360.感動と叱責と
レンドルフに抱えられてアナカナが向かった先には、余計な飾りは付いていないがひたすら頑丈そうな馬車が停まっていた。一頭立てではあるが、繋がれている馬は普通よりも二回り以上は体が大きいので魔馬なのかもしれない。てっきり馬で来ていると思っていたが、さすがに馬車を準備してくれたようでアナカナは少しだけ安堵した。しかし、この後すぐにアナカナは馬車であることを後悔することになる。
「お連れしました」
レンドルフが馬車の傍で声を掛けると、扉が開いて中から苦虫を大量に噛み締め続けているような顔をしたウォルターが座っているのが見えた。その顔に思わずアナカナは反射的にレンドルフの襟にしがみ付いてしまった。しかしウォルターは無言で、目線だけでレンドルフに早くアナカナを乗せろと圧を掛けている。アナカナは出来ればこのまま鞄に詰めてレンドルフのスレイプニルに乗せて欲しいと思ったが、レンドルフは全くそんなことを気に留めていないかのようにヒョイと掴まっている手をあっさりと外して、アナカナをウォルターの向かいの座席にそっと降ろした。
「こちらも」
「受け取ろう」
馬車の中に降ろされてしまっても悪あがきをしてレンドルフの袖に手を伸ばしたアナカナだったが、それを完全に遮るようにウォルターが手を伸ばしてレンドルフから荷物を受け取る。
「では、殿下。城へ戻りましょうか」
「は…はい…」
笑顔なのに全く笑っているように見えないウォルターに気圧されて、アナカナは半分涙目でコクコクと頷いていた。
馬車に乗るということは、ウォルターは馬の扱いに気を割くことも鞄に入ったアナカナを気遣うこともなくなるということで、向かい合って純度の高い「お話し合い」に集中出来るということに他ならなかった。
そして静かにパタリと扉が閉じられて、ゆっくりと王城に向けて馬車が走り出した。レンドルフは離れたところにまだ停まっているユリの乗っている馬車に名残惜しそうに視線を向けると、自分の乗って来たノルドに跨がって馬車に並走するように手綱を引いたのだった。
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「殿下、戻るまでこれを読みながら私の話をお聞きください」
「無茶を言うな!そんなこと出来る筈もなかろう!」
「おや?教師の話では落書きをしながら授業を受けていたと」
「そ、れは」
馬車が走り出してしばらくはウォルターは黙ったままアナカナの正面で何かを考えるように腕を組んで目を閉じていた。アナカナはそのまま眠ってしまわないかと期待したが、馬車がフィルオン公園を出て街道に入ったのを揺れの変化で正確にウォルターは察したようで、いきなり置いてあった鞄の中から書類束をアナカナの膝の上にバサリと乗せた。
渋々アナカナが書類に目を落とすと、そこには一人の少女の来歴が書かれていた。赤みの強い茶髪や年齢の割に細身で小柄、などと今のアナカナと同じ容姿が記載されている。
「ヨーダ・ミスリル…」
「最近異国で政変に巻き込まれたミスリル家の縁戚で、伯爵家の養女になった…」
「断固拒否じゃ!」
ウォルターが説明をしようとすると、急にアナカナが大きな声を上げた。思いもしなかった強い拒絶に、一瞬ウォルターも鼻白んだ様子を見せたが、すぐに眉根を寄せて凶悪な顔になった。
「何がご不満ですか!これなら抜け穴など使わずとも城下に出るのも戻るのも難しくなくなるのですぞ!」
「この名は嫌じゃ!」
「は…名、ですか…?」
「この名は、かの有名な顔色の悪いシワシワの耳の尖ったご老体の名じゃ!」
「ええと…エルフ族か何かですか…?」
「知らぬ!知らぬが絶対嫌じゃ!」
アナカナのいうご老体に関してウォルターは全く心当たりがない。何か有名な小説や戯曲の登場人物だとしたら、芸術方面には疎いウォルターが知らないのも無理はないと納得する。何せアナカナはまだ歩くのも覚束ない頃から図書館に忍び込んで、周囲が気付いた時には手に届く範囲は全て目を通していた程の熱心な読書家だからだ。
「それでは、侍女として殿下にお仕えするフリをするのは嫌ではないのですね?」
「それは望むところじゃ」
「では…」
ウォルターは一番上に乗っていた書類をアナカナから奪うと、懐からペンを取り出して揺れる中でもサラサラと何かを書き加えた。これはペンとインクが一体化して、どんな状況でも書き付けが出来る携帯用のものだ。
「少々字の並びがおかしいですが、悪筆の範疇でしょう」
「どれ…『リョバル』か。うむ、これならば問題ない。異国風で良いではないか」
「では、これを城に到着する前に覚えてください」
「う…結構な量じゃぞ!?」
「覚えてください」
名前を変えてもらったので、これ以上はもう融通はしないという強い圧力を感じて、アナカナはシオシオと書類に目を落とした。
騎士団のトップは近衛騎士団長のウォルターであるが、もう一人統括騎士団長レナード・ミスリルがいる。彼は近衛騎士以外の全騎士を纏める役割を務めていて、ウォルターとは互いに上に立つものの苦労を分かち合える稀少な同士といった仲だった。
レナードの実家のミスリル家は、貴族の中で優秀であるのに生家や婚家から不遇を受け、それでも縁を切れずにいる者を分家や寄子の家に縁付かせて保護するという役割を昔から王家の密命で担っている。そうやって保護することで恩を売り、優秀で忠誠心の高い者を身内に、引いては国に引き込むことが最終目的だ。しかしその目的は秘匿されているので、ミスリル家は結婚仲介屋や、口さがない者には女衒とまで囁かれることもある。
アナカナの手元にある書類もウォルターが頼み込んでレナードの伝手で準備してもらい、ヨーダ改めリョバルという名の異国で保護した元貴族の孤児、という架空の出自が細かく記載されていた。年齢設定は10歳になっていて本来は働きに出るには少々早いのだが、異国出身なので行儀見習いを兼ねて気難しい王女の侍女兼ご学友候補として王城に上がることを許されたという形になっていた。
「ふむ…これならば城下に見学と称して遊びに行くのも可能であるな」
「そう言うと思いました。禁止はしませんが、その際にはシオンかパンジーを同行させますから」
「う…仕方あるまい」
二人ともアナカナの専属護衛兼侍女であるので、ご学友候補の「リョバル」と共に行動してもおかしなことはない。
「しかし、何故ウォルターはここまでお膳立てしてくれるのじゃ?そちはわらわが外に出るのを快く思ってはおらぬじゃろう」
「それは当然です」
ほぼ全ての書類に目を通したアナカナが顔を上げて不思議そうにウォルターを見上げると、彼はより一層不機嫌そうな表情を隠さずにキッパリと言葉を返す。
「しかし殿下は禁止してもどんどんこちらの想定を越える手段でご自身の欲望を叶えようとするではございませんか。それくらいならば、こちらの目の届く範囲で奇行を繰り返していただいた方が御しやすいということに気付きました」
「奇行…」
ウォルターの言葉にアナカナは色々と言い返したいところではあったが、絶対に否定出来ないのと、これまでに迷惑を掛けているのは自覚していた為に口を噤むしかなかった。顔は不満をあらわにしているのに、口を尖らせて黙り込むアナカナの様子をウォルターはしばし無言で眺めていて、やがて静かに「しかし」と口を開いた。
「もっと無邪気に過ごされるべき年頃である殿下に、安心して過ごせる場を作ることの出来なかった我々の失態でもあります。せめてお食事くらいは安心して召し上がれるようにお手伝いしたいというのも事実です」
「そ、そうか…手間を掛けるの」
「全くです」
「折角いい感じだったのに、台無しじゃ!」
一瞬だけ感動して目を潤ませたアナカナだったが、すぐにいつもの塩対応のウォルターに戻ってしまい、読み終えた書類束でバサバサと彼の膝を叩く。ダメージは全くないのだが、これから提出する書類も入っているので破かれては困るとウォルターはすぐに取り上げて鞄の中にしまい込んだ。
「さて…これで私の話に集中出来る場が整いましたな?」
「ひ…」
「殿下のご希望通り、読む間は待って差し上げたのですよ?存分に聞いていただきましょう」
完全防音になっている馬車なので、外で並走しているレンドルフには静かに順調に王城へ戻っているようにしか思えなかったので、馬車の中は嵐のような状況になっていたのには全く気付かなかったのだった。
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レンドルフがアナカナと共に帰ってしまった後、ユリはしばらく誰もいなくなった馬車の中でぼんやりとしていた。
キノコ狩りに行けなくなってしまったのは残念だったが、馬車の中で過ごす時間は思いの外充実していた。本当ならば未婚の男女が長く密室にいるのは咎められてもおかしくないが、今回はアナカナがいたので問題はないだろう。途中アナカナが居眠りをしていて実質二人きりに近い時間はあったが、ただ静かに談笑していただけだ。
今日のことよりも、この先の約束が結べなかったことの方が心にジワリと寂しさを落としていた。しかしレンザが総力を上げて問題解決に動いていてくれているので、そう長くは掛からない筈だ。ユリは気を取り直して大きく一つ伸びをすると、窓を開けて外のエマ達に帰宅を告げようと顔を出した。
「あれは…!」
エマのはるかに後方から、目立つ真っ青な旗を高く掲げた馬車が土煙を上げて馬車留めに入って来るのがユリの目に入った。その旗には白くこの国の紋章が染め抜かれている。
「サティ、事情を聞いて来て!エマは果樹園に入っている護衛達に連絡を!」
「「はい!」」
目立つ旗を掲げた馬車は、国で管理している緊急事態が起こった際に使用されるものだ。大きな街道には運送業者や乗り合い馬車など優先的に使われる道が整備されているが、これらの馬車は最優先で通されて、分けられていない道でも道を譲らなくてはならない。もし妨害しようものなら、厳しい罰が科せられることになっていた。
旗の色はそれだけで大体の事態が分かるようになっていて、火災の場合は赤い色、魔獣などが発生した際は黄色が使われる。そして青い色は大量の怪我人や急病人などが発生した場合に掲げられる色で、馬車には医師や治癒士などを乗せている筈だ。
こういった緊急事態用の馬車に行き合った際は、役に立つと思われる能力を有している者はやって来た責任者に確認をとって助力することが望ましいと言われている。今回の場合、状況次第では薬師見習いのユリも応急処置や使用する回復薬の強さや量の見極めなどで手を貸すことが出来る。
本当ならばもう帰宅しなければならない時間であるが、ユリにはそのまま素知らぬフリをしてこの場を離れるという選択肢はなかった。幸いキノコ狩りをする予定だったので、動きやすい服装をしている。
責任者に確認する為に走って行くサティを見送って、ユリはすぐに座席の下に置いてある回復薬や傷薬、包帯や消毒薬などの応急処置に対応出来るだけの一式が入っているトランクを引き出したのだった。
お読みいただきありがとうございます!
異世界だけどアルファベット表記ネタを出すか迷いましたが、以前もチラッと出しているので今回もそういうものだと思っていただけるとありがたいです。
ウォルターが訂正したのは「YODA」→「RYOBAL」です。