356.遅れて来た者
フィルオン公園まではユリは馬車で、レンドルフはノルドでそれぞれ向かって入口で待ち合わせることにしていた。馬車留めでユリが馬車から降りる準備をしていると、持っている鞄の中から小さな鈴のような音がした。
「あれ?レンさんが珍しい」
それはギルドカードに何か連絡が入った時の合図の音で、討伐や採取の時は鳴らないようにしているが、普段は連絡に気付けるように小さく音が鳴って知らせるように設定している。取り出して確認すると、レンドルフから少し遅れるという連絡が入っていた。
前にチラリと聞いたことがあったが、レンドルフは故郷で「女性は絶対に待たせるな」と徹底して教え込まれたそうだ。それを律儀に守っているらしく、レンドルフは余程のことがない限り早く来てユリを待ってくれている。
「レンさん、大丈夫ですか?馬車で待ってますので、到着したら連絡ください。無理しないでね」
ユリはすぐにカードにメッセージを吹き込むと、レンドルフのカードに送信する。ギルドカードは短いものだが言葉を文字に変えて送ることが出来る。
(レンさんが遅れるって大丈夫なのかな…)
何か厄介なことに巻き込まれたのではないかと思うと、ユリは馬車の中でソワソワしてしまった。今日は護衛の都合上、エマとサティの二人の侍女が一緒に来ていたのでかなり大型の馬車にしていた。キノコ狩りの時は一応二人で行くことにして、昼食は馬車まで戻って来て馬車の中で摂るように言われていた為、レンドルフが乗っても窮屈にならないようなサイズの馬車を選んだのだ。勿論キノコ狩りの時も陰ながら護衛は付けるので、既に数人が果樹園の中に入っている筈だ。
再びギルドカードから鈴のような音がして、レンドルフが到着を知らせてくれた。
「お嬢様!飛び出さないでください!」
すぐに馬車の扉を開けようとしたユリに、扉の傍にいたエマが慌てて押さえた。ついいつもの感覚で行動してしまったが、今はユリに最大限の警戒態勢を敷いているのだ。その間にサティがピアス型の通信の魔道具で、外にいる護衛に周辺の様子を確認していた。
「お嬢様、レン様が近くにいらしてますけど…」
「けど?」
「その…お連れ様がいるそうです」
「連れ?誰?」
サティが怪訝な顔をして、釣られてユリも同じような怪訝な顔になってしまった。今回は二人でキノコ狩りに行く予定だったので、レンドルフが誰かを連れて来るというのは事前に何か連絡をしてくれてもよさそうだった。遅刻をしたり急に誰かを連れて来たりと、レンドルフにしては有り得ないことが重なっている。
「ねえ、まだ外に出ちゃダメなの?」
「……ええと…大丈夫そうです」
「お嬢様!」
眉を顰めながら取り敢えずといったふうに頷いたサティの言葉に、ユリは思い切り馬車の扉を開け放っていた。サティの言葉を聞いて間を置かずに即行動に移したので、エマが止め切れずに思わず声を上げた。
馬車の外に出ると、まだ朝の時間のひんやりとした空気と少しだけ乾いた葉の香ばしい匂いが体を包んだ。
「レンさん!」
少し離れた場所に、ノルドに跨がったレンドルフの大きな姿がすぐに目に入った。大きな体のレンドルフが騎乗しているノルドの巨体で、合わせて見ると小型の馬車並みのシルエットくらいありそうだ。フィルオン公園は中心街よりもエイスの街に近いので、今日のレンドルフは髪を栗色に変えている。エイスの街に初めて行った時に一般的に多い栗色にしていて、すっかりその姿で顔見知りも増えた為にそのまま今も続いているのだ。とは言え、レンドルフは髪の色が変わろうとも体格ですぐにバレるのだが。
ユリと目が合うと、レンドルフは少々困ったように眉を下げたまま微笑んだ。どうしたのだろうとユリが見つめ返すと、ノルドの頭が動いてレンドルフの前に誰かが座っているのが見えた。
