358.乙女の心理とスライム粉
しばらくして目が覚めたアナカナは恥ずかしそうにしていたが、デザート用に甘い物だけを詰め込んだバスケットを見せるとすぐに目をキラキラさせていた。
「まるで夢のような詰め合わせじゃのう…」
「また食べ過ぎて動けなくなるようなことはお控えください」
「う…か、帰りはウォルターが運ぶから問題ないのじゃ」
「そういう問題ではありませんでしょう」
そう言いながらも、レンドルフはアナカナが指し示すままにプチタルトを三つと卵をふんだんに使った蒸しケーキを皿の上に乗せていた。蒸しケーキは甘さを控え目にして、好みでジャムやクリームを添えて食べるもので、バスケットの中にはそれ用に小さな瓶が幾つも入っている。
「ううう…どれも美味しそうなのじゃ」
「アナ様、今の時期だけしか食べられない栗がオススメですよ」
「俺のオススメはミルククリームとイチゴジャムのスタンダードなやつです。ユリさんの家のイチゴジャムは絶品です」
「う…どちらも食べたいが、この小さな胃袋には入り切らぬ…この体が憎い…」
心から真剣な顔をして悩んでいるアナカナの様子が可愛らしくて、思わずレンドルフとユリは顔を見合わせて笑顔になってしまった。それに気付いたのか、アナカナは口を尖らせてレンドルフの脇腹の辺りをペチリと叩いた。叩いたといっても小さな手の非力な子供相手では、レンドルフからすれば虫に刺された程にも感じない。
「お主の大きな胃袋が憎いぃ」
「申し訳ございません」
完全に八つ当たりだが、アナカナ流のじゃれ付きのようなものなのはレンドルフも分かっている。彼女が食べたい気持ちと胃袋の具合と戦いながらもタルトを噛み締めている隣で、レンドルフは一口でタキコミを次々と平らげている。様々な味の違うタキコミを五種類取り揃えたので、全く飽きることなくいくらでも入ってしまいそうだった。アナカナもまだ食べたそうにしていたが、スイーツを諦め切れなかったらしく追加では食べていなかったので、自分が食べていない種類をレンドルフが食べているのが悔しいようだ。
「ユリさん…殿下にこのタキコミを少し持たせてもらってもいいかな」
「レンさんがいいなら。もともとレンさんに持ち帰ってもらうつもりで多めに作ったし、箱も用意してるから」
「い…良いのか?」
「俺は全種類食べましたから。殿下が味見出来ないと、いつまでも言われそうだし」
アナカナは「そんなことは…」とブツクサ言っていたが、先程クリームパンの恨みをぶつけたばかりなのでさすがに完全否定は出来なかった。
残したものを王女に持ち帰らせるというのも不敬で咎められかねないことではあるが、アナカナはとにかくコメを所望しているのは見るからに分かる。
コメはミズホ国からの輸入に頼っている穀物で、長く研究と改良を重ねてアスクレティ領での栽培が可能になってはいるが、味や生産量、冷害への弱さなどまだまだ問題が山積していて、領地の産業として定着に漕ぎ着けるには程遠い。ただミズホ国から渡って来た者はコメに執着することが多いので、彼らが満足出来るものが作れるようになればミズホ国から移住して来る人間は格段に増えるだろうと言われている。永住とまでは行かなくても、長期滞在をする学者などを招くことが出来ればそれだけの価値があるのだ。
この国でコメはあまり市場に出回らず、アスクレティ家とのツテがなければ入手は難しく、輸入品なのでそれなりに高価な物だ。王族のアナカナならば望めば少しは入手は出来るだろうが、あまり地位の高い者が特定の品に執着があると知れ渡るのはよろしくない。例えば甘い物が好きと言う程度なら問題はないが、特定の果物が好きと言ってしまうとその産地の領を取り立てるように思われてしまう。もしアナカナに婚約者がいて降嫁予定ならばその領の特産品を好むと公言することは多少は許されるかもしれないが、今の彼女の立場は王太子の次の代の最有力後継候補なのだ。コメのようなアスクレティ家のみが扱うような品を欲するのは不可能に近いだろう。
「…その…ユリ嬢…ちょっと来て欲しいのじゃ…」
持ち帰り用の箱の中にタキコミを詰めていると、小さな声でアナカナがユリの袖をちょい、と引いた。
「俺が行きますよ」
「お主じゃダメじゃ!ユリ嬢が良いのじゃ!」
「あー…レンさん、大丈夫だから。外にいるエマ達も連れて行くようにするから。この続きお願いしてもいい?」
「だけど…」
「ユリ!お願いじゃ!」
ユリは半ばレンドルフの手に取り分け用のカトラリーを押し付けるようにして、袖を握り締めているアナカナを抱き上げてサッと馬車を降りて扉を閉めた。扉を閉める一瞬、何だか情けないような表情をしたレンドルフの視線が少々痛かったが、これは譲れない。
