したので、ユリが無事なのは伝わるだろう。
そしてその後、随分と時間を空けてレンドルフからお見舞いの品と手紙が届いたのだった。
「こちらのお茶を飲みましたら、お休みになってください」
「…分かった」
ミリーはよく眠れるように配合されたハーブティーを注いだカップを机の上に置くと、部屋の隅に置かれた椅子の上に腰を降ろした。いつもならば一人にしてくれてるのだが、どうやら今回はユリがちゃんとベッドに入るまで部屋を出るつもりはないらしい。
「…ねえ、ミリー」
「寝る前のお茶のお代わりはお勧めしませんが」
「違うわよ!…この、ブローチに合うような服ってあった?」
ユリが振り返って、手に乗せた小ぶりのブローチをミリーに見せた。ミリーはそのブローチを眺めて、あまり感情を出さないようにしてはいたが、薄く眉間に皺が寄っていた。透明なピンク色の石が付いたブローチで、石の周囲を包む金属の台座は鳥とリボンの意匠が施されている。しかし、石も台座の金属も見るからに安っぽく全く重みのないものだった。この平民の子供が身につけるようなおもちゃのアクセサリーは、先程レンドルフが送って来た伝書鳥に同封されていた物らしい。何故ユリにこんなおもちゃを贈って来たのか分からないが、ミリーはあまり良い印象を受けなかったらしい。
「これ、石の中に一度だけ身を守れるお守りが入ってるんだって。そんなに強力じゃないみたいだけど、骨折を打ち身に出来るくらいの効果はあるみたいよ」
「そんなものがあるのですか?」
「魔道具や装身具とは違う魔法陣を設定してあるみたいね。多分、七歳以下の子供の為の護身具じゃないかしら」
「子供用をお嬢様に?」
「子供じゃなくても使えるわよ。レンさんは私のことを心配して選んでくれたんだから」
「それは…あの方のことですから…」
しかし見た目はどう見てもおもちゃで、ユリのような成人女性が身に付けると浮いてしまう。さすがにユリも使いどころが分からず、どんな服に合わせたらいいか相談したかったのだろう。
「きっと慌てて機能だけを見て選んだのよ。だっていつもはレンさんのくれるものって良いものばかりだもの」
机の上に並べたレンドルフからの贈り物を入れてある保存用のガラスケースに、ユリは軽く指を滑らせた。さすがに食べ物は保存していないが、花や包み紙はしっかりと取っておいてある。こんなに全てを並べてあるのは自分でもどうかしている行為だと自覚はあるので、レンドルフ当人にも知られたくはない。
「それに、一緒に贈ってくれたハンカチはとても素敵よ。新製品だって」
ユリの手の中には、一見白い刺繍もないシンプルな生地だが角度によっては虹色の艶が上品で美しいハンカチが握られている。
「多分、私の手紙を読んですぐに買いに行ってくれたんじゃない?本当にもう…」
ハンカチとブローチを手の上に乗せて、ほんの少し眉を下げて困ったような表情になりながらもユリの目は嬉しそうな色を湛えている。ミリーはその顔を見てしまうと、ユリの希望に添う為にはどうしたらいいか全力で頭を回転させる。
色々と試した結果、ユリの手持ちの平民風の服のどれにも似合う物はなく、目立たなくはなるが常に持ち歩いているポーチの金具部分と一体化するような位置に留めることにした。
結局二人で試してみるのに夢中になって、ユリの就寝時間はほぼいつもと同じくらいになってしまい、ミリーは後に一人で反省会を開いたのだった。