「…誰?」
レンドルフが自身の前に抱きかかえるようにしてノルドに同乗している人物は、ユリよりも小柄のようだった。赤みの強い茶髪に、少し垂れた優しげな目元の赤紫の瞳をした少女だった。丸みのある輪郭はまだ子供らしい曲線で、年の頃は10歳前後だろうか。背の高いノルドに乗せられていても怖がっている様子はなく余裕さえ感じられるので、騎乗には慣れているのだろう。
「ユリさん、遅れてごめん」
レンドルフはその巨体からは想像出来ない程に身軽にノルドの背から降りると、前に乗せていた少女を横抱きにして抱え降ろす。その流れるような動作は、まるで物語でも見ているかのような錯覚を起こした。
そっと羽根のように柔らかくレンドルフが地面に降ろした少女は、服装からすると中流家庭の平民のようだった。よく見ると愛らしい顔立ちをしているが、人の中に紛れてしまうとすぐに目立たなくなってしまいそうだ。三つ編みにした髪をカチューシャのようにクルリと頭に巻き付けるような髪型をして平民にしてはやや長いくらいだが、それでも見ない長さな訳ではない。それ以外は実に平均的かそれよりも少し可愛い、どこかの店で手伝いでもしていれば看板娘として可愛がられそうな少女といった風貌だった。
「あの…レンさん、その子は…」
「ユリ嬢、あの時は世話になったの」
「っ!?」
「ユリさん…ちょっと馬車の中で話せるかな…」
「わ、分かった」
顔一杯に疑問符を浮かべたような表情のままユリがレンドルフを見上げると、足元に立っていた少女が気さくに片手を上げてユリに話しかけて来た。姿も年齢も、更には声も全く覚えのないものだったが、その妙な口調は一度話せば忘れないくらい特徴的で覚えがあった。この国の王太子の長子である、第一王女アナカナの口調そのものだ。こんな妙に古めかしい貴族口調の者などそうそうあちこちにはいない。
思わず息を呑んで絶句したユリに、レンドルフは体を屈めてユリの耳元でそっと小声で囁く。そのおかげでユリは一瞬で我に返って、コクコクと頷いて停めてある馬車の方へ引き返した。ユリを追ってすぐ後ろに控えていたエマは、全く動揺していないような顔で佇んでいたが、振り返ったユリと目が合うとその瞳の奥は明らかに動揺していた。
ユリは「大丈夫」と目だけで合図すると、エマはすぐに馬車の扉を開けてくれた。
「ちょっと込み入った話になりそうだから、三人にしてもらえる?」
「畏まりました」
ユリが真っ先に馬車の中を覗き込むと、既に察していたのか馬車の中でレンドルフが乗り込んでも大丈夫なように、昼食の入った大きなバスケットをサティが積み上げてくれていた。サティが作業を終えてすぐに馬車から出ると、交代するようにユリはヒョイと馬車の中に入った。馬車の外で見守っていたエマは、ユリが馬車に乗ろうとするのに手を貸そうとレンドルフが手を差し出しかけていたが、背後にいた為にユリに全く気付いてもらえず図らずも無視されたような形になったところもしっかり見ていた。そしてレンドルフがものすごくションボリとした顔をしているのも一部始終目撃していたのだった。
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ユリが一番奥の席に座ると、アナカナを抱きかかえるようにしてレンドルフがノソリと体を丸めて馬車に乗り込んで来る。見た目は地味だがあらゆる付与がされて衝撃や揺れに耐性のある超が付く程高級な馬車であるが、さすがにレンドルフの重さまでは完全に打ち消せなかったらしく大きくユサリと揺れた。その為積み重ねたバスケットが少々ズレてしまったので、ユリが慌てて押さえた。それを見てレンドルフも焦った様子を見せたが、アナカナを抱きかかえているので手が出せずにオロオロしているだけだった。通常の状態ならユリだけでは支え切れなかったが、ユリとて身体強化は使えるので軽々とズレてしまったバスケットを元に戻した。しかし自分のせいで色々と迷惑を掛けている上に先程から良いところがないと思ったレンドルフが、明らかにシオシオと凹んでしまっていた。
