357.天むすと涙
「毒味いたしますので」
「問題ない。外で勝手に口にしたもので何があろうと責任はウォルターが取ることになっておる」
「それも問題です!」
「むう」
レンドルフに沢山食べてもらおうと、大きめのバスケット二つに昼食を詰めて来ていた。もし食べ切れなかったら持ち帰ってもらおうとも思っていたので、幼いアナカナが食べたところで足りなくなることはないだろう。だが、やはりお忍びで抜け出して来たとは言え王族なので、レンドルフが毒味を申し出た。
「最初からお主に食べさせるつもりで作ったものなら、ユリ嬢がおかしなものを入れることはないであろう?それともお主に何かアヤしい薬でも盛るとでも…あ!もしかしてb…」
「ないですから」
明らかに「媚薬」と言いかけたであろうアナカナの言葉に被せるように、ユリは冷ややかな目線でピシャリと言い放った。さすがに言い過ぎと思ったのか、アナカナも小さな口を小さな手で慌てて覆った。
一番上に乗せていたバスケットを降ろして座席の上で開くと、フワリと良い香りが馬車の中に広がった。
「お…おお…おにぎりじゃ…」
中には、レンドルフが食べやすいようにタキコミにしたコメをボール状に丸めたものがバスケットの半分ほど並んでいる。飽きの来ないようにタキコミの味や、中に入れる具材も工夫を凝らしていて、見た目も色とりどりになっている。そしてもう半分には、黄色の鮮やかなオムレツやソーセージ、ピックに刺して食べやすいようにしたアスパラをベーコンで巻いたものや、葉野菜に包んであるポテトサラダ、グリルされてほんのり焼き色の着いた根菜などが詰まっていた。
「すごいな、これ…。ユリさん、大変だったんじゃない?」
「私は少し手伝っただけ。あとは家の人がやってくれたの」
「ユリ嬢が担当したのはどれじゃ?」
「え、ええと…アスパラの、です」
ユリが「少し焦げましたが」と恥ずかしそうに指で示すと、アナカナは隣にいるレンドルフに視線を送った。レンドルフと目が合うとアナカナは「それには手を付けないぞ」と決意表明をした顔で力強く頷いたのだが、それをされたレンドルフはよく分かっていないようで不思議そうな顔をしていた。
「これは天むすじゃな!天むすじゃ!!」
「てん…?アナ様は召し上がったことが?」
「え、ええと…昔じゃ、昔」
ワクワクとした様子で眺めていたアナカナは、茶色く焚き上げたコメの中から少しはみ出すようにエビのフリッターが入っているものを見付けて大はしゃぎしていた。聞き慣れない言葉を耳にしてユリが尋ねたが、何となく誤摩化している様子から「これは先日言っていた前世とやらのことかな」と思い当たる。
そのまま鷲掴みにしようとしたところを、レンドルフがアナカナの両手をやんわりと片手で押さえ込んで、いつも持参している浄化の魔石とハンカチで丁寧に拭っていた。その手慣れた様子からすると、かつて仕えていた頃にはいつもしていたことなのだろう。大きなレンドルフにされるがままに手を拭かれている小さなアナカナが何とも微笑ましくて、ユリは思わず口角を上げてしまった。そして、自分もレンドルフといる時にミキタや周辺にいる知り合いから微笑みの眼差しを向けられていたことに思い当たって、今更「こういうこと!?」と唐突に察してしまったのだった。
「こちらですか?」
「お主の毒味はいらぬ!一口で無くなってしまうではないか!」
「そんなことはしませんよ」
「しかし、このように小さきもの、絶対に具のエビは食べてしまうであろ!」
「しませんから!あの時の反省は生かしますから」
「あの時って?」
レンドルフの毒味に必死に抵抗しているアナカナに、ユリは思わず口を挟んでしまった。それにレンドルフがハッとしたように気付いて、見る間に顔が赤くなった。
「ユリ!こやつは毒味と称してわらわのクリームパンのクリームを根こそぎ食うたのじゃ!ただのパンになったのじゃ!」
「あれは思っていたよりも偏っていただけです。それに一度だけではございませんか」
「クリームは一度じゃが、その後チョコレートもジャムもやらかしたではないか!どれもほぼパンだったではないか!」
「ぷっ」