「お嬢様、私が」
「アナ様、エマは信頼できる者です。よろしいですか」
「許す。そなたは足が速そうじゃ」
「…エマ、急ぎましょう。でもなるべく揺らさないように」
「畏まりました」
馬車を降りるとすぐに待機していたエマとサティが駆け寄って来た。三人の中では一番背の高いエマにアナカナを任せる。馭者と護衛兼任のマリゴも馬車から降りようとしたが、ユリが手で制する。これはアナカナの名誉の為には女性のみで行動しなくてはならないのだ。
そしてアナカナを抱きかかえたエマを中心に、三人は馬車留めの入口付近にあるトイレまで大急ぎで向かったのだった。
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「危うく乙女の尊厳を喪うところであった…」
幸い誰もいなかったのでアナカナはエマに任せて、ユリとサティは外で見張るような形で待っていた。しばらくするとアナカナが安堵した表情で呟きながら出て来た。どうやら間に合ったらしい。
「エマとやら、面倒をかけた。ユリ嬢も、機転に感謝する」
「良かったです。それから『ユリ』で構いませんよ。公式の場で正式にお会いする機会もないでしょうし、ただの『薬師見習いのユリ』として接してください」
「う、うむ…」
少々舌足らずなところのあるアナカナが「ユリ嬢」と呼んでいても、傍からは「ユリゾー」に聞こえてしまうのだ。その呼び方はミズホ国出身の男性にありそうな響きなので、ユリとしてはどことなく馴染めずにいたのだ。
「いつもは侍女が気を利かせてくれていたので、すっかり忘れていたのじゃ…」
「手遅れになる前に思い出していただいて良かったです」
「全くじゃ。早うスライム粉を使える歳になりたいのう…」
「アナ様はあと二年程ですね」
「遠いの…」
アナカナは遠い目になって溜息を吐いた。大人にとっての二年はそこまでではないが、子供の二年ははるかに長く感じるのだろう。
スライムは水辺や水中にいるゼリー状の魔獣の一種で、動植物の屍骸を水分と共に取り込んで分解する無害なものだ。それはどちらかと言うと無生物に近く、一切の水分を抜いて乾燥、粉にしても性質が保たれる。それを利用して、スライム粉と名付けられたものを体内に取り入れると、量に応じて長時間排泄をしなくて済むようになるのだ。体に影響がないように研究が進められて、今は一日から最長一週間程度の効果があるものが販売されている。これは危険を伴う場所への遠征や、魔獣討伐の冒険者などには必須のアイテムとなっている。用を足している最中に襲撃される悲劇や、魔獣に逆に足取りを辿られる危険性が少なくなるのだ。他にも護衛を務める者、長い式典や晩餐などに参加しなくてはならない高位貴族や神官もなくてはならない。
ただいくら無害と言ってもこれを長期間多用すると内蔵機能が低下するので、問題のない状況では極力使用しないことや扱いに対する注意点などは、貴族平民問わずに初等教育の中では必修となっている。
そしてこのスライム粉は、成長に著しい影響が出るとされる七歳以下の子供への使用は禁じられているのだ。個々の成長により使用開始の年齢が遅れることはあるが、早まることはない。
馬車へと戻る道すがら、少しだけ話がしたいとアナカナが言い出したので、腹ごなしがてら遠回りをする。急いでいたので起動していなかった変装の魔道具を使用していない為、彼女の髪と目の色はすぐに王族の血と分かってしまうので、周囲には誰もいないが念の為サティの帽子を借りることにした。アナカナには大分大きいが、目の色がつばで完全に隠れるので丁度良かった。そのままでは服が大きくて歩きにくいので、サティが手伝って袖を巻き上げたり裾をウエスト部分のリボンでたくし上げたりしてどうにか歩くのに支障がない程度の体裁を整えてくれた。
「その…今日はすまなかったの。あやつとのデートの邪魔をした」
「デ…ート…と言う訳では…その、キノコ狩りです、キノコ狩り」
「それを世間ではデートと言うのではないか?」
「キノコ狩りです」
「お、おう…」
よく分からない勢いでキッパリと断言されて、アナカナは一瞬鼻白んだ様子になったが、ユリに気圧されるように頷いた。
「ええと、あやつも決してユリを蔑ろにするつもりはないからの。そこは責めぬようにして欲しいのじゃ。苦情についてはわらわが原因であるし…」
「怒ってませんよ?レンさんは今はお仕えしていないからといって見て見ぬ振りをするような方ではないのは、きっとアナ様の方がよくご存知でしょう」
「そう…じゃな」
「それにそこが…」
ユリは殆ど聞こえない消え入るような小さな声で「レンさんの良いところです」と視線を彷徨わせながら呟いた。当人がいないところでそんなに照れるものなのか、とアナカナがそっと背後にいる侍女二人に視線を送ると、その疑問はしっかりと伝わったようで二人ともユリに気付かれない視界の外で力強く頷いていた。どうやら彼女らから見ればユリの通常運行らしい。自分のせいで仲違いされるよりはいいか、とアナカナは頭を切り替えることにした。
「てっきり、ユリには恨まれると覚悟しておったのじゃが」
「私、そんなに怒りっぽく見えますか…」
「い、いやそうではない!ただ…その、アスク…ユリの家とは色々あるであろう…?」
何とも困ったように眉を下げてしまったユリに、アナカナは慌てて言い繕う。
アナカナの前世の記憶にある乙女ゲーム内で、王家と大公家は敵対まではしていないが手を組む程の協力関係ではないという設定はあった。ただ別に離反する訳でもなく、淡々と自領を問題なく治めて広さに見合った高額の税収を国に納めていて、付かず離れずのビジネスライクな関係性だった。鈍器とかレンガとか呼ばれた設定集には、始祖同士の痴情のもつれが未だに影響していると書かれていたが、詳細まではアナカナの記憶になかった。おそらくその後発売された通称「立方体」という裏設定集に詳しく記載されていたのかもしれないが、残念ながら入手した覚えがない。発売決定の報だけ聞いて発売前に前世のアナカナは亡くなったのかもしれない。
実際こちらの世界で生を受けてアナカナが知り得たことも、直近で現国王の祖父世代辺りに何かしら確執があったらしいとは噂程度に聞いているが、そのことを正しくアナカナが知るにはまだ力不足だった。
「そうですね…おうぞ…んんっ、アナ様のご家門とはあまり親しくするのは望んではおりませんが、個人としてお付き合いする分には、人となりを見て判断したいと思っております」
「そ、そうなのか?では、わらわは?わらわはどうじゃ!?」
「アナ様ですか?そうですねえ…」
あまりにも真正面に聞いて来られたので、ユリは少々面食らってしまった。以前にアナカナに聞いた前世云々は、話半分は信じられるくらいに彼女の思考回路は大人寄りだ。しかし時折見せる感情の素直さの片鱗は、大人と言うよりはもっと幼く感じる。とは言っても、どちらにしろ年相応ではないことは確かだが。
アナカナは両手を握り締めて、少し考え込んだ様子のユリを大きな目を見開いて瞬きもせずに見上げていた。その必死な様子が可愛らしくてつい揶揄いたい気持ちが首をもたげるが、これで迂闊なことを言って傷付けるのも可哀想だ。
「面白い方、だと思います」
「まさかの『おもしれー女』枠!」
「おもしれー…?」
「い、いや、こっちの話じゃ。その、嫌われていないなら上々じゃ」
ユリは正直な今の気持ちを伝えたが、アナカナはそれでも満足したようだった。
「でも、アナ様の場合、食べ物目当てに私と親しくしたいというお気持ちが透けている気が…」
「なっ…そ、それは…ないとは言わぬ!言わぬが、それだけではないぞ!コメは食べたいが、コメだけではないのじゃ」
「ふふっ。そういうことにしておきます」
あまりにも必死に言い募るので、ついユリは笑ってしまった。今のところユリからすれば、全面的に信頼できる程アナカナの事は知らないのでそれ以上のことは言えないのだ。ただこの先、レンザの出す条件を王族側が呑んで彼女を時折薬局で面倒を見ることになったとしても、ユリは自分の中で断るという選択肢は既になくなっていることに気付いた。
「さすがにレンさんが心配しますね。もう馬車に戻りましょう」
「うむ。あやつは見た目よりも繊細で過保護じゃからな」
「それは否定しません」
ユリがアナカナに手を差し伸べると、一瞬目を丸くして、おずおずといった風情でそっと小さな手を重ねて来た。子供特有のふくふくした小さな手は、標準よりもずっと小さなユリの手でも包み込める程のサイズだった。大きさの差はレンドルフ程ではないだろうが、ユリは何となく自分の手の中の小さな温かさが不思議と心地好く、もしかしてレンドルフが自分と手を繋ぐのはこんな感覚なのだろうか、と思わずにはいられなかった。
お読みいただきありがとうございます!
割と当初の頃から考えていたトイレ事情をやっと出せました。スライムは一応魔獣扱いになりますが、かなり前から生活に取り込まれているので人々には特に忌避感はありません。クッキー缶の中にシリカゲル的な感じやクローゼットの湿気取りなどにも使われてもいます。