「……わらわは捨て置けと言うたのじゃが…」
「…出来る筈ないでしょう」
「ひっ」
レンドルフにそっと座席の上に抱き降ろされたアナカナがボソリと呟いたのだが、それを耳にしたレンドルフのいつもよりも低い声で呟き返されて、思わず息を呑んで姿勢を正していた。アナカナもそれなりにレンドルフとは付き合いも長いので、彼が内心怒っていることが手に取るように分かってしまったのだ。レンドルフはもう所属が変わったし今日は休暇中なのだから、と道中何度もアナカナは説得していたのだが、絶対に譲ってもらえなかったのだ。アナカナもそれがレンドルフの騎士としての在り方であり矜持なのは分かっていたのだが、やはりつい再び口に出してしまったのでさすがに普段は出さない感情が漏れてしまったようだった。
「ええと…アナ様、でよろしいですか?」
「無論じゃ。少々待たれよ」
アナカナとは全く姿形は違うが、態度や口調は完全に彼女だった。アナカナは馬車の扉が閉まったのを確認してユリに問われたので、シャツを引っ張り出して裾から手を突っ込み何やらモゾモゾとしていた。どうやら腹に装着していた変装の魔道具の作動を停止させたのか、一瞬で淡い金色の髪に薄紫の瞳というこの国で最も高貴な色を持つ美少女に変化した。着ている服と髪型は変わらないが、身長や体型なども一回り以上小さくなっていた為に、服は袖も裾も大分余っていた。髪や目の色を変える一般的なものではなく、体格や顔立ちなども変えたように見える高性能な魔道具を使用しているらしい。
「ああ、今は他の者の目もない。わらわのことは王族と扱わんで良い。そのままで構わぬ」
「恐れ入ります」
王族の前では安全と逆心無しの証明の為に変装の魔道具や、見た目などを偽る魔法を行使するのは禁じられている。本来ならばユリもレンドルフも変装の魔道具を解除しなければならないのではあるが、そうならずに済んでユリは内心安堵していた。勿論解除するように言われたとしてもユリは全力で誤摩化すつもりでいたので、頭の片隅で座席の下に搭載している熊系魔獣も一瞬で撃沈させる眠り薬を使うことも視野に入れていたが、どうやら使わずに済みそうだった。アナカナはユリから漂う不穏な空気に気付いたのか一瞬だけ胡乱な目を向けていたが、ユリがニッコリ笑ったところサッと目を逸らされてしまったので、ユリは何となく解せない気持ちになった。
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レンドルフの話によると、王城からこちらに向かう途中で髪色を変える為に人目に付かない公園に立ち寄ったところ、そこでアナカナがキノコの串焼きを両手に一本ずつ持ってベンチでパク付いているところに遭遇してしまったそうだ。
「あの変装でよく分かったね」
「何度も見てるからね。それに一応別人かもしれないと思って近くを通りかかったら一目散に逃げ出したし」
「そ、それは!こんなにでっかいのが来たら危ないと思って逃げ出したのじゃ!普通なら良くあることじゃ!!」
「大抵の子供は俺が側に来たらまず硬直して、半分は泣き出します」
「ぐっ…」
あまりにもレンドルフがキッパリと言い切ったので、完全に敗北した形になったアナカナは言葉に詰まってしまった。
子供に限らず大抵の人間は、レンドルフが側に立つと壁のように見えて威圧感を覚えるだろう。小さな子供ならば尚更だ。そう思わせないようにレンドルフは極力物腰は柔らかくしているし、子供を相手にしなくてはならない時はなるべくしゃがみ込んで目線を低くする努力は怠らない。しかし何もせずにただ側に立っただけならば、初対面の幼い子供ならば固まってしまうのも無理はないだろう。
「放置しておく訳にも行かないし、団長に連絡を取ったんだけど会議中らしくてすぐに動けないみたいで」
「それを狙って抜け出たから当然じゃ」
「殿下…どうしてそう」
「説教は聞かぬ!どうせウォルターに言われるのじゃ。説教は一日一回までじゃ!!」
呆れたような顔を向けるレンドルフに、アナカナは両耳を塞いでギュッと目を瞑ってしまった。その仕草は可愛らしいが、やっていることはとんでもない。噂では第一王女は我が儘で気難しくて気に入った人間しか側に近寄らせないと言われているが、実際はそんなよくあるものではなく予想しない方向で規格外な人物なのだ。
「取り敢えず会議が終わったら団長が引き取りに来るから、それまで殿下のことを置いてもらえるかな」
「それは構わないけど」
「本当にゴメン!こんな事後承諾になって!」
「だ、大丈夫!それに、アナ様を放っておけないのは同じだから。だから、レンさん顔を上げて」
レンドルフなら有り得ないが、もし抜け出したのを知りながら置いて来たと聞いたらユリも絶対に引き返そうと言い出すのは自分でも分かっている。体を二つ折りのようにして頭を深く下げるレンドルフに、ユリはすぐにレンドルフの両肩に触れて顔を上げるように力を込めた。しかし力を込めても、レンドルフの分厚い上半身はビクとも動かなかった。
「レンさんてば!大丈夫だから!だから…」
仕方なくユリは少々強めに肩口をペシペシと何度か叩いて、レンドルフはようやく頭を上げた。しかし顔はまだ下を向いたままで、少し伸びて来た前髪で目が完全に隠れてしまっている。そんなに落ち込むことはないのに、とユリはつい勢いでレンドルフの顔を両手で挟む込むようにして顔を持ち上げてしまった。すぐに距離が近すぎた、と気付いた時には持ち上げられたレンドルフの整った顔が目の前にあった。大きな馬車とは言っても、カフェなどに較べればテーブルを挟んでいない分膝が触れる程に近い。しかもレンドルフの体を起こそうとしてユリは前のめりの体勢になっていたので、レンドルフの前髪がユリの額に触れそうな程に近かったのだ。不意打ちにしては思わず息を呑む程近い距離に不自然に固まってしまった。
ぐるるるるる…
一瞬固まりかけた空気を一切読まずに、隣から魔獣の唸り声のような音が聞こえた。ユリはすぐに我に返ってレンドルフの顔から手を離してサッと姿勢を正した。レンドルフも同じように背中を真っ直ぐにして馬車の壁に張り付くような恰好になった。その勢いで頭を打ち付けたのか結構大きなゴツリという音がしたが、別のことで既に動揺していたのでレンドルフはそのくらいのことではダメージは感じなかったようだった。
「す…すまぬ…」
ほんの僅かな時間ではあったが、ユリもレンドルフも隣にアナカナもいたことを忘れていた。アナカナも甘い雰囲気になりそうだった彼らの展開に期待しつつ空気を読んで気配を消していたのだが、意志に反して見た目からは予想も付かない程の大きな腹の虫の鳴き声が響いてしまった。
何せ今日は抜け出してお腹いっぱい買い食いを楽しもうと思っていたアナカナは、昨夜から食事を控えていたのだ。それがレンドルフに見つかって、キノコの串焼きを食べただけだった。この馬車には昼食がたっぷり詰められたバスケットも積み込まれているのだ。ほんのりの漂う程度だったが空腹のアナカナを刺激するには十分だった。
「あの…召し上がります?」
「……いいのか?」
「多めに持って来てますから」
「重ね重ねすまぬ」
馬車の中の三人は顔を赤くしながら、大分早いが昼食用のバスケットを開いたのだった。