あまりにも遠慮のないやり取りに、ユリは思わず吹き出してしまった。王女と護衛騎士なのに、この気安さはそれだけ信頼関係を築いていたのだろう。ユリのクスクスと笑いが止まらない様子に、アナカナも最初は年齢には不似合いな苦笑を浮かべていたが、やがて普通の笑顔になって声を上げて笑い始めてしまった。レンドルフだけは少々困ったような、恥ずかしそうな表情で顔を赤くしていた。
「ふふ…では私が毒味をいたしましょうか」
「い、いや!本当に大丈夫じゃ!きちんと装身具は身に付けておる。それに…」
「それに?」
「おにぎりは最初の一口が美味なのじゃ…」
あくまでも譲らないアナカナに、ユリはレンドルフに視線を送る。レンドルフもさすがに折れたのか、少しだけ眉を下げながらも軽く頷いてみせた。
「何があってもユリさんのせいにはさせませんよ」
「分かっておる!これはジコセキニンじゃ」
アナカナは躊躇いもなくむんず、と両手で掴むと、大きく口を開けてコメとエビを頬張った。ユリの小さめの手でも片手サイズくらいなので、レンドルフからすれば一口か二口くらいで食べられるようにしていた。それよりも小さなアナカナは、大きく齧り付いても半分も減らない。しばらくモグモグと咀嚼して、飲み込むとすぐに再びかぶりつく。誰も奪う訳でもないのに、アナカナは詰め込むように平らげると、手に着いたコメ粒もペロリと舐めとって完食した。
「殿下!?」
「アナ様?」
その勢いに圧倒されて声を掛けることなくアナカナを見守っていたが、一つ目を完食した直後から彼女の大きな目からボロボロと涙が零れていた。
「喉に詰めましたかっ!?ユリさん、何か飲み物を」
「分かった!アナ様、大丈夫ですか?」
レンドルフがアナカナの背中をさすって、ユリは急いでバスケットの隣に置いてあった水筒からカップに冷たい水を注いだ。
「違っ…」
ユリからカップを受け取ると、レンドルフはすぐにアナカナの体を支えるようにして口元に持って行く。しかしアナカナは首を振って自らの手でカップをレンドルフから奪い取った。そしてカップの中にポタポタと涙が零れ落ちるのも構わずにそのまま一口水を飲んだ。
「美味しい、のじゃ…」
「アナ様…」
「ずっと…ずっと食べたかった…食べたくて…」
アナカナは涙と鼻水が一緒くたになった状態のまま、次のタキコミに手を伸ばした。その弾みで中身が零れかけたカップをレンドルフがすかさず受け取る。アナカナはそれも気にした様子もなく、グズグズと鼻をすすりながらもしっかりと違う種類のものを手にしてかぶりついていた。手が塞がっているので涙を拭うことも出来ないまま黙々と食べ続ける様はどこか鬼気迫るものがあり、ユリもレンドルフも声を掛けられずにただ見守るだけに徹していた。途中カトラリーを持つのももどかしかったのか、食べやすいように切ってあるとは言えオムレツとウインナーも手づかみで食べていた。さすがにそれにはレンドルフも眉を顰めたが、止める間もなく口の中に消えていたので咎めるのは食後に纏めてしようと思ったのだった。
勢い良くアナカナは食べていたが、そこは体の小さい幼児であるので、タキコミのボールを二個半食べたところでうつらうつらし始めてしまった。力加減も上手く出来ないのか、握り締めたコメが指の隅間から落ちそうになっていたのでその下にレンドルフが小皿を差し出して服の上に落ちるのを食い止めていた。そんな状態でもアナカナはまだ食べようとしていたが、やがて限界が来たのかカクリと皿の上にコメを握ったままの手が落ちた。
「ユリさん、ちょっと手を貸してもらえるかな」
「うん」
斜めになっているアナカナの体を支えながら皿を持っているので両手が塞がっているレンドルフが、小声でユリに助けを求める。ユリも手早く邪魔にならないように開いていたバスケットを閉じて隅に寄せると、取り敢えずタオルを取り出して皿を持つのを交代して、レンドルフの空いた手にタオルを握らせた。
「…慣れてるね」
「そうかな?団長の方が手慣れてるから、見様見真似だよ」
レンドルフはユリに支えてもらった皿の上に握り締めたアナカナの手からコメを落とすようにして、それから水魔法で湿らせたタオルでそっと手や顔を拭いていた。レンドルフの大きな手が、慎重にアナカナの指一本一本を摘むように拭っているが、アナカナは目が覚める気配はない。
レンドルフが拭き終わった頃にユリは新しいタオルを出して、座席の上に横たわらせたアナカナの頭の下に畳んで置いた。そして膝掛けを出して上からそっと掛ける。彼女は熟睡しているらしく、クウクウと静かな寝息を立てている。キュッと握り締めたふくふくした両手が何とも愛らしい。
「ユリさん、色々とありがとう」
「ううん、大したことしてないから。それに、アナ様を見付けたのがレンさんで良かった」
「そう言ってもらえると助かるよ。その、キノコ狩り出来なくてゴメン」
アナカナを起こさないように互いに囁くように話すので、自然にいつもより距離が近くなる。
「またの機会でいいよ。また…来年でも、その先でも」
「うん…そうだね」
ユリの言葉に、レンドルフの柔らかな色合いのヘーゼル色の瞳がより一層優しい色合いを帯びて少し細められた。
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「殿下がこんな風に泣くのを見たのは、二度目だ」
「…そうなの」
レンドルフは静かに語りながら、顔に僅かに掛かったアナカナの髪を肌に触れないようにそっと払う。
レンドルフが近衛騎士になって半年程立った頃、アナカナの御前に出る機会を与えられた。その当時の彼女はまだ乳母に抱きかかえられるような幼子で、ようやく覚束ない足取りで歩き始めた程度の年齢に過ぎなかった。しかし言葉は早く、多少の聞き取り辛さはあっても大人との会話が成り立つという規格外の天才児だった。そしてかなりの人見知りをする子供で、侍女なども半分以上が側に仕えることを拒否されていた。しかし王族である以上多くの人間と関わることになるのは避けられないし、周囲を固める護衛騎士にも慣れてもらわなくてはならない。
レンドルフはそれよりも先にアナカナの異母弟である第一王子の顔合わせをしていたのだが、叩頭している時は大丈夫だったが立ち上がった途端に泣かれてしまった。この先物心が着いて慣れてくれば憧れてもらえる騎士になっているさ、とウォルターに慰められて、その翌日がアナカナとの対面だったのだ。
「わらわのそばにはべゆことをゆるしゅ」
レンドルフの姿を見たアナカナの第一声はこれだった。顔立ちは優美で優しげだが、体格は騎士団の中でも一、二を争う程の巨漢だ。初対面で気に入られることはないと思っていた周囲は、無邪気に自分を抱きかかえろと言わんばかりに満面の笑みで乳母から手を伸ばしているアナカナに皆だけでなく、レンドルフ自身も呆然としていた。
幼い子供と馴染みのなかったレンドルフはあまりにも恐る恐る抱きかかえたので居心地が悪かったのか、すぐに「もどる!」と乳母の腕の中に戻ってしまったのだが、その時の妙に温かく小さくフニャフニャした感触はレンドルフの中にしっかりと刻まれた。この小さな存在は、国の宝だと感覚で理解したのだ。
その後アナカナに気に入られたらしいレンドルフは、団長に次いで彼女の護衛に付くことが多くなっていた。勿論専属ではないので常に侍る訳には行かなかったが、時折アナカナが無茶を通して護衛が変更になることもあった。以前はそこまでではなかったが、襲撃をされて以来はっきりと騎士個人を指名することが増えた。自分も周囲もそれに振り回されて大変に思うこともあったが、全面的な信頼を寄せられているのは名誉なことでもあったのだ。
「俺は専属ではなかったから、常に着いていた訳ではないけど、殿下は昔から人前で泣くことをしない方だったよ」
「昔って…まだ五歳の筈でしょう?」
「うん。同年代の子供と話が合わなくてお茶会でポツンと一人で過ごしていても、転倒しても、……お命を狙われた時も、ただ静かに耐えているんだ」
「そう…」
「俺が唯一泣いたのを知っているのは、生まれた時から世話をしていた乳母が亡くなった時かな」
「それは…」
「乳母は病で亡くなったんだ。彼女も本来は引退するくらいの年齢だったから、呆気無く。その時の殿下は墓の前で静かに涙を流されてた」
乳母としての経験が長かったので、彼女の葬儀には多くの者が訪れていた。集まった人々の心が具現化したのか今にも雨が降り出しそうな天候だった為に、アナカナは最初に花を手向けてすぐに暮らしている王城に連れ戻された。新しい乳母に抱きかかえられたアナカナは何か言いたげだったが、仕方ないと思ったのか何も言わずに部屋に帰り、その日は食事も取らずにただ窓の外に目を向けていた。だが、夜眠りにつくまで声を上げることなくただ静かに涙を流していたのを護衛に就いていたレンドルフは知っている。
全く年相応とは思えない姿であったが、それでも周囲は彼女の悲しみの深さを悟ってそっとしておいた。レンドルフが目撃したのはこの時と、今回のみだった。毎日見ていた訳ではないが、この年齢では異様な少なさだろう。
「大人と変わらないのね。王族だから…というよりはアナ様個人の資質なのね」
「うん、俺もそう思う」
アナカナが側に寄せる人物を決めているのは「人見知り」と称してはいるが、どう考えても自分で「選別」をしている。王族や高位貴族は家族を伴ったお茶会などで同世代と交流を図り、幼馴染みという関係から側近や婚約者などを選出することが多い。しかしその人選は親が主導で行われることで、しっかりとした自我が確立した頃には既に選ばれた中で人間関係が完成していることが殆どだ。そういった選別をするのは大人の役割なのだ。
アナカナの両親は王太子と王太子正妃という地位の為に直接干渉して来ることはないが、周囲はそれなりに派閥に添った相手を揃えようとする。しかし彼女はそういった派閥を一切無視して、自身の目で人を選んでいた。
ただ今はまさか大人も自分が選別されている側とは思っていないので、幼いことを最大限利用して「天才ではあるが人見知りの変人王女」という評価を敢えて受けているといった風だった。
「レンさんは、アナ様にお仕えしてて大変だった?」
「うーん、普通の大変さとは違う感じかな。謎のマナーとかも訓練させられたりしたし。でも今は却ってそれが良い経験になったと思ってるよ」
「例えば?」
「馬車のエスコートとか、席に案内した時にドレスを整えるとか」
「ああ、あの時にしてくれた」
以前にドレスアップしてユリをエスコートした際に、ソファに座らせてからドレスが最も美しく見えるように裾のドレープをレンドルフが整えてくれた。これはかなり古い作法の一種なのだが、男性がどれだけ触れるのを最低限にしつつ女性を美しく見えるようにすることが出来るかによって紳士としての格を測られる風習があったのだ。今は殆ど廃れてしまったものだが、全く忘れ去られてしまった訳でもない。むしろそれが美しく自然に出来る男性は社交の場では特に年配者から一目置かれるし、パートナーの女性も同性から羨望と憧憬の目を持たれる。
これはアナカナが教師などが付けられる前に勝手に図書館に忍び込んで手当たり次第書物を読みあさって、中でも王族のような高位貴族向けの古い教本で自己学習をしてしまったからだった。アナカナとしてはそれが常識だと思い込んでいたので、彼女の護衛をしていた騎士達はもれなく練習させられていた。当初は大半が不満に思っていたが、練習の甲斐あって洗練された所作に感心した格上の侯爵家当主とその令嬢に見初められて婿入りした騎士が出た辺りから、彼らのやる気も変わって来た。若手の世代はピンと来なかったらしいが、一線を退いたがまだ影響力のある隠居世代に好評なので良縁が舞い込むことも多かったのだ。更に既婚者や婚約者のいる騎士もパートナーの評価が高く、陰で「古くさいしきたりをさせられて可哀想に」と揶揄していた若い騎士達はむしろ自分達の方が評価が低いと感じるようになったらしく、密かに練習をしていると言われている。
「レンさんのエスコートはいつも自然で上手だと思っていたけど、アナ様のおかげだったのね」
「そうなるかな。ユリさんがそう思ってくれてたなら、殿下に感謝しないと」
結局ウォルターとの連絡がついたのは昼近くになってしまいキノコ狩りは出来なかったが、馬車の中で小声で色々な会話を交わしながら時間を過ごした。予定を詰めて遊びに行くのも楽しいが、こうして何ということのない時間を一緒にするというのもまた満たされる。これまでは余暇は全て鍛錬に使うものだと思い込んでいたレンドルフにとって、こうして静かに過ごすことは新鮮であり、そしてこの上なく幸せなことでもあったのだと改めて思ったのだった。
途中距離が近かった為、ユリに「レンさん、何だか肌が綺麗…」と温泉効果でツヤツヤになっていたのに気付かれてしまい真っ赤になる一場面もあったのだが、それでも静かで穏やかな時間であったのは間違いなかった。