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359.名を呼ぶ許可


馬車を停めているところに戻ると、なかなか帰って来ないことを心配したのかレンドルフが外に出てウロウロとしていた。馬車が大型であるのと、近くにはレンドルフが乗って来たスレイプニルのノルドも繋がれているので遠近感がおかしくなる。


「ユリ…いくら歩いても近付いて来ない気がするのじゃ」


ポソリと呟いたアナカナに、その場にいた全員が無言で頷いていた。


「ユリさん!殿下!遅かったから迎えに行こうか迷ってたところだった」


レンドルフは少し遅れてユリ達が戻って来たのに気付いて、すごい勢いで駆け寄って来た。見る間に大きくなるレンドルフの姿に、見慣れている筈のエマとサティは少し引いていた。


「ゴメンね。ちょっとゆっくり歩いて来たから」

「お主は過保護が過ぎるのじゃ」

「ご自身のお立場をお忘れですか…」


呆れたような顔になるレンドルフにアナカナは全く堪えた様子がなく、その態度にレンドルフは諦めて半分苦笑しつつも、その視線はどこか柔らかいままだった。



ユリ達が馬車から出て行った後、すぐにウォルターから連絡が来たそうだ。レンドルフとしては最初にアナカナを捕獲した中心街の公園まで連れて行こうと思ったのだが、その近くの商店で小火(ぼや)騒ぎがあったらしく、近くには第二騎士団が多く出ていると書かれていた。目立つ容姿のレンドルフが連れて行ったのでは騎士達の目に付いてしまうということで、わざわざ王城からウォルターがフィルオン公園まで出向いて来るということになった。


「ウォルターにここから運ばれるのかの…憂鬱じゃ…」

「大変申し訳ありません」


中心街にいたならばウォルターが買い物でも出たような態で徒歩で戻れるのだが、レンドルフが保護してここまで連れて来てしまったので、かなり王城から離れてしまっていた。普段からウォルターは個人で移動する時は馬を使っているので、おそらく馬車では来ないだろう。そうなると鞄に詰められた状態で馬で運ばれなければならない為、かなりな負担になるのは予測が付く。しかしレンドルフは見付けてしまった以上アナカナをそのままにはしておけないし、ウォルターとは全く連絡が付かないしで連れて来ざるを得なかったのだ。


「お忍びで出て来たのに、そこから入るのは難しいのですか?」

「わらわが使うのは、王族の非常時に脱出する為の抜け穴なのじゃ。入るようには出来ておらぬ」

「ああ…それは入るのは無理ですね」


王城内には襲撃を受けた際に王族を逃がす為の抜け道が多数作られている。しかしそういった通路は安全を確保する為に王城を捨てるものなので、逆にそこから暗殺者などが入って来ては困るのだ。その為外に通じる道には様々な仕掛けがしてあって、一方通行になっている。一番簡単に入る方法は王城に務める者に渡される魔道具の襟章を得ることだが、これは当人以外のものを使った方も使われた方も厳しい処分が下されるので余程のことがない限り手に入れるのは難しい。


「まあ絶対に入れぬ訳ではないから、多少苦心するが自力で戻れなくもないのだぞ?その方法はここでは言えぬが」

「それは知らない方がいいので仰らないで下さい」


持ち込むものは王城内に荷を運び込む商人などは中を入念に調べられるが、文官や騎士などは信頼を前提にそこまでではない。特に騎士団長や副団長などは特に信頼が高いので、アナカナを入れた大きな鞄を持ち込んでも怪しまれることはないのだ。かつてレンドルフも近衛騎士の時はそうやってアナカナを運ぶ役目を担当していたが、今はそんな大きなものを持ち込めば確実に検分される。もしレンドルフがただの配置換えであれば今も協力出来たかもしれないが、実質失態の責任を取っての降格だ。むしろ率先して王家に翻意ありと疑われる筆頭だ。そのレンドルフが持ち込んだ鞄からアナカナが出て来たのがバレれば一発で確実に首が飛ぶ。


「ほら、殿下ご所望のタキコミを沢山詰めましたから。これで頑張ってください」

「そういう問題ではないが…ま、まあ良い」


席を外している間にレンドルフが持ち帰り用に用意した箱の中に、バスケットの中身を移し替えてくれていた。そこにはみっしりとタキコミが詰まっている。少々強引に詰めたのか、丸い形がやや全体に四角くなっているようにも見えるが、アナカナは覗き込んで満足したようで、その中身に目が釘付けになっていた。



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不意に、馬車の扉が外からコツリと叩く音がした。


「団長様がいらっしゃいました」


そうエマの声がしたので、レンドルフがまず話をして来ると言って馬車から出て行った。中に残ったユリは、アナカナが持ち帰る箱を布でしっかりと包んで持ち運びやすいように準備をする。


「ユリ…迷惑を掛けた。その…コメは、あちらの国では主食で、ふるさとの味だったのでつい取り乱してしまった。みっともないところを見せて、あやつとの時間も奪ってしまって、本当に申し訳なかった」

「アナ様!?お、お止めください!もう先程からアナ様の謝罪は受けておりますから!」


アナカナは声をトーンを落としてユリに向かって座面に両手を付いて深く頭を下げた。この国の貴族の礼とは違う作法のようだが、伸びた背筋と所作は子供のものとは思えなかった。しかしいくら他者の目がないとは言え、王族がそこまで簡単に頭を下げていいものではない。慌ててユリはアナカナの両肩を抱えるように持ち上げて座り直させた。「普通に謝りたくても謝れないのが辛いのじゃ…」と、アナカナはションボリと肩を落とした。

馬車の中に沈黙が落ちて、外から微かに男性の声が聞こえる。何を話しているかまでは聞き取れなかったが、おそらくウォルターとレンドルフが話をしているのだろう。


「…アナ様」


静かな声でユリが口を開くと、俯いたままのアナカナの肩が僅かに揺れた。


「もし今度来られる時は、前もってご連絡下さい。そうすればタキコミではないコメを準備しておきますから」

「…え?」

「レンさんはあまり白いままのコメは好みではないんです。でもタキコミは気に入っているので、今回はタキコミばかりだったんです」

「な、んで…」

「ミズホ国もコメが主食と聞いています。そして我が家にはミズホ国出身の者も多いのですが、皆一様に白いコメの方に拘りがあるのです」


ミズホ国の食文化なのだろうが、タキコミは常食ではなく祭祀や季節ごとの行事の折りに饗されるものだったそうだ。今はそこまで明確に線引きはされていないが、それでも頻度としては時折出て来るメニューという感覚が強いらしい。だからミズホ国に縁の深い者は、タキコミも喜ぶが白いコメに対して並々ならぬ郷愁と愛着を感じると聞いていた。


「ですからアナ様も白いコメの方を好むのかと思いまして。違いますか?」

「いや…白いご飯…コメは、好きじゃ」

「それでしたら干しウメとメンタイコと、ミズホ風ピクルス…ええと、ヌカヅケ?も用意しますね。お嫌いなものはございますか?」


アナカナはブンブンと勢い良く首を横に振った。どうやらミズホ国出身のステノスから聞いていた白いコメに合う三大食材というのは本当だったと、ユリは確認しておいて良かったと思ったのだった。

アナカナの前世の異界の話を聞いて、始祖が異界渡りだったと伝わっているのでアスクレティ家に残っている記録をユリも調べてみたのだ。研究者の間では根拠が薄いとして正式な記録とは認められていないが、渡り人はミズホ国に流れ着くことが多いとの伝承があった。その為、ミズホ国の文化は異界の伝承に基づいたものが多く残っているとされていた。それを読んで、参考までにステノスに聞いておいたのだ。

干しウメもメンタイコもレシピが輸入されてこの国で製造されているし、ピクルスはステノスが伝えてミキタがずっと作っているそうなので手に入れるのも難しくない。


「ユリ!この恩は一生忘れないのじゃ!」


キラキラとして満面の笑顔で礼を言うアナカナに、たとえ王族であっても関係なく好ましいと思える人間はいるのだな、とついユリは納得してしまったのだった。



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ウォルターとの話が終わったのか、レンドルフが手に何か包みを持って馬車に戻って来た。てっきりいつも運ぶ為の特性の鞄を持って来たのかと思ったのだが、どうやら違うようだった。


「殿下、先程の変装に戻して、こちらに着替えてください」

「何じゃ、これは…王城の侍女のお仕着せではないか」

「団長が、王女殿下付きの侍女を直々に迎えに行って顔合わせをする、とのことです」

「は?侍女なら間に合っておるぞ」

「殿下がその侍女のフリをして王城に戻るのです。統括騎士団長のご実家から紹介状をもらっているそうですので、問題なく採用されるかと。ああ、()()()()()()()()()()殿()()が気に入らなければ仕方ありませんが」

「あ…ああ!なるほど、考えたの」


レンドルフが渡して来たお仕着せはアナカナよりは少しサイズが大きいが、抜け出して買い食いをする為に変装した彼女なら丁度良いくらいだろう。見ると襟には既に王城に入る為の襟章が付けられている。


「あと、出来ればユリさんは外に出ないでもらえるかな」

「え?いいけど…何かあった?」

「ほら、一応俺はユリさんに振られたことになってるから、ここで会ってるのを見られたらマズいと思って」


ユリのいる薬局は、研究施設側から土地を間借りしている礼という意味もあって、騎士団の福利厚生に一役買う為に作られたものだ。実際はユリに甘いレンザがユリの為に強引に作ったようなものであるが、それでも王城内の薬局の窓口の遠い第四騎士団を始めとする騎士達の役に立っている。


しかし研究施設に少しでも関わりたい者が一番下の助手の立場であるユリや、親しい関係のレンドルフを狙うようになったのは誤算だった。そこで表向きには、レンドルフはユリに振られて距離を置かれていて、関係は切れてしまったということになっているのだ。その為王城を含む中心街でレンドルフと会う時は、ユリは三パターンの変装した姿で出掛けているのだ。弊害としてレンドルフが同時進行で複数女性と付き合っているという不名誉な噂が流れてしまったが、レンドルフは痛くも痒くもないようで平然としていた。


「今更じゃ。先日わらわを迎えに来た時、ウォルターの前でユリに向かってあんなに鼻の下を伸ばしておったではないか」

「鼻の下…」


先日ウォルターに引きずられるようにアナカナの迎えに付き合わされて薬局を訪れた際、レンドルフはユリの姿を見てついいつもの調子で話しかけてしまったのだった。当人には全く自覚はなかったが、その時のレンドルフの顔はどう見ても想い人に会えた喜びでハッキリと出てしまっていた。

身も蓋もない言い方でアナカナに溜息を吐かれて、そこまでだらしがない顔をしていたつもりはないが、レンドルフは言い返す言葉が欠片も見つからなかった。


「うっかりしてた…ユリさん、ゴメン」

「ううん、ここ最近何もなかったから、私もそこまで気が回ってなかった」

「なに、ウォルターは信用出来る男じゃ。何となく察しても言いふらしたりはせぬぞ」

「うん、それは俺も保証するよ。何か言われたら『事情があって』と言っておくよ」

「それでいいの?」


ウォルターは豪放磊落で、いかにも脳筋なタイプの騎士に見えるが、王族や高位貴族を相手にする機会も多い近衛騎士でしかも団長にまで上り詰めた人物だ。彼自身もそれなりに歴史のある侯爵家の生まれなのもあり、きちんとした貴族の教育も受けている。裏を読んだりするのが面倒で敢えて鈍い脳筋のフリをしているだけで、決して出来ない訳ではないのだ。


「悪いことさえしていなければ問題ないよ」

「なら、いいけど…」

「では、わらわは着替えるのでな。お主は外に出ておれ」

「はい。…ユリさん、悪いけど殿下を手伝ってもらってもいいかな」

「うん。任せておいて」


お仕着せを置いて馬車の外に出ようとレンドルフが扉に手を掛けた時、横からアナカナの手が服の袖を軽く引いた。


「何かございましたか、殿下?」

「…その…そちにも、名を呼ぶことを許す」

「殿下?」

「ア、アナで良い。そう呼ぶがいい」


少し照れたように頬を染めて上目遣いにアナカナがレンドルフの顔を伺う。


貴族の慣習として、身分の低い者は許可なく上位の者の名を呼んではならないとされている。厳格な線引きがある訳ではなくあくまでも慣習なので厳守する必要はないが、そこは貴族の世界なので上の者から不興を買っても良いことはないので不文律として確実に存在している。

本来王族から名を呼ぶことを許可されることは名誉として誇れるものであるが、レンドルフは一瞬だが顔に躊躇いが浮かぶ。アナカナはそんな反応が返って来るのは承知していたようにすぐに言葉を付け足す。


「その、別に普段は無理に呼ばぬでよいからの!こうした私的な場所では名で呼んで…欲しい」

「…お気遣い、感謝いたします、殿下…いえ、アナ様」

「うむ。では着替えるでな。外に出ておれ」

「はい、失礼致します」


レンドルフが扉を閉めて出て行くと同時に、アナカナは一切の躊躇なく着ている服を脱ぎ出した。平民用の服なので、貴族のものとは違い一人で脱ぎ着出来るようになっている。アナカナは慣れているらしく、ユリの手も借りずにどんどん脱いで行き、あっという間に下着だけの姿になった。そしてキャミソールの裾をペロリと捲り上げて腹に巻いていた変装の魔道具を起動させる。ほんの一瞬だが強めの魔力の流れを感じたが、すぐに殆ど感知出来ない程になってアナカナの姿が最初にレンドルフが連れて来たときの10歳前後の少女の姿になる。一瞬だが見えた幼児独特のポヨンとした丸い腹があっと言う間に子供の薄い腹に変わったので、ユリはかなり残念に思ってしまった。薬師見習いとして時折幼い子供と接する機会はあるが、医師ではないのでああして腹を見ることはほぼない。あまりの愛くるしさにうっかり声が出そうになってしまったのだ。


「ユリ、これの手伝いは頼んでも良いものか?」

「はい、大丈夫ですよ」

「ユリは大公女なのに、着替えが手伝えるのか」

「ただの薬師見習いとして市井に出向くこともありますから、一通り身の回りのことは出来ます。それに、平民の所作はちゃんと習いましたから」

「そうか。では頼む」


侍女のお仕着せは装飾はないが上質なワンピースで、胸の前にボタンが付いているので自力で着られるようになっているが、襟の後ろの小さなボタンと腰の後ろで結ぶリボンは慣れていないと困難そうだった。アナカナは後ろだけを任せると自信満々に言い切っていたのだが、頭からワンピースを被ってもがいているのを少しだけ手を貸すのから始まり、ボタンを留めるのにもかなり苦労していたので結局ほぼユリが着替えさせた状態になった。


「ううっ…前世は大人じゃったのに…思うように動かぬ体が恨めしい…」

「特に今は魔道具で体の大きさも変わってますから、感覚が掴めないのでしょう」

「そういうことにしておくのじゃ…」


大分落ち込んでいたアナカナだったが、そうゆっくりもしていられないのでタキコミなどを詰めた箱を受け取るとユリに礼を言って馬車の扉を開けた。それにすぐ気付いたレンドルフが駆け寄って来て、大きな体で外から中が見えなくなるようにしながら、許可を受けてアナカナを荷物ごと抱きかかえる。外で待っている間に髪色を戻したようで、特徴的なレンドルフの薄紅色の髪が光を受けて白く見えたので、一瞬だけユリはドキリと心臓が跳ねてしまった。


「ユリさん、俺も団長と一緒に戻るよ。慌ただしくてすまない。後で手紙を送るから」

「大丈夫。気を付けてね。レンさんも、アナ様も」

「ユリ、ありがとうの」


レンドルフに抱きかかえられたアナカナが小さく手を振って来たので、ユリもそれに手を振って返す。その後ろでレンドルフが両手が塞がったまま少しだけ羨ましそうな顔をしていたように見えたので、ユリは笑ってレンドルフにも軽く手を振った。するとあまりにも分かりやすく花が開いたような笑顔で返されたので、却ってユリの方が少しだけ照れくさいような感情になってしまったのだった。


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