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365.嬉しくない再会


一度収束しつつあった場が、一瞬にして騒然となった。


男が突然女性に襲いかかって、その女性が怪我をしたのだ。しかもユリの場合は、遠目でならば身長だけは子供に見えなくもないから余計に凄惨な場面に見えたのだろう。犯人はすぐに取り押さえられたが、地面に座り込んだ女性の片腕が真っ赤に染まっているのを見れば再び混乱になりかけた。


「何事だ!」


騒ぎを聞きつけたのかフロルがテントの中から飛び出して来て、すぐに負傷しているユリに気付いて顔色を変えた。


「ここは私が」


駆け寄ろうとしたフロルを遮るように、ユリの側に小さな影が立った。


「あなたは…」

「お久しぶりです…と言っても私が一方的に覚えているだけでしょうけれど」


ユリの近くに立って見下ろして来るのは、神官服を着て癖のない真っ直ぐな黒い髪を一つに束ねた濃い緑色の瞳の少年だった。その神官服は見習いのものではなく、正式な神官が纏うことが許されているものだ。まだ10歳前後にしか見えない少年がそれを着ているということは、よほど強い聖魔法を扱えるということだろう。


「失礼します」


少年はユリの傍らに膝を付いて、怪我をしている腕の上に手を翳した。彼の掌から光が生じて、ユリの傷の上にフワリと吸い込まれた。


「…すごい」


ユリの体を支えるようにしていたサティが、目の前で起きている奇跡のような治癒に思わず声を上げていた。先程ナラティに噛まれた傷をフロルの治癒魔法で治してもらったが、それよりも範囲が広い傷が一瞬で綺麗に消えてしまった。フロルとて優秀な治癒魔法士なのは間違いなかったが、この少年の魔力は桁が違った。彼は「久しぶり」と告げて来たが、ユリの記憶にはそれらしき神官の知り合いはいない。だが、年齢とこの強力な治癒魔法の使い手は心当たりがあった。


「貴方様は…」

()()()と申します。以前お会いした時は、名乗る余裕もありませんでした」

「お会いしたとのことでございますが、失礼ながら記憶にありませんことお詫びいたします、ハリー様」

「あの頃とは随分様変わりしましたから、仕方がありません」


まだ幼さを残してはいるが、将来は誰もが振り返るような美青年に成長するだろうと予想のつく面差しの少年は、全く隙のない微笑みをユリに向けた。


白の聖人、ハリ・シオシャ公爵令孫。

この国には珍しい死に戻りではない純白の髪を持ち、五年前に史上最年少で聖人に認定された有名人だ。認定を祝う夜会で遠くから見ただけでありながら、何故か先日当人たっての希望でユリに縁談を申し込んで来たその人物に間違いなかった。



「少しだけお顔に触れても?」

「あ…いえ…そこまでしていただかなくても」

「女性の顔にそのような痣があっては、見過ごすことは出来ません」


先程腕の傷を治した時は触れていなかったので、それよりも軽傷な打ち身で触れて来る必要はなさそうなのでユリとしては断りたいところではあったが、チラリとエマとサティに視線を送ると「是非とも治してもらってください!」と必死の思いを目だけで訴えていた。更に犯人を押さえ込んでいたフェイも同じ思いのようだ。彼らは護衛として付いていたのにユリに怪我をさせたことで、レンザから執事長経由でキツいお咎めがあるだろう。しかし既に完治した状態とそのままとでは絶対に心証が違うのだ。

ユリとしてもレンザに必要以上の心配はかけたくないので、仕方なく頷いて許可をした。


「失礼します」


ほっそりとした女性のような柔らかな手がユリの頬に触れた。力仕事や水仕事などとは無縁の滑らかな感触に、ユリは少しだけナメクジを想起してしまい、背中に軽く震えが走る。「ハリー」はほんの一瞬だけそのまま動きを止めたのでユリは急かそうと口を開きかけたが、それを察したのかすぐに温かい魔力が流れ込み、反対に顔に籠っていた熱が引くのを感じた。


「これで完治しました」

「…ありがとうございます」


手が離れた瞬間、ユリは体勢を立て直すように身を引いて、深く頭を下げた。身分だけで言えばユリの方が上なのだが、ここはただの「薬師見習いのユリ」で通さねばならない。それにいくら避けたい相手でも傷の治療をしてくれたことには感謝している。


「助かりました。私は王城魔法士治癒部隊、責任者のフロル・ゲイルと申します。中央神殿の方でしょうか」

「はい、ハリーと申します。まずは患者の鑑定を、と言われていますが」

「あちらのテント内に重症者と思われた者を集めております。現在は症状は落ち着いていますが、確認をお願いします」

「では早速始めましょう。それではユリ様、どうぞお気を付けて」

「は、はい…」


本来ならばすぐにでも患者を鑑定してもらうべきだったのだろうが、フロルはユリの治療を終えるまで待っていてくれたようだ。彼は柔らかな物腰でユリに軽く一礼をすると、年齢に似つかわしくない程艶やかな笑みを浮かべてその場を立ち去った。


その微笑みは周囲が溜息を吐く程の美しさだったが、ユリだけは眉間に皺を寄せて、痛みのなくなった頬をグイと袖で乱暴に拭ったのだった。



-----------------------------------------------------------------------------------



テントの中にいた患者は命に別状もなく既に殆ど回復している者もいたが、念の為に中央神殿に運ばれることになった。ナラティもイクシアが付き添って運ばれて行く。フロルが付き添いの制限をしたので、懲りずにそのまま合流しようとしたノリガル男爵令息はきっちり排除されていた。やはりその場で恫喝とも取れるような苦情を申し立てていたが、皆慣れているのか上手くあしらっているようだった。


ユリを襲った獣人らしき男は後で警邏隊に引き渡すとして果樹園の警備員が連行して行った。男は連れて行かれるまでずっと「あいつがオレの家族に危害を加えた」と主張していたが、体から酒の匂いが染み付いていたことと、家族という割に名乗り出る連れが誰もいなかった為に酔った上の妄想と判断された。それに周辺が治療の手伝いをしていたユリに突然襲いかかったことを証言したので、男の主張は誰も聞く耳を持たなかった。


「今日はあまり出歩かない筈だったのに、色々あり過ぎて疲れた…」

「大丈夫ですか?どこか痛むところやご気分が悪いことは…」

「それは大丈夫。どっちかと言うと気疲れかな」


別邸に戻る馬車の中で少々だらしがないと言われそうな恰好で脱力して、ユリは深々と溜息を吐いた。


ユリが急病人が出たことで駆け付けた緊急の救急部隊の手伝いに参加したことや、負傷したことはもうレンザに報告が行っている筈だ。偶然に変装して身分を隠してやって来たハリ・シオシャ公爵令孫との出会いについては報告者が気付いたかは分からないが、戻ったらユリからも知らせておいた方がいいだろう。


(…あれは偶然なのかわざとなのか)


少なくともあのサンバマッシュルームの変異種が引き起こした体調不良は意図的に起こせるようなものではないので、そこにユリが居合わせることも、不審者に襲われて負傷することも予測不可能だ。神殿がわざわざ聖人をああいった現場に向かわせるのは本来有り得ないことだが、もしかしたら年齢的にはまだ経験の浅いハリを一神官として学ばせようと考えたのかもしれない。

実際ユリと顔を合わせたのは五年前の王家主催の夜会なので、その時のユリは変装の魔道具を使用していないし、きちんと正装をしていたので今の姿とは大分違っている。それでも(たが)うことなくユリに声を掛けて来たのは、彼が「真実の目」という鑑定魔法の上位能力のような加護を持っているからだろう。


シオシャ家から来た縁談の打診はレンザが断っているのではあるが、あのハリの態度からするとまだ諦めていないようにも感じられた。ユリとは10歳近く離れているので、何故彼がユリとの縁談を希望したのか甚だ疑問であった。ユリ自身、その手の出来事からは避けて無縁で過ごして来たので確信はないが、彼の目にはユリに対する恋情はなかったように思えた。では大公家の財産や権力を欲しているかというと、それとも違うような気がする。

ハリはシオシャ公爵家を継ぐことはないが、史上最年少の聖人として彼の将来は保証されている。信仰している宗派によっては神職は婚姻できないとしているところもあるが、この国では基本的にそういった決まりはない。少年にも関わらずあれだけの容姿と、()()()()()()王族の血筋であるので年相応の相手には困らないだろう。


一体ハリが何の目的でユリとの縁談を望んでいるのか全く予想も付かず、ただ頬に触れられたしっとりとした指先を思い出して、ユリは再びその頬を袖口で拭ってしまった。



-----------------------------------------------------------------------------------



「ショーキ!今時間あるか!?」

「え?あ、はい。もう待機任務は終わりましたんで大丈夫です」

「その、見舞いの品、教えてくれないか」


待機任務の為に寮の中で過ごしていたショーキは、終業時間になったので夕食の為に食堂に向かっているところに血相を変えて駆け寄って来たレンドルフに目を瞬かせた。もうすっかり慣れているのでショーキはどうということはないが、近くにいた別部隊の騎士が「ヒッ」と声を上げて後ろに飛び退いているのが視界の端に入った。やはり慣れていないとレンドルフの巨体が駆け寄って来るのは恐怖に感じるらしい。


「見舞い、ですか?どなたか怪我か病でも?」

「知り合いが怪我をしたと聞いて、すぐにでも見舞いを贈りたいんだが、この近くでいい店はないだろうか」

「ええと…相手の方にもよりますが…ちょっとレンドルフ先輩、落ち着きましょう」

「あ、ああ…そうだな」


普段は必要以上に人を威圧しないように穏やかな雰囲気を纏っているレンドルフにしては、珍しく慌てていて余裕がない。ショーキは自分の太腿よりも確実に太いレンドルフの二の腕辺りを軽くペシペシと叩いて落ち着くように促した。


食堂とは反対側になるが、少し話を聞かせて欲しいとショーキはレンドルフを休憩所と呼ばれている庭園に誘った。天気の良い日などはそこで昼食や休憩を取る騎士達で混み合うこともあるが、日が沈むと冷えて来る季節になったので今の夕刻の時間帯は殆ど人はいなかった。


「その怪我をされたのは女性です?」


あまり人目に付かない木の陰にあるベンチに並んで座ってショーキが切り出すと、レンドルフは驚いたように目を丸くした。


「男の人なら僕にアドバイスを求めないでしょうし、それにそんなに焦らないでしょう?…もしかしてお付き合いしてるカノジョさんですか?」


夕刻のオレンジ色に照らされた中でも、レンドルフの白い肌が赤くなったのはハッキリと分かった。大きな体で背中を丸めるようにしてオロオロしている姿は、年上なのに妙な可愛らしさがあって、ショーキは何となくこういうところが女性にウケているんだろうな、と納得してしまった。もっともレンドルフ当人は自分が女性に密かにモテているのに全く自覚がないが。


「治癒院に入院したとかなら今から行くのは避けた方がいいと思いますけど」

「いや、軽傷で、既に治療はしてもらったらしい。もう自宅に帰っているそうだ」

「それは良かったですね。じゃあ後日改めて必要なものを聞くとして、ひとまずお花と…お好きなお菓子とか、何か残るものならこれからの季節ショールみたいな軽い羽織り物とかなら用途は広いから良いかもしれません。あ、いくら軽傷でもお酒の類は避けた方がいいと思います。それと、どんなものでも絶対にカードは付けるのは必須です」

「その、出来れば伝書鳥で送れるくらいなものがいいんだが…」

「ええと…速達配送にすれば、王都内なら今からでも今日中に送れると思いますよ?」

「いや、家を知らないので…」

「はぁ!?」


全く予想もしていなかったレンドルフの答えを聞いて、驚きのあまりショーキは先輩であることをも忘れて大きな声を出してしまった。遠征先で宿泊所などに落ち着くとすぐに伝書鳥を飛ばして、返って来た手紙を嬉しそうに眺めている姿を幾度となく見ていたショーキは、まさかレンドルフが相手の女性の家すらしなかったことに愕然としていた。


「ほら、見知らぬ大男が家を知っていたら怖いだろうし…」


ショーキが明らかに驚いているのを悟ってレンドルフはボソボソと呟いていたが、ショーキは「見知らぬって!」と心の中で力の限り盛大なツッコミを入れていた。ほぼ毎日のように伝書鳥をやり取りしていて、休みの日に限らず高頻度で夕食を一緒に食べる為に出掛けているのにまさかそんな認識を持っているとは思いもしなかった。


(え?何?これって貴族の常識なの?)


貴族は基本的に家名を告げれば住まいを教えたも同然なところがある。家名を知っている相手に何かを送る際も、配送業者に家名だけ記入すれば何とかなってしまう。確実に王都内にいるのか、領地に戻っているのかが分かればそれを付け加えるだけで事足りてしまうのだ。もし別荘や複数のタウンハウスのどこかにいたとしても、受け取った使用人が当人のいるところへ回せばいい。そうではない平民などは住所を知っておく必要がある。色々な事情で所在を知られたくない場合は、近くのギルドに申請しておけばギルド内に留め置いてくれるので、自分でそこまで回収しに行くようになっている。


(先輩、詐欺とかにあってる訳じゃないよな…)


思わずそんなことが頭をよぎったが、真剣な様子のレンドルフにそれを聞くことは憚られた。


(それに多分相手はあのユリさんて薬局の人だよな。あの人ワケアリみたいだし、仕方ない…ってことにしとこう。何かあったら怖いし)


ショーキはリス系獣人の危機回避能力が先祖返りしているのか、強い魔力、特に特殊魔力を個別に感知が可能だ。レンドルフにも言っていないが、ショーキはその能力で変装していてもユリを的確に認識している。特殊魔力は色々と厄介ごとの元になったり縁談などに悪影響を及ぼすので、魔道具などで魔力を押さえて隠し通すことが大半だ。それもあって、彼女もレンドルフに自宅を教えたがらないのだろうと納得した。ショーキもユリが秘密にしている以上、特殊魔力のことはレンドルフにも言うつもりはない。

それに単純に、ユリの高濃度の特殊魔力が本能的に恐ろしいというのも理由だった。迂闊なことを言って敵に回しては絶対いけない人物だと本能が告げている。


「僕もどこまで伝書鳥で送れるかは試したことないんですけど、ハンカチとか小さな宝飾品とかくらいなら可能じゃないですかね?」

「この指輪なら大丈夫なのは分かってる。そうか、ハンカチならそんなに重くないか…」


レンドルフは親指に嵌めている指輪を示す。少し大振りの偏光色の入った石がシンプルで丈夫そうな指輪に半分埋まったようなデザインのものだ。レンドルフが嵌めていると普通サイズに見えるが、重さもそれなりにあるだろう。何故自分の指輪を相手に送ったのかはショーキには分からないが、内心結構重いものも送れるんだな、と密かに参考にしていた。


「じゃあ、店が閉まる前に行きましょうか」

「いや、場所を教えてもらえれば」

「話を聞いたらレンドルフ先輩が何を選ぶか気になっちゃって。案内しますんで、何選ぶか見せてください」

「あ、ああ。ありがとう」


ショーキはベンチからヒョイと立ち上がると、レンドルフを先導して王城の通用門へと向かった。ショーキの知っている店は、レンドルフが一人で入るには少々気の毒な可愛らしい場所しか知らないというのもあったし、今のレンドルフならすごい勢いで店に突進して行きそうな心配もあった。誰かと一緒ならば多少は落ち着いて行動もするだろうというショーキなりの気配りだった。


「そこの店、ウチの実家の近くなんです」

「じゃあその後で焼き菓子を買わせてもらうよ」

「毎度です!」


先輩思いでもありつつ、ちゃっかりしている後輩なのであった。


お読みいただきありがとうございます!


何故かハリがなかなか登場してくれなくてどうしようかと思いましたが、ようやくのお出ましです。そして思ったよりも早くレンドルフが戻って来ました(笑)

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