362.違和感のある患者
怪我の表現があります。ご注意ください。
ユリは自分の知識で分かる範囲で集められた食材を確認し、後は鑑定が出来る専門家に任せるところまではやり切った。結局、サンバマッシュルームの変異種を見付けられただけだったが、やはり体調不良を訴えた患者の半数以上がその変異種が影響しているのではないかと思われたので、回復薬よりも効果のある胃薬を投与したので事態は収束に向かったようだった。
しかしその変異種が原因かどうか不明な者が数名いて、胃薬を投与して多少の軽減はあったものの、まだ目を離すには不安の残る様子だったのだ。これは当人の体質や、食べ合わせなどの問題だと考えられたが、万一毒物や感染症などの可能性も鑑みて中央神殿に運ぶことにした。今は神殿から迎えが来るまでフロルが治癒魔法を使って少しでも症状が治まるように付きっきりで看ていた。それこそ毒物の性質によっては、回復薬や治癒魔法が却って活性化を促すこともあるので細心の注意が必要だ。そして感染症ならば側にいる者にうつらないとも限らない。それを十分理解しながら、この場では責任者であるフロルが付いているのだ。
ユリは隔離用の磨りガラスのようなシートに覆われたテントの中で、一人奮闘しているのがうっすらと確認出来るフロルの姿を、祖父レンザの姿に重ねていた。かつてレンザもこうして急病人と居合わせた時に、万一感染する病であることを考えて周囲を遠ざけてレンザ一人で患者に向き合っていた。そして医師が到着するまでその場で薬師として出来る限りの手を尽くしていたのだ。ユリはそのレンザの頼もしい姿を、似ても似つかないフロルの背中に見た気がした。
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ユリはふと、その隔離された場所の近くで不安気な顔をしながら座り込んでいる人々がいるのが目に入った。確かまだテントの中にいる患者の家族や連れだと聞いている。
その中で、ピンクブロンドの豊かな髪に蜂蜜色の瞳をした女性が目に留まった。年の頃は20代半ばくらいだろうか。抜けるような白い肌に、華奢な骨格でありながら肉付きの良いところは良い目を惹く肢体だ。身内がまだ隔離されていることに不安が隠せないのか、顔色は悪く今にも泣き出しそうに大きな目を潤ませている。その姿は庇護欲をそそり、同性のユリでも思わず声を掛けて励ましたくなるような儚さがあるせいか、周辺の男性が何人もこんな状況でも彼女に不躾な視線をチラチラと向けていた。
その隣で連れらしき同年代かと思われる男性が、彼女の肩を抱きかかえるようにして何かしきりに話しかけている。痩せ形で不健康そうな顔色の男性だったが着ているものは上質のもので、裕福な家の者だというのはすぐに分かる。社交をしないユリにはその男性が貴族なのかは分からなかったが、随分と彼女と親しいのか距離が近い。
一瞬、夫婦か恋人なのだろうか、と思ったが、すぐにどこか違和感を覚えた。
(何だろう…別にあの人達はキノコじゃないのに…)
人に対するぼんやりとした違和感の正体が分からず、ユリは立ち止まって考え込む。これならまだサンバマッシュルームの変異種の方が分かりやすかった。
「まだ神殿からの迎えは来ないのかっ!」
フロルの声が響いて、ユリはハッと我に返った。彼女は隔離患者の様子を見ながら治癒を行っているが、鑑定魔法が使える魔法士が来ないと強い治癒魔法が使えず痛みを軽減させることしか今は出来ないのだ。医療系の鑑定魔法を扱える魔法士はいるのだが、体調の良し悪しを診られるだけなので、原因まで突き止めることが出来なかった。闇雲に治癒魔法で強引に治療しても悪化することや、予後に悪影響が出る可能性もあるので、迂闊に手を出せないのだ。どんな原因でも関係なく治癒魔法だけで完治できるとすれば、聖女、聖人クラスの強力で膨大な魔力の持ち主くらいだろう。
「何かありましたか?必要な薬があればご用意しますが」
「ああ、ユリ殿か。……頼みたいことがある。すまないが、マスクを付けて入ってもらえるか。難しければ断ってもいい」
「構いません」
隔離用のテントに近寄ってユリが声を掛けると、フロルと思しき青い影が揺れ動いた。そしてほんの僅かではあるが逡巡するような間があって、中に入れるかどうかと問われた。断ってもいいと言われたが、ユリは即答で承諾すると、常に持参しているマスクを身に着けて躊躇なくテントの中に入った。これは花粉などに毒性を持つ薬草の手入れなどに使用するものなので、もし感染症だったとしてもそれなりに防波堤にはなる。
出入口は二重になっているシートを捲って中に入ると、まさかこんなにすぐに入って来るとは思わなかったらしいフロルが目を丸くしていた。彼女もマスクをしているが、思いの外表情は読みやすかった。
「体調が戻らない患者は、吐かせるとかなり改善しているのだが、この子供だけがどうしても吐かせることが出来なくてな。ユリ殿の小さな手なら出来るかと思ったのだが、大丈夫だろうか」
「はい。経験もあります」
「助かる」
グルリとテントの中を見回すと、大人が四名と子供が一名が横たわっていた。フロルは子供の側に膝をついて手を握り締めていたが、その子供の症状が一番重いように見える。少なくともユリの目にはグッタリはしているが、大人の中には急を要するような症状の者はいなさそうに思えた。
子供は五歳くらいの女の子で、幼い子供特有の細く柔らかな質のピンクブロンドを背中の半ばまで伸ばしていた。目を閉じてグッタリしていて顔色が紙のように白い。しかしその髪色だけで、先程目に留まった女性と血縁があることはすぐに分かった。
「意識は」
「ある。が、いくら言い聞かせても口を開いてくれんのだ。私一人では力の加減が難しいので、ユリ殿に協力願いたい」
「分かりました」
ユリは手持ちの手袋の中から一番丈夫なものを取り出して嵌める。抵抗されて噛み付かれても負傷しない為だ。とは言っても圧迫に対しては効果はないので、思い切り噛まれればそれなりに痛みは感じるだろうが、とにかく今は吐かせてしまった方がよさそうだった。多少の怪我をしても、それこそそちらの方は後から回復薬でどうとでもなる。
フロルが子供の背後から羽交い締めのように抱き起こして、暴れないように腕と顎を固定する。グッタリしていた子供は抵抗する気力もないのか、クテクテとした感じで自力で座ることも難しいようだ。それでも自分の足の間に挟み込むようにしてフロルが体勢を整えると、子供の顎を掴んで口をこじ開けた。
「ぃやっ…!」
その状態になって必死になったのか、子供がフロルに抱きかかえられながらももがいている。しかし彼女は暴れる患者には慣れているのか、そこまで力を入れているようではないのに的確に押さえ込んでいた。
ユリは片手でフロルがこじ開けた僅かな口の隙間に指を差し入れて、グッと押し込んだ。小さな子供の口ではあるが、ユリの小さな手ならばスムーズに舌の奥に届く筈だ。
「!?」
指を噛まれることは想定内だったが、丈夫な筈の手袋を突き破って尖った歯がブツリと手袋もろとも皮膚に突き刺さった感触がした。しかしそれに構わずユリは奥に向かって指を伸ばす。さすがに喉の奥に指が触れると嘔吐くのは堪えられなかったようで、そのまま子供は大きく口を開いて噛み付いていたユリの手を放したのだった。
子供はすぐに胃の内容物を吐き出して、体力をごっそり削られたのかフロルに抱えられながらゼイゼイと全身を波打たせるように息切れをしていた。フロルは手早く吐瀉物を受け止める為に周囲に敷いてあったシートを畳んで袋の中に放り込んだり、タオルで子供の顔を拭いたりしてあっという間に処理を済ませてしまった。そして気が付けば新しいマットの上でぐったりとした子供を横たわらせて、上から毛布を掛けていた。子供はまだ肩で息をしていたが、やはり胃の内容物を吐き出したおかげか先程よりもずっと顔色が良くなっている。
ユリは手袋に穴が開いて血が滲んでいたので、すぐさま外して水の魔石でジャバジャバと傷の洗浄を行った。傷自体は小さいが、かなり深めに刺さっていたのは感触で分かった。その為すぐに傷口は押さえず、ジンジンと痛むのを我慢して力を込めて血を押し出すように指先が痺れるまで洗い流した。小さくとも咬傷は侮ってはいけない怪我の一つだ。よく洗い流してから傷を塞がないと、後日腫れたり発熱をしたりと大変なことになることが多い。
「ユリ殿、今治癒を」
「お願いします」
さすがに傷の中に異物はもう残っていないだろうというくらいまで入念に洗い流したので、フロルが手を翳して治癒魔法を掛けに来てくれたのでそれに甘えることにした。本当ならば他に患者がいるのに手伝いの立場のユリが貴重な魔力を使わせてしまうのは避けるべきことではあるが、今のユリは身に付けている装身具の影響で回復薬が効かないのだ。
王城付き魔法士だけあって魔法の腕は確かで、フロルのおかげですぐに傷が塞がり痛みも引いた。
「しかし、まさか獣人だったとは…」
「外にいる血縁者らしき女性は獣人に見えなかったので、混血の可能性もあります」
ユリの傷の状態を診ながら、フロルはユリにしか聞こえないような小さな声で呟いた。噛まれたユリも、通常ならば丈夫な手袋を突き破ってその下の指にまで歯が突き刺さることはないのは理解していた。もはやあれは牙と呼ぶべきだろう。しかし横たわって少し落ち着いた様子になった子供は、どう見ても獣人の特性が出ていない。もしかしたらユリに噛み付いた牙も、身を守るときだけに出るものかもしれない。そうなると獣人と人族の混血である可能性が高いが、おそらく先程の女性が母親だとしたら、父親が獣人なのかもしれない。
(あれ?でもさっき側にいた男性も獣人には見えなかったし…隔世遺伝?)
「…しかし妙だな」
「何かありましたか?」
「いや、他の患者を吐かせたが、皆キノコらしきものを食べてはいた。が、あの子供はそれらしきものがなかった」
「よく確認出来ましたね」
「まあ治癒部隊なぞにいると、それなりに場数は踏むからな。いつも人手不足で、とにかく一人で色々なことに対処しなければ…いや、これでは愚痴だな。忘れてくれ」
「はい、畏まりました」
この国では獣人をはじめとする亜種族も人族と変わらないように暮らしている。しかしそれは近年のほんの百年ばかりのことで、もっと昔になると獣人を受け入れない風潮が強く、差別が当たり前のように横行していた。国史の中には、一時期人族以外の国民は国外追放扱いになったことさえあった。今はそのようなことがないように法は整備されたが、それでも一部の人々の中には獣人に対して忌避感を持っている者はそれなりにいる。地域によっては、見た目を人族寄りにすることで獣人であることを隠して生活している者も当然のようにいた。
「確か外には家族もいる筈だ。呼んで来てくれないか。牙があるから肉食系だとは思うが、何の種族か聞いておかないと治療に支障が出る」
「はい。すぐに」
子供の名前はナラティというそうで、母親の職場仲間とキノコ狩りに来ていたらしい。フロルは「この子とよく似ているからすぐにわかると思うが」と説明した。ユリは既にその女性は把握していたので、認識に齟齬はなさそうだ。
ユリはテントから出て出入口に置いてあった浄化の魔石で身を清めると、すぐに先程見かけた女性の方に歩いて行った。その周辺にはテントの中にいる患者の家族などが集められているので、テントから出て来たユリに自然に視線が集中している。
「ナラティちゃんのお母様でしょうか」
「は、はいっ」
「治癒魔法士がお話を伺いたいと申しております。いらしていただけますか」
「分かりました」
ユリが子供と同じ色味のピンクブロンドの女性に声を掛けると、やはり母親で間違いなかった。自分だけが声を掛けられて不安と期待がない交ぜになったような表情で立ち上がると、長く同じ姿勢で座り込んでいたせいか足元がもつれてしまう。
「大丈夫かい、イクシア」
「は、はい…ありがとう、ございます…」
彼女を支えるように隣にいた男性が、すかさず彼女の体を支える。ユリはそこにも一瞬の違和感を覚えて真顔になりかけたが、今は相手を不安にさせてはいけないとレンザの教えを思い出して無理矢理に見えないような笑顔を作った。
「じゃあ行こうか、イクシア」
「え…」
「あの、お父様でいらっしゃいますか?」
「あー…まだそうではないが、父親も同然で」
「申し訳ありませんが、血縁ではない方はご遠慮ください」
「何だと!?僕は彼女とは家族同然」
「血縁のある方のみ、お願いします」
痩せ形の男性ではあるが、小柄なユリに対しては強く出ても問題ないと判断したらしく、やんわりと同行を断ると途端に声を荒げて詰め寄って来た。肩を抱かれるようにして所在なげに立っている彼女、イクシアは困ったように視線を彷徨わせながら、テントの方を頻りに気にしている。本当は一刻も早くあちらに向かいたいのだろうが、この男性がユリと言い争いを始めた上に手を放してくれなさそうで明らかに困っていた。
「あの!お嬢さんの体質の検査をしたいので、血縁者のみでお願いします!」
「ノリガル様、あの、このように言われていますし…こちらでお待ちくださいませんか」
「そんな他人行儀ではなくベリオスと呼んでも構わないと……んんっ、仕方がない。だが、後で抗議はさせてもらうからな」
「どうぞご随意に」
イクシアにノリガルと呼ばれた男性は、彼女に縋るような目で懇願されたおかげで一瞬だが相好を崩しかけてユリへの不満の矛先が逸れたが、すぐに眉を吊り上げてユリの方に指を向けて宣言した。その様子に、隣にいたイクシアの方がすまなさそうな顔になってユリに頭を下げた。
ユリはこれまでにこういった無駄に何でもかんでも不服を申し立てて来る輩は、それなりに相手にしている。そして大抵そう言う人間に限って、実際に抗議して来ることは殆どないのは経験上知っている。全くゼロではないが、大半が振り上げた拳の落としどころとして「自分は寛大だから許してやった」と吹聴して終わるのだ。
それに判断を見誤って万一ユリに手出ししようものなら、あちこちに潜んでいる大公家の護衛がユリに手が届く前に返り討ちにしてしまうことが分かっている信頼もあったのでユリは一切怯まなかった。
「どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます…」
それでもイクシアの肩に手を添えたまま離そうとしない男の手を彼女はやんわりと外して、ユリの先導で後に着いて来た。
(あ…分かった。手だ)
テントまで案内する僅かな間に、ユリは違和感の正体にやっと気が付いた。イクシアの手と、あの男の手があまりにも違い過ぎたことが違和感だったのだ。
彼の手は、水仕事などに携わらない人を使う立場の者の手だ。服装なども上等なことからそれなりの資産家なのは窺い知れる。しかし反面、家族同然と言われていたイクシアの手は随分と荒れていた。着ている服も平民の生活水準で言えば下の上、と行った程度で、娘のナラティも母親と同じような平民の服装だった。その割に距離感は恋人同士と言ってもおかしくない程ではあったが、どちらかというと男の方が一方的に抱き寄せているようにも見えた。その辺りは個人の差かもしれないが、家族同然と言い切るにはあまりに両者の反応に差があるような気がしたのだ。
(ただ口を出すだけ…?そういう人もいるけど、イクシアさんはそれで納得してるのかしら)
他人の関係に口を挟むものではないと分かっていても、ユリはどことなく感じる彼の嫌な気配にどこまで関わっていいものかと考えながら、イクシアをテントの中に案内したのだった。
お読みいただきありがとうございます!
治療や医療関係などは専門家ではありませんので、ファンタジー的なふわっとしたものとご理解いただければ幸